FA移籍

posted in 01:36 2008年06月22日 by burningorgantak041120

巨人がこんな勝ち方していい気分だし、
ブログ移籍します。

新しいURLは
http://blogs.yahoo.co.jp/tak050421pulse
でございます。

個人のタイトルより、
チームに貢献できるように頑張りますので、
応援よろしくお願いします。

どうきょう

posted in 21:32 2008年06月21日 by burningorgantak041120

大道HR










1−0のビハインド、代打大道の9回裏2死走者無、カウント2−3、
ファウルで粘って出たホームラン。


どらえりゃぁぁ

日本語の音にない音で吼えた。

めっちゃ吼えたぜ。


声にならない言葉が出るときは、
言葉に出来ない気持ちもなみなみと湧き出してくる。
涙が出るときは、そういうときだ。
泣いてないけどじわっときた。


だからプロ野球(巨人戦)がいちばんおもしろいんよ!


大道選手は数少ない三重出身の現役プロ野球選手なんよ。


NHKは中継切らないから好きなんよ。


視聴率取りにくい番組を放送できるのが、
NHKの強みならもっと巨人戦を放送してほしいんよ。



お・お・み・ち !

お・お・み・ち !

お・お・み・ち !


がおー

そのき

posted in 01:12 2008年06月18日 by burningorgantak041120

 ぼくはいつも思う。
 「キレる」っていう言葉、
 オトナが考えている意味は違うんじゃないか。

 我慢とか辛抱とか感情を抑えるとか、
 そういうものがプツンとキレるんじゃない。
 自分と相手とのつながりがわずらわしくなって
 断ち切ってしまうことが、「キレる」なんじゃないか。


 体じゅうあちこちをチューブでつながれた重病人みたいなものだ。
 チューブをはずせばヤバいのはわかっているけど、
 うっとうしくてたまらない。
 細くてどうでもいいチューブなら、あっさり
 ―オトナが「なんで?」と驚くほどかんたんにはずせる。
 でも太いチューブは、暴れても暴れてもはずれない。
 逆に体にからみついてくる。

 キレたい。

 あとで結び直してもいいから、
 いまは、
 僕につながれたものぜんぶ切ってしまいたい。




秋葉原の事件、その後の模倣犯もどきのようなもの。
秋葉原の犯人の加藤智大くんは25歳、
愛知県警のHP上に「人を刺す」とメールを送信して逮捕された林享佑くん。
24歳。


僕、今24歳、今年25歳。

キレる世代?コワい世代?
(僕の2つ上は松坂世代だ)

年齢でくくってもいいような単純な出来事じゃないのはわかっていても、
同い年だったりすると少し感じ入るところがある。


冒頭の文章は、
重松清『エイジ』(新潮文庫P397)より。

加藤くんはキレた?

テレビ番組欄の番組紹介では
「松ちゃんキレる!」ていうように内容が紹介されたり、
CMに入る前のテロップでは
「CMの後、あの美人女優逆ギレ?!」
とか出されたり。
一体テレビ局は視聴者を、ひいては国民をどうしたいの?
とか思ってしまうこともある。
「ただわたしたちはおもしろい番組をつくりたいだけです」
なんて本当に思っているとしたら、
僕はこれ以上ないくらい深く幻滅しそう。


話が逸れた。


僕たちはたぶん誰でもその気をどこかに持っていて、
見えないナイフで誰かを傷つけずに刺しているかもしれない。
加藤くんの行動や気持ちは到底理解できない。林くんでさえも。
僕と加藤くんは違う、林くんとも違う。
でも僕も瞬間的にはその気になって、
見えないナイフで誰かを刺しているかもしれない。

瞬間のその気と実行に移してしまうその気、
見えないナイフと本物のナイフ、
その間にはどんな差があるのか。


正直なところ、
理屈じゃ当然でも感覚ではよくわからない。


たとえば、僕が加藤くんと同じような環境や教育で25年間を送ってきたのなら、
僕は秋葉原で悪魔になっただろうか。
たぶんなってない気がする。これは感覚だ。
じゃあ何が違うのか。


