2017年03月07日

瞬間とプロセスを鮮やかに切り取ること ――好きになるその瞬間を。〜告白実行委員会〜(2016年)



見:イオンシネマ高松東

 前作は神戸で見たが今回は高松で見たので多少客層が違うかな、と気にしたがそういうわけではなく、10代の女の子集団がマジョリティなのは変わらなかった。その他若いカップルや、俺のように一人で見に来ているアニオタ(今回はTrysailがプッシュされているので声オタもいただろう)がちらほら、といったところ。前作も今回みたいに期間限定で全国から遅れて上映という形になったようで、前作から引き続き見に来た人もいるだろうし、前作のパンフレットも販売されていたのはサービス精神として十分気遣いができているな、と思った。

 ストーリーについては前作が『ずっと前から好きでした。』が「告白すること」とそのプロセスに重きを置いていたことに比べると、今回はまさに「好きになるその瞬間」とそのプロセスに焦点を当てた、というところだろう。それはつまり個人的な現象である。個人として誰かを「好きになるその瞬間」というのがビビッドに、そして男の子の場合でも女の子の場合でもものすごくキュートに表現されるのだけれど、今回描いているのは徹底的な気持ちのすれ違いだ。デートムービーとして今回も製作されているきらいがあるが、最終的に主人公が思いを寄せる幼なじみの男の子に告白して成功する前作と比べると、この徹底的なすれ違いは前作と逆の意味でリアルなものとして10代の少年少女たちに響いてしまうんじゃないか、というきらいを感じた。

 前作で主役をつとめた榎本夏樹と瀬戸口優を中心とした世代のストーリーだったが、今回は2つ下の世代、二人の弟と妹にあたる榎本虎太朗と瀬戸口雛を中心とする世代が主役となる。だが唯一、雛が好きになる先輩綾瀬恋雪だけが前作から引き続き大きくフィーチャーされることになっている。夏樹と優、として恋雪の存在が学年の離れた二つの世代をつなぐ役割を果たすことと、先輩を好きになるがどうすることもできない雛の切なさやもどかしさを前面的にクローズアップすることに成功している。

 ていうか、第一に雛役の麻倉ももの演技がめちゃくちゃかわいい。本作が面白いのは雛と虎太朗たちの中学生編から物語が始まっていることで、恋雪の入った高校と同じ高校を目指して勉強する雛や、その雛と同じ高校に入ろうとする虎太朗という思いの一方通行を最初から演出している。

 中学生から高校生になるなかで雛の身体が成長していき、「瀬戸口、スタイルいいよな」「幼なじみだしもんだことあるの?」と虎太朗がクラスメイトに茶化されて赤くなるシーンや、気合いを入れるために雛がメイクするシーンなど、過去と現在の変化と連続性を同時に演出していく構成はなかなかうまい。前作がいかにシンプルな構成になっていたか(とはいえシンプルながら複数の色恋を並行して扱うのはうまかった)を再確認しつつ、同じものと違うものを描き分けていく表現はなかなかのものである。

 雛と同世代である10代の女子たちが最後の雛の決断をどのように解釈したのかが気になるところだが、今回の場合むしろ「なにかをできなかったこと」が大きくクローズアップされるからこそ「好きになるその瞬間」からつながるプロセスを鮮やかに切り取ることに成功していると言っていい。その上で、エンドロールとテレビアニメでいうED後のCパートも含めて一つの映画として構成されていることが、本作がシリーズものとして作られているという前提をうまく使えていると思う。

 興行成績次第ではあるだろうが、HoneyWorksの持ち曲を考えるとまだ続きが作られてもおかしくないだろうし、何らかの形で作中の世界は続くだろうという予感が『告白実行委員会』シリーズの魅力であり面白さなのだろう。もうとっくにその世代からは離れているが、VOCALOIDとアニメという方法だからできるデートムービーという新しい展開は気になるし、続きがあればまた見に行くだろうと思っている。

好きになるその瞬間を。(初回生産限定盤)(DVD付)
HoneyWorks
ミュージックレイン
2015-07-15




2017年03月01日

白石健次の転落と成長 ――『Helpless』(1996年)/ 『サッドヴァケイション』(2007年)

