2017年02月14日

19世紀のロシアは奥深く、難しく、面白い ――ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳:2006-2007、光文社古典新訳文庫)読書メモ

◆1巻
いまのところもっとも善良に思われるアリョーシャが変人というのはこのあとの展開が気になるところ。まだまだ先は長いが、1巻の中で膨大に費やされている宗教的な記述(主に信仰をめぐるもの)は今後の大きな伏線になっているのか。あとカテリーナという盤石そうなヒロインを配置しながらグルシェーニカというサブヒロインをどどーんと出してくるあたりも波乱含みになっていきそう。先は長いのでのんびり読んでいきたい。




◆2巻
イワンがアリョーシャに人生について語る流れはなかなか面白く読んだがそのあとにくるゾシマ長老の人生に圧倒されてしまう構成がとてもうまいなと思った。ベタなのだけど、長くいきてきた者にはそれだけの厚みのある人生があるということを、イワンやアリョーシャに間接的に示しているようにも見えた。






◆4巻
前半は長く感じたが裁判が始まってからはさくさく読めた。イワンは悪魔にとりつかれていたのか・・・。この時代のロシアにおける農奴制に関する知識がさほどあるわけではないのだが、終盤のフェチュコーヴィチの演説は時代背景を探る上でも重要な見所だと思う。




◆5巻
5巻はエピローグということであっさりと終わってしまうが(4巻が長すぎたせいかもしれない)そのあとに続く亀山せんせいの解説が読み応えたっぷり。ドストエフスキーはなぜ本作のようなスタイルをとったのかとか、「父殺し」というテーマに対して各キャラクターたちがどのようなアプローチをとっていたのか、などなど。再読へのポイントもご丁寧にまとめられていてよい。個人的にはグルシェーニカとカテリーナの比較が面白かった。最初の印象と違って法廷では確かにカテリーナのほうがしたたかな女性だったと思う。




 以上は読書メーターで残したそれぞれのログだ。3巻だけないのは単純な俺の怠慢だが、去年の夏から秋にかけて、ある人の影響でドストエフスキーの五大長編のひとつ、『カラマーゾフの兄弟』を亀山訳で読んでいた。新潮文庫で『罪と罰』を読んで以来、二つ目の五大長編である。
 カラマーゾフを選んだ理由は単にすでにキンドルに入っていた(セールのときに買っていた)からであって、そしてたまたまそのある人とカラマーゾフの話になったからだ。興味を持ち、手元にあるならばとりあえず読んでみるのが自然な流れだった。
 とはいえ1巻から膨大な長さであり、ストーリーはなかなか進んでゆかず、難儀な旅になるだろうなあという予感があった。2巻までの前半部分は確かにとにかく長く長い、ただ大審問と呼ばれる司法に舞台が移されてからは様相が異なる。それは単に司法を舞台にしたほうが盛り上がるから、といいたいわけではない。1巻と2巻の冗長さが(冗長さそれ自体はいかにもドストエフスキーらしい、とも言えるのだろうが)あってこそ、司法に舞台がようやく移っていくのだ、という流れを理解したからだ。

 なぜか。ひとつはこれは信仰を問う形式の物語になっているからだ。ゾシマ長老やミーチャなど、敬虔なロシア正教徒が重要な役割を持つこの小説は、展開が進むにつれてやがて罪を問う物語になっていく。罪を問うならばそれこそ罪をテーマにした『罪と罰』と同じだ。
 だがそれだけではない。もっと重要なのは、19世紀のロシアで書かれた小説だということだ。いまになっては古典だが、当時のロシアの読者たちは純粋な現代文学として受け入れたであろう時代認識や社会に対するイメージなどが、ふんだんに取り入れられている。
 『罪と罰』は展開が進むにつれて移動を多く試みる小説だったが、『カラマーゾフの兄弟』の基本ラインはクローズドな社会だ。兄弟と題されてある通り兄弟たちと父親をめぐる家族の物語でもあり、兄弟たちの青春や恋愛の物語でもあり、宗教と信仰の物語でもある。それらはある程度狭い範囲の社会を舞台にしなければ、深いところまでは書き込んでいけない。
 『罪と罰』が個人の実存という近代的なテーマを持っていたのに対し、『カラマーゾフの兄弟』の場合は時代が移り変わる近代において、古いものと新しいものとの間のコンフリクトがテーマになっている。その最たるものであり、象徴的なものが宗教であり、信仰だというわけだ。

