2011年05月14日

「浅いポケット」に寄せる想い出話、そして優しい余韻

 蜻蛉さんという、ほぼ毎回GUMIを使用して曲を作る人がいるのだが、新作がなかなかノスタルジックでセンチメンタルで気持ちいい。
 まだわりとこうした風味の曲を聴けるだけの若さが自分にあるということの確認にもなった。身をすり減らしそうな現実だからこそ、過去を想うことが力になればいいな、とは時々思う。

 
歌詞:初音ミクWiki

 「なんて優しく切ない6分間なんだろう」というコメントに強く同意する。
 バンドサウンドの形式をとってはいるがギターもドラムも静かでボーカルをほとんど全く疎外しない大きさで、時々入るピアノが余情を誘う。
 
 歌詞にはたびたび現在形としての願望と、過去形としての事実が交差していく。
 今と過去、一緒だったころとそうではないとき。「僕らはいつまで僕らなんだろう」という歌詞に象徴されるように、全てが終わったというわけではないにせよ、確実に終わりへの予感が漂っている。そのための6分間の静けさなのだろうと思う。
 だから最後のほうに、「たとえ君を嫌いになっても好きでいられる気がするのさ」という矛盾するようなフレーズがこの曲の主人公の偽らざる心境なのだろう。まっすぐ「君」をみつめるから、嘘はつけない。
 矛盾した感情すら愛おしくなるというほどに、青春の香りが漂っている。靴やカバンという、学生には日常的なものに君の名残が垣間見えるし、ふたりが始まった場所に立つと感情がこみあげてくる。

 とまあ、こういう曲なのだ。蜻蛉さんは曲を作り、fさんという人が毎回歌詞を書いているのだが、昨年3月に「ロンパリ」という曲をニコニコに上げてから1,2ヶ月に1曲ペースで上げ続けて今に至っている。
 再生数は多くて7,8000だが、今回の新曲に広告宣伝が1万ポイントもついていてびっくりした。着実にファンは増えているということだろう。

 ここまではちょっとした前置き。この曲の紹介だけで終わるのもあれなので、自分のことを書いていく。
 この曲を聴きながら思い返した人はふたりいる。ひとりは2006年から07年にかけて何度も記事に書き込んでいる”彼女”で、もう1人についてはまだ多分ちゃんと書いてこなかった気がするのだけれど、今でもはっきりと覚えていることがいくつかある。
 どれだけ執着してんねん、と言われそうだが、忘れるのが速い俺が覚えているのだからなにかしら理由があるんだろうと思っていくつか考えてみたのでメモ的に記しておく。その人と初めて会ったのは2004年の8月で、分かれたのは空けて1月だったかな。もしかしたら12月だったかもしれないがまあそのへんである。Rさんとしておこう。
 というわけで久し振りにブログというよりは日記であり、日記の中でも結構パーソナルなことを書いてみるけれど、名前は匿名のようなものだし失恋経験を歌にしているミュージシャンはいっぱいいるのだから文章にすることもそれほど悪ではないだろう(←
 ちなみに”彼女”については去年の秋にざっくりと振り返っているので、興味があるという変な人がいたらこちらを参照のこと→霜月の季節に”彼女”を思い起こすと言うこと

 せっかくなので曲に連ねて書いてみよう。
 書きたいことは「現実としての今と一緒に過ごした過去」との対比、そして歌詞にある坂道の上ではないが、「一緒に過ごした場所」について、思い出してみることにする。
 ”彼女”の場合は高校で3年間同じクラスだったので、過ごした場所という意味では間違いなく教室が圧倒的に時間を費やしている。今でもふらっと母校に立ち寄ったとき、あそこに”彼女”が座っていて、ピンクのひざかけがあって、さらりとした黒髪が本当に綺麗だったことを思い出す。
 今から考えたら自分にとっては青春の憧憬のようなものだろう。高3になるともう最後の1年ということもあって、半ば自覚的に「最後の青春」をどう過ごすか、かつどう受験と両立させるかということをわりと本気で考えていた。かといって思うようにはいかないのでそれはそれでいいやと思いつつ、自分の思っていることと、ちょっとしたハプニング(大したことじゃないけれど)も含めて「同じ時間を一緒に過ごす」ということをいかに作り出すか、に傾倒した。
 もちろん付き合っていたわけではないが、「僕らはいつまで僕らなんだろう」状態である。土曜日も学校があったので日曜日以外はほぼ毎日顔を合わせることになる。”彼女”は理系だったので授業はすれ違うことが多かったのだが、だからこそ一緒に過ごす時間の貴重さを実感していたとは思う。
 
 場所はもうひとつ、帰り道。高松市内はさほど坂がないので歌詞のように坂を一緒に登る〜なんてことはなかったのだが、何度か自転車で併走して帰ったことがある。
 夕暮れ時だったり、真冬の息の冷える夜だったり、月の綺麗な日だったり。細かくはさすがに覚えていないが、交わした会話や見ていたものは今でもちょっとだけ覚えている。覚えているくらい、実際に一緒に帰った回数が多かったわけじゃないからね。
 教室の外にも一緒に過ごした景色があることで、教室に通うことはないにしても道を歩くことはこれからもいくらでもできる。これからまた歩いたときにどういう気持ちで思い返すことになるかは分からないし、そのときはもう忘れているかもしれない。