わからないけれど、
それでもしかし、
理屈でも感覚でも十分に察するのが、
殺された遺族の気持ちだ。
察したのは万分の一程度だと思うけれど、
それでも十分なくらい。


考えれば考えるほど、
加藤くんの気持ちもわからなければ、
僕と加藤くんの違いもわからない。

つれなくて…夏

posted in 19:53 2008年06月16日 by burningorgantak041120

中学生のときにやっていたことは野球とバス釣り。
これに集約される。
野球は部活だというのもあったけれど、
釣りは遊びだ。
無邪気で単純な情熱とは、
まさに釣りへの情熱だった。


よく釣竿を自転車のハンドルを握りながら握って、
上り坂の多い道を自転車で1時間弱走った。
釣れないのは当たり前だ。へっちゃら。

ルアーを投げたら、
野池に氷が張っていてその上を滑ったことがあった。
釣りになってないやろう。
ていうかそんな寒いときにブラックバスが釣れるか。

ルアーは1個1000円弱するものが多かったから、
中学生の小遣いで大枚はたいて買ったものだ。
池の上にせり出した木にひっかかってとれなくなったら、
池に入って泳いで取りにいったこともあった。
釣りになってない。

ボートに乗って釣ることに憧れて、
空気の入っていない車のタイヤ4本に板をのせて
池に浮かべたら沈んだ。当然だ。

それでもボートに憧れて、
プールで使っていたボートに乗って釣りをしてみたこともあった。
どっから空気が抜けていたか知らんけど、
やはり沈没した。



土曜の夜、麻雀をしていたら急に話しが出て、
日曜の朝、6時半から2人でバス釣りに行った。

中学生のときのような、
情熱や技術や体力に戻ることはないけれど、
気持ちの一部はあの頃に戻った気がした。

釣れなくても、
全然つれないことはない。

じょうちゃん、
また行こう。


あと、結婚おめでとう。

うちだたつる

posted in 21:13 2008年06月12日 by burningorgantak041120

まつもりくんが、俺、今うちだたつるに傾倒しとる、
とか言ってから心に繋ぎとめて、
ずっと興味をくすぶらせていたその人を読み始めた。

2週間くらい前、
桑名の三洋堂書店で内田樹著「先生はえらい」を見かけた。

んん…、どうしよう、買うか買わまいか、
楽しい読書するよりつまらない建築士の勉強を優先させろ!
いやしかし、この出会いを無駄にするな!


しかしここでは買うのを止まった。


1週間くらい前、
南濃の三洋堂書店で内田樹の本を無意識に探してしまっていた。

無い、無いなぁ、と思って探していてあったのが、
「寝ながら学べる構造主義」、
おお、これこそまつもりくんが話にしていたその本やないか!

しかしここでも優柔不断が颯爽と登場して僕を迷わせたが、
ここは購入を決断した。



読んでみると(まだ読んでいる途中だけど)、
なるほどやっぱりおもしろい。
ネットなんかでみんなの評判を見てみると
“内田節”なんて言葉も使われている。ふんふん。


また読み終わったら何か書こうかな。


おい、おまえ、それはわかったから勉強しろ。


カット!

posted in 01:13 2008年06月09日 by burningorgantak041120

コメディっていうのは映像だけに使われる言葉なのかな。
漫才もコメディなのかな。


三谷幸喜、
佐藤浩市、
妻夫木聡、
深津絵里、
西田敏行、
綾瀬はるかとかの
「ザ・マジック・アワー」をレイトショーで見た。
(内容には言及しないのでご安心)


講釈を垂れる前に、
この映画、とてもおもしろかった。
講釈垂れたがりの僕が、
講釈に先行して「おもしろい!」と思ったんだもの。
でも後にはどうしても言葉を探すのが僕の癖。