 もちろんロシア正教会の信仰はいまでもロシア本国や周辺諸国において影響力は持っているだろう。しかしそれは、長い歴史から見た現代においてはらやはりかつてほどではない、と言うべきであろう。
 世俗化とはなにかを問うときに、この小説は非常に適している。古いロシアを乗り越えるためにゾシマや父カラマーゾフの死が意味を持つならば、新しいロシアを切り開いていくのは兄弟たちなのだろう。
 次回作を構想中に亡くなったドストエフスキーの無念を思いながら、ある歴史の転換点を小説の中で目撃できること。そのダイナミズムをキンドルという新しい媒体で味わうことができる現代の一人の読者として向き合えたことを、非常に興味深く受け止めている。




2017年01月19日

【第156回芥川賞予想】常連の山下澄人と新鋭たち4人

 芥川賞(公式)

 前回はまあ悪くない予想をしたと勝手に思っているので今回もせっかくなので予想してみたい。

◎受賞作なし
〇宮内悠介「カブールの園」
▲山下澄人「しんせかい」
△加藤秀行「キャピタル」

 加藤以外の候補4作は既読。前回同様受賞作はレビューを書こうと思ってます。加藤の「キャピタル」については掲載されている『文学界』12月号はamazonのマケプレで注文したので近日中には手に入る予定。
 候補のうち山下澄人だけが4回目という常連っぷりだが次が加藤秀行の2回目、他3人は1回目の候補なので分かりやすい形で見ると山下と他4人といったところ。さらに社会学者の岸政彦「ビニール傘」と新潮新人賞からそのまま候補になった古川真人「縫わんばならん」はいずれも(文芸)デビュー作での候補ということになる。
 また、宮内悠介も「半地下」に続いて『文学界』に発表した2作目である「カブールの園」での初候補なので、まだまだ純文学業界では新入りと見てもいいだろう。それを言えば加藤だってまだ3作目である。(以前候補になった「シェア」が2作目)
 もちろん1回目や2回目の候補でかすめていくパターンがあっても全然おかしくないのだが近年では稀なほうで、又吉直樹の「花火」や黒田夏子の「abさんご」のようなインパクトを持っていないと初候補での戴冠は難しいだろう。
 よって本命は受賞作なしにした。

 芥川賞には長らく演劇畑の作家は相性が悪いというジンクスがあり(とはいえ戯曲だって候補のうちではあるのだが)前々回に本谷有希子がそのジンクスをようやくはねとばしたが、その次に山下が続けるかと言われるとやや微妙。
 山下のこれまでの候補作(「ギっちょん」、「砂漠ダンス」、「コルバトントリ」)はいずれも読んでいるが、これらと比べて「しんせかい」が悪くないのはいままでのようにトリッキーな構成をとることはなく分かりやすく展開されているところだ。
 候補作の中でも一番長い。長いが、演劇塾に参加したスミトの目線で書かれるリアルではあるがリアルさ以外に何を求めているかがはっきりしない構成が弱いなと感じた。ある意味、やや複雑でトリッキーな構成のほうが山下澄人の書きたいものは書けるのかもしれない。

 対抗に推す宮内悠介は一番筆致がこなれており、純文学サイドからどう受け止められるかは分からないが「カブールの園」で追求されている人種や国境をめぐる巡礼は文学的な視点から評価されうるだろう。VRのようなガジェットや精神医療を要素に持ってくるあたりはおなじみだが、これらの点はあくまでも個別の要素であって、主人公レイが休暇を利用して自身のルーツを巡礼するのが主なねらいだ。
 レイが訪れるのは戦時中の日系人収容所跡であるが、そこで引用されるレーガンのスピーチが印象的だ。この週末はアメリカでは歴史上最悪とも言われる権力移行がオバマ→トランプへと行われるわけだが、伝統的なアメリカ的思想とは真反対を向くトランプにもレーガンのスピーチは皮肉なものに映るだろう。
 こうした現代性は、宮内がレイを通じて探究しようとする文学的な視点とともに評価されていい。あとは細かい要素が蛇足とされうる可能性と、全体的な弱さがやや落ち目と言えるか。

