2009年07月31日

智代アフターが言う「人生の宝物」についての考察

 智代アフターを結局2日で終えました。一週間くらいかけるつもりが止められる場所がなく、2日目のエンディング時には見事朝になっていました。セラブルをしたときも朝だったな。共通するのは突き放されたラスト。ラストに行くまではおおかたの予想通りだったにもかかわらず、あんなに突き放されるとは思わなかったな。
 完全ネタバレレビューに入ります。未プレイの方はご注意。新しくでたPSP版は分からないが、PC版ならほんとうにすぐに終わります。10時間あれば上等。

 智代が好きだから、っていうのではないけれど、俺は好意的に受け取った。っつーか、メインテーマはあくまでもそこにあって、それまでの長い夏休みこそが前座にすぎない。長い夏休みの中では人生の宝物にしても永遠の愛にしても、まあ後者はともかくとして前者はほとんどふれられてないよね。アフターに入って、本当に最後の最後になってこの物語が伝えたかったことが分かってくる。それはつまり智代の伝えたかったことで、朋也は主人公じゃなかったということの裏付け。
 このレビューをどう書こうか。それが一番難しい。鷹文や河南子について書きたい部分もあるけど、とりあえず本作の主人公である智代について書いていこう。テーマについて書いてみたいから、そのためにはまず智代について書くしかないからね。
  
 とりあえず夏休みについて。2人がともと、鷹文と、河南子と過ごした日々について。細かなあらすじは公式でも参照されたし。
 ともというキーパーソンがいて、彼女を囲むように4人が生活を送っていく。その中で鷹文と河南子が過去を克服していく。それを消化しつつ、智代の弱い部分を徹底的にさらし続ける。朋也と智代の立場がCLANNADのころとはここまで変わるのか、というくらい変化する。
 言ってみれば、本来不器用な智代の生き方が悪い方に露呈してしまう。魅力の一つであれ母性も、ここでは悪い方に(あくまでも第三者的に見れば)作用してしまう。朋也がこれからどうするべきか、という思考にベクトルを向けるなら、智代はどうすべきかにベクトルを向けてしまう。そこでようやく気づく。智代は本当は弱い人間難じゃないか。いや、意志のかたくなさ、好きな人への想いなど強い部分も持っているが弱い部分も持っている。強い部分が他の人を圧倒する魅力を持っているから智代は強い人間だとCLANNADを見た、プレイした人から思われるのだろう。それでも、智代も一人の人間である。完璧な人間などいない。それが分かっていて、弱い部分だけをさらされ続けるのが見ていて痛々しくもなった。
 でも、夏休みの最後のシーンとか、アフターを見て思うのはその弱い部分の智代をさらし続けないとアフターでの智代はありえないからだ。そもそも夏休みの出来事がなければアフターもなかったんだから皮肉なものだが、それを経験しないでは今度は本当のテーマが見えてこない。

 オープニングやキャッチコピーで提示されているけど、テーマの一つは「人生の宝物を探しに行こう」だろう。そして早い段階から智代から提示されるもう一つは「永遠の愛は存在するのか」ということだ。このふたつを混同してもいいかもしれないが、あえて別のものとして扱ってみたい。
 人生の宝物、について。アフターをやったあと、ラストに智代がタイプライトしながら語りかけてくる文章を読み返しながら(このシーンは白眉!鷹文がパソコン好きっていうエピソード、朋也と鷹文のタイプ対決のエピソードと絡めて考えても白眉だと思う)しばらく考えこんだが、シンプルかもしれないけど「人生(もしくは生きてゆくこと)の素晴らしさ」ではないだろうか。

 智代の打ち込んだ文章から考える。智代は宝物がどうやって手に入るかは誰にも分からない、と言う。つまり、愛という明確な言葉を智代は提示していない。文章の最後のほうで「それでも進んで欲しい あなたの宝物が見つかる日まで」とあるということは、未来において見つかる可能性のあるもの、だ。 そして人生は素晴らしい、という言葉は智代アフターのサブタイトルにはっきり明記されている。"It's a Wonderful Life"と。
 人生の素晴らしさ、と一言で言ってもそれは人それぞれではないかと思う。だからどうやって手に入るか分からないし、あなたがそれを見つけて欲しいと智代は言う。そして見つけられたら「他の人の手助けをしてあげてほしい」とも言う。
 朋也がああ言った結末を迎えて(手術はひとまず成功したしこれも明示はしてないけど、智代の文面から伺える)もなお人生の素晴らしさを智代に語らせるのは皮肉かもしれない。ただ、麻枝がこういった結末を用意したのは智代に傷ついてもなお進んで欲しいというメッセージがこめられているからだろう。智代も文面で言っている。「辛くても、悲しくても(中略)泣き叫んでも それでも進んで欲しい」と。これはまさに自分のことであり、自分が経験したからこそにじみ出た強い思いのこもった言葉だ。言葉の力は言葉そのものの力と語り手の思いの強さに左右されるが、その両者がはっきりと組み合わさって出た言葉だとしか思えない。

 エンディングに入って初めて、智代は強くなったと思った。今までの智代は本当に弱く、もろかった。が、人生の中でもっとも辛い体験を経て、強くなった。朋也の結末が絶対的に必要だったかと思えばそうではないかもしれないが、この結末は皮肉だとは思わない。
 朋也と過ごした日々の中で手に入れられた永遠の愛(朋也がああなった以上本当に永遠になってしまったが)があるし、ともや鷹文と過ごした日々が教えてくれたものも智代には多いことだろう。あきらめないこと、不可能を可能にしようと努力すること。その他数々の体験を、智代は忘れないだろう。刻みつけておくだろう。何より自分の愛した人と過ごした想い出なのだから。
 夏休みのあとの数年間の描写がなさすぎる、という指摘もあるようだがメインがアフターである以上なくてもかまわないもとの思われる。PS2かPSPだったらともの登場あるんだったかな?まあ、それでも、智代が2人だけの生活を望んだという推測をすれば、繰り返す日々を描写してもハルヒのエンドレスエイトになるだけだ。そしてそれはプレイしている人をあれほど突き放す結果にはならないだろう。

 桜庭一樹も小説には問いかけはあって答えはない、と言っていた。小説はすべてを説明するとは限らない、とも。アフターはまさに麻枝からのプレイする人に対する問いかけだ。俺が前述した解釈もあくまでも俺の解釈で、すべてだとは思ってない。だが、解釈しようとせずなんか微妙とか消化不良、というだけでこの物語を片付けてしまうのはあまりにももったいない。
 自分の中で考えて欲しい。それが麻枝のメッセージであり、智代も最後のタイプで伝えたかったものではないだろうか。考える好意を放棄した人には宝物が見つかるとは思わないんだ、俺はね。 

 以上、智代アフターと人生の宝物について。永遠の愛、についてはもう一回記事を書けたら書こうと思うが人生の宝物について掘り下げて書きたかったので永遠の愛については書かないかもしれません。わかりません。
 風子について書いたときより長くなったかもしれないね。風子にも智代にも共通するのは、健気で一途な愛情だろうね。こういうところに俺は弱いらしい。


※数えたら2900字くらいありましたw全部読んだ方お疲れ様です。あらすじ書いたら3000行ってたか。原稿用紙7枚ちょいですね。大学で出されるレポートでもここまで書いたことないんだが(

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