たとえばこの映画のおもしろさをコピーペーストのように
活字にできるだろうか。
そりゃ無理だ。そりゃわかる。
でも文字ならば映像で出せないおもしろさを出せるはず。
いやそうなんだろうけど、
この映画を見ていて思ったのは
決して映像以外では表現し得ない完成度のおもしろさを
この映画が持っていること。
三谷幸喜、
佐藤浩市、
妻夫木聡、
深津絵里、
西田敏行、
綾瀬はるかとかの
「ザ・マジック・アワー」だということ。
三谷幸喜という監督が三谷幸喜として機能し、
佐藤浩市という主演が佐藤浩一として機能していたように感じる。
当然かもしれないけれど、
佐藤浩市が木村拓哉なら全然違う。
代替の利かない喜劇。
当然かもしれないけれど、それを強く感じた。


映画が始まる前の宣伝で、
容疑者Xの献身が宣伝されていた。
湯川学はドラマと同じ福山雅治。
これは代わりいると思うよね。

圧縮ファイル

posted in 22:27 2008年06月04日 by burningorgantak041120

「スタンドバイミー」を見たこともなければ、
物語も知らない僕にこう説明してくれた。

  4人の少年が行方不明になった人を探し求める冒険の物語。
  やっとの思いで発見したその人はすでに死んでいた。
  少年たちはそして冒険から帰っていく。

そうなのか、ふーん、とでもいった感想なんだけど、
要約されたこの粗筋は僕の脳に強く記憶された気がする。
たぶん一生、スタンドバイミーを見ようとすれば、
蘇ってくる記憶な気もする。




宮部みゆきの「クロスファイヤ」は5,6年くらい前に読んで、
とてもおもしろかったという印象を持って今もそれは残っているけど、
物語については全く思い出せない。
たぶん文庫を最初から30頁読んでも思い出せない気がする。
僕の脳に記憶されたのは「おもしろかった」ということだけ。
たぶん累計何時間もかけて読んだのに、全く覚えていない。


あ!思い出した!


たしか青木とかいう女の人が手から人を殺傷できる火を噴いて、
自分の思う悪を制裁する物語だった気がする。
しかし、こんな能力を持っているけども、
正義とは何だろう?ということを問うていた気がする。




1,2分で説明された粗筋は記憶して、
何時間もかけて読んだものの粗筋は取り出せない記憶になってしまう。
この違いは何かについて考えてみようと思ったけど、
思い出してしまった。
記憶が確かなのかはわからないけれど。

でもそんなことありますよね。
また体験したときに、考えてみよう。


パソコンに例えるなら、
もともと10MBの情報と、
圧縮されて10MBになった情報といったところかな。
圧縮されたものは異常をきたしやすいのかも。


88文字と1200文字

posted in 04:07 2008年06月02日 by burningorgantak041120

誰かの何かにすぐに反応して
それを文章で伝えようとするとき。


手紙を書くこと、
ケータイでメールをすること、
パソコンでメールをすること、
パソコン(文書ソフト)で文章をつくること。


たぶん同じ事を伝えようとしても、
どの手段を用いるかで文章の内容というかその温度のようなものは
異なっているように思う。


僕が思うその原因のひとつは、
一見できる文字数が違うこと。
僕のケータイでメールを打とうとすると、
同時に画面に表示できる文字数は88文字。
パソコンで文章をつくるときは、
wordを立ち上げたそのままで文字を打つと、
同時に画面に1200文字ほど表示できる。
ケータイのメールで長い文章をつくろうとすると、
そのうちに訳の分からない脈絡の文章になるのは
前の文章が一見できないから、
それとのつながりの意識が希薄になってしまうのかな。
さらにケータイで僕にとって長い文章といっても、
1000文字程度。短い。