 こんなところかなー。何回か書いてきたから割と事実を列挙しただけだったなw
 というわけで、今回の本題であるRさんについて。彼女とは高校受験のための予備校で行った。風の噂によるよRさんは岡山の高校に行ったらしいがその後のことは知らない。島の隣町の中学生で、のちに自分の地元の町と合併したのでもしかしたら成人式で会えるかも知れない、とちょっとだけ期待したがそんなことはなく、ただ名簿で初めて彼女のフルネームの漢字表記を知った、ということがささやかな名残だった、というところ。
 予備校は高松市内にあって、島から通う人にはちょっとしたボックスカーで無料で予備校まで送迎してくれるというシステムだった。Rさんとは予備校のクラスは違っていたがRさんの友達(*1)とは同じクラスにいて、さらに直島から通っていた女の子も同じクラスにいたので、そんな女子たちの会話に絡むようにしてRさんとも話をするようになった。実際に顔を見てから話をするまでに色々面白いいきさつはあったが、とりあえず省く。
 
 Rさんとは正直、車の中で向かい合っている想い出と、ごくまれに同じ船に乗ることがあったので船の中で交わした言葉やそのときの表情くらいしか思い出せない。過ごした期間や、実際に一緒にいた時間がかなり短くて、総計してもおそらく数時間程度のものだろうと思う。
 ただそれでも彼女のことを今でもずっと覚えていて、当時の日記(手書きのほう)にもいろいろなことを書きなぐっているが、直接触れようとしたこともないし具体的なアプローチというものもほとんどしてない。
 夏の予備校期間の終わりにメールアドレスを教えてもらおうと思ったが、笑顔で断られたのは印象的ではあるけれど、その後再会しても「お、久し振り」くらいのテンションでずっと話をしていた。最初から最後まで、ほとんど会話のテンションは変わらなかった。彼女がどういう思いを持って俺と話をしていたのかは気になるが、それはもうどうしようもないことだ。まあ、こっちが大きくとらえすぎるだけでRさんからすれば些末な出会いの一つだろうけれどね。
 もっと言えば、もう予備校に通うことはないから彼女を思い出すよすががない。船には実家に帰る度に乗るが、俺と彼女は基本的に違う港を目指す船に乗っていたのでそれほど喚起するものがない。

 それでも彼女を思い起こす理由は何なのか、蜻蛉さんの曲を聴きながらここ最近ぼんやり考えていた。
 春休みの終わりに高校の時のクラスメイト2人と最近ちょっとした再会する機会があって色恋の話も少ししたのだが、2人のうち1人が「自分は(パートナーを選ぶときの)ハードルが高い」と言っていて、なるほどなーと感じた。
 あんまり意識はしていなかったが、歳を重ねるにつれて惚れるという経験から乖離して、誰かをずっと見極めるようになっているように思う。今の俺は。
 昔は今のようではなかったのだろう。ただ、それでも7年前の夏の記憶が未だにこびりついて消えないのはなんでなんだろう、という事実は残される。

 ひとつ考えたのは、たぶん自分は恋人という対象として、Rさんと交わしたようなコミュニケーションの欲求があったんじゃないだろうか。
 あんなに短期間だったにも関わらず言葉を頻繁に交わし、お互いの進路についてもちょっとした話をするようになっていた。笑顔だけを覚えているのではなく、悩んでいる表情も覚えている。
 恋人が欲しい、というよりは「こういう関係性」が欲しいということを、わりと長い間、ほんの最近まで忘れていたことになる。なんというか、Rさんとの関係をフィーリングという言葉で片付けてしまっていたが故に、可能な限り明確にしていなかった。単なる懐かしさ、とも違うからね。それだったらもっと懐かしい想い出はいっぱいある。

 あとは残された課題として、どうしてRさんと自分のフィーリングに合致するようなコミュニケーションがとれていたのか、ということかな。あの時期抱えていた感情がそうさせただけなのかもしれないし、もっと本質的な部分に触れたのかも知れない。
 本質ってなんぞや、と考えると時間がかかるのでもうさすがに書くことはしないが、きっとそこにお互いが触れられることができたら素敵だろうな、とは思う。
 
 坂本真綾の「僕たちが恋をする理由」(*2)という曲に、「きみの哲学に触れるとき いちばん好きな自分になる」というフレーズがあって、結構何度もこの言葉は思い返していた。
 たぶん、本質に触れるってこういうことだろう。本質は細部に宿る。その細部にある「きみの哲学」を自覚的であれどうであれ感じとること、その先に、何か新しい感情がわき起こる。
 そんなことを考えながら、今日は今の自分が大事に思う人について考えながら眠ることにする。その人の哲学に触れられる日は、来るのだろうか。触れられたときに、ハードルを一気に跳び越えられるのだろうか。

 続きは待て次回、的な。タイトルに記したとおり、Rさんが残してくれたものが「優しい余韻」だったらいいなあ、と思うのはたぶんまだ甘えがあるんだろうと思うのだけれど、若いから許せと勝手に思っている。


*1 友達氏には同窓会でも再会した。その後グーグル先生でエゴサーチしてみたらなんか超展開になっていたのでなんとも言えない気持ちになったのは完全な余談である。あうふー。別に不幸な展開ではないのだが。

*2 2007年リリースの「30 minutes night flight」というコンセプトアルバムに収録。いずれも夜ないし深夜に似合いの音楽が並んでいて、タイトル通り30分で一周できる仕様になっている。今ではすっかりファンなのだがアルバムを通して坂本真綾を聞いたのは実はこのアルバムが初めてだったりする。 

30minutes night flight30minutes night flight
アーティスト:坂本真綾
販売元:ビクターエンタテインメント
(2007-03-21)
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そして検索にかけた際にたまたまこのバンドを見つけたが、結構いい曲を作っているかもしれない→myspace

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