Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。


監督:石原立也
脚本:花田十輝
出演:黒沢ともよ(黄前久美子役)、朝井彩加(加藤葉月役)、豊田萌絵(川島緑輝役)、安済知佳(高坂麗奈役) 他
制作:京都アニメーション
見:イオンシネマ綾川



 公開初日からネット上の評判は芳しく、自分のよく知っている人たちの何人かが初日に足を運んでいたためこれはいかなくてはと思い、綾川のイオンシネマまで足を伸ばして鑑賞してきた。この前は宇多津のイオンシネマで『同級生』を見ることができたし、高松市内では難しくても少し足を伸ばせば評判のアニメ映画を直に見られる環境が香川にもあるということは悪くない。かつての、たとえば『時をかける少女』を見に行ったのが夏ではなくもはや秋だった10年前を考えると、少し隔世の感もある。

 ということはひとまずさておき、テレビシリーズを劇場版に再構成したこの映画はクライマックスからうまく引き算した形の完成度となっていた。ということは後半部分、とりわけ終盤の京都府の吹奏楽コンクールとそれに至るまでの一連の展開(県大会出場者を選ぶためのオーディション、県大会までの「ガチ」な練習の日々、高坂麗奈と中世古香織によるトランペットのソロパートをかけたオーディション)が中心となる。アニメの話数で言うと9話以降の5話分に、映画ではほぼ半分の時間を費やしていた。ちなみに9話のひとつ手前にあたる8話は、(もはや説明するまでもないかもしれないが)あがた祭りの喧騒から離れた麗奈と黄前久美子による象徴的な「愛の告白」に至るシーンだ。

 麗奈と久美子の関係を強固にする象徴的な8話や、サンライズフェスティバルを描いた5話をいずれも前半に織り込んで後半の県大会にぶつけてくるということは、過剰なだけの説明を省略しているという戦略につながっている。ねりまさんがブログの中で触れているように、「『黄前久美子が高坂麗奈を知ることを通して変化する物語』を軸に再構成されている」のがこの映画の構成であり、戦略だろう。(*1) つまり、二人が同時に登場する様々なシーンを描くことで捨象されてしまうキャラクターたちが多数存在することによって劇場版は成り立っていると言っていい。1年生4人組のうち川島緑輝や加藤葉月の目立つシーンはさほど多くない。特に前半では久美子を含めた3人の絡みが描かれていたが、麗奈の存在感が増してくるにしたがって緑輝や葉月の登場回数は減っていく。

 他の先輩キャラクター、たとえばポニテ先輩という愛称でネットでは知られている中川夏紀の葛藤はほとんど描かれないままにオーディションのエピソードへと入っていく。吉川優子が高坂麗奈を前にして語ったように、現2年生たちは部の中でかつて小さくはない騒動を起こした学年であり、夏紀もその2年生の一人だ。夏紀や優子たちの苦悩や、あるいは部長と副部長の関係である小笠原晴香と田中あすかの間の葛藤にも入りこまない。もはやなかったかのようにされることで、逆にクライマックスである県大会へのダイナミックさを生み出す。

 こうした展開の軸になっているのはまぎれもなく麗奈であり、その麗奈を映し出しているのは彼女にこがれてやまない久美子の視点だ。久美子が見る麗奈、それは中学三年生時のコンクールで麗奈が流していた涙の意味を久美子が知るまでの軌跡。もっと言えば、久美子が「あのときの麗奈になる」までの軌跡だと言っていいだろう。あのとき麗奈の持っていた悔しさを素直に共有できなかった久美子は、約1年経ってようやく自分の中にもっと上手くなりたいという気持ちを知る。それは後に麗奈が久美子に対して語った特別になりたいという気持ちと重なっているし、さらには中三のときの涙の意味を知るに至る要因でもあるのだ。一年かけてようやく、そして不意に、久美子はあのときの麗奈の立っていたところに立つことができた。その時の久美子に涙が浮かんでいることも、彼女が思わず走りだしてしまっていることも、一年前の麗奈の立ち位置にたどり着いたからこそだろう。

 このへんはねりまさんがテレビシリーズの感想記事で詳しく書いていることと重なるのでこれ以上はあまり触れない。(*2) その上で、久美子という視点をひとつ外すと劇場版ではもう一人麗奈に並び立とうとする存在がいることに気づかされる。それがトランペットの3年生、中世古香織だ。再オーディションを滝先生が提示したときに、手を挙げたのも唯一彼女だった。優子曰く、2年生の時の彼女はもっともトランペットがうまかったにも関わらず序列でコンクールでソロパートに入ることができず、結果として全然練習していない3年生が当時のソロパートに入ってしまった。だから香織は最後である3年生の夏こそ絶対にソロで吹きたいと思っているはずだ、と。優子が多くのことを代弁してしまうがゆえに香織自身はあまり多くのことを語らないが、あのとき音楽室で真っ先に手を挙げた彼女の思いの裏に様々な思いがあることは、優子の話を聞く限り想像に難くない。