もうひとつの原因は、
文字を書く(打つ)速さの違い、文字の書き方の違い。
パソコンのキーボードで200文字/分だとすると、
ケータイではだいぶ少ないように思う。
ケータイで母音が「お」の文字を打とうとすると、
5回もボタンを押さないといけない。
またケータイには、文章記憶機能(ていうの?)があって、
「ら」と打つと「ラーメン」て出てきたり、
「おも」まで打つと「思います」て出てきたり、
その辺の影響もありそう。


じゃあ、
作家の人たちが手で原稿用紙に文字を書くのと、
キーボードでディスプレイに文字を打つのとでも
けっこうな差があるんだろうかと考えると、
たぶんそれほどでもない気がする。
なぜならたぶん(あくまで想像だけど)、
頭の中ですでに文章がある程度練られているから。
夏目漱石が原稿用紙に「坊ちゃん」を書こうが、
ディスプレイに「坊ちゃん」を打とうが多少の差異はあっても、
作品の質に影響をきたすものではない気がする。


あくまで、他人の何かにすぐに反応して書く文章の話。
文字を書いたり打ったりするのが文章を考える行為の一部になっているとき。
頭で練ってからそれを紙なりディスプレイに投影する作業じゃなくて。
建築学生でいえば、完成模型をつくるのではなくスタディ模型をつくるとき。
(どれだけ頭で練っても、純粋に「作業」にはなり得ないにしても)







前々から思っていたことで、
言葉として浮かんできたのでちょっと文にしてみましたっていうところ。


gone the less

posted in 00:04 2008年05月28日 by burningorgantak041120

素人目に見てあまり打てそうもないスイングで
あれだけ打っていたのはそういうことだったのか。
いやいや違う。
そういうことではなくて、当然残念で遺憾。

ゴンザレス選手のドーピング規則違反による解雇。

自覚してか無自覚かは別にして、
ドーピングしたからって打てるとは限らない。
極端にいえば、
僕がめっちゃドーピングしてもプロ野球選手にすらなれない。

反則とは何か。

良すぎる道具を使うのは反則か。
― 水泳ではスピード社の水着が最近の話 ―
ドーピングにはならない薬物を服用して
筋肉モリモリになるのは反則か。
生まれつき身体が大きいのは反則か。
目が悪いからコンタクトをするのは反則か。
イチローの内野安打は反則か。

反則とは何か。
基本的にはルールを破るか破らないかに尽きる。


別にドーピングしたっていいでしょ、
しかもちょっとだし、
本人反省しているし。
でも問題はそこではなくて、
ルールを破ったという一点のみ。
ちょっととか反省とか関係ない。
それがルールってもんだろ!


そりゃわかる。
わかるけど、解雇にしなくても…。
そう思うのは人情なのか。
罰金と1ヶ月出場停止でどうなの。
ゴンザレスやその他の選手への
ドーピング規則違反に対しての厳重な注意喚起は本当に徹底されているのか。
そうでなければ選手を管理する側にも責任はあるのでは。
そうでなくて選手を解雇して処分完了とするなら責任転嫁では。
ゴンザレス選手、
職はどうするんだろうか。
アメリカでプレーできるんだろうか。

目の前にいる僕

posted in 23:39 2008年05月25日 by burningorgantak041120

人間嫌いが進行している気がする僕ですが、
それでも当然全ての人間に対してではない。
人間嫌いといっても、
人間というものが嫌いなのではなく、
人間とコミュニケーションするのが嫌いになっている。
なぜならコミュニケーションが何らかの理由によって、
成立している気がしないから。

無駄な会話、
通じていない意見、
無駄な愛想、
意味のない相槌。
これはもちろん、
相手だけでも僕だけでもない、
お互いのコミュニケーション技術の不足による。
そしてもちろん、
無駄や意味のないコミュニケーションは重要である。
いやしかし。


ヘーゲルによれば、
自己の精神は自身が外部に働きかけ、
その外部対象の中に発見される自分を知ることによって、
可能性が開拓されていくらしい。
裏をいえば、内省のみによっては精神は開拓されていかない。


