Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

監督:クリスティナ・ゴダ
脚本:ジョー・エスターハスほか
主演:イヴァン・フェニエー(ガルチ)、カタ・ドボー(ヴィキ)


 1956年秋に首都ブダペストで実際に起きた学生と市民のデモとその顛末、いわゆるハンガリー動乱と、メルボルンオリンピックの水球での金メダルという栄光と悲劇の史実を元に作られた映画。水球の選手としてメルボルンオリンピックの金メダルを目指すサボー・ガルチと、ブダペスト工業大学の学生として学生デモを率いる女子大生ヴィキの、それぞれのソ連に対する、そしてその先にある自由に対する闘いの物語。

 序盤にガルチがヴィキに向かって放つ言葉が印象的。「デモで何かが変わるのか?」と。自分の生活を譲りたくないガルチと、憎しみに突き動かされるヴィキとの間にある距離。ヴィキら学生やブダペスト市民たちの続ける行動によってこの距離がどこまで縮まっていくのか、もしくは広がるのか。2人の関係というよりは2人をとりまく集団の関係性に着目させることで単なる恋愛映画ではない映画に仕上げているのがいい。逆に言えば、集団を描写しながら2人の関係に踏み入っている点は評価していい。そのどちらもが、映画の中で表現として崩れていない。

 学生が主体になって行われるデモ。オリンピックでソ連に勝ち金メダルを持ち帰ることだけを考えてガルチたちの取り組む水球。どれも主役は若者であり、その言動にはまっすぐな故の脆さがひそむ。だからだろう、水球の監督(太っちょで、いかにも親父と言ったような)やガルチの母親や祖父の存在や言葉は大きい。ある時はたしなめ、制止し、かつ最後は信頼する。戦うのは若者だが、大人の存在があってこそなのだとさりげないシーンで映画は伝えようとするのがなかなかに面白い。表面では分からない大人たちの思いも、若者に乗っているのだと気づかされるからだ。

 強く生きることが最善の結果を招くわけでもない。それでも、そう生きようとしなければ何も変えられない。この時代のハンガリーの人々のそうした思いは、ヴィキという少女に集約されている。そもそも一学生でしかない彼女には荷が重すぎたのだとあとで気づいたのだが。走り始めた以上、事態がソ連の圧倒的な状態になったとしても彼女は引き返せるわけでもない。

 ただ、ヴィキがこの映画の最後で見せる表情にあれ?と思わされる。あの表情がどういう意図を持って作られたかは確かめようもないが、若干の後悔が滲んでいるように感じたのは気のせいだろうか。学生と市民のデモにしろソ連との戦闘にしろ、全体的に淡々としていて突き放したような映像に思える。

 他方でガルチ。彼はヴィキとは違い最後まで迷い続ける。ヴィキがいるからこそ、彼は悩み続けるのだが。悩まなかったヴィキが最後に見せた表情とは違い、悩み抜いて選んだ自分の生き様を見せつけたガルチの最後の表情はこれも印象的だ。本当に、最初から最後まで対照的な2人の物語だが、2人が出会うことで彼らの人生は加速する。それが皮肉なのかどうかは別として、生き抜くことはどれほどに困難の連続であり苦悩の連続なのだろう。

 そうした中、最後に見せつけられるオリンピックの決勝戦、屈辱のソ連戦は圧巻。これはもはやスポーツではない。ただ、確固としたルールがあるから戦争でもない。このときの彼らほど国を背負うということを意識した瞬間があろうか。過剰なまでの政治的演出が逆に彼らの闘志を奮い立たせる。本気を超えた本気の水球シーンは見物。

 あとはまあ、日本語版タイトルはちょっと大げさすぎるかな?それに引きつけられてこの映画を見ることになるなら面白いかもしれないけれど。
このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr Clip to Evernote

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット

トラックバック