 劇場版が描き出そうとした奇跡的な軌跡は二つ。一つはすでに触れた黄前久美子の場合であり、もうひとつは中世古香織の場合だ。久美子にとっての奇跡は他の同級生がいなさそうな北宇治高校を選んだのになぜか麗奈がいたこと。香織の場合の奇跡は、一度は落選したはずのオーディションで再チャンスが与えられたことだ。ともに一年前、久美子は中3の夏、香織が高2の夏に得られなかったものを得るための軌跡だということが、つまり二人には一年間という時間の積み重ねがあってようやく高坂麗奈にたどり着くことができるという過程が非常に面白い。軌跡のたどるアプローチは全然違うのに、高坂麗奈という天才的なルーキーを、もはや無視することはできないのだ。その実力と、奔放でしかしながら魅力的なキャラクターゆえに。

 久美子の場合とは違い、香織の場合は二度目の奇跡は起きない。いや、起こさせないことを自分で選択するのが香織の場合だ、とも言えるだろう。滝先生は練習用に貸しきったホールを使って、他の部員の前で麗奈と香織との再オーディションを実行する。閉ざされた教室という密室ではなく、他の部員という公然とした場面においてならばもはや異論はないだろうとの思いからだ。しかし実際に滝先生は大勢の「みんな」ではなく、他でもない香織自身に決断を迫る。この滝の考えが非常にうまいなと思ったのは、みんなではなく自分で決めさせることで、みんなの納得と同時に香織自身の納得を重視したからだ。仮にみんなが香織を選んだところで香織が香織自身を選ぶことができるかどうかと言えば、それは違う。香織自身も麗奈の演奏を聴いている一人の当事者である以上、その自分に嘘をつくことは相当に難しい。ましてや自分の能力に自信に満ちてやまない、麗奈のいる前では。

 テレビシリーズから追加的に作られたエピソードでは、オーディション落選組の中にも小さな奇跡が生まれていたことを舞台裏の視点で描いていた。(*3) 劇場版では構成の都合上、基本的に表側を描くことしかできない。だから夏紀も、1年生4人組では唯一選外となった葉月も存在感は薄い。けれども、コンクールに出られる、出られなかったは別にして全員が吹奏楽部の部員ではある。だから最後に起こった最大の奇跡を、制服の異なる(コンクール組は冬服だが落選組は夏服)彼ら彼女らは分け隔てなく喜びを分かち合っている。まぎれもなく「みんなの奇跡」になったのは、香織と麗奈のオーディションの結末を、香織の決断をみんなで分かち合ったからではないだろうか。この事実の大きさを、劇場版で改めて感じることができたし、そういう風に仕向けた戦略なのだろうと解釈することができる。

 基本的な軸は麗奈と久美子に置きながらも、みんなで起こした夏の奇跡にするために再オーディションのエピソードを盛大に配置する。テレビ画面、あるいは配信画面ではなく、劇場というこれもまたひとつのホールで再オーディションのトランペットソロパートを聴く時の緊張感はたまらないし、麗奈と香織を見守る観客もまた、他の部員たちの視点ときれいに重なっているのではないだろうか。たとえその結末をテレビシリーズで見て知っていたとしても、あれほど広い場所でたった一人で奏でられるトランペットに思わず聞き入られずにはいられない。

 結局のところ言いたいことはこうだ。劇場に見に行ってこそこの劇場版の価値が上がる、というか限りなく映画館仕様に再構成されている。サンライズフェスティバルも8話も再オーディションも、全部あの大画面で見ることができるのだ、という喜びをもう一度体験することができる。ポニテ先輩好きとしては劇場版の生み出した戦略や新しい解釈に不満がないわけではないが、中世古香織というキャラクターをすごく好きになることができたのは新鮮が驚きであり、喜びだった。麗奈とはまた違う強さを香織が持っていることにようやく気づくことができたし、もっと上手くなりたいという久美子の思いはきっと、みんなにもシンクロしているはずだと強く確信できる。

 最後に一つだけ。コンクールに向けた練習中に、「ずっとこのまま夏が続けばいいのに」とついこぼしてしまったときの田中あすかのちょっとしたもろさが、とても好きだ。彼女とてパーフェクトではない、だからこそとても。


◆注釈
*1 ねりま「彼女を知る、そして私も変わる――『劇場版 響け!ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜』」(2016年4月24日)
 『アイカツ!』の有栖川おとめ役や文化放送A&Gでやってる番組なんかを見ても黒沢ともよすげえ、とよく思うわけだけど、この映画の後半に向けてギアを変えていくあたりはなかなかに圧巻で、「クライマックスの「上手くなりたい」という魂の叫びはより強烈に胸を打つ」というのはほんとうにそのとおりだった。テレビシリーズで見て知っているはずなのに、と。

*2 ねりま「特別さ」と二つの涙 ――『響け!ユーフォニアム』感想」(2016年2月13日) 
 高坂麗奈や黄前久美子の「特別さ」の探究(あるいはそれによる十字架)と同じ京アニの『氷菓』を並べるあたりはねりまさんらしい面白い見方だなと思った。『氷菓』のことを考えると、青春というのは多数者の平凡と少数者の特別さによって形作られるなのかもしれない。『響け!ユーフォニアム』と絡めてみれば、吹奏楽という「チームプレ−」にはどちらも必要な存在だ。

*3 BD、DVDの最終巻にあたる7巻に収録されているエピソード。葉月の明るさと元気さはとても好きだったので、彼女のその持ち前のエネルギーが大活躍するのがとても楽しいエピソード。舞台には立てなかった彼女にとっても、夏は輝く。
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