Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

見:池袋HUMAXシネマズ

 少し前にヱヴァQを見てきたが、そのあとお会いした人にはき出すように話してしまったので文章にするタイミングを逃してしまった。とはいえまとまったことを書くつもりはなく、あくまで話しきれなかったことまで含めてはき出すように書いてみようと思う。
 当然ネタバレありですご容赦。というかネタバレなしに話すこと、ってこの映画ほとんど無理だよねうん。

 まず前座として同時上映された「巨神兵東京に現る」からの流れがものすごかった。なにがすごかったかというと、あっというまに木っ端みじんというか火の車というか、わけのわからない巨大すぎる力によってどうしようもなく破壊されていく光景を大スクリーンで目の当たりにさせられる。そのあと、テレビでも公開になったアスカの6分38秒の宇宙戦である。
 一見繋がりがめちゃくちゃのようにも見えるけど、スクリーンで見ると巨大なもの、から遠いところ(宇宙)へ回避したのかな、とも読めるし、事実アフターセカンドインパクトの世界であるヱヴァの地球は、世界の半分以上が破壊し尽くされてると言ってもいい。要は、ただ破壊し尽くすだけの10分の映画を上映したあと、まったく別の映画で何もかもが破壊されてしまった世界を描く。まったく別ではあるが監督が同じ庵野である以上、意図がないわけがないだろう。

 んで、そのあとはシンジくんが14年間眠っていた後覚醒という超展開である。何があったかはほとんど説明されていないが14年前は旧劇場版の最後の作品が上映された年、としていちおうかぶせてきたんだろうな。ただ、ほとんどのキャラがあまり歳をとった感じはしなくて(特にヱヴァパイロット。この人達は歳のとらない何かになってるんだろうと勝手に思っている。そもそもヱヴァは少年少女にしか乗れない設定だったはずだし)話は進むのだが、シンジくんにとっての空白の14年間の重みは映画が進むにつれて響いてくる、と見ながら感じた。
 というのはあまりにも誰も守ってくれないのだ。旧劇場版の26話でミサトがシンジにキスをするシーンがあるが、Qでのミサトさんは頑なにシンジを突き放す。ある意味では親心なのかもしれないし、かまっている暇などないという意思表示かもしれない。あのボタンを押せなかった意味を考えると、完全には割り切れない何かがあるのは事実で、14年の空白は誰にとってもわりきれない何かを残しているように見えた。

 まあそれよりもなによりも、Qはやっぱりアスカとカヲルなのだろうと思う。真木波さんも前回よりは出番が増えてまあやファンとしては嬉しかったが、あくまでマリはマリなのだ。このへんの意図についてはあとで書く。
 前述したようにミサトの態度が変わってしまっている一方、アスカはあくまでアスカとしてシンジと向き合う。あんたバカー、とは言わないまでもそれに近い態度で、つまりシンジを説教し、啓発する立場(姉御肌的なそれ)を顕示している。そのようにしてふるまうアスカを見たかったし、テレビシリーズのときから一番感情がストレートに出て、かつイヤミのないキャラとしてのアスカが、突き放されてしまった立場であるシンジには強く響くのだ。それでも、アスカの態度は届かない。

 届くのは、寄りそうカヲルのやさしさだ。
 やさしさ、と表現するくらいしか思いつかないが、とにかく静かで穏和。ピアノの連弾を練習するシーンで接近したりするのはBL的想像力をふくらませるべきなのかもしれないが、たぶんガチBLとしてはぜんぜん物足りないんだろうな、とも同時に思う。
 カヲルが寄りそうシンジとのシーンが圧倒的に他の登場人物のシーンより多いのはQでほぼ初登場して、Qでいなくなってしまうカヲルのその役割ゆえだろう。この役割がどのようにあとになって響いてくるかは次を見ないと分からない。

 お話としてはアスカ→ミサト→アスカ→カヲル→全員的な進み方をしていて、正直中身があるかどうかと言われると微妙だ。というか、少なくともこの映画単体だけを見てもまったく何を言って良いか分からないようなぽかーんとした感想しか出てこないだろうと思う。ずっとそうではあるが、過度に文脈的に展開していくやり方を変えてないあたりは、意固地だなと思ったりする。
 ただ、破にあった明るさ、正統なゼロ年代のロボットものボーイミーツガールのアニメ、というテイストは今回はほとんど見られない。せいぜい宇宙戦から艦隊での航空戦という序盤の数十分程度だろう。そのあとは暗い。旧劇場版ほどの絶望さ、みたいなものはまだ感じないが、それでも暗いし、静かである。ヱヴァってこんなに静かなアニメだったっけ、と見る目を変えてしまうほど、シンジとカヲルのやりとりが展開される。この部分が本編では一番分厚くて、まあほかにも冬月と将棋を指したりだとかの重要なシーンはあるものも、カヲルなしではまず展開が進まない。
 14年間のことがまったく分からないシンジが同じくまったくわからないまま画面を見ている視聴者とするならば、カヲルは解説者と言ったところだろう。ただ、親切な解説ではなくあくまで断片的な語りが続いていくのはご愛敬といったところ。

 まあいろいろ書いてきたが重要なのは、破を塗り替えようとしているという事実と、90年代もまたなんとか乗り越えようとしているのだろうな、というところだ。
 前者に関しては直前に書いたように、空気感も設定もほとんどぶちこわしているといっていい。それができるのは、そもそも整合的な結末など作るつもりがない(だろう)という開き直りがあるからで、その姿勢自体は90年代と大きく変わっていないのだろう。単にやり方が違うだけで。
 その上で90年代を乗り越えてテン年代になってしまった今できることはなんなのだろうか。そうした模索そのものが、ある意味ではカヲルの苦悩なのかもしれない。彼の中にはひとつの答えがあったが、現実に目の当たりにするものは彼の想像を超えるものだった。言ってしまえば想定外の自体を目の前にしても、わたしたちは決断しなければならないし、行動しなければならない。自らの血を捧げることによってでしか達成できなくても、だ。

 ミサトに突き放され、アスカと向き合い、カヲルに導かれていく。
 しかし、シンジにとって先導者であるはずのカヲルは逝った。アスカは再びシンジの下に降り立ち、現実に引き戻そうとする。真っ赤に染まった砂漠の上を歩きながら。
 一方的に首を絞められるだけだったEoEのラストシーンとはまるで違う新しい構図は14年間の空白によってもたらされた。あるいは、もたらされてしまった。いまはただ、この先に起こるであろうなにごとかに期待する、というのはあまりにも無邪気すぎるだろうか。
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