ブラリひょうたんから駒

古本業を営む「書肆月影」の見たり聞いたりです。五年前に神奈川から移住し、伊那市高遠で古民家の古本屋を開いておりました。現在は、次の展開を睨んで準備中。長野県松本住み 「第1回 岡谷街歩き古本市」のTwitterを始めました。https://twitter.com/okaya_furuhon

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木曽で開催された第四六回「平沢漆器祭り」「奈良井宿場祭」に出掛ける。この催しに出掛けるのは初めて。
会期中は会場をクルマで移動できないので、まずは「木曽くらしの工芸館」に駐車する。ここから「平沢」「奈良井宿」までは、無料のシャトルバスが頻繁に出ているので便利だ。

「木曽漆器祭」はふだん静まりかえっている平沢での開催。一八〇もの店舗が出店した、とのこと。どのくらい売れたかは不明だが、人出は多い。塗り椀に欲しいモノは数多くあれども、手元不如意につき、俎を購入。
シャトルバスにて「奈良井宿」に移動し、「お茶壺道中」などを横目で見ながら、ブラブラ歩く。途中、フリーペーパー「チャンネル」で取り上げられていた骨董店「湖月堂」を発見。欲しいものあれど、手元不如意につき、献杯の盃と和本を購入。知り合いの陶芸家が詰めている店にも寄り、オバアチャンから「朴葉餅」のおもてなしを受ける。

松本に戻ってから、鞄工房「エスペディエンテ」に寄り、Tさん夫妻に土産話。奥さんは一時期平沢で漆の修行をしていたのだ。

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▲会場の手前「贄川宿」の倉庫で開かれていた市。手頃な価格のものが大量に

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▲「平井」の賑わい。こちらは「買う」市

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▲「奈良井宿」の賑わい。こちらは「見る」「食べる」市

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▲「創業寛政五年」とあるも昨年廃業した蔵元「杉の森」

早くも梅雨入りしたようでぐずついた天気が続きますが、以下の催事に参加いたします。

◎「町屋古書市 夏の章」

・期 日 6月1日(土)より6月16日(日) 午前10時30分より18時・月曜日、火曜日休業
・会 場 長野市西後町 町屋ギャラリー十二天

町屋ぎゃらり十二天

◎「小野宿市」

・期 日 6月2日(日)午前10時~午後4時 *雨天決行
・会 場 辰野町小野 小野宿

※(紹介文より)宿場歴史散歩・・・クラフト・たべもの市・・・酒蔵開き・・・手打ちそば・・・歌と踊り 宿場で、生糸産業でにぎわった里。住み継ぐ人々の思いつなげて、にぎやかな一日をご一緒に。

小野宿市 チラシ表

小野宿市 チラシ裏

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自宅から歩いていける距離の浅間温泉に「松本市野球場」がある。ここでBCリーグの公式戦「信濃グランセローズ対富山サンダーバーズ」が開催されたので観に行った。BCリーグ(ベースボール・チャレンジ・リーグ)というのはプロ野球独立リーグのひとつで、新潟・長野・群馬・富山・石川・福井に所属する計六チームで争われる。長野県を本拠地にしているのが「信濃グランセローズ」で、Wikiによれば設立当時から日本ハムがチーム編成に大きく関わっているようだ。球団社長は三沢今朝春( 東映時代の打撃を観ているかも知れない)、初代監督は22勝を上げ新人王を獲得した投手の木田勇、現在の監督は捕手だった岡本哲司、ピッチングコーチは田中幸雄である。
最近の話題で言えば、MLBで活躍した大塚晶文が入団することになった。入口でもらったパンフレットに目を凝らしていたら、相手チーム「富山サンダーバーズ」の投手の欄に「大家(おおか)友和」の名前が見える。帰宅して調べたら、同じくMLBで活躍したあの大家で、今年入団したらしい。元MLB投手同士の投げ合いも観られそうだ。