Helpless [DVD]
浅野忠信
タキ・コーポレーション
2000-04-28



サッドヴァケイション プレミアム・エディション [DVD]
オダギリジョー
ジェネオン エンタテインメント
2008-02-27


 最近知り合った人に青山真治作品を薦められ、『Helpless』から始まる北九州三部作のうち『EUREKA』以外の二本を見た。青山作品ではEUREKAが一番有名なんじゃないかな、と思ったのだが薦めてくれた人が言うにはあまりレンタルに転がってないらしい。古いほうの『Helpless』だけレンタルして、『サッドバケイション』はNetflixで見た。

 明確なストーリーがあるわけではなく、白石健次というキャラクターの人生を10年間くらい追ってみました、というところだろう。北九州という舞台から離れない土着の物語であることや、『Helpless』はそのまま路上から始まる物語だ、というところからしても(また、青山が小説を執筆していることを加えても)紀州を舞台に物語を書き続けた中上健次への目配せがいくらかあるのだろうと思う。

 健次と安男の人生をわずかに切り取っただけの『Helpless』と、間宮運送という小さな運送会社を舞台に繰り広げられる『サッドヴァケイション』では味わいがかなり違う。『Helpless』はストーリー性はほとんどなくて、ほんの少しだけ物語は進むが、どちらかというと健次と安男それぞれのキャラクターを強く印象づけるための演出であったりカメラワークがなされていた、というべきだろう。おそらくさほど予算もかかってないように思うが、その手触りがなおさら健次の粗削りな情熱を拾い上げているようにも思う。

 粗削りな情熱はそのままつまり暴力へと転じたりするわけだ。後半のファミレスのようなシーンで急に窓ガラスが割れて健次が店のなかに侵入するシーンや、暴力とは違うが昔の友達がトンネルの向こうからカメラでシャッターを焚きながらこちらへ向かってくるシーンなど、場面の転換の際に視覚的に分かりやすいアクションが入っている。なにかが起こりそうな気がすると見ているものに感じさせ、不安を宿らせる。トンネルのシーンのあとはたいしたことはなく、ファミレスのシーンでも中に侵入してなにがあったかまでは細かく描かない。なにか物事が起きる瞬間を、衝動的にカメラがとらえているのだ。

 だからほとんどのシーンで静けさに満ちていた『Helpless』と比べると、『サッドヴァケイション』はとてもにぎやかだなと思う。間宮運送は大きな橋の下にたつ小さな運送会社だが、そこで生計を立てている男たちや屋台骨を支える女たちがいる。『Helpless』のころは若かった浅野忠信も、『サッドヴァケイション』では順調に歳を重ねている。まだほんとうに若い高良健吾や宮崎あおいがそれぞれの形でスクリーンで輝きを放つ一方で、オダギリジョーや浅野はどこかほの暗さを漂わせている。

 『Helpless』ほどわかりやすくはないものの、なにかが起きそうなシーンや瞬間は常にある。高良演じる間宮運送の息子、勇介は、これまた粗削りな高校生といったところで、親に反抗したり、その流れで万引きをしたり、はたまたバイクで家出を図ったりする。それを止めるのはもちろん大人の役回りになるが、間宮運送は社員もファミリーのようなところがあって、社員にも反抗しようとする勇介を激しく突き飛ばすのも社員の役目だ。住み込みで働く宮崎あおい演じる田村梢も、そうした献身がベースにある。

 『サッドヴァケイション』はまた、女たちの物語である。白石健次と女たち。過去にまつわるや、代行運転の仕事で新しく出会う椎名冴子、そして(見てないので断定はできないが)『EUREKA』からの縁でつながっている田村梢。 彼女たちの生き様と健次の生き様は時には交差するが、すれ違いもする。人生とはそういうものだ、というどうしようもない事実を、身をもって味わうのは冴子と健次の関係なのかもしれない。

