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日常と読書日記。 受験生日記は閉幕です。

 

 密着型のドキュメンタリーというのは多くの場合、カメラに映る人の数が限られている。しかし、限られているからこそ生々しさを写しとることができるし、それをリアルだと思わせることもそう難しいことではない。
 ただ同様に難点もあって、リアルかどうか、つまり演出はどの程度入っているのかというのは多くの場合隠蔽されるので分かりづらい。カメラアングルだとか、不自然なコミュニケーションだとか、そういうところで推し量ることでしか難しい。もちろん映画制作に携わった人たちが明言していると別だが、ドキュメンタリーという体裁をとりながら演出ですというのは自己矛盾だし、そういえば少し前も3.11関連のドキュメンタリーを装いながら出演者の意に沿わない演出がとられたことで問題視された一件もあった。

 さて、この映画の場合、おそらく重要なのは画面そのものよりもメッセージなのだろうと思う。メッセージありきで映画(画面)が作られるのはドキュメンタリーとしていい方法なのかどうかは分からない。しかし、「分かりやすい」ドキュメンタリーとしてはなかなか成功していると言ってもいいかもしれない
 いくつもの主だったメッセージはあるが、一つはまず「世界の果て」と題されるような場所に生きている子どもたちも教育を受ける権利を享受しているということだ。個人的に面白いと思ったのはそんな彼らの勉強に対するモチベーションよりも、彼らを支える家族の立場だ。登場する子ども達はケニア、モロッコ、インド、アルゼンチンと4組にわたるが、彼らの家族はいずれも子どもたちが数時間かけて通学しながら教育を受けることに対して好意的であり、かつ教育の成果を信じている。これははたして容易なことだろうか。

 たとえばケニアのジャクソンは映画の冒頭では家族の仕事を手伝っている。周辺に人家の少ないサバンナの真ん中だと、子どものジャクソンも貴重な労働力だ。たとえばモロッコのザヒラという少女の住む村では女子教育に対して寛容とは言いがたい。理由ははっきりと明かされていないが、ザヒラの祖母も学校教育は受けていない(モスクで教わることが全てだったよ、と言ったような会話はなされている)。
 このような事実は、単に学校から遠く離れているということが「教育を受ける権利」の尊さを表しているのではなく、そもそも学校教育という制度的枠組みに対しての寛容さや信頼がなければ、子どもたちが教育をうけることが実現しかねる。それも継続的に、だ。
 インドのサミュエルは足に障害を持っており、二人の弟たちに車いすを押されながら4キロ先の学校を目指す。インドの片田舎のせいかまだまだ交通インフラは十分とは言いがたく、車いすのタイヤにもかなりの負荷がかかる(実際に一度タイヤが外れて通学途中に直してもらうシーンがある。あの代金はちゃんと払ったんだろうか)。
 それでもサミュエルの場合、ザヒラみたいに片道22キロもあるわけではないし(途中でヒッチハイクを利用する周到さをザヒラが備えているとはいえ)協力的な弟やクラスメイトたちがいる。彼に対する短いインタビューでは以前クラスメイトだった頭のいい女の子は家が金持ちなのに途中で退学させられた、だから貧乏で足の悪い僕が学校に来られているのは恵まれている、というようなことが語られる。そして大人になったら自分のような子どもを助けたいから医者になる、と彼は語るのだ。

 さきほど挙げたメッセージは、ほとんどこのサミュエルのインタビューに内在されている。もちろんこれ以外にもインタビューは行っているはずだが、短い中にメッセージをつめこむことで(しかも映画の終盤に)いままで見せてきた映像の意味を同時に語らせることにも成功している。なるほどこれは分かりやすい映画だ、ということを。
 しかし、ぼうっと見ているだけでもこの映画はなかなかにスペクタクルだ。ケニアのジャクソンは妹と一緒に学校に通うが、その道すがらはサバンナをひたすらに突っ切る通学路だ。キリンはまだおとなしいほうで、象の群れに出会ってしまうとその体の大きさとパワーからは容易には逃げられない。実際危ないシーンが一つ挟まれているが、当たり前だが行きだけでもそれだけの危機があるのだから帰り道にも同様の危機がある。そしてまた次の日も、だ。
 アルゼンチンのカルロスも妹と一緒に通学するが、彼はなんと馬に乗って通学する。馬に乗り、後ろには妹を乗せ、ときには「前に乗りたい」と要望する妹に対し「ママには内緒な」と言って少しだけ前に乗せてあげる優しいお兄ちゃんを演じながら、遠く離れた学校を目指す。
 通学路という名のサバイバルであり、ジャーニーだということをいやでもこの映画を見ると気づかされるが、同時に彼らにとって当たり前の光景であり、苦労しているかもしれないが不幸だとは思っていなさそうだということ。遠くない未来にその困難さは改善されるかもしれないし、このままかもしれない。

 少なくとも彼らの教育を受ける権利が大きく侵害されることのないことを、祈りながら見ていた約80分だった。様々なトラブルも楽しそうに乗り越えるサミュエルたち三兄弟を見ていると、学校に行くって楽しかったな、という素朴な感情を思い出した。
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