今回は山本マリーンズが最も優勝に近づいた年、そして崩壊が始まった年でもある2001年です。
真価が問われる3年目。補強も前年より積極的でした。まず外国人選手は広島で馬車馬のように投げていたネイサン・ミンチー投手、そしてテストを受けに来ていたデリック・メイ外野手を獲得。長距離砲と先発ローテーションの柱の獲得に成功しました。さらに寺村とのトレードで山崎貴弘を獲得。これは余り意味のないトレードでした。さらに戦力外組では広島の小林敦司投手、西武の横田久則投手、近鉄から讀賣に行っていたベテラン光山英和捕手を獲得しています。横田は前半戦ローテに入りましたし、小林はちょこっとだけ1軍にいましたね。

さて、本拠地開幕2戦目にして6番本西、7番光山という意味不明なオーダーを組んだ山本マリーンズ。珍オーダーをものともせず春先から順調に勝ち星を重ね、4月後半までなんと首位をキープしました。この年のパリーグは大混戦で、マリーンズも4位に落ちたかと思えば2位に浮上するなど、Aクラスどころか優勝が狙えそうな勢いだったのです。事実6月終了までは首位と4ゲーム差をキープしていました。
好調の要因としてはボーリック、メイの両外人がホームランを量産したことでしょう。正直メイがこのシーズン30本も打つとは思いませんでした。神宮のオープン戦で見た時は明らかに無気力緩慢外人でしたからね。石井一久の押し出しでしか点が取れない寒い試合でした。しかしシーズンが始まってみれば緩慢な守備は相変わらずですけど、チャンスでよく打ってくれました。堀が絶不調で「1億円の代走」なんて言われてましたけど、前半戦はみんな総じて打っていたような記憶があります。
投げては黒木が絶好調、開幕から9連勝もします。コバマサもクローザーとして開花しパリーグ新記録の11連続セーブを上げるなど大活躍。ミンチーはもちろん加藤や小野らも順調に勝ち星を重ねていたのです。

しかし、7月に入った頃から歯車が狂いだします。7月9日のダイエー戦では延長10回に3点勝ち越された直後にボーリックが逆転サヨナラ満塁ホームランを打つという、いわゆる「ボーリックナイト」呼ばれる奇跡を起こしますが、オールスター前の前半最終戦となった7/17のマリンの近鉄戦ではこれまで磐石だったコバマサが最終回に大炎上。5点差の9回表に登場しなんと8失点し逆転負けしてしまいます。さらには7月末に黒木が右肩痛で長期離脱。順位も7月以降5位まで下がってしまいました。そして9月には8勝16敗とマリーンズらしからぬ大負け越し、シーズン終了を待たずして5位が決まりました。
こうして2001年は福浦が.346で初の首位打者、ミンチーが3.26で最優秀防御率、ボーリックがDHでベストナインに選ばれるなど明るいニュースもありましたが、前半戦の快進撃が夢だったかのように失速し、64勝74敗2分け、借金10の5位でシーズンを終えました。

なお、この年のドラフトでは喜多隆志外野手、今江敏晃内野手、田中充投手、辻俊哉捕手、富永旭内野手、丸山泰嗣内野手を指名しています。6大学野球史上最高打率を引っさげて入団した喜多には期待しましたよ。ええ・・・。また今江の当時のPL学園が暴力事件で甲子園を辞退しなければ絶対獲得できなかった選手です。以後今江と翌年入団の西岡は弱くて展望も覇気もないマリーンズ唯一の希望となりました。


■ セカンドサブロー

エカ伝説の迷采配がセカンドサブローです。2000年のオフに外野からセカンドにコンバートされました。
「内野の層を厚くするということ。これからはセカンド一本でやらせる」とぶち上げたものの、当のサブローは攻守に精彩を欠いたため、結局5月には元通りになってしまいました。当時の外野でサブロー以外に70試合以上出場したのは佐藤幸彦、大塚明、メイだけでした。外野の層は内野以上に極薄です。要するに愚策です。