実はBCリーグのことも「信濃グランセローズ」のこともほとんど知らず、たまたま観戦に行ったのだが、プロ競技として観た場合、J2に所属する「松本山雅」に比較すると知名度や経営状況でかなり差があると思われる。たとえば観客数を調べると、直近の三試合のそれは「信濃グランセローズ」485人、352人、378人であるのに対し、「松本山雅」は11,881人、8,829人、8,855人とケタがひとつ違う。信州は都市が点在独立し、まとまりがないなどと言われるが、全県を挙げてひとつのチームを応援するという土壌がないのは事実だ。「松本山雅」だってオラが松本市、のチームであって、市外に住む人の関心は決して高くない。
今日の観客数の公式発表は(ここ三試合より少し多くて)608人、入場料が千円( 内野特別席で観戦するとプラス500円)となると、諸々の費用をどこから捻出するのかと他人事ながらちょっと心配になる。メンバー表を見ると二十代前半の選手が多いから、JBLや実業団からは声がかからなかったが、球を追うことが好きでたまらない「野球小僧」の集まりなのであろう。

観戦したのは一塁側のホームベース寄り、やや高いところで、ここから眺めても個々の選手の投手力、打撃力などはよくわからない。そんな眼は持っていない。しかし素人でも明らかにわかるのは、ボールが前に飛んだときの守備と走塁で、これはテレビで観戦するJBLに比べるとかなり差があるように感じた。公式記録では両チーム併せた失策は三つなのだが、その倍以上失策があるように思えた。アウトを取れそうなものがアウトにならないのはエラーではないだろうから、そう思ったのかも知れない。「H」にランプか「E」にランプか注視してもなかなか点灯しないこともあったので、記録員も迷っているのだろう。本塁上のクロスプレーで「おいおい、そこはスライディングだろ」というプレーもあった。
いやこれは非難しているのではなく、これがBCリーグの実情である、というだけだ。

野球にはプレーの仕方にも観戦の仕方にも、いろいろな身の投じ方がある。どちらが優れていてどちらが劣っているということはない。草野球にもMLBにもスラッガーはいて、スラッガーはスラッガーだ。しかし、「信濃グランセローズ」には一流のコーチ陣がいて、MLBで活躍した選手と野球ができる環境も整った。若い選手にはこのチームで成長していって欲しいと思う。そして願わくば観客の増員も。

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松本市美術館で開催される「奥野祐二やきもの展」の搬入を手伝ってきた。

奥野さんは長野県生坂村在住。生坂村の山のてっぺんに自ら建てた住まいと登り窯を構える。私は陶芸のことは全くわからないが、知り合いの伝手で窯焼きに二度ほど立ち会わせていただいたことがある。そのときわかったのは、登り窯という手法にはきちんとした設計( おもに温度の管理 ) と、多くの薪と、不眠不休の体力が必要だということ。まさしく土と火との格闘と呼ぶにふさわしいが、その努力が報われるかどうかは窯から出してみないとわからないこと。財力も体力も精神力も必要なのだが、一度嵌まるともうそこから抜け出せないらしいこと、などだった

そんな恐ろしくも札束を背負った荒行のようなものに私が何を手伝ったかというと、数日の少眠少休の合間を縫って、窯の横で茶話をするというものであった。「適当に薪をくべて」とも言われたが、恐ろしくてとてもできなかった。「ショスタコーヴィチの音楽が聴きたい」というリクエストで、弦楽四重奏曲の全集CDを持参したこともあった。あの軽妙と沈鬱が交錯する音楽を聴きながら、土を火でゆっくり成形していくというのも不思議な感じがするが、その音楽はあるじの魂を鎮めたようだった。

この窯焼きにはいつも生坂村周辺に住む陶芸家が助っ人に駆けつけていて、今日の搬入にも同じ顔ぶれが揃った。作品はこれがよく窯のなかで焼けたものだ、と思わせる大きくて重いオブジェが中心で、それを軽トラックの荷台からウンウン言いながら皆で降ろし、慎重に美術館の中庭の芝生に運んでいった。

芝生には近くの幼稚園児が遊びに来ていて、この飾りのたくさん付いた置物に興味を示していた。先生から近づくたびに咎められていたが、それがなければ作品は確実に弄ばれていただろう。でもお嬢ちゃん、さわるとモゲちゃうの。さっき、オジサンが降ろすときにモイでしまったの。

