私は職を転々としてきた。最長で六年三カ月勤めたが、大抵は一カ月強で辞める。欲深い人間たちに囲まれ一日一日を地獄のような思いで乗り越え、最後に人生の無意味さに耐えられなくなり、黙って辞めるのである。
去年の暮れは、不動産会社を一と月余りで辞めた。疑い深い女上司に一日中しかられていて、初めて反論したら「じゃあ、辞める?」と挑発された。隣席の白痴女も上司のまねをして注意してくるようになり、この職場にいられないと思った。私の人格に問題があるのだろう。
納税額日本一で多くの自己啓発本を著している斎藤一人さんは、転職を繰り返すのは「なめられているから」と両断する。「なめられてるから、どこへ行っても楽しくないの」。説得された私は、次の就職活動を強気で臨んだ。面接官に「苦手な人間は」と問われ、「威張っている人間を見ると、ぶん殴りたくなる」と答えた。採用通知は来なかった。
やっとのことで別の不動産屋に入りほっとしたのも束の間、英語女がいた。英字紙も読めないくせに、「オップス」などと連呼している。休暇の日に、日本語ペラペラのシンガポール人の「友人」を見せに来た。私は黙っているのに耐えきれず、千昌夫の発音で「ウエルカム・トゥー・ジャパン」とおどけたら、以降、「矢田さんのあの英語が傑作だったわ」としつこく言って来る。
「無能パングリッシュ」と言い返すべきか悩み、人生の師と仰ぐおばさんに相談した。
「矢田君、子供ね。そんな小さなこと。放っておけばいいじゃない」
電話で一蹴された。「大切なものを守るため、手段として働くのよ」と諭された。目の前の虚栄や不公正に目くじらを立てる私は子供なのだろう。しかし、大切なものとは結局、お金や身分保障ではないか。物的豊かさを守るために目の前の理不尽を許す方が、貧困な精神に映る。サラリーマンは給料で買収されている、ずるく卑怯な人種である。その意味では、やくざの方が正しい。
「矢田君は、思想がおかしい」
少し口を開くと、返された。父からも「豊松は思想が悪い」と怒られ育った。私には、どう考えても「小さなこと」の方が重要に思える。これらを放置して金持ちになり、ちやほやされたら、「解決」なのか。それでも、私以外の皆がそう言うからには、自分の方が間違っているのかもしれない。不安になった私は社会標準に倣い、翌日出勤する。
「おはよう」と英語女に声を掛けると、「グッ、モーニン」と不必要な巻き舌で返される。笑顔で応じた私は一歩、汚れた気がした。
