2009年02月01日

【CLANNAD】信念が支える一途さと純粋さに心動かされずにはいられない【伊吹風子】

 ちょっと最近クラナドにはまってることもあり(ちょっとどころじゃないが)伊吹風子に関する文章を書いてみたいと思う。真新しいことを書こうとは思ってなくて、ただ感じたことをそのままに。伊吹風子という存在が、昔の記憶を奮い立たせるせいだ、ということで。
 なるべくネタバレにならないようにするが、後半は流石にキツイと思うのであらかじめ了承されたし。

 伊吹風子は光坂高校にかつて勤務していた伊吹公子美術教師の妹で、同高校の一年生という設定。どう見ても高校生の容姿ではなく子どもっぽい側面を見せる一方で、とんでもない言葉がとびだしたりして岡崎朋也と飽きることなく口げんかをする。ヒトデと姉がこの上なく好きな、ちょっと変わった女の子というところだろう。
 ただそれは本当の風子ではない。本当の彼女は交通事故で入院中、長い間意識が戻らないでいる。一方学校での風子はある計画をしていた。大好きな姉の結婚式を祝うために、ヒトデの彫刻を彫って全校生徒に配ろう、と。それを結婚式の招待状にしよう、と。そこから始まる岡崎朋也、古河渚とその家族や藤林姉妹、春原などといった朋也の友人の協力で少しずつではあるが風子を生徒達が受けいてるようになった。この勢いで式までに配り続けよう、彼女はそう願い、配り続けた。

 その後に起こる事態は想像もしないことだった。病院で意識が戻らない一方で、学校で快活に生活しヒトデ配りを続ける。一言で言えばそのバランスが確かなスピードを以て崩れようとしていた。もう少し、もう少しなのに、遠ざかる想い。それが確かな距離を伴い、広がっていく。今までの経緯をふまえたら、渚のように涙を流さずにはいられないだろう。どれほどの思いで、最初は本当にひとりぼっちでやろうとしていたか。

 まあ書きたいのはここからだ。核心に触れる前なんだが、アニメでの風子の表情が非常に印象に残った。渚や朋也や春原でさえ感情を抑えきれなくなる中、風子は最後まで涙を流さない。ただそれは感情がないというわけでは当然なく、早苗さんが泣き崩れるシーンなどでは必死にこらえようとしている表情が伝わってくる。アニメなのに、あれほど強い意志を表情から感じたことは今まであっただろうか。あの表情、あの目の強さを感じて、この文章を書こうと思ったと言っても言い過ぎることはない。
 
 彼女には諦めるという言葉が最初から頭にないのだろう。できない、とも思わない。なぜならば、やらなければならないから。そうしないと、大好きな姉を祝ってあげることができないから。犠牲精神だとか言ってしまいたくはない。何かをなしとげようと、そういう強くて一途で純粋で、そしてああいった性格ゆえの健気さで、最後まで涙を流すことなく諦めることなくやりとげようとすることにただただ心動かされる。そして俺は昔のような純粋な気持ちを失ってしまったのではないか、と思わされた。そう思わずにはいられない。

 かつての俺の周りにも風子に似た表情を持ち、彼女は涙を流したかも知れないが、諦めない人がいた。同じ目をしている、と思った。俺がその人から受けた影響は少なからずのものであったし、気持ちが前面にでるとはこういうことなのだ、ということを間近で経験した。ある意味では若さ故の、若いからこその一途さなのだろう。それを失うということは、大人になることを余儀なくされていることを痛感してしまう。

 大人で純粋でいることが悪いとは思わない。ただ、どうしても純粋で一途であるほどに現実がつきつける不条理というものは克服しがたいものがある。だから大人になるにしたがってその不条理を克服するために、要領よく仕事をするために、一途さはともかく純粋さは失っていくのではないかと思う。今の俺がそうかも知れない。昔とは違う、と思うことでなおさらその方向に向いてしまっているのかも知れない。それが必然なのか必然じゃないのかは分からないが、往々にしてそうなのではないか、と思う。大人はそれほど綺麗な生き物ではないと思うし、だからこそできることが子どもとは違ってあると思っているから。

 だから逆に、大人には出来ないことも子どもには出来るのかも知れない。子どもでいるからこそ乗り越えられる不条理もあるのかもしれない。どれほどそれが困難なことで時間と労力がかかったとしても、不可能ではないというのなら。それなら、というところが子どもに与えられる特権というか特別な能力なのだろうとも思う。かつて子どもだったから、そう感じることが出来る。
 子どもができることは大人になってもできると昔はそう思っていた節がある。ただ、同じことをするのにだんだん難しくなってくる。一方で昔できなかったことがだんだん簡単になってくることもある。結局はそういうものなのだ、と。今は思う。

 後半部分を書きたいがために伊吹風子という存在をとりあげてみた。彼女の純粋さっていうのはARIAの水無灯里の持つそれとはまた少し違うように思う。灯里は素朴さというか、そういったものを愛したいがゆえの純粋さ。風子は強すぎる想いを貫こうとする、その行為の純粋さ。
 朝っぱらから訳分からんような文章を書いて恐縮なんだが(しかも夕べは飲んで他のでまだアルコールがかすかに残っているだろうし)読んでいただけたら幸いである。
 大人と子どもの丁度真ん中に俺は今立たされているのではないか、と最近感じるようになった。昔の詩を読んでいる時に余計そう感じる。どうしてこういうフレーズやインスピレーションがわき上がってきたのだろう、と。最近では経験からのインスピレーションはこそあれ、想像力が昔ほど冴えてない。詩を書くこともめっきり少なくなった。昔は書く時間がなくとも授業中にメモをとりながらしていたのに講義を受けながらメモをとるということはほどんとないし。
 そんな俺がどういう風にこれから大人になっていけばいいのか。どうなっていくのか。悩みながらも色んな人やものに支えられながら成長していくことが出来れば、素敵だな、と思える。 

 さらっと書いたつもりなんだが気がつくと相当長い文章になっていた。本当に読んでいただいてありがとう。途中手が走って文法がめちゃくちゃになっている気もするが。タイトルも無駄に長いし。

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