「奥野祐二やきもの展」
日時:2013年5月14日(火)~2013年5月19日(日)
会場:松本市美術館 中庭

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 「第一回岡谷街歩き古本市」は大勢の方にご来場いただき、無事終了いたしました。足をお運びいただいた皆さま、どうもありがとうございました。岡谷市で人口五万人、隣接する諏訪市を合わせてもせいぜい一〇万人規模の地方都市の催事でしたが、やり方次第ではいろいろな可能性があると感じた六日間でした。

さて、この古本市では来場者向けに、ミニコミ新聞を作成いたしました。リソグラフで三〇〇部ほど印刷したのですが、残部数から推測して、実際に読んでいただいたのは一〇〇名程度ではないかと思われます。
原稿をお寄せいただいた出店者の労に報いるためにも、ここに再録させていただきます。

岡谷古本市・号外 平成25年5月1日発行

( リード )その昔「書を捨てよ、店をたたもう」とアジった劇作家に感銘を受けて、本当に店をたたんでしまった四人の店主の追懐録。


 「エコ・スポット」



 二十年程前、高遠で塾をやっていたことがある。昔製糸 工場だった木造三階建ての古家の二階部分を借りて教室にしていたのだが、坂の途中に建てられた変則的な建物で、道に面した三階部分が按摩さんのマッサージ 治療院になっていて、授業をしているとよく天井からミシッミシッという音が聞こえてきた。いまにも崩れそうな古家だったが、谷の向こうは高遠城址公園で、 春は部屋にいながらにして満開の桜が楽しめた。
 ボロ屋とはいえそれなりの風情もあり、五年ほど塾を続けたところで阪神大震災が起きた。塾の子供 たちもろともマッサージ治療院の下敷きになる恐怖を感じ、近くの板金屋の二階に空き部屋を見つけて移転。しかしそこはすぐ隣にカラオケ・スナックがあり、 夜の中学生の授業時間ともなると、マイクを取り合う酔客の歌声が壁越しに響いてきた。結局、一年余りでそこもたたみ、当時住んでいた廃村からも引っ越し て、心機一転、駒ヶ根の市街地に新しく塾をオープンした。今度は十坪程の貸事務所のフロアを二つに仕切り、奥を塾の教室に、手前をエコ・スポットという名 のフリースペースにした。相変わらず受験対応に追われるばかりのマンネリ化した塾の仕事を、もう少し開かれた自由なものにしていけないかという思いが切実 にあった。
 手始めに常設の古本や衣類等のリサイクル・コーナーに加えて、チベットやバングラデシュのNGOから手工芸品を集めてバザーを開催し た。初めのうちこそ取材があったり、知人が訪ねてきたりと人の出入りが結構あったが、オープンして一ヵ月近くもたつと、もうまったく「凪」の状態に入って しまった。正午から塾の授業が始まる夜の六時過ぎまで店を開けていても、客がゼロという日も少なくない。おまけに肝心の塾の方は、辛うじて教室の家賃が払 える程度しか生徒が集まらず、結果的に全員マンツーマンで、ボランティアのような収入でぜいたくな授業をやる羽目に。 店番をしながら、これでいいんだろ うか?と何度も思った。多摩川の河原で、集めた石を並べて売れない石屋を開くつげ義春の「無能の人」が、他人事に思えない。結局、丸二ヵ月フェアを開催し て、売上げはわずか数万円。そこから卸値を差し引くといくらも手許に残らなかった。高遠に塾を開いたときから引っ越す度に新しく看板を作ってもらった看板 屋さんは、金を払うというのに、同情したのか呆れたのか、とうとう請求書すら持ってこなかった。(堀越哲朗「古書の森マザーアース」)


「看板物語」

光風舎はもともと私が個人ではじめた出版社の屋号であった。計画もなくはじめた出版社はその後行き詰まるのだが、その前に輝くべき一時があった。

 大正末期から昭和初期にかけての長野の町の写真集を図書館で見つけ、どうしても復刻したくなって、とうとうそれをやってしまったのだ。結果はまったく売れず、出版社をたたむ大きな原因となったのだが、最近になってほしいという人が多いのはなんとも皮肉な話だ。

 その写真集の出版を記念して写真展をしたとき、たまたま見に来た方にこれらの写真を飾るギャラリーの開設をすすめられた。自分の持っている物件に適当なものがあるので格安で貸してくれるという。場所は大門町で、古い商家の商品を出し入れする細長い通路のようなスペースであった。間口1メートルほどの細い通路は写真を飾るにはちょうどいい。奥を事務所代わりにすれば一石二鳥ではないかと言われその気になってしまった。