 加藤秀行は読めていないと書いたが「シェア」と「サバイブ」を非常に面白く読んだので、期待こめつつの△。古川と岸は今回はさすがにきびしい。古川はその意匠に新しさをあまり感じないし、同じような手法なら前々回の滝口悠生のほうがやはりうまい。
 岸は小説としては悪くないしややミステリー仕掛けの面白さもあるが、最近の芥川賞をとるにはやはり短すぎる。

 以上、受賞作なしを本命としつつも宮内か加藤のどちらかが受賞するならとてもうれしいです。

カブールの園 (文春e-book)
宮内悠介
文藝春秋
2017-01-11



しんせかい
山下澄人
新潮社
2016-12-30



岸 政彦
新潮社
2017-01-31



古川 真人
新潮社
2017-01-31



文學界2016年12月号
文藝春秋
2016-11-07


 
2016年12月30日

#C91 『MIW−MUSIC OF IDOL WORLD−』に参加しました

 冬コミ2日目がそろそろ始まりそうなタイミングになりましたが、3日目の告知です。3日目の東U12bで頒布されます。『』
 詳細:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20161229/p1
 膨大な楽曲データの分析と8本のエッセイからなる本ですが、「ラブライブ声優を卒業した彼女たちの途上――南條愛乃、新田恵海、三森すずこの現在地」というタイトルのエッセイで参加してます。
 夏ごろに本誌主宰のシノハラさんに今回の面白い企画に誘われ、10月ごろに原稿を書きました。原稿に誘われたころとほぼ同じ時期にシノハラさんも寄稿している『ユリイカ 総特集:アイドルアニメ』が刊行されていますし、この本と合わせて読むとより楽しめるかもしれません。
 ほかにもブースでは『筑波批評2013春』や『フィクションは重なり合う』が頒布されるようです。筑波批評ではシノハラさんとやおきさんのラブライブ対談が入ってますし、後者でもアイドルアニメ(二次元アイドル)特集があるので、合わせてどうぞ。




 今回参加した『MIW』がユリイカと異なるとすれば、タイトルにMusicと打ってあるように二次元アイドル世界における楽曲に焦点を絞っていることでしょう。MONACAフェスの興奮をシノハラさんは以前どこかで書いていましたが、作曲家や作詞家を軸に二次元アイドルの世界をとらえるとまた違った視点が生まれること、そして世界の広がりを別の角度でとらえられること。この二つが、今回企画に参加して個人的に感じた二次元アイドル音楽の面白さでした。
 最初から声優について書くつもりはなかったのですし、歌う声優というくくりは二次元アイドルから少し離れているではないかという話になりそうなので流れを説明します。今回文章の以来を受けた際に、シノハラさんから二次元アイドルに関することならなんでもオッケーということと、できればラブライブでなにかという二つの要素があったので、これらを考慮した結果ラブライブ声優に焦点を当てて書くことになりました。
 他の寄稿者の原稿にはジャニーズや宝塚というワードも入っているので、声優について書くのもそう遠からずだろうと思いました。結果的に。

 サブタイにもあげてますが、ラブライブ声優9人のうち、南條、新田、三森の三人の音楽活動について書いています。1年生役がいないと気づいて、最後に少しだけ飯田里穂についても触れています。ちなみに9人の中で一番歌がうまいのはPileだと思っていて、次点で三森と南條かなと。
 すでにfripSideとしての実績があった南條、音大出身ではやくから歌手志望だった新田、声優以前にはミュージカル女優であり、声優としてはミルキイホームズでのユニット経験を持つ三森、という感じの切り口で彼女たちの音楽活動の多様性に触れています。活動の多様性というより、活動の方向性の多様性といったほうがより正確でしょう。
 ラブライブ声優について書くことにしたのは、彼女たちがラブライブ声優というアイドルユニットとしての卒業を迎えているとあこと、卒業したということはグループの活動からソロ活動へと重心が移ることを意味します。徳井青空は唯一ソロ名義での音楽活動をおこなっていませんが、他の8人は音楽活動を行っているということは特筆すべきことかもしれません。

 歌う声優の存在は90年代の林原めぐみや椎名へきるあたりを出発点ととらえて、國府田マリ子や坂本真綾、堀江由衣、田村ゆかり、水樹奈々などなど、現在においてはもはや珍しい現象ではありません。『声優ラジオの時間』が90年代の声優特集を行って刊行した本がありますが、あのときといまとではもちろん声優が歌う意味は大きく変わっています。


