『金八先生』のような教師がいい先生の代名詞にされがちだが、私は嫌悪感しか抱かない。学校がしょせん、洗脳機関にすぎない以上、生徒をなだめる行為は、官製カリキュラムに組み込むだけの偽善でしかないから。
高校生のとき、いつも授業をしない先生がいた。教壇の上に文字通りあぐらをかき、大学の卒業写真集を見せたり、学生時代の思いで話を繰り返す。よほど卒業した大学が気に入っているらしく、母校の名がそのままあだ名になっていた。われわれには「政治経済学部を出た」と自己紹介したが、古い先輩に聞くと夜間部卒業だという。
二年生のときは担任で、農村部に住む同級生の一人がバイク通学を申請した。担任が認めないので、保護者経由で学校に申し出ると、認められた。後日、廊下で呼び止められ、「何で親に言った」と怒鳴られた。三年になり、級友が「ちゃんと授業をしてください」と訴えると、「そういうわけにはいかないんだ」と一時間説教された。
二年生の同級生で、卒業旅行の計画があった。各人毎月千円ずつを積み立てたが、三年生の三学期に入ると、「中止」の知らせが回ってきた。事務担当に聞くと、積立金は例の先生が保管している。卒業式の数日後、男子三人で、先生に抗議の電話をかけた。
「納得がいかないんで、これから行きます」
三人でボロアパートを訪ねると、ひげ面の先生は、一万円を差し出す。
「これで、何かつまみを買って来い」
刺身やポテトチップスを買い、足の踏み場もない六畳間に座ると、先生が酒をつぐ。
「今日は合格祝いだ。パーッと飲もうや」
われわれは存分に飲み食いし、酩酊(めいてい)した。見送られて外に出ると、一人が皮肉交じりに言った。
「いい先生だ」
私は笑えなかった。官製カリキュラムには反するが、生徒への愛からではないから。
