台風21号も強烈だったのに……

また、それを超える超弩級の台風がやってくるようだ。しかもそれは、あと数時間後に迫っているらしい。21号は9月4日にやってきた。大阪は第二室戸台風(昭和36年:1961年)以来の暴風に襲われた。57年も昔のことだ。幼年だった私にも、第二室戸台風の恐ろしさは鮮明に残っている。

大風に雨戸もガラス戸も内側に膨れ上げり、ガラスが割れて飛び散る寸前だった。母が布団で必死にそれを押させていた。その母の姿と声が今も脳裏に焼きついている。「あ〜、もうあかん」。私と姉は、別の布団を被って、泣いていた。

あの頃の家は、地元の大工さんに建ててもらった木造建築だった。窓枠も木製。一つの窓枠が上から三つの部分で仕切られていて、そこに1枚ずつガラスがはめられていた。1枚のガラスの大きさは、縦に25センチ・横85センチぐらいだっただだろうか? ガラスはすぐにパリンと割れるぐらいに薄かった。もちろん雨戸も木造で、日頃、日中は戸袋に収められていて、夜になると雨戸をその戸袋から横に引き出してきて閉める。台風の時には昼からでもそれを閉める。ガタピシガタピシと引き出しにくい木戸だった。台風の時には雨戸を閉めるだけではなく、外側から雨戸に長い板を釘で打ちつけた。この役割は父と兄たちが果たした。建築基準法などほとんど整備されていない時代だったのだろう。また、アルミサッシなどは発明もされていない頃だったと思う。

数年前に90歳で亡くなった母は、私たちを懸命に守ろうとしたのだと思う。
台風24号2018年9月30日(日)













そのクラスの台風が、今年は9月に二回来ることになる。今回の台風24号は、21号よりも強烈らしい。なんとか、こちらの地域からそれて欲しいものと思う。もちろんそうなると、他の地域に行ってしまうことになるので、そう考えるのは良くないことかもしれないけれど、正直言うと、そういう気持ちだということだ。

21号では、大阪を含む近畿地方全体が大きな被害を受けた。関西空港が浸水し、二つある滑走路の内、ひとつがつい先日まで使えなかった。空港会社とそこから依頼された工事会社の必死の復旧でやっと使えなかった滑走路も復旧したばかりだ。また関空と泉佐野市とつなぐ橋に中型タンカーがぶつかり橋がこわれた。JRも南海電鉄も一時は運航できなくなった。自動車が通る道路部分は、まだ直っていない。しかし、またやられてしまうのだろうか? 

大阪市内では御堂筋の大きな銀杏の木が何本も倒れ、そこらじゅうで自動車が転倒し、吹き転がされた。ビルの壁が飛ばされ、家々の屋根瓦が木の葉のように空中に舞った。屋根瓦だけではなく、屋根全体が飛ばされた家も少なくない。

21号で、57年の時を経て、また台風の恐ろしさを経験したばかりなのに、もう辟易とする。私の家は南側に建物が無い。自動車の販売会社の駐車場になっている。20台以上駐車できるスペースがある。そしてその向こうは、府道が通っている。だから、そこも空間だ。21号の時の風は、我が家の雨戸にドーンとぶつかってきた。何回も何回も来た。シャッターがめくれ上がるのではないかと危惧したぐらいだった。今の私の家は、軽量鉄骨で地震には強いと聞いている。しかし軽量というぐらいだから台風には「どうなのか?」と思う。

あと5時間で台風24号はここに来るだろう。ストライクというほどの予測のコースだ。家の外回りに風にとばされるものがないか、もう一度、見て回ることにしよう。