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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

 4月の頭に「ルート・アイリッシュ」と「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を2日連続で見てきたんですが、どちらも見終えたあとに何かが残ってしまう映画で、うまく言葉はでてこないんだけどそれぞれに引き込まれる素晴らしい映画だった。
 ジャンルも違うし、社会性とか公共性も全然違うんだけど、どちらも共通していて主人公が大切な人をなくし、その喪失感とどう向き合うか、というスタートラインから始まっていく。
 とりあえずそれぞれの短評を書いてから、いろいろと考えてみようか。

ルート・アイリッシュ(2010年、イギリス、フランス、ベルギー、イタリア、スペイン合作)
監督:ケン・ローチ
主演:マック・ウォーマック、アンドレア・ロウ
公式サイト:http://route-irish.jp/
見:銀座テアトルシネマ

 ルート・アイリッシュは「麦の穂を揺らす風」のケン・ローチの最新作。アイリッシュとあるので今回もアイルランドの映画化と思ったらイラク戦争にまつわる小話、といったところ。大切な友人を喪った主人公ファーガスが、その背後にあったもの(死へつながる直接的な要因や社会的な要因含め)を探りながら、自身も迷走を深めていく、というお話。
 こういった筋書きなのであたりまえだが、明るい話ではありえない。どんよりとした空気感が最後まで消えない。ルート・アイリッシュとはバグダッドから空港をつなぐ間の道路なのだが、「世界で最も危険な場所」と名付けられているらしい。ここがテロの標的にされやすいからだ。映画のなかでは「マズいところにマズい所へ」という形容で、友人レイチェルの死が語られる。

 「ハート・ロッカー」を思わせるのは直接戦場を描写するというよりも、その戦場で具体的に何が起こったか、そして戦場の周辺でどのような人間関係が展開されたか、に焦点を当てている点だろう。それともうひとつ、「ハート・ロッカー」ではロボットが、本作では民間の戦争請負会社が、という対比でいずれも現代の戦争を象徴するキーとなる存在が大きく扱われている点だ。
 そしてその戦争請負会社はファーガスが直面しなければならないひとつの大きな存在でもある。その上で、映画の終盤にファーガスが下した決断を、誰が責めることができようか。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2011年、アメリカ)
監督:スティーブン・ダルドリー
主演:トーマス・ホーン、トム・ハンクス、サンドラ・ブロック
原作:Jonathan Safranfoer"Extremely Loud&Incredibly Close"
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/extremelyloudandincrediblyclose/index.htm
見:渋谷シネパレス 

 まずタイトルが長くて気になったんだが、上に載せたように原作のタイトルをそのまま訳すとそらそうか、というお話でした。
 内容は9.11で父親を喪ったオスカー少年が、父の遺した紙切れと新聞記事を手がかりに人捜しをする、というお話。

 前の日に見た「ルート・アイリッシュ」はかなりシリアスで暗さが際だった映画だったが、こちらは爽やかさと明るさが印象的だった。それはおそらく主人公のオスカー役の少年が非常に生き生きと感情表現しているからだろう。アスペルガー症候群特有のひとつでもある早口もかなり流暢にしゃべりこなしていた。ほとんど演技経験がないというのはびっくりでしかない。
 最初はひとりでアメリカをさまよいつづける。9.11で亡くした父親の面影を探すために。途中から祖母の間借り人の老人が付きそうが、基本的には子守り程度でオスカーに深く介入はしない。むしろオスカーも間借り人も、二人ともがなにかを探し求めてさまよっている、という構図に見えたのが印象的だった。
 小さな旅を通じて成長を見守る。9.11を描いてはいるが、ある意味かなり王道とも言える映画だった。王道な展開にするためにあえて9.11をかぶせてみたのかもしれない。

 この映画には「ルート・アイリッシュ」のような悲劇はなく、喪失を克服するわけではないが乗り越えていくきっかけを、最後にオスカーは掴んだはずだと思う。
 ファーガスもきっかけを探していたのだろうと思う。乗り越えられるかどうか、克服できるかどうかよりも、彼にとっては死の真相を知ることが第一歩だった。だが現実には権力が立ちふさがる。一人の人間にできることは、あまりにも無力でしかない。
 極端かもしれないが、きっかけを手に入れられるか否かでひとつの分かれ道ができたのかもしれない、とこのふたつの映画を見比べて思った。

 もちろんオスカーとファーガスが直面する事態は違うし、ちっぽけな少年にとっての父親の死と、ファーガスにとっての友人の死を比較することはできない。
 だとしても、だとしてもあと少し何かが違ったら、とふと考えてしまう映画だった。実現可能性とは別に、オスカーもファーガスも手を抜くことも諦めることもない。その必死さが、いつか自分に襲いかかってくるかもしれないということも、オスカーはまだ気づかないかもしれないがある程度人生経験を経た人間なら実感のあることだ。
 どっちが正しいとか間違っているわけではない。Fate/Zeroの22話を見ていると、「命と天秤にかけられることなど、長く生きてもなかった」という台詞があった。つまりはそういうことなのかもしれないし、命と天秤にかかってしまう事実と直面した以上(この場合オスカーにとってはおおげさかもしれないが、少年にとって父親の死ははかりしれなく大きなものだとは思う)それ以上追求することはないとも言える。

 天秤に”かけてしまった”、つまり後戻りできない状況に自分で追い込んだのはもちろんファーガスのほう。オスカーはちょっとずつ前を向いていく。2日連続してみるとあまりにも対比的だなあと感じた。
 ものすごく〜の映画そのものについて触れておくと、大人が子どもを見守るというとパターナリスティックなものを想定するけどぜんぜんそうじゃない。街で出会っていく大人たちも、オスカーを子ども扱いはしないし、譲歩もしない。エゴむきだし、とは言わないがあくまで個人として個人と接しているという(その意味ではアメリカ的なのかもしれない)ことが基本にあったように思えた。もちろんオスカーのたゆまぬ精神やしつこさ(ほめてる)に大人が根負けするような展開もいくつかあるが、オスカー個人の魅力によるものであってそれ以上の意味はほとんどなかったんだろうなあと感じた。
 それでも彼がやはり子どもであるということを、トムハンクス演じる父親が回想シーンで断片的につづいていくことで実感させられる。子どもでもあるし、子どもというだけでもない、固有名を持った一人格でもある。言うはやすしだが、表現としてきれいに落とし込んでいるのはすごく素敵で寛容さがあるなあと感じた。だからある意味展開のご都合主義さはこの際除外してもいい。ルート・アイリッシュのように度肝を抜かれるようなことは少なかったが、プロセスの描き方、人ひとりひとりの接し方は丁寧に表現されていた。

 そんな4月のある2日間だった。次の日からは大学院の授業が本格的にスタートしたので、ほんの最後でつかの間の休息をすばらしい映画とともに過ごせたのは本当によかった。
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