 どこへもいけない。ようでいて、むやみに希望的なラストの明るさはなんだろう、絶望の無意味さを、最終的には帰る場所や人生を引き受けてくれる誰かがいれば、また歩き出せる。愚直で不器用でも。三部作としての映画は終わっても、どこかで健次の人生は続いていくのだろう。
2017年02月14日

19世紀のロシアは奥深く、難しく、面白い ――ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳:2006-2007、光文社古典新訳文庫)読書メモ

◆1巻
いまのところもっとも善良に思われるアリョーシャが変人というのはこのあとの展開が気になるところ。まだまだ先は長いが、1巻の中で膨大に費やされている宗教的な記述(主に信仰をめぐるもの)は今後の大きな伏線になっているのか。あとカテリーナという盤石そうなヒロインを配置しながらグルシェーニカというサブヒロインをどどーんと出してくるあたりも波乱含みになっていきそう。先は長いのでのんびり読んでいきたい。




◆2巻
イワンがアリョーシャに人生について語る流れはなかなか面白く読んだがそのあとにくるゾシマ長老の人生に圧倒されてしまう構成がとてもうまいなと思った。ベタなのだけど、長くいきてきた者にはそれだけの厚みのある人生があるということを、イワンやアリョーシャに間接的に示しているようにも見えた。






◆4巻
前半は長く感じたが裁判が始まってからはさくさく読めた。イワンは悪魔にとりつかれていたのか・・・。この時代のロシアにおける農奴制に関する知識がさほどあるわけではないのだが、終盤のフェチュコーヴィチの演説は時代背景を探る上でも重要な見所だと思う。




◆5巻
5巻はエピローグということであっさりと終わってしまうが(4巻が長すぎたせいかもしれない)そのあとに続く亀山せんせいの解説が読み応えたっぷり。ドストエフスキーはなぜ本作のようなスタイルをとったのかとか、「父殺し」というテーマに対して各キャラクターたちがどのようなアプローチをとっていたのか、などなど。再読へのポイントもご丁寧にまとめられていてよい。個人的にはグルシェーニカとカテリーナの比較が面白かった。最初の印象と違って法廷では確かにカテリーナのほうがしたたかな女性だったと思う。




 以上は読書メーターで残したそれぞれのログだ。3巻だけないのは単純な俺の怠慢だが、去年の夏から秋にかけて、ある人の影響でドストエフスキーの五大長編のひとつ、『カラマーゾフの兄弟』を亀山訳で読んでいた。新潮文庫で『罪と罰』を読んで以来、二つ目の五大長編である。
 カラマーゾフを選んだ理由は単にすでにキンドルに入っていた(セールのときに買っていた)からであって、そしてたまたまそのある人とカラマーゾフの話になったからだ。興味を持ち、手元にあるならばとりあえず読んでみるのが自然な流れだった。
 とはいえ1巻から膨大な長さであり、ストーリーはなかなか進んでゆかず、難儀な旅になるだろうなあという予感があった。2巻までの前半部分は確かにとにかく長く長い、ただ大審問と呼ばれる司法に舞台が移されてからは様相が異なる。それは単に司法を舞台にしたほうが盛り上がるから、といいたいわけではない。1巻と2巻の冗長さが(冗長さそれ自体はいかにもドストエフスキーらしい、とも言えるのだろうが)あってこそ、司法に舞台がようやく移っていくのだ、という流れを理解したからだ。

 なぜか。ひとつはこれは信仰を問う形式の物語になっているからだ。ゾシマ長老やミーチャなど、敬虔なロシア正教徒が重要な役割を持つこの小説は、展開が進むにつれてやがて罪を問う物語になっていく。罪を問うならばそれこそ罪をテーマにした『罪と罰』と同じだ。
 だがそれだけではない。もっと重要なのは、19世紀のロシアで書かれた小説だということだ。いまになっては古典だが、当時のロシアの読者たちは純粋な現代文学として受け入れたであろう時代認識や社会に対するイメージなどが、ふんだんに取り入れられている。
 『罪と罰』は展開が進むにつれて移動を多く試みる小説だったが、『カラマーゾフの兄弟』の基本ラインはクローズドな社会だ。兄弟と題されてある通り兄弟たちと父親をめぐる家族の物語でもあり、兄弟たちの青春や恋愛の物語でもあり、宗教と信仰の物語でもある。それらはある程度狭い範囲の社会を舞台にしなければ、深いところまでは書き込んでいけない。
 『罪と罰』が個人の実存という近代的なテーマを持っていたのに対し、『カラマーゾフの兄弟』の場合は時代が移り変わる近代において、古いものと新しいものとの間のコンフリクトがテーマになっている。その最たるものであり、象徴的なものが宗教であり、信仰だというわけだ。