 他方で、ラブライブ声優の9人はみながみな歌う活動をしていたわけではありません。そもそもPileのように、歌手オーディション出身で声優としての仕事はラブライブ!が初めてだという声優もいれば、飯田里穂や久保ユリカのようにビジュアルを押し出した芸能活動をした経験を持ちながら選ばれた声優もいる。
 単に新人声優9人で組みました、というわりには先ほど述べた南條や三森は年齢的にも経験的にも他のメンバーより少し先を行っています。はっきりした統一感があるわけではない9人がラブライブ声優になり、2013年のアニメ化以降のフィーバーを経験しながら2016年の4月で卒業を迎えます。唯一彼女たちをつなぐ共通点と言ってもいいラブライブ!というコンテンツが一つの終幕を迎え(そのかわりサンシャイン!!にバトンが渡されるわけですが)たいま、彼女たちのゆくえを探るのは面白いのではないかと思った次第です。

 他のコンテンツ、たとえばアイマスの場合はシリーズが次々に進行しながらも765プロダクションのキャラクターをつとめた声優たちはいまだにアイマス声優としての活動を続けています。毎年夏に西武ドームで恒例のライブを行っていることから、継続していく意志を強く感じます。それだけ成功した前例がありながらラブライブ!は同じ道を歩まなかった。必然的に、9人は卒業という選択をとらざるをえない。
 卒業しても声優としての活動は続いていく。いや、あるいはPileのように元々声優でないのなら、声優としての活動自体が必要でないのかもしれない。先ほど書いたようにもともと統一感のないメンバーだったにも関わらず、徳井青空以外の8人がソロ名義での歌手デビューの選択を選んでいるのは非常に面白いと思いました。
 AKB48などの例をとっても、みながみな卒業後に歌手を目指すわけではありません。グループとしての成功が卒業後の個人としての成功をそのまま意味しないことは、すでに卒業した大物メンバーたちの活動を見ていれば分かることです。
 答えはない、だからこそ自分で選ぶしかない。「たまたま」徳井以外のメンバーは歌手になったが、今後もみんな歌い続ける保障はない。新しい選択には迷いや挫折がつきものだということを、今回書いたエッセイから感じ取っていただければと思います。
 それは翻って、普通の人々の人生にとってもまったく無縁ではないのではないか、ということもふと感じました。だからこそ、彼女たちを応援したくなるのかもしれません。応援することで生まれる誰かの人生があるとすれば、応援することで生きられる自分の人生もあることでしょう。

 宣伝というよりは長ったらしいあとがきのようになってしまいましたが、まず第一にデータ的に非常に充実した本になっています。二次元アイドルの楽曲のべ1400曲以上を調査し、ことこまかくカテゴライズする本はなかなかないでしょう。シノハラさんが物量で攻めたとツイートされていましたが、その物量に一人の読者として圧倒されました。
 その上で自分を含めた8本のエッセイはこれら膨大な二次元アイドルの楽曲を楽しむ上での道しるべになっているはずです。ただ単に音楽を聞くことと、その背景を知った上で音楽を聞くのとでは、味わいも違うだろうと素朴に思うからです。
 ぜひ冬コミ3日目、大晦日の有明に足を運んでいただければと思います。
2016年10月31日

radiko.jpのタイムフリーがとても楽しい

 今月からradikoで開始されたタイムフリーのサービスがとても楽しい。月額課金をすればエリアフリーと言って、どの地域のラジオ局もradikoに加盟していれば聴けるようにはすでになっていた。その次に出てきたのが今回スタートしたタイムフリー。
 これはニコ生で言うタイムシフトのようなもので、特定の期間(放送後1週間)の間に1度、3時間だけ番組を聞くことができる。この3時間というのはたとえば30分番組を聞き始めたら、その3時間だけ視聴が可能だということだ。シークバーをいじってスキップもできるし、3時間の間に戻って聞き返すことができる。
 1度だけというのがニコ生のタイムシフトとやや違うところだが(ニコ生はもっと弾力的な運用をしている)、自分が確認したところ「1つの端末、1つの放送局で1度だけ」の模様。たとえば俺はスマホとタブレットを持っているが、2つの端末でそれぞれradikoを起動させれば2回聞くことができる。さらに、多数の局をネットしている番組の場合、一カ所の局で聞いたあと、3時間以上経ったあとに別の局で聴くことができる。番組ごとにタイムフリー機能がついているが、局をまたげば二度聞きも可能だ。
 生放送だとたった一度きりで、録音をしない限り二度聞きはなかなか難しかったので、ありがたい機能だと思う。そしてなにより、日本中の番組を探す楽しさがあっていい。UIも一新されていて、以前よりずっと使いやすくなっている。