■ 小坂と酒井の二遊間

セカンドサブロー構想が破綻し、堀が「1億円の代走」と野次られる中、正セカンドに収まったのが中日から来た酒井でした。派手さはないものの堅実かつ無駄のない守備でチームの危機を何度も救いましたね。小坂ゾーンとまで称された名手小坂とともに、鉄壁の二遊間でした。

■ 伝説のダメ外人クベンカ

あのミラーを越える外人投手がマリーンズにいました。その名はジェフ・クベンカ。シーズンが開幕してから左腕不足が露呈し慌てて獲得となりました。記念すべき初登板となった4月29日の西武戦では初回からいきなり四球二つとヒットで満塁とし、鈴木健のタイムリー、さらには押し出し2つで3失点。2アウトしか取れずにノックアウトされてしまいました。0回2/3で被安打2、四球4、失点3という凄まじい内容です。クベンカは5月2日のダイエー戦にも登板したものの、村松にスリーベースを打たれるなど散々なピッチングで負け投手となってしまいます。結局クベンカは5月4日に2軍落ちし、そのまま1軍に上がることなく解雇となりました。


■ ボーリックナイト

7月9日にマリンで行われたダイエー戦で起きた奇跡をボーリックナイトと呼んでいます。点の取り合いとなった試合は9回表の時点でマリーンズが6-5と1点リード。しかしコバマサが小久保に犠牲フライを打たれ同点に追いつかれてしまいます。9回裏の攻撃は無得点に終わり、10回表には吉田篤が連打を浴びピンチを招きます。ここでエカは藤田をマウンドに送りますが、なんと代打大道が勝ち越しスリーランホームラン。6-9。終わった・・・。誰もがそう思ったことでしょう。時刻は22時30分を過ぎました。お客さんが続々と球場を後にします。しかし、こんな試合でも最後まで残っていたファンには奇跡が待っていました。10回裏、マリーンズはダイエーの守護神ペドラザを攻め、小坂、サブロー、福浦の連打で無死満塁。打席にはボーリックが入りました。チャンスパターンで盛り上がるライトスタンド。ボーリックが甘いストレートを強振すると、打球はセンターバックスクリーンに消えていきました。10-9、延長戦で3点差をひっくり返すサヨナラ満塁ホームランは確か史上初。ものすごい試合でした。



■ 黒木長期離脱・・・

シーズン前半に神がかり的好投を見せた黒木の離脱。最初は2週間だけのはずが、なんと復帰まで3年もかかってしまいました。6/30のホークス戦の際に肩に激痛が走ったにもかかわらず、それからで1ヶ月も痛みを隠して投げ続けたおかげで致命傷になってしまったのです。なぜ、首脳陣が誰も気づかなかったのか。結局黒木はその後復帰をアピールするも山本監督は無視し続けます。バレンタイン政権下になってようやく復帰を果たしますが、もはやかつての輝きはありませんでした。黒木が酷使されていなければ・・・。山本監督が犯した最も大きな罪、それが黒木の故障です。

■ シコースキー入団

夏場にシコースキーが入団。報道では「シコルスキー」だったためバカな野郎どもが盛り上がりました。当時のコールリーダーが「シッコシッコシッコシッコシコースキー!」とやって顰蹙を買っていましたね。シコースキーは当初先発として起用されたものの、スタミナ切れが多いため中継ぎに転向、これが大成功でした。

■ 石井浩郎戦力外

怪我で満足に出場できなかった石井が戦力外。入団時はエカが「4番石井は固定!」とぶち上げたわりにたいした成績を残していません。しかし、石井の入団に発奮した福浦が大きく飛躍しましたし、讀賣在籍時から続いていた日本テレビ『THE・サンデー』の『拝啓、石井浩郎です。』というコーナーのおかげでマリーンズが全国ネットで毎週テレビに出た、と言うのも大きな宣伝になりました。なお、石井の応援は伊与田、そして今江に引き継がれています。

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