 ただ写真を飾っておくだけではもったいないと、陶器やらガラス細工やらを置いて販売もすることにした。目立たせようと「光風舎」の大きな看板も作った。開設してから間もなく善光寺の御開帳があってけっこう売れたのだが、御開帳が終わると客足は途絶えた。結局出版社も立ちゆかなくなり、私は勤めに出ることにし、店兼事務所は閉めることにした。

 このときに「光風舎」の目立つ看板を引き取ってくれたのが現在の共同経営者である弟であった。弟は中古レコードと古本の店を以前からやっていた。そこに「光風舎」の大きな看板が居座って、いつのまにか古本屋の光風舎ということになってしまった。

 古本の業界はネット販売の時代になり、光風舎もそちらに比重を移した。すると、倉庫兼用にしていた店がどうしても手狭になってきた。2年ほど前、現在地を格安で借りられることになり移転を決意した。大通りに面した場所で店売りにも力を入れようということになったが問題は看板であった。この際だから看板を新調して新しい店名で出発しようとも考えたが、その予算が出てこない。しばらくは元の看板でということになって、光風舎の看板がまたまた居座った。

 そんなわけでいまだに「光風舎」のままで古本屋をやっている。そのうちに利益が出て、看板も作れるようになったら屋号も変わるかも知れない。(田中博文「光風舎」)


「たたむ日」


このミニコミを作ろうと提案したO氏のつぶやきによれば、「店をたたむ」というお題を聞いて誰もが「おいおい、それかよ」と笑ったそうである。笑って引き受けられるということはすでに過去の一幕として整理がついているわけだが、今も波打ち際を息絶え絶えに走っている身にとっては、乾いたばかりの瘡蓋を引きはがされるような気がしないでもなかった◆白状すれば、昨年の今頃は店をたたむことを半ば本気で考えていた。縁もゆかりもない岡谷の街に突然現れ、店を開いて21年が経った。大波小波を乗り越えて何とかここまで辿りついたのだが、ここ数年はあまりの時化に船頭が船酔いを起こして、転覆するか浸水して沈没する瀬戸際という有様だったのだ。それなのにいまだ店が続いているのは、ひとえに船頭が陸に上がっても食い扶持を得る才がなかったことに加え、陸に上がるための金も用意できなかったからにすぎない。「店をたたむ」と書けば体裁は良いが、金のない身にとって店はたたむものではなくつぶすものである。われらが店はつぶすことすらできなかった挙句に、今日もまだ続いてしまっている◆われらが店は野菜が中心の八百屋であると自負している。その昔、八百屋という店は戸板一枚で成り立つものだったらしい。朝には三尺六尺の戸板に所狭しと野菜を並べ、夕には売り切って戸板が飛ばぬように石を載せて置く。半坪の戸板に居所として半坪、都合ひと坪で事足りる身軽な生業だったという。足元の魚籠に銭を入れ、その日の店をたたむと銭を懐にして一杯ひっかけて帰る。日が昇れば前の日の上がりを元手に、百姓から野菜を買ってきて戸板に並べる。店をたたむというのに相応しい八百屋は、そんな構えの店でなくてはならない◆野菜というものは、畑で抜いた時からひたすら一方的に傷んでいくものである。八百屋はいかに傷んでしまう前に売り切るかを考えるのだが、全部を売り切るに至らないことが多い。わずか数日の間に売り切らなくてはならない野菜を商う八百屋から見れば、古本屋とはなんと悠長な商いなのかと思う。他人が読み終わった本に法外な値段をつけて売る。いくら時間がたっても腐らないのをいいことに、家の中で売り物に埋もれるように暮らしている。地震があって本の下敷きになって死人が出た時には、真っ先にある古本屋の顔が目に浮かんで思わず手を合わせたくらいだ。鮮度の良い野菜を売るためには、こんな古本屋などと付き合っていてはいけない。深入りするとそれこそ店をたたむことになってしまうと思いながら、いつの間にか古本市の主催者の一人に名を連ねてしまった。深く反省する次第である。(鈴木誠「オーガニックマーケット・カンビオ」)