 3時間以上ある番組に対してどのような運用をしているのかはまだ確認していないが、とりあえずタイムフリー機能を使って聞くようになったラジオ番組や、ほぼ毎週リアタイで聞いていた番組をざっくり紹介していきたい。
 ちなみにサービス開始週にはいろいろな番組でタイムフリー機能の宣伝がされていて、ニッポン放送の「ミュ〜こみ」では生放送中に前回の番組をタイムフリーで再生する、というメタなこともやっていて面白かった。ちょっとだけ、ラジオの歴史は前進しているらしい。

月曜日
浅野真澄×山田真哉の週間マネーランド@文化放送(21:30-22:00)
リッスン? 2-3@文化放送(26:00-27:00)

 マネーランドは放映開始のときから聞けるときは聞いている気になる番組。いつのまにか浅野真澄が実際に株でもうけを出すようになったのだから、末恐ろしい声優だ、と実感している。番組は二人の気さくなトークでお金や経済にまつわるあれこれに切り込んでいく感じ。
 リッスンはかつて1時〜3時の2時間生番組だったのだが、改編で1時間短縮の収録番組になった。前のように深夜の生電話はなくなってしまったが、月曜日を担当する小松未可子のラジオが継続して聴けるのは嬉しい。去年の秋改編でLadyGoが終わってしまったので、今も残るみかこしの貴重な1時間番組。
 
火曜日
Anime&Seiyu Music Night@ラジオNIKKEI(23:30-24:00)
リッスン? 2-3@文化放送(26:00-27:00)

 Anime&Seiyu Music Nightはラジオ日経には珍しいオタク向けの番組で、30分間ノンストップでアニソンや声優ソングをかけていく。10月は週ごとに『君の名は。』特集、雨宮天特集、三森すずこ特集、デレマス特集で楽曲をかけていた。デレマスの「Tulip」と「Radio Happy」はとてもいいですね。
 リッスンの火曜日の担当はやなぎなぎ。番組改編後から加わった形になって、これはこれで嬉しさがあった。とはいえ、みかこし同様平日のこの深い時間にじっくり聞くのは難しかったので、タイムフリー機能に救われる。深夜番組の聞き方が変わるなと思った。
 やなぎなぎの声は落ち着きと安心感を与えてくれるので、一息つきたいときにとてもよい。

水曜日
Idol Music Night@ラジオNIKKEI(23:30-24:00)

 火曜日と同じコンセプトでアイドルソングをかけ続ける枠。全部は聞かなかったが、今月はアプガ特集があってとても楽しかったです。

木曜日
Digital Music Night@ラジオNIKKEI(23:30-24:00)

 木曜日は主にボカロと歌い手の曲をかけまくる回。10月は毎週聞いてみたが特定の特集はなかった。聴いた中ではwowaka、koyori、keenoなどある程度知名度のあるPの曲を流している模様。そのうちPごとの特集とか組んで欲しい。ラジオNIKKEIでボカロを聴く、というのはなかなか面白い体験ではあったし毎週ちゃんと聴きたい。

金曜日
ビタミンM@bayfm(25:30-25:55)

 ビタミンMは上京した2008年からずっと聴いている番組だが、就職してからはちょっとこの時間に生で聴くのがもどかしく、かといってポッドキャストも使いやすいわけではないのでやはりもどかしさがあった。
 タイムフリー機能によって一番救われたのがまあやのトークを聞くことだなと思ったし、やはりとても好きです。それ以外に理由はいりません。好きだから聞くのです。

土曜日
BOOK BAR@J-WAVE(24:00-25:00)
 