 もちろんロシア正教会の信仰はいまでもロシア本国や周辺諸国において影響力は持っているだろう。しかしそれは、長い歴史から見た現代においてはらやはりかつてほどではない、と言うべきであろう。
 世俗化とはなにかを問うときに、この小説は非常に適している。古いロシアを乗り越えるためにゾシマや父カラマーゾフの死が意味を持つならば、新しいロシアを切り開いていくのは兄弟たちなのだろう。
 次回作を構想中に亡くなったドストエフスキーの無念を思いながら、ある歴史の転換点を小説の中で目撃できること。そのダイナミズムをキンドルという新しい媒体で味わうことができる現代の一人の読者として向き合えたことを、非常に興味深く受け止めている。




2017年01月19日

【第156回芥川賞予想】常連の山下澄人と新鋭たち4人

 芥川賞(公式)

 前回はまあ悪くない予想をしたと勝手に思っているので今回もせっかくなので予想してみたい。

◎受賞作なし
〇宮内悠介「カブールの園」
▲山下澄人「しんせかい」
△加藤秀行「キャピタル」

 加藤以外の候補4作は既読。前回同様受賞作はレビューを書こうと思ってます。加藤の「キャピタル」については掲載されている『文学界』12月号はamazonのマケプレで注文したので近日中には手に入る予定。
 候補のうち山下澄人だけが4回目という常連っぷりだが次が加藤秀行の2回目、他3人は1回目の候補なので分かりやすい形で見ると山下と他4人といったところ。さらに社会学者の岸政彦「ビニール傘」と新潮新人賞からそのまま候補になった古川真人「縫わんばならん」はいずれも(文芸)デビュー作での候補ということになる。
 また、宮内悠介も「半地下」に続いて『文学界』に発表した2作目である「カブールの園」での初候補なので、まだまだ純文学業界では新入りと見てもいいだろう。それを言えば加藤だってまだ3作目である。(以前候補になった「シェア」が2作目)
 もちろん1回目や2回目の候補でかすめていくパターンがあっても全然おかしくないのだが近年では稀なほうで、又吉直樹の「花火」や黒田夏子の「abさんご」のようなインパクトを持っていないと初候補での戴冠は難しいだろう。
 よって本命は受賞作なしにした。

 芥川賞には長らく演劇畑の作家は相性が悪いというジンクスがあり(とはいえ戯曲だって候補のうちではあるのだが)前々回に本谷有希子がそのジンクスをようやくはねとばしたが、その次に山下が続けるかと言われるとやや微妙。
 山下のこれまでの候補作(「ギっちょん」、「砂漠ダンス」、「コルバトントリ」)はいずれも読んでいるが、これらと比べて「しんせかい」が悪くないのはいままでのようにトリッキーな構成をとることはなく分かりやすく展開されているところだ。
 候補作の中でも一番長い。長いが、演劇塾に参加したスミトの目線で書かれるリアルではあるがリアルさ以外に何を求めているかがはっきりしない構成が弱いなと感じた。ある意味、やや複雑でトリッキーな構成のほうが山下澄人の書きたいものは書けるのかもしれない。