「確かに似ている」


 私は、過去二度、店を畳(たた)んだことがある。行きがかり上、ほかにも人生で畳んだものはいろいろあるけれど、少なくとも古本屋に関しては二度だ。最初は中央線の高円寺、二度めは伊那市高遠である。どちらもそう長く続かなかった。高円寺はほんの数ヶ月、高遠は約二年半である。ひとつところで長く暖簾を守っている人たちからみたら、何ていい加減な奴と思われるだろうが、確かにいい加減である。が、短期間での店仕舞いはそれなりに代償も大きかった。金銭的なことはもちろん、膨大な書籍や本棚の運び入れ・運び出しの労力は半端ではない。しかし、それらが多少でも甘美な思い出として繋ぎ留められているのは、その助走期間がたとえようもなく楽しかったからである。高円寺の店はプロのデザイナーがロゴをデザインし、人気ライターがメディアで宣伝してくれた。私生活はいろいろあってドン底だったが、まわりの人間が店と私を盛り立ててくれた。いまその店の概要は今は亡き「彷書月刊」の広告頁くらいでしか知る術がないが、私にはそれで十分である。高遠の店は助走期間が長かった。当初店は相模原市藤野の廃校にオープンする予定で、一年ほどグダグダ折衝していたのだが埒が開かず、なぜかはるか東京から離れた高遠に落ち着いた。この店は最初六人で共同経営していたが、いろいろあって男二人での共同経営となった。経営のやり方は変わっても店番は私ひとり、週末になると東京から仲間がやってきて寝食を共にするという生活は一緒だった。ふだんはひとりで気を張っているけれど、週末になると旦那がやってきてしんなりする、というお妾さんみたいな生活を三年近く続けたことになる。そう言えば店は常に暇で、針仕事みたいなものだった。
 身も蓋もない言い方であり、またきわめて陳腐でもあるけれど、「店を開くまで」というのは「挙式当日まで」と絵姿が似ている。その日を境に「本当の日常」が始まるのだ。日常というのは常に残酷である。意味もなく昨日と今日が繋がっている。うっかりすると翌日がやってくる。忙しければ、つまりお金が動いていれば、朝いちばんで日めくりを破る気力も湧いてくるが、暇も度を越すと余計なことばかり考えるようになる。一週間分まとめて日めくりを引き千切る日が出てきたりする。暇な店番ですることと言ったら、数少ないお客さんの人間観察くらいしかないわけで、すると不思議とそこから垣間見える「外」の世界の方が将来があるよう気がしてくる。こうして人はある日ポンと店を畳んでしまうのではないだろうか。やはり身も蓋もない言い方であり、またきわめて陳腐でもあるけれど、それは離縁に似ている。(大塚清夫「書肆月影」)


◎堀越哲朗 昭和29年東京生まれ。伊那市在住

◎田中博文 昭和24年長野生まれ。長野市在住

◎鈴木 誠 昭和32年東京生まれ。岡谷市在住

◎大塚清夫 昭和31年東京生まれ。松本市在住

長野市善光寺門前「ぎゃらりー十二天」で開催された「町屋古本市」は無事終了いたしました。足をお運びいただいた皆さま、ありがとうございました。
会の終了後、ギャラリーのオーナーご夫妻を交えて、奧の喫茶コーナーでミニ反省会を開きました。会期後半、天候が不順だったせいもあって、全体の売上は目標に届かなかった感がありますが、第一回目としてはまずまずといったところでしょうか。何よりオーナーご夫妻から「今まで店に入ってこなかったような方が来られて、お客さんの幅が広がった」とお聞きできたことが幸いでした。確かに撤収さいちゅうに入店し、小脇に古本を抱えていた若いカップルはあまりこの店では見かけなかったお客さんでしょう。

さて、時と場所を変え、5月初頭の黄金週間に岡谷市で三会場同時開催による「岡谷街歩き古本市」を開催いたします。

会期: 2013年5月1日(水)~6日(月・祝) 午前9時30分~午後6時
会場: 第一会場 笠原書店本店 2階 ギャラリー「あすなろ」
      第二会場 オーガニック・マーケット「カンビオ」2階
       第三会場 イルフ童画館(武井武雄の美術館) ミュージアム・ショップ
主催: 岡谷街歩き古本市実行委員会( 事務局「カンビオ」内 0266-24-1851)
     