僕が他人と会話して楽しいと思うとき、
それはその会話と同時またはその直後に自分自身とも会話している。
その自分自身こそが、
まさに外部対象の中に発見される未知の自分に他ならない。

しかし残念ながら、
そんな会話が成立するのは一部の人だけ。
嗚呼、この人には僕の言葉では通じない
(それだけの言葉を持っていない)、
伝達したいという気持ちも湧き起こってこない
(会話が成立しなくても物事は進行する)、
そんなふうに思うと、
すぐに僕は諦めてしまう。

それは駄目だろう。
はい、そうです。そんな気がします。
けれども、
たまに一部の人と楽しい会話ができてしまうから、
それで満足してしまう。
通じない人とコミュニケーションを図ろうとするより、
未知の自分を発見できる可能性の高い読書に時間を割きたい。
それは駄目だろう。
うん、そうかもしれない。でもねー。

坊主に涙

posted in 23:44 2008年05月20日 by burningorgantak041120

9対9、無死満塁で延長8回表開始、
13対9、無死満塁で延長8回裏開始、
13対13、無死満塁で延長9回表開始、
18対13、無死満塁で延長9回裏開始、
18対17、延長9回裏で試合終了。


先週の土曜日に草野球をしに行ったら、
僕たちが球場を借りた16時を過ぎて
前の時間に球場を使っている中学生の公式戦が延長していた。
正和中学対光風中学。

その試合に魅入ってしまった。

熱闘甲子園では、
理想気体のような高校球児をテレビが捏造していて
僕は好きではないけども、
自分の目にそう映るのはいい。

グランドでプレーする中学生たちが僕の目にとてもまぶしく映った。
チーム一丸となって球の行方を追って勝利に向かっている。
負けたチームの選手たちはわんわんと涙を流してる。
何かに負けて潤むことはあっても、号泣することは何年も無い。
号泣することはある意味ナイーブな感情かもしれないけれど、
それは単純で純粋な気持ちのいい感情なように思う。


今の僕にも、
そういう感情が作動する機構は持ち合わせているはずだけど、
作動する気がしない。
その機構は埃をかぶっているわけでも、
錆び付いているわけでも、壊れているわけでもない。
ただ条件が整っていないだけ、だと思う。
ただ確かに、10年前よりは作動しにくくはなった。

死別、くーまん

posted in 06:28 2008年05月17日 by burningorgantak041120

居酒屋で酒を飲んでいて、
さあもう帰ろうか、と脇に置いてあった背広のポケットからケータイを出した。
ケータイのディスプレイは真っ黒で、
その中に幾筋もの白い線が雷光のように走っている。
要するにケータイはお亡くなりになられた。
ケータイの中にいたくーまんも死んだ。

そんなわけで、
昨日機種変更をしてきたんですが、
こんな状況ではデータを新しい機種に移せないとのこと。

そんなわけで、
僕は今、誰の携帯番号も存じ得ぬ身分になってしまいました。

そんなわけで、
僕に連絡取りそうな方は僕のケータイにメールを送信してください。

よろしくお願いします。

チェンジ

posted in 08:29 2008年05月13日 by burningorgantak041120

「でも僕は、
 子供たちに必要な悪があるなんてことを
 教えたくありません!」


木村拓哉主演の新しいドラマ「CHANGE」がはじまったので見てみました。


18年前、
啓太(木村拓哉)の父であり政治家であった朝倉誠は、
金の授受で不正を報道されたが、
世間的にはうやむやで免れえた。
しかし、息子である啓太には
「政治には金が要るんだよ」
といってその事実を認めていた。


啓太は自身の選挙活動中に
その18年前の父の不正が掘り返されて報道された。
啓太の事務所の応援者たちは報道の真偽は別にして
完全否定するように啓太に言う。
しかし啓太は街頭演説でその忠告を破り不正を認めてしまう。
そこで立候補する前まで小学校の教師だった啓太が、
子供たちへの思いもあってした発言が、
僕は子供たちに必要な悪があることを教えたくありません、
というもの。