 対抗に推す宮内悠介は一番筆致がこなれており、純文学サイドからどう受け止められるかは分からないが「カブールの園」で追求されている人種や国境をめぐる巡礼は文学的な視点から評価されうるだろう。VRのようなガジェットや精神医療を要素に持ってくるあたりはおなじみだが、これらの点はあくまでも個別の要素であって、主人公レイが休暇を利用して自身のルーツを巡礼するのが主なねらいだ。
 レイが訪れるのは戦時中の日系人収容所跡であるが、そこで引用されるレーガンのスピーチが印象的だ。この週末はアメリカでは歴史上最悪とも言われる権力移行がオバマ→トランプへと行われるわけだが、伝統的なアメリカ的思想とは真反対を向くトランプにもレーガンのスピーチは皮肉なものに映るだろう。
 こうした現代性は、宮内がレイを通じて探究しようとする文学的な視点とともに評価されていい。あとは細かい要素が蛇足とされうる可能性と、全体的な弱さがやや落ち目と言えるか。

 加藤秀行は読めていないと書いたが「シェア」と「サバイブ」を非常に面白く読んだので、期待こめつつの△。古川と岸は今回はさすがにきびしい。古川はその意匠に新しさをあまり感じないし、同じような手法なら前々回の滝口悠生のほうがやはりうまい。
 岸は小説としては悪くないしややミステリー仕掛けの面白さもあるが、最近の芥川賞をとるにはやはり短すぎる。

 以上、受賞作なしを本命としつつも宮内か加藤のどちらかが受賞するならとてもうれしいです。

カブールの園 (文春e-book)
宮内悠介
文藝春秋
2017-01-11



しんせかい
山下澄人
新潮社
2016-12-30



岸 政彦
新潮社
2017-01-31



古川 真人
新潮社
2017-01-31



文學界2016年12月号
文藝春秋
2016-11-07


 
2016年12月30日

#C91 『MIW−MUSIC OF IDOL WORLD−』に参加しました

 冬コミ2日目がそろそろ始まりそうなタイミングになりましたが、3日目の告知です。3日目の東U12bで頒布されます。『』
 詳細:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20161229/p1
 膨大な楽曲データの分析と8本のエッセイからなる本ですが、「ラブライブ声優を卒業した彼女たちの途上――南條愛乃、新田恵海、三森すずこの現在地」というタイトルのエッセイで参加してます。
 夏ごろに本誌主宰のシノハラさんに今回の面白い企画に誘われ、10月ごろに原稿を書きました。原稿に誘われたころとほぼ同じ時期にシノハラさんも寄稿している『ユリイカ 総特集:アイドルアニメ』が刊行されていますし、この本と合わせて読むとより楽しめるかもしれません。
 ほかにもブースでは『筑波批評2013春』や『フィクションは重なり合う』が頒布されるようです。筑波批評ではシノハラさんとやおきさんのラブライブ対談が入ってますし、後者でもアイドルアニメ(二次元アイドル)特集があるので、合わせてどうぞ。




 今回参加した『MIW』がユリイカと異なるとすれば、タイトルにMusicと打ってあるように二次元アイドル世界における楽曲に焦点を絞っていることでしょう。MONACAフェスの興奮をシノハラさんは以前どこかで書いていましたが、作曲家や作詞家を軸に二次元アイドルの世界をとらえるとまた違った視点が生まれること、そして世界の広がりを別の角度でとらえられること。この二つが、今回企画に参加して個人的に感じた二次元アイドル音楽の面白さでした。
 最初から声優について書くつもりはなかったのですし、歌う声優というくくりは二次元アイドルから少し離れているではないかという話になりそうなので流れを説明します。今回文章の以来を受けた際に、シノハラさんから二次元アイドルに関することならなんでもオッケーということと、できればラブライブでなにかという二つの要素があったので、これらを考慮した結果ラブライブ声優に焦点を当てて書くことになりました。
 他の寄稿者の原稿にはジャニーズや宝塚というワードも入っているので、声優について書くのもそう遠からずだろうと思いました。結果的に。

 サブタイにもあげてますが、ラブライブ声優9人のうち、南條、新田、三森の三人の音楽活動について書いています。1年生役がいないと気づいて、最後に少しだけ飯田里穂についても触れています。ちなみに9人の中で一番歌がうまいのはPileだと思っていて、次点で三森と南條かなと。
 すでにfripSideとしての実績があった南條、音大出身ではやくから歌手志望だった新田、声優以前にはミュージカル女優であり、声優としてはミルキイホームズでのユニット経験を持つ三森、という感じの切り口で彼女たちの音楽活動の多様性に触れています。活動の多様性というより、活動の方向性の多様性といったほうがより正確でしょう。
 ラブライブ声優について書くことにしたのは、彼女たちがラブライブ声優というアイドルユニットとしての卒業を迎えているとあこと、卒業したということはグループの活動からソロ活動へと重心が移ることを意味します。徳井青空は唯一ソロ名義での音楽活動をおこなっていませんが、他の8人は音楽活動を行っているということは特筆すべきことかもしれません。