     ※県内外の15店舗(と個人)が参加いたします。

この催しについては、専用Twitterを立ち上げましたので、そちらをご覧ください。こちらのブログにはあまり書き込みません。

岡谷街歩き古本市

また、主催者のひとりであるオーガニック・マーケット「カンビオ」店主のSさんがFacebookを立ち上げております。そちらもご覧ください。

岡谷街歩き古本市

    

善光寺表参道で開催されている「ぎゃらりー十二天 町屋古本市」ですが、陽気に誘われて出掛ける人も多いのか、連日賑わっているようです。私も参加古本屋の事務方である「光風舎」Tさんから話を聞いて、いち日補充に行ってきました。

ギャラリーのオーナーのお一人である山上絹代さんは「空間プロデューサー」という肩書きをお持ちのため、古本が店に溶け込むように、ほどよいかたちで収まっていました。

以下、店内の写真で雰囲気を想像してみてください。会期は今月31日(日)までです。

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3月15日(金)より、善光寺表参道「ぎゃらりー十二天」にて「町屋古本市」が始まりました。

前日は参加する四店舗が集まり、ワイワイと本棚や什器を移動しながら本を並べていきました。そのあとは、店のなかに設けられているカフェで、男ばかりのお茶会をしました。諏訪の「くらもと古本市」の総括などをしながら。

善光寺詣でをされたあとは、ぜひ「町屋古本市」にもお立ち寄りください。参加店である「光風舎」「遊歴書房」の店舗もこの会場の近くにあります。

ぎゃらりー十二天

今週週末から、長野市善光寺表参道にあるギャラリー「十二天」で開催される「町屋古本市」に参加します。
善光寺門前にある古本屋「光風舎」さんが中心となり、ギャラリーのオーナー夫妻と企画を練りながら実現した企画です。「光風舎」さんのサイトに案内文が掲載されましたので、それをそのまま転載させていただきます。

◎町屋古本市のご案内

春の訪れが待ち遠しい3月の長野で古本市が開催されます。会場は、昨年善光寺表参道にオープンした「門前町屋ぎゃらりー十二天」です。その一角にこのほど 抹茶やお菓子を楽しめる空間「十二天茶房」が生まれました。お茶を飲みながら自由に本を読み、気に入った本があったら買うこともできるという期間限定の ブックカフェとしてお楽しみください。もちろんお茶だけ、古本の購入だけもできます。
出品するのは、地元長野市をはじめ松本市・上田市の古書店4店、いずれも個性ある本を揃えた店ばかりです。花の季節には少し早いですが、早春の一日お気に入りの本を求めてお出かけください。

◎会期
3月15日(金)~3月31日(日) 10時30分~18時30分
◎会場
門前町屋ぎゃらりー十二天
◎参加古書店
光風舎・書肆月影・バリューブックス・遊歴書房
◎主催
門前町屋ぎゃらりー十二天

◎会期中3月23日(土)にトークイベントを行います。
テーマ 本棚のごちそう
対談 田中博文 出版編集工房主宰・古書店主・地方史研究者
山上絹代 空間プロデューサー・室礼講師・コラムニスト
期日 3月23日(土) 14時から16時まで
会場 十二天茶房 
会費 1300円(コーヒーとお菓子付き)
※事前にお申し込みください。席に余裕があれば当日の申し込みも受け付けます。

◎お抹茶のお茶席を開設
3月30日(土)・31日(日)の二日間開催。期間中お抹茶のセットを500円で提供します。

お問い合わせ
門前町屋ぎゃらりー十二天
〒380−0832 長野市東後町16-1
Tel/fax. 026-217-2854
e-mail:juuniten@gmail.com
http://www.juuniten.jp

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年が明けてもまだどこにも初詣に行っていないこともあって、松本市郊外の牛伏寺(ごふくじ)に出掛ける。さすがに町中より標高があるぶん、雪が残っている。階段はさすがに除雪してあったが、一部参道には凍結しているところもあって足を取られそうになった。四月も後半になったら、裏山の鉢伏山に咲く山桜を観に行くことにしよう。

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