2017年01月09日

だからラーメンは地球食なのだ!

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僕がラーメンを仕事として向き合って20年経とうとしている。
出身が福岡は北九州であるものの。いまほどこだわりのラーメンを食べ歩くといったことは幼少期にはなかった。「ただラーメンは短に食べていたい」程度だった。

そもそも外食というものが「お腹を満たす」ものでという感覚が強かったからだと思う。

家にはインスタント食品やいりこがキッチンに並ぶなど玉石混合の昭和の家庭で育った。
ただひたすら食べていた記憶だけはうっすらとある。
意識して食べたていたのは実家の近くにあったお好み焼き「わかな」というお店だ。数年前に残念ながら無くなってしまったが。

そんなかんじで18歳の時に福岡に行くようになってから。
ハレノヒのラーメンに出会った。
それは、「一風堂、一蘭」である。
今思えば偶然だったのか、なんだったのか。学校を卒業した僕にはぐっさりと刺さった。
衝撃意外なにものでもない。一風堂でたべてた赤丸のチャーシューは今でも忘れない。
肉が「小さく」てあっという間に無くなったことだ。たべたて感想は「もう一度食べたい」だった。一蘭はスープのインパクトやいまも僕がラーメンで大事にする「病み付き」感が半端なかった。そんな両店は今や世界を相手にぐんぐん走り出しているから運命とは面白いとつくづく思う。
さてそんな福岡時代から気がつけばラーメン屋で働くようになった。(一蘭)
今でもそうだけど、独立や社長なんて自分がやるとは思ってなかった。「一ミリ」もである。
そう話すと大抵の人は驚く。
起業する人は生まれ持っての才覚でもあるかのようにみられるからだ。
ぜんぜん、僕のような「本当のあほ」はそれほど確かなもんもを持ち合わせているわけがない。
決まった行動パターンは「おもいつき」
ただそれだけしかない。よくそれで今のいままで生きていけたのか?運が良かったいがいない。
そもそも起業するきもなく、ただ質の高い、レベルの高い仕事を達成したかった。
20代は本当日本をよっまくった。そして片っ端から実行してみた。
時々20代のバックボーンになった自分のノートをみると異常なほどに考察や検証を(内容は浅いけれど)している自分にゾッとすることがある。当時は天才ビジネスマンが書いた本を鵜呑みにして無謀にチャレンジしていたからだ。今の自分ならほどほどにしておけよ。。と言ってたに違いない。なので20代は相当荒れていた。能力を超えた欲求は時に脆く危ないものだと今ならいえるほど。道を踏み外さなくて本当の良かった。良い先輩や仲間に支えられたからだろう。
そんな激しい20代のポンコツエンジンでF1にでもチャレンジする精神だったからか、なぜか目が海外へと移っていった。
それは2002年のニューヨク旅行が大きな影響を受けた。
飛行機チケットだけをとって突撃旅行。よくいったもののだけど、英語も話せずに。
ただそこでもみた景色は本当に素敵だった。田舎育ちの僕にとってはみるものすべてが新鮮。
あのニューヨークの街並みでさえ歴史と文化を十分に堪能できた。
そして帰国日前日バーや飲食街を歩いているときにふと周りをみると、美味しそうな大きなピザが焼きたて売っていた。美味しそうな焼肉店などアメリカにもかかわらず異文化がそこにはたくさんあった。そして祖国の料理を一生懸命商売している人がいた。
「彼らはどこからきたのか?」単純な疑問だった。そして日本食はあるのか?
あたりを探したが残念ながら満足いくものはそこにはなかった。田舎の美味しいラーメンもカレーも焼きそばもうどんもなかった。帰りの飛行機だろうか、もう一度考えた。
美味しいそうなピザ屋、パン屋、焼肉やデリなど一生懸命売っている人たちやそこに群がっていくお客さんを。その光景が忘れられず。ふつふつといつか自分もと思うようになっていった。
それから幾年かして凪を始めるのだけど。その時には明確に決めていた。
「海外で勝負する」根拠もなく100%保証もないのだけど、やるためにはどうすればいいかだけはわかっていた。ただ走り続ける。それしかないと。
そして自分の夢とこのラーメンというものと向き合った時には生まれたキャッチフレーズが
「ラーメンは地球食」そう日本を飛び出していつかきっとそうよばれるような時代がくる。
自分はその後押しをすること。
そう思ったのがついこないだのように懐かしい。
今も何か求められて時はこの文字を書く。
そしてちゃんとできているか?向かっているか?確認している。


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burand1 at 01:17│Comments(0)TrackBack(0)clip!

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