 これも上京した2008年からずっと聞いている。番組開始が08年の4月なので、ほぼずっと番組と一緒に歳を重ねている感じがある。この間に杏ちゃんも飛躍して有名女優になり、結婚し、子どもを産むまでになったのは、やはり歳を感じてしまうところではある。
 大倉真一郎さんが期間限定でバーテンをやっていたことがあって、一度会いに行ったことがあるのだけど、その時に杏は番組のときも自然体で、普段もああいった感じですよ、と話していた記憶がある。杏に会うことはなかなかないだろうけれど(イベントとかあれば別かもだが)、いい話を聞けたなと思った。
 番組はそれぞれ一冊の本を持ち寄って、トークと音楽を絡めて紹介していく番組。ビブリオバトルのように誰かと競うというよりは、タイトルにあるようにバーで飲みながら本の話をする感覚の番組なので肩の力を抜いて聞くにはとてもいい。何度か改編があったが、土曜深夜という場所を固定しているのはいい判断だと思う。

 日曜日は特定の番組を聞いているわけではないけど、なにか面白いのがあればまた追加していくかも。
 とりあえず、個人的な一週間のラジオライフはこんなところです。ラジオはいいぞ。
2016年09月14日

2016年の新海誠がはじまった場所として ――『雲のむこう、約束の場所』(日本、2004年)



 一番最初に見た新海作品が『秒速5センチメートル』で、確か大学一年の冬だったと思う。大学から馬場歩きをする途中のTSUTAYA高田馬場店のアニメコーナーでプッシュされていたから手をとった、くらいの動機で今回レビューする『雲のむこう、約束の場所』や『ほしのこえ』を見るのはそのあとの話だ。ようやくリアルタイムで劇場で見たのが『星を追う子ども』で、そのあと『言の葉の庭』、『君の名は。』と続けて劇場で見てきた。

 『君の名は。』のプロデューサーをつとめた東宝の川村元気は『Febri』vol.37ののインタビューで、『秒速』までの三作をアーリーワークス三部作と読んでいるが、テーマ性や規模感を考えるとそういうふうにとらえるのが妥当なのだろう。言及はなかったが、そこに『彼女と彼女の猫』や『遠い世界』をつなげてもいい。明らかに飛躍が見られる『星を追う子ども』以降の作品とそれ以前はなにかが違う。そういえばコミックスウェーブフィルムの川口代表(伊藤Pだったかもしれないが)も、『秒速』までで新海誠はやりたいことをやってしまった、とどこかで語っていた気がする。

Febri Vol.37
一迅社
2016-09-10


 いつものように前置きが長くなってしまったが、劇場公開二作目となったのが『雲のむこう』である。ほぼ一人で完成させた『ほしのこえ』から2年経ち、いまにつらなるチーム新海としての最初の作品だともいえる。30分に満たない『ほしのこえ』は短編と言っていいだろうから、約90分の尺を持つ本作は新海にとっての実質的な劇場デビュー作と言ってもいいかもしれない。アマチュアからプロへと歩みだした一作なのは間違いないし、インディーズからメジャーへというような規模感を制作陣だけでなく内容の中にもこめている。

 これから先の長い目で見ると圧倒的な知名度と観客動員を獲得した(現在進行形で、している)『君の名は。』はある意味二度目のデビューと言ってもいいかもしれないが、その12年前、ちょうど干支が一回りするくらいの時期に『雲のむこう』が公開されていたというのはなかなか面白い。そしてこれも『Febri』で新海自身が語っているように、『君の名は。』は『雲のむこう』をリバイズしたようなものでもあるのだ。

自分としては、稚拙さが目立つ――特に、物語面での手つきの危うさばかりが気になってしまう作品なのですが、個人的に今回の『君の名は。』は、この『雲のむこう、約束の場所』の語り直しという気持ちが強いんです。夢での淡いつながりであったり、出会うべき人と夢で出会う時間であったり・・・・・・。『雲のむこう、約束の場所』を作ったときに感じた「もっとうまくできるハズなのに」という思いが『君の名は。』になっているのかな、と思います。あと、今の作品につながるビジュアル的な手法も、この作品の制作を通じて身につけたもので、今の制作チームの基礎ができたのもこの『雲のむこう、約束の場所』だと言える。 『Febri』vol.37(一迅社、2016年)、p.41


 このように2004年は2016年の始まった場所だ、ととらえるのは自身の作品に饒舌な新海が自覚的に語っている。新海は2005年に『雲のむこう、約束の場所 新海誠2002―2004』というロングインタビュー集も刊行しているが、一人の個人としての彼自身の原点でもある故郷のこと、学生時代のこと、ゲーム会社である日本ファルコムに就職してからの日々のことなどをかなり饒舌に、具体的に語っている。



