企業法務マンサバイバル

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Oh 準個人情報 君の名を呼べば僕は切ないよ

 
パーソナルデータの議論に、久しぶりに大きな動きがありました。

先日、安倍総理が新経連のサミットで「IT利用を推進する規制改革として、ビッグデータに含まれるパーソナルデータの利用が進むよう、個人情報保護法の改正を行う」と明言したとの報道もあり、そんな風向きは感じていましたが、早速その意向が十二分に汲まれた案が提示されたとのこと。ここまでの議論はなんだったんだと切なくなるほどのそのドラスティックさに、委員が混乱している様子が記事からも伺えます。


「準個人情報」など類型示す事務局案に異論相次ぐ、パーソナルデータ検討会

事務局案によると、保護されるパーソナルデータの範囲について、現行法の「個人情報」の定義を維持しながら、「特定個人を識別しないが、その取り扱いによって本人に権利利益侵害がもたらされる可能性が高いもの」を仮称「準個人情報」とする類型を示した。

「準個人情報」の例示としては、パスポート番号や免許証番号のほか、IPアドレス、携帯端末ID、顔認識データなど個人情報端末に与えられる番号で継続されて共用されるものや、遺伝子情報、指紋など生体・身体的情報、移動や購買履歴などを挙げている。個人情報に該当するか判断が困難なグレーゾーンの拡大に対応するため、これらの利用では現行法にある本人同意や通知などを求める義務を課すのは妥当ではないとしている。

しかし会合では「準個人情報」について、個人情報と明確に峻別できるのか疑問という指摘や、個人情報の定義に含めて同等の扱いを求める意見が相次いだ。


こちらのtogetterがその様子を知るのに大変参考になります。まとめられたtweetから拾い集めた事務局案を整理すると、概要以下のとおりです。

  • 現行個人情報保護法における「個人情報」「個人情報データベース等」「個人データ」「個人情報取扱事業者」の概念は変更しない
  • 新たに「準個人情報」「準個人情報データベース」「準個人データ」「準個人情報取扱事業者」を作り、さらに新概念として「個人特定性低減データ」「個人特定性低減データ取扱事業者」を追加
  • 準個人情報の定義:〔筏証番号、携帯端末ID等の個人または個人の情報通信端末等に付番され、継続して共用されるもの、顔認識データ、遺伝子情報、指紋など個人の生体的・身体的特性に関する情報で普遍性を有するもの、0榮依歴、購買履歴等の特徴的な行動の履歴
  • 受領者内において個人特定性低減データとその他の情報との突合、分析・評価すること、準個人情報とすることを禁止するものではない。
  • 容易照合性は第三者機関が判断基準をガイドライン等で示していく

他の主要国の法制には見られない発想を取り入れたという点は、外国法を安易にコピーしなかった事務局の努力としては、評価したいと思います。とはいえ、個人情報ではないけれど取扱い注意な情報としての「“準”個人情報」という概念は、日本語って便利だな〜と感心しつつ、はてこれをどうやって英語に訳すのかは早速気になっております。英語に訳そうとすると、日本語では曖昧にされていた意味がクリアになることってありますしね。そして、一言でその性質をうまく言い表せない・訳せないような難解な概念になってしまうと、委員のみなさんが懸念しているように、諸外国に理解をいただけず世界から日本だけがおいてけぼりになるばかりか、それをなんとか理解してもらうための多大な説明コストが、結局企業に転嫁されてしまうことにもなりかねません。

さて、まだ資料が公開されていないので確からしいことは申し上げられないのですが、これらを読んで伝わってくる事務局案の意図として、現行法を変えないことで社会への影響を最小限に抑えることを優先しつつ、最も“わかりやすい”事例であったSuica乗降履歴の販売事例をモデルケースとして、このようなケースをも合法と解釈するためにどのような建て付けにすればよいかを前提にした整理なのではと見受けました。それを頭ごなしにダメだというわけではなく、もしそうなのであれば、それをオープンに言ってもらったほうがよかったかもと。やっぱり具体的なイメージがないと論点が拡散してしまいそうなので、そういう議論の進め方もありかと思います。

事務局としては、技術検討WGを含めて委員内外から広く意見をもとめていくという姿勢のようですが、「準個人情報」の定義から否定しはじめるとほぼ事務局案の全否定となってしまう点、これだけ土俵が整えられてしまうと反対意見を唱える側は戦いにくいはずなので、法務パーソン的に言えば、反対意見を唱える側はBattle of Forms、つまり事務局案相当の骨子案を提出し直すべき場面でしょう。

さて、この事務局案の流れのままで勝負あった、となるのでしょうか。
 

【本】法務担当者のための民事訴訟対応マニュアル 第2版 ― 気になる「新種証拠」の実務

 
一般的には訴訟経験が決して多くない法務担当者のレベルにあわせて説明を噛み砕き、豊富な図表とともに民事訴訟を解説してくれることで人気の書の第2版。





初版が出た2005年以降、民事訴訟の進め方が大きく変わるような法改正はなかったはずなので、今回はパスしてもいいかな…と思ったのですが、いざ読んでみると、細かな法改正情報を反映するための改版にとどまらず随所に渡りブラッシュアップされていて、買ってよかったなと。

余談ですが、左ページに本文、その右ページに参考図表・チェックリスト・コラムという見開き2ページ構成となっているこの本は、自炊するととても読みにくく・探しにくくなる(私自身、初版を自炊して後悔していたところだった)ので、書籍のまま持っておくことをお勧めします。


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私が確認できたところで大きな変更は3点です。
第1に、初版では(法改正直後ということもあり)補講として巻末に申し訳程度に解説されていた「会社訴訟」のパートが本文に自然な形で織りこまれた点。
第2に、初版にはなかった「執行」のパートが新規追加された点。
第3に、初版では記載がやや薄かった「保全処分」が1章の「提訴前夜」のパートにしっかりと記載された点。

加えて、読み物としても楽しく参考になるトリビア的なコラムも大幅に増えました。洗い替えもあるのでカウントは難しいのですが、私が確認した限りで少なくとも40のコラムが新設されています。特に証人尋問まわりのコラムが大増量していたのは、そういうニーズが高かったのでしょうか。

私が楽しみにしていたのが、電子ファイルや電子メール等の書面以外の新種証拠の採用実務についての解説。初版では、

録音テープやビデオテープの証拠調べについては、法231条に規定されているものについては,書証の規定を準用することになった。これ以外の、たとえば、コンピュータ用記憶媒体(磁気テープ、光ディスク等)の証拠調べについては,準文書とは規定せずに、解釈と運用に委ねることになった。
通常,録音テープなどは,反訳文書を作成して書証として提出するが、反訳文書を書証として提出した者は,相手方の求めがあった場合には、録音テープ等の複製物を相手方に交付しなければならない(規則144条)。

といった程度の記載でした。これが第2版では

書面以外の証拠を提出するには、どのように提出すればよいのだろうか。ここでは、]寝札董璽廖↓▲咼妊テープ、メールを取り上げる。
(略)
メール
メールについては、まずこれをプリントアウトして証拠提出するのが通常である。特にメールの成立の真正に争いがなければ、これで足りることが多い。仮に相手方がメールの内容が捏造である等と主張した場合は、「検証」(法232条)の手続により、メールをディスプレイに映し出すといった方法がとられることもある。(P167)
仮に、相手方に無断で録音をした場合、当該録音には証拠能力が認められるのだろうか。
裁判例では、酒席における発言を無断で録音したという事案において、「証拠が著しく反社会的な手段を用い、人格権侵害を伴う方法によって採集されたものであるときは、その証拠能力を否定