Days

日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。



 登山にはさほど興味があったわけではないのだが、ランニングを続ける上でトレランというジャンルがあることを知ったりだとか、職場の先輩がシーズンに入ると山を登りまくっていたりとかで、一応並み程度の興味を持ってこの映画を見た。いや、もう一つの理由としては、昔『イントゥ・ザ・ワイルド』という映画を見たのだが、この映画の原作者であるジョン・クラカウアーも本作に関わっていて、インタビュイーとして出演していることも、十分な動機ではあった。あと、本作は登山の映画ではなく「登山家の映画」という触れ込みがあるけど、どちらかというと「冬山ロッククライマーの映画」というのが適切な気がする、素人目には。

荒野へ (集英社文庫)
ジョン クラカワー
集英社
2007-03



 メル―。ヒマラヤ山脈にそびえるメル―中央峰において、シャークスフィンと名付けられた岸壁があった。その岸壁はもちろん雪と氷に覆われており、文字通りサメの背中のような鋭利さを持ってして人を寄せ付けようとしない。その、誰もたどりついたことのなかった高度6500メートルの地点に挑んだ3人のアメリカ人、コンラッド、レナン、そして本作の監督でもあり多くの撮影も担当とした中国系アメリカ人のジミー・チンの物語。3人はゼロ年代に一度トライするが嵐によって予定以上の日数を費やし残り100メートル少しで断念。そして下山後に3人の身に起きた数々の困難を経て数年後に再挑戦するくだりがクライマックス。

 まずコンラッドという男の絶対的な信頼感についてレナンやジミー、そしてコンラッドの妻であるジェニファー、そしてクラカウアーにとって語られる。ジェニファーも元は登山家であり、かつての夫だったアレックス・ロウもまた、コンラッドと登山を共にするパートナーだった(アレックスは登山中に雪崩に巻き込まれ、コンラッドの目の前で姿を消している)。クラカウアーは『空へ』というノンフィクションで全米から賞賛を浴びるが、かつて南極での登頂をコンラッドと共に経験しており、本作でも物書きとしての側面とコンラッドの元パートナーとしての視点から、メル―最高峰の登頂に向けた無謀さと偉大さについて語る。




 無謀さと偉大さ。この二つが、本作に関わるあらゆる人たちを動かしていると言っていい。コンラッドはいかに死なないで戻ってくるかということを語りつつ、実際の登頂を目指すプロセスにおいては、リスクを冒さないということもまた困難だ。となると、ゼロイチで考えるのではなく、どの程度のリスクなら許容できるのかというファジーな領域の判断になってくる。

 それはつまり、リスクマネージメント。天候や地形といった周囲の環境、パートナーに関するあらゆること(健康状態や経験値、メンタルなど)、そして最後は自分自身をつき動かすものについてdこまで許容できるか。クラカワーが語るように、コンラッドにはスタンプという師と、アレックスという親友がいた。この二人のおかげでコンラッドはめきめきと実力をつけていくが、二人はともに山で命を落とすことになる。その都度コンラッドは深く思い悩みながらも、再び山の世界に戻ってくる。山でしか生きられない人間の宿命と言うべきか、しかしだからこそそこに人生を見つけようとするコンラッドの欲望は誰も否定できないし、経緯しかない。(常に待つだけのジェニファーはたいへんだろうが)

 もう一人、アジア人としては中国人の両親を持つ中国系アメリカ人のジミー・チンの語りが強く印象に残った。ノースフェイス社に所属しながら世界各地で撮影の仕事をこなす彼は、その流れでメル―の登頂も試みる。ジミーにしか語れない目線としては、いかに山での撮影が難しい(そして面白い)かということと、カメラを持っていかなければならないジレンマだったりももちろんあるわけだが、コンラッドとの世代を超えたパートナーシップがとてもいい。これはつまり、かつてスタンプがコンラッドにしたようなことを、コンラッドはジミーに対して行っているのだろうと思う。映画のパンフレットには何度も友情という言葉が出てくるが、確かにこの二人の間には、それに近い絶大な信頼感があるのだろうと思えた。

 そのジミーも、レナンとの撮影の仕事の最中にレナンがスキーで滑落してからはふさぎ込む。死の淵から寸前で戻ってきて、再びメルーを目指すレナンもすごすぎるが(だからこそ回復し、生きようとも思えたのだろう)目の前でパートナーを危険に晒してしまったジミーの心境の複雑さにも思いを寄せたくなる。コンラッドもそうだが、それぞれに家族がいる。子どもがいる。ジミーの場合、離婚して行く当てのなかった実姉も、同じ家で暮らす大切な家族の一員だ。一方では世界最高クラスの岸壁を登頂したいという個人的な野望がありながら、自身の家族という大切なつながりを無下にはできない。

 もっとも、この天秤の間で悩み、もがき、苦しむからこそ、もっとも最適なリスクマネジメントができるのかもしれない。コンラッドのセリフだと思ったが、死んでしまっては意味がないのだ。家を出るときに家族と約束したように、必ず無事に下山し、必ず家に帰らなければならない。これが登山家として、果たさなければならない原則なのだと、二人の死を背負って山に登っているコンラッドの中に刻まれている。ジミーはコンラッドを絶大的に信頼することによって、そしてレナンは自身の大けがによって、必ず生きて帰ることと、登頂するための最低限必要なリスクテイクを、両立させようとする。

 技術だけではない。そしてもちろん、魂だけではない。あらゆるものが最高のバランスとクオリティを持ってして、ようやく達成できることがある。人生のあらゆるものがある、みたいなこともコンラッドは言っていたような気がするが、確かにそういうものがある。だから彼らは死の一歩手前までトライすることをやめないし、実際に実現させるのだろう。野望と人生の交わるところにある夢を。
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