啓太は自身も必要悪というものの存在を認めることに対して、
逡巡し抵抗しているようですが、
僕は存在すると思っています。
必要悪が存在するのは制度と人間が悪いから。
では必要悪が存在しない制度や人間で構成される世界があるかといえば、
それはただの理想論だと思うからです。



必要悪は存在するということを認めたとすると、

これはまさに今の僕の考え事のひとつで、

分別する能力が無い子供に、

大胆かつ、ときには乱暴に単純化した内容を教えるのは、

適切なことだと思うんです。

しかしそれは極度に単純化している故に、

正確ではない。

(特に自分の)子供にはできる限り、

自分が正しいと思っていることを教えたい。

でも限定的だったり具体的な言葉を選べば、

話の内容は限定され正確なものに近づくけれど、

それが子供に伝達されるとは到底思えない。

単純化すれば伝わりやすいのかもしれないけれど、

それは誤謬に満ち満ちている。

どこかに妥当で適切な点を見つけないといけないわけだけども、

それが出来るのだろうかと不安になる。



結婚もしていない、子供もいない僕が
こんなことを考えるのはおかしいかもしれませんが、
最近の考え事のひとつ。

メテオ

posted in 23:08 2008年05月08日 by burningorgantak041120

カウアイ島はワイメア・キャニオン州立公園の
ミニチュア版グランドキャニオンは完全に視覚の認識範囲外の風景でした。
これだけ規模が認識から逸脱していると、
この時代の中においても神様を信じたくなります。


僕がメテオを唱えることができたなら、
このような地形も造れるのかな。


そうか、
神様がメテオを唱えたのか。


今から

posted in 14:34 2008年05月04日 by burningorgantak041120

生まれて初めて買った日焼け止めを握りしめて、

北緯18°55' - 29°
西経154°40' - 162°

あたりへ。


日付変更線を跨いで1日前に戻るっていうのは
不思議な気がする。
そんなのは僕たちのただの決め事であって、
何も不思議じゃないのに。




根性走りじゃ〜

posted in 21:54 2008年04月29日 by burningorgantak041120

小学校の高学年か、
中学生頃からか、
僕がずっと疑問に思っていること。

それは、
マラソン選手があんなに走れるのは、
根性なのか体力なのか、
精神か肉体かということ。


両方が掛け合わされて
密接に絡み合っているという
オトナの回答は置いといて、
どちらかといえば概してどっちか。


僕がマラソン選手なら、
絶対に根性ではなく体力で走っていると思う。
僕は根性無しと謙遜無しに断言できるからです。
周囲から見て、
あいつ根性出して頑張っとんなぁ、
ていうときもそれは単におもしろさを少しでも感じているからであって、
根性を出しているわけではない。
逆に根性の無い僕は、
おもしろさを感じようとする努力はしてきたように思う。
楽するために苦労するように。


そんなことで微塵もおもしろさを感じない
(といえば言い過ぎにしても)
建築士の勉強については、
やはり根性を出すしかない。
しかし出せない。
とすると、体力をつけるしかない。
結局毎日の積み重ねか。当然か。

μ

posted in 00:03 2008年04月27日 by burningorgantak041120

つまらなさと
やりたくなさでできた物体が斜面に乗っているとする。
重力加速度によって、
それは斜面を滑り落ちていこうとする。
しかし、
自制と損得勘定と真面目さによる摩擦力が働いて、
何とか滑り落ちずに抵抗している。


