2012年02月28日

ほんとうと嘘モノの混淆がインターネットの楽しさだったころ

 twitterで@QB0という有名なアカウントがあるんだけど、その中の人である十姉妹氏が少し前からブログをやっていて、それを眺めるのが日課になっていた。最近ちょっと漏れがあってまとめて読んでいたら興味をそそる文章があったので少し語ってみる。

 「ボクが「わたし」だった頃」という、インターネットにおける疑似人格とか疑似恋愛の話を書いているんだけど、本質は最後の4つめのエントリーで書いているように「依存」をどうとらえるか、にあると思いながら読んだ。(*1)
 内容自体は2ちゃんねるまとめなどでも転がっている話だし、実際ありそうだけど、ないかもしれない話だと思う。平たく言えばネット恋愛と病気を絡めたお話なので、気になっている方は読んでいただければ、と思う。その内容の正否とかを問うつもりはここではまったくない。常にほんとうと嘘は混じり合っているものだし、それは特別インターネットに特有なものではないからね。
 というわけでここからはネタバレありなのでご注意を。

 前提としてあると思うのは、掲示板文化とはなんだったのか、というところだろう。このお話がどれだけ昔のことかは分からないが、有名なのはもちろん2ちゃんねるだ。ただ、多くの人は2ちゃんねるよりも有象無象存在していた個人サイトのBBSや、ゲームの攻略サイトであったり、何かのファンサイトであったり、いずれにせよ2ちゃんねるほど大規模ではなくて、明確な管理人がいるようなところでコテハンを使いながら交流をしていたんじゃないかと思う。
 今でもある程度の規模はあるだろうが、mixiが登場して以降は少し様相が変わってきているはずで(ちゃんとした統計があれば知りたいものだ)たぶんmixiが登場するころかその少し前の話なのだろうと思う。2000年前後から、2000年代中盤まで、といったところだろうか。
 いまではツイッターやfacebookもでてきているので、個人情報はとてもオープンになっている。個人的には、なって”しまっている”ような気さえしている。

 で、そのころの掲示板はひとつは文字通り掲示として使うためにあった。用は伝達事項のような感じや、来訪者の足跡みたいな感じで、スレ立てをする方式ではなくてツイッターのタイムラインに近い。個々の応答はあるが、誰もが横並びに書く感じ。
 もうひとつはスレというものを誰かが立てて、その下に多くの人がレス(返信)をつなげていく方式がある。この場合、レスが一定程度に伸びるとたいてい新しいスレがスレ主によって立てられる。人気のスレだと1時間もすればあっという間に埋まってしまう。2ちゃんねるを見れば分かりやすい。
 もちろん一定規模の掲示板でなければスレが埋まる、という現象すらないだろうが、十姉妹氏の記事を読むと常連と呼ばれる人たちが一定数いて、毎夜毎夜わいわいとしていた様子がうかがえる。
 同じ頃にチャットも流行っていたが、チャットはかなり流動的だ。スレはレスはどんどん伸びていくがスレ自体はストックとして残る。あとで見返すこともできる。多数がわいわいコミュニケーションするという意味では似ているけど、チャットはいまのツイッターに近いシステムだったと言える。

 長々と書いてしまったが、掲示板とチャットのいずれにも共通することで言えば個人の特定がしづらいことにある。IPアドレスを表示させる形式もあるが、たいていは名前で特定することしかできない。文体である程度分かるとはいえ、その人が本当にその人なのかは見分けづらい。いわゆるなりすましがしやすい。
 ソーシャルメディアもなりすまし問題がないわけではないが、多くの人がソーシャルメディア上でブログ、ホームページ、日々の活動の情報を公開し、それがストックとして残り続けている以上はなりすましは簡単にはできない。(*2)リスト機能はその人の繋がりを表しているし、どういう属性を持ちうるのかが他者によって定義されるのはソーシャルメディアのひとつの特徴と言えるだろう。
 そしてもちろんそんなことは掲示板ではできない。それではちょっと知らなさすぎる、ということで前略プロフィールといういまでいうプロフサイトの大御所がよく作られていた。ただ、どこまで一般的だったかは分からないし、ソーシャルメディアのような他者による定義も不十分だし分かりにくいので、一定の限界はあったと言える。プロフィールに嘘を書いてもばれないからね。