 歌う声優の存在は90年代の林原めぐみや椎名へきるあたりを出発点ととらえて、國府田マリ子や坂本真綾、堀江由衣、田村ゆかり、水樹奈々などなど、現在においてはもはや珍しい現象ではありません。『声優ラジオの時間』が90年代の声優特集を行って刊行した本がありますが、あのときといまとではもちろん声優が歌う意味は大きく変わっています。


 他方で、ラブライブ声優の9人はみながみな歌う活動をしていたわけではありません。そもそもPileのように、歌手オーディション出身で声優としての仕事はラブライブ!が初めてだという声優もいれば、飯田里穂や久保ユリカのようにビジュアルを押し出した芸能活動をした経験を持ちながら選ばれた声優もいる。
 単に新人声優9人で組みました、というわりには先ほど述べた南條や三森は年齢的にも経験的にも他のメンバーより少し先を行っています。はっきりした統一感があるわけではない9人がラブライブ声優になり、2013年のアニメ化以降のフィーバーを経験しながら2016年の4月で卒業を迎えます。唯一彼女たちをつなぐ共通点と言ってもいいラブライブ!というコンテンツが一つの終幕を迎え(そのかわりサンシャイン!!にバトンが渡されるわけですが)たいま、彼女たちのゆくえを探るのは面白いのではないかと思った次第です。

 他のコンテンツ、たとえばアイマスの場合はシリーズが次々に進行しながらも765プロダクションのキャラクターをつとめた声優たちはいまだにアイマス声優としての活動を続けています。毎年夏に西武ドームで恒例のライブを行っていることから、継続していく意志を強く感じます。それだけ成功した前例がありながらラブライブ!は同じ道を歩まなかった。必然的に、9人は卒業という選択をとらざるをえない。
 卒業しても声優としての活動は続いていく。いや、あるいはPileのように元々声優でないのなら、声優としての活動自体が必要でないのかもしれない。先ほど書いたようにもともと統一感のないメンバーだったにも関わらず、徳井青空以外の8人がソロ名義での歌手デビューの選択を選んでいるのは非常に面白いと思いました。
 AKB48などの例をとっても、みながみな卒業後に歌手を目指すわけではありません。グループとしての成功が卒業後の個人としての成功をそのまま意味しないことは、すでに卒業した大物メンバーたちの活動を見ていれば分かることです。
 答えはない、だからこそ自分で選ぶしかない。「たまたま」徳井以外のメンバーは歌手になったが、今後もみんな歌い続ける保障はない。新しい選択には迷いや挫折がつきものだということを、今回書いたエッセイから感じ取っていただければと思います。
 それは翻って、普通の人々の人生にとってもまったく無縁ではないのではないか、ということもふと感じました。だからこそ、彼女たちを応援したくなるのかもしれません。応援することで生まれる誰かの人生があるとすれば、応援することで生きられる自分の人生もあることでしょう。

 宣伝というよりは長ったらしいあとがきのようになってしまいましたが、まず第一にデータ的に非常に充実した本になっています。二次元アイドルの楽曲のべ1400曲以上を調査し、ことこまかくカテゴライズする本はなかなかないでしょう。シノハラさんが物量で攻めたとツイートされていましたが、その物量に一人の読者として圧倒されました。
 その上で自分を含めた8本のエッセイはこれら膨大な二次元アイドルの楽曲を楽しむ上での道しるべになっているはずです。ただ単に音楽を聞くことと、その背景を知った上で音楽を聞くのとでは、味わいも違うだろうと素朴に思うからです。
 ぜひ冬コミ3日目、大晦日の有明に足を運んでいただければと思います。