建築士の勉強よりも100倍おもしろい
建築その他の勉強がすぐ横に置いてあるのに、
まずは建築士をやらなきゃ。




今こうやって何か書いているのも現実逃避に他ならない。
こういう初歩的な感情にやられてしまう僕は、
まだまだ若輩者だなと染み入ります。

べんき0424

posted in 23:46 2008年04月24日 by burningorgantak041120

最初は辛いかもしれんけど、
何事もええ経験やでがんばれよ。


とか



今やっとることは、
おまえは仕事に関係ないと思うかもしれんけど、
どこかで関係してくるでしっかりな。






詭弁だと気づいたのはここ1年くらい。
何事もええ経験でどこかで関係してくるのであれば、
経験という言葉も関係という言葉も存在価値はないんじゃないか。



「事実というものは存在しない。あるのは解釈だけである」

ていうニーチェの言葉と関係があるのかはわからない。

142857*9=999999という経験

posted in 00:18 2008年04月23日 by burningorgantak041120

1級建築士の勉強をしていると
僕ぁ、暗記力の無い人間だなぁ、と思う。


じゃあ、暗記力と記憶力の違いは何だろうか。
「頭がいい」という言葉のイメージとは、
暗記力よりも記憶力の方が結びつく。

辞書なんかでひいてみると、
暗記は“書いたものを見ないでそらで言えるように覚えこむこと”
記憶は“経験した物事を心の中にとどめ、忘れずに覚えていること。また、覚えている事柄”とあった(goo辞書)。
違いは何かというと経験の有無ではないかと思う。


暗記と記憶の境界線を引くのは不可能であり、
まして混在もしているように思う。
しかしたとえば純粋に暗記した事は
恐らくこの世で最も役に立たない事の一つである気がする。




||-/.>"=---~

仮に上記の映像を覚えたとしてもクソの役にも立たない。
これを覚えるのはかなり純粋に暗記という行為に近いように思う。


143781

一方、仮に上記の記号(数字)を覚えることは、
||-/.>"=---~ を覚えるよりは暗記という行為の純度は下がるように思う。
それは意味があるからで、
(3の倍数である)とか、
(1*4+3=7,その7から8を引いた絶対値は1)だとか。

意味があるとなぜ暗記の純度が下がるかといえば、
意味は感情に影響するからで、
影響された感情を知覚するのはひとつの経験といえるから。



全く読んだことなくて上っ面でものを言うけれど、
カントは「全ての知識は経験に基づく」といったそうな。
それじゃあ僕が今している1級建築士の勉強のほとんどは、
経験に基づかない暗記作業なため知識にはならない。
じゃあ何なんだ。
そうするといつもの結論にたどりつく。
1級建築士の試験は建築に携わる資質や適正や理解や、
それこそ知識を問うよりも、
建築を仕事にする情熱がその受験者にどれだけあるのか、
ということを問うている。





ナイン

posted in 00:46 2008年04月21日 by burningorgantak041120

小学校のとき、
同じ町内の少年団と試合をして
確か47−0で勝ったことがある。
9割が四球とアウトにならない凡打の山によって得た点。
そのときの子供の僕がどんな気持ちで試合を
していたかわからないけれど、
大人の指導者たちはどう思っていたのかな。



昨日、草野球をしたら30-3で負けた。
9回のうち、僕は6〜8回を投げた。
30点のうち僕が失った点は何点かわからないけど、
ほとんどはアウトにならない凡打で失った点。
よく野球は9人でやるもんだっていうけれど、
今更ながら痛み入って知った。
僕の後ろで守ってくれる人がエラーするのは
仕方ない部分も大いにある。初心者の人多いし。
草野球だしそんなことに腹は立てない。
ふざけて守備しているわけでも全然ないし。
何よりも相手チームに申し訳ない思いが大きかったんです。



それでも今年初めてする野球(の試合)は楽しいと思えるのは
自分でもちょっとわからない。
後ろに7人が守っている中で
マウンドからボールを投げること。
僕が打った瞬間に守っている9人の視線が
打球に集中する中1塁へ向かって走ること。
走者3塁でキャッチャーをしていて
変化球を低めに要求し
絶対にパスボールはできねえと身構えること。
こういうのは当然1人じゃできないし、
数人で投げて打つだけの野球遊びをしているだけでもできない。
これが野球か。
9人でやるもんか。