 他にも不定期に日記をつけていたことや過去の恋愛話など、最近の、とりわけ『君の名は。』関連のインタビューで見る新海誠の弁には見えてこない別の饒舌さがあるのは、この当時がほんとうに世の中に出てきた瞬間だったからでもあるだろう。『彼女と彼女の猫』や『ほしのこえ』で賞賛を浴びる中で、まだアニメーション監督として一人立ちを始めたばかり。新海自身は自分自身をキャラクターに投影することはないとたびたび語っているが、『雲のむこう』に登場する藤沢浩紀と白川拓也はこの当時の新海の一部が入り込んでいるように見えてしまう。

 あらすじを整理すると、『雲のむこう』の舞台となっている日本は現実とは異なる戦後を迎えた世界で、青森と北海道の間が国境になっている。北海道は蝦夷と呼ばれ、ユニオンという国家群の統治となっていて、アメリカと対立している。擬似的な冷戦が90年代になっても続いたままになっている、とも言えるだろう。この世界の青森で生まれ育った浩紀と拓也は蝦夷にそびえるユニオンが作った高い一本の塔まで飛びたくて、小さな飛行機を自作する。二人はともに沢渡佐由理にほのかな恋心を抱いており、浩紀のちょっとした勧誘が佐由理を飛行機を作る二人のラボに招き入れる。しかし飛行機は完成せず、時は流れていく。

 その後、3年後の浩紀や拓也の姿が描かれるが、佐由理は謎の眠りについたままになってる。浩紀は東京に拠を移して拓也とは疎遠になっているが、あることをきっかけに佐由理との3年越しの再会を目指す浩紀と拓也が再び出会うことで物語は再び動き出して行くのだ。浩紀は東京で懇意にしている女子がいるが、佐由理という過去の片想いを引きずったまま忘れられない。一人暮らしの部屋では佐由理が得意だったバイオリンの練習をするシーンが一つだけあるが、殺風景で雑然とした部屋の中で奏でられる(おそらく独学ゆえにあまり上手とは言えない)バイオリンの音色は、虚しく響いていく。ただこの音は、佐由理の奏でていた音をやはり喚起させるものになっている。そうした象徴的なシーンが、第一部にあたる青森編にあるからだ。

 新海が『Febri』で語っているように、佐由理は3年間もの間長い夢を見ている。夢の中では一人きりで、閉じ込められたままになっているが、不意に浩紀と再会を果たすこともできるのだ。『君の名は。』では夢の中で入れ替わっているという設定(さらに、それが夢ではなかった、というトリック)になっているが、夢の中では現実でかなわないことが実現される、そしてそれは恋心(のようなもの)が元になっている、というのは似ていると言えるだろう。入れ替わりを繰り返すことで惹かれていく瀧と三葉とはまた事情が異なるが、遠く離れているからこそかすかな想いが大事になってくるという点も非常によく似ている。浩紀と佐由理は必然的に一人で過ごすシーンが多いゆえにモノローグを多様する結果になってはいるが、『秒速』とは違ってそれは一方的な感傷ではなく、二人が想い合うことによるものだ。『君の名は。』のラストシーンは『秒速』で描かれなかったアナザーという指摘を多く目にしたが、『君の名は。』の原点が『雲のむこう』にあることを考えると、想い合う二人が最後は感動的な出会いを(『雲のむこう』の場合は再会になるが)果たすのも、ある意味予測できたことかもしれない。

 個人的にもう一つ重要だと思っているのは、群像劇仕立てだということだ。これについても新海は『EYESCREAM』増刊で饒舌に語っているが、『彼女と彼女の猫』では1人(主人公である「彼女」)、『ほしのこえ』では2人(ノボルとミカコ)と来て『雲のむこう』では3人を主役に据える展開になっているということ。その上で、3年という時間のスパンを経て浩紀と拓也の二人の成長を異なる形にして表現していること。先ほど挙げたロングインタビュー集でも度々文学作品に言及しているが、いわばビルドゥングスロマンとしての長編映画としてとらえることも、おそらく新海のねらいの中にある。個人の成長と挫折を分かりやすく表現したのはもちろん次の『秒速』になるだろうが、その原型もいくらかつまっているのが『雲のむこう』だと言える。



 ここで浩紀と拓也を違った形で表現するのはそれぞれ違う形で佐由理へのアプローチを探っていたから、という結論になるのだけれど、それ以上に10代の男の子の歩く姿として分かりやすく対立軸を作ったのだろうな、と思いながら見ていた。浩紀の純粋さも、拓也の挫折も、度合いは違うけれど二人がそれらを同時に持っていたとしてもおかしくはない。その上であえて違う姿を書いて見せたから、今後の新海作品でもなかなか見られないであろう「男同士の拳での殴り合い」という描写も生まれている。それは一方的に孝雄がなぐられる『言の葉の庭』のケンカシーンとは違っていて、拳を通じてでしかお互いの思いをうまく表現することができない10代の未熟さと、同時に青春の痛さを表現していることになっている。

 今回はいままでのレビューと違ってだいぶ文章がとっちらかってきたのでそろそろまとめに入りたいが、技術的にも経験的にも未熟だったと本人が振り返る『雲のむこう』は確かに気になる点も多い。アメリカやユニオン、蝦夷といった地名を散りばめながら、あるいは拓也に研究員という役割を与えながらもそれらは結果的にさほど重要ではない、という結末になること。また、浩紀が東京に行った理由もはっきり語られないし、佐由理が眠り続けていることと塔の中に平行世界があること、などもまあはっきりは解明されない。そういったあいまいさが魅力にもなっているが、風呂敷を広げたわりには小さく落とす、という形式に良くも悪くもおさまっている。そういえばベラシーラと名付けた飛行機はなぜあんなにきれいに飛んだのだろうか、とか。

 とはいえそうした疑問や問題点を置いておいても、個人的に一番好きなのはこの作品だ、と言える。そういえば以前この映画について一度触れたことがあったのを思い出した。

 「ほしのこえ」はひき離されていく男女のコミュニケーションを描き、「秒速5センチメートル」では時間軸を少年少女の成長過程と合わせることで、次第に離れていくふたりを描いた。他方、本作は離れてしまったふたりがもう一度出会う物語だ。「秒速5センチメートル」では、もう出会うことはないと分かるまでの過程が描かれることとは対照的に見える。しかし、再会したふたりにも、「秒速」のような形での別れが今後成長するにつれて起きないとは言えない。
 こういう見方をすると、「雲の向こう」から「秒速」は地続きの印象を受ける。どちらの主人公も、成長してあとは東京で暮らしているというのも印象的だ。未成熟な出会いの物語は地方の小さな町で描かれるが、成熟した一個人は東京のような大都会で、誰かとつながっていなくても生きていかなければならない。




 大人になってしまった姿までを描いた『秒速』の痛みも捨てがたいし、神木くんが『君の名は。』関連の取材でことあるごとに語っているように貴樹には貴樹のカッコよさや美しさがある。ただそれを差し置いても、地方から東京へ、そしてまた地方へと舞台を移して10代の成長と挫折を、あるいは「あの日交わした約束」のようないずれ忘れてしまうかもしれないことを鮮やかにかつ繊細に描ききった『雲のむこう』が好きだと思う。雲の美しさ、抜けるような空や冷たい空、スピードスケートと光る氷。そうした背景美術の美麗さという新海の持ち味は存分に発揮されていて、そうしたこととこの映画の持つテーマが未熟な部分を差し置いても光っている。そのことを、『君の名は。』のようなできすぎた傑作を前にして、もう一度覚えておくということも重要なのではないか。

 『EYESCREAM』では『雲のむこう』の制作は最後の一ヶ月は合宿のような形で行われたと語られている(p.20)。疲れたけど楽しかったと振り返る制作のエピソードは、いま振り返ると青春そのものだろう。だからこその拙さと輝きを、覚えておきたいのだと改めて強く思う。2016年の新海誠がはじまった場所として。

 ちなみにこのタイミングでBS11での放映が決まったようで、新海誠からの独占コメントも流れる模様。見ましょう!!!(今週の土曜日の20時〜22時です)


関連記事
そしてまた今年も2月が終わる
呪いから祝福へ、あるいは生きている者にとっての死 ――『星を追う子ども』(日本、2011年)
手は届く距離にあるのか ――『言の葉の庭』(日本、2013年)
新海誠と新宿
大きなものにまっすぐ立ち向かっていく ――『君の名は。』(日本、2016年)




雲のむこう、約束の場所
新海 誠
エンターブレイン
2005-12-26






雲のむこう、約束の場所 オリジナル・サウンドトラック
アニメ
コミックス・ウェーブ・フィルム
2005-02-03