 こうした前提で十姉妹氏の記事の「その4」を読むと、彼が体験したことがほんとうなのか否か、の判断はきわめて難しくなる。インターネットがこわい、とマスメディアなどで騒がれ続けた要因もおそらくこのへんにあるのかなあと思っていて、要はどこの誰とも分からない人とネットの外で会うというのは一定のリスクを伴うことになるのだ。
 ソーシャルメディアは個々人が情報開示を積極的に行うことによって、こうしたリスクを下げ、対面の精神的コストも下げているように思う。嘘であることを始めに示している人もいるが、基本的に多くの人は事実やほんとうのことを書くので、誰かが嘘を言っていると疑うことはあまりない。妄想のことを書く人はいるが、その人にとってはそれがほんとうなので、主観的な意味で嘘を書くひとはかなり少ないだろう。
 ただ掲示板やチャットなんかでは、嘘をつきやすいことを逆手にとって嘘を楽しむ文化があった。男性が女性になりすます「ネカマ」もそのひとつと言っていいだろう。
 こう考えると、十姉妹氏が体験したことはほんとうでもないし、嘘でもないということになるのではないかと考えるのが妥当ではないだろうか。もちろんこれは現実世界でもそうであるが、コミュニケーションにおいては見栄を張る場合もあれば自虐する場合もあるから、ほんとうと嘘は入り交じっているものだ。そしてネット上の掲示板においては、その混淆を持続させることができる。演技と言っていいかもしれないが、どこまで嘘モノなのかは誰にも分からないかもしれない。

 十姉妹氏とやりとりしていたと思われる人(女性であると仮定する)がコミュニケーションを求めていたのは確かだろう。それこそ「依存」するように毎夜毎夜出没する理由は病気が原因かどうかは分からないにしても、求めていたはずだ。そして彼女は十姉妹氏と親しくなった。
 美談とも悲話とも言える結末にどうこういうつもりは最初に書いたように俺にはない。ただ、いまの2ちゃんねるがそうであるように、ほんとうかもしれないし嘘なのかもしれないお話が流通する、というその土壌は10年以上前から脈々とあって、そうしたことを特に古参のネットユーザーは楽しんできたはずだ。勝手な推測かもしれないが、大事なのはほんとうか嘘なんかではなく、おまえと話すことなんだという感じだと思う。
 そして周知のように、こうした感覚はソーシャルメディア隆盛のいま再びはっきりと可視化されている。ツールやインターフェイスはどんどん進化するが、本質はそれほど変わっていない。もちろん、ツールが変わればかつてできなかったことができるようになる一方、かつてありえたことが難しくもなるけどね。
 掲示板では上で書いたような半匿名状態だったけど、常連と呼ばれる固定の層になるとある程度扱う話題もノリも共有されるし、思っているよりも親しくなったり踏み込んだ話ができたりする。俺がいたコミュニティでは進路とか恋愛の話も珍しいものではなかった。実名じゃないとうんぬん、という人はこういった時代を経験してほしかったな、と思う。いまさら無理だけどね。
 
 こうしてふりかえると、『ウェブ進化論』の梅田望夫が夢見たインターネットは日本においてどこにもなかった、は言い過ぎかも知れないが彼の場合夢の見方を間違っていた可能性が高い。(*3)雑な見方だとは思うが、総表現社会というよりは総コミュニケーション社会というほうがふさわしいとさえ思う。
 いまからさらに10年後にいまを振り返ると、またなつかしい話が出てくるのだろうと思う。他人の体験になつかしさを感じるのは、その文脈をリアルタイムで共有していたからに他ならない。どこかにありそうなお話の魅力は、もしかしたらここにもありえたかもしれないという夢想にある。
 あのころは楽しかったという回顧厨的な振り返りではなく、あのころも楽しかったし、いまも楽しい。けれど、あのときの独特の空気はやっぱりちょっとなつかしいなあ。そんな感想を、十姉妹氏の記事を読みながら感じていた。
 
 10代の前半の、幼くも未熟だが若々しい感性のころにインターネットに触れられたことを幸せに思っている。(*4)誰と出会えるか分からないこわさもあったが、それをはるかに上回る好奇心があったのは確かだ。田舎に住んでいて行動範囲も狭い当時の自分が好奇心を満たすことができたのはインターネットのおかげに他ならない。
 もちろん10年前とかの当時交流していた人の大半とはもうほとんど交流はない。それでも、中学時代から知っていて、大学生になり上京して初めて出会えた人たちも何人かいる。ソーシャルメディア隆盛以降はオフ会が当たり前になってしまったが(東京に住んでいるという利点ももちろんあるだろうが)オフ会というよく分からないけど面白そうな場所に出て行くワクワク感は、ただただなつかしいの言葉で語れてしまう。 

 いろいろ書いたけどなつかしい気持ちを思いだし、かつ面白い話を読めたので楽しかったです、というところです。
 十姉妹氏は社会派の記事も書いていて、素朴な文体だが聡明さも感じさせるのでそういう方面で興味が有る方はぜひぜひ。リーダビリティに優れているので、そのへんはさすがだなあと思う。といいつつも俺は俺の文体を貫きます。
 

*1 「その1」のリンクだけひとまず貼っておきます→http://ameblo.jp/jyusimatu105/entry-11169052831.html

*2 本当にその人が書き込んでいるのかどうかまでは分からないので、そういう意味ではなりすましはできるのかもしれないが別人になることは困難だろう。

*3 このへんの、日本に独特のインターネットの特性みたいな話は最近読んだ『希望論』の中で濱野智史が詳しく述べている。

*4 こういうふうに書くと80年代はよかった的な回顧厨っぽくなりますねすいませんね!

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