Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

監督:クリント・イーストウッド
原作:ジェリー・ボイド
脚本:ポール・ハギス
主演:クリント・イーストウッド,ヒラリー・スワンク


 そのうちレンタルしようと思ったが木曜洋画劇場で丁度かかってて(今日は結局「手紙」を見に行けなかったし)暇だったし見ることにしたんだが。その動機は少し安易すぎたかな。
 本作に関しては、観る前に全く予備知識がない方がいいのかもしれない。まあ、それでも感想として記すんだが。マギー役のヒラリー・スワンクは本作に向けてかなり役作りに励んだらしい。実際ボクシングの練習もしたというし。というのをいつしかのスマステーションで見たような気がするが、それだけの価値が十分にある映画だ。
 あと、ヒラリー・スワンクの吹き替えが「NANA」のナナ(朴叙ミ美)だったのも面白かったかもしれない。
 
 31歳の地方出身、貧しい家庭育ちのマギーは唯一の生きがいとしてボクシングを始めた。父は早くに死に、残された家族は没落していく中で、彼女はフランキーのジムに足を運ぶようになる。女を教える気はないフランキーに拒否されること度々。それでもサンドバッグを殴りつつけ、スピードバッグを殴り、元ボクサーでフランキーの手伝いをしているスクラップの助けを借りながら、2人は距離を縮めていく。会えなくなった娘をマギーに重ねていくフランキー、父に重ねるマギー。時を重ねるごとに、血を超えた何かで、2人は結ばれていく。はずだった。

 絶句した。ラストの10分ほどに、言葉を失う。後半の展開はある程度分かってたんだが、小さな伏線が最後の最後に形になり始める。『Seraphic Blue』がいう神は存在しない、というメッセージともダブってくる。2つが根本的に伝えたかったことは似ているかも知れない。
 要は、救いはあるのか?ということなんじゃないかと。

 フランキーがすでに抱えていた贖罪がある中でスクラップが見せる優しさがたまらない。ある意味達観しているように、言葉を放つ。脚本の巧さもあるが、モーガン・フリーマンがやはりいい。
 あくまでも2人の物語という中で彼は2人の円の中で回っているに過ぎない。はっきりと口に出すことは少ない。あるとしても事が過ぎてからだ。だが、だからこそ大事な存在はそばにいると、訴えているように思う。干渉しすぎることもなく、不干渉でもなく、要所要所で登場してくるスクラップがあって本作はしみじみとした余韻を残すのだろう。助演男優賞は当然だ。見終わって、振り返って、改めて存在の大きさを感じる。

 あと、本作はハッピーエンドか否か。
 (ネタバレ含む)倫理観とかそういったものを取り払って考えて、個人としてはハッピーエンドだと思う。短い間だったとはいえ、マギーはかつてないほど幸せな時間を感じていたはずだ。それまでの生活に、最後の最後に決着をつける姿もカッコイイし、彼女の「欲しいものは全て手に入れた」の言葉からも彼女に後悔はなかったように思う。幸せの価値は、他人が決めるようなものじゃないしね。ある意味これ以上ない結末。
 死をテーマにすることで生を描こうとしているのもひしひしと伝わってくる。生きていることが当たり前になりすぎて、それだけの時間が過ぎていくのなら、精一杯生き抜いたマギーはやはり幸せだったんじゃないかと。そう思えてならない。個人としてはね。『イリヤの空、UFOの夏』のイリヤを見ているような気もした。エピローグや浅羽との関係とは少し違うけれど、出逢いがもたらす奇跡は、尊く、かけがえのないものだというメッセージは共通していることだろう。(ここまで)
 もはや言葉がない。

 救いがなかったと言えばそれまでかもしれないが、それで終わらせるような物語ではない。詩的でもあり、叙情的であり。色々なことを考えさせられるが、一つの作品として素晴らしい形に結実している。
 デンジャー君の存在もお忘れ無く。要所要所での影の使い方が実に効果的な映画になっている。小説では味わえるはずもない。さすが巨匠イーストウッドだ、と。彼自身も、そういう年齢に来ているのだろうなと少し悟ってしまったんだが。
 「硫黄島」が楽しみになった。絶対見に行く。

 改めてイーストウッド、ヒラリー、モーガン・フリーマンに。オスカーおめでとう。素晴らしい映画をありがとう。今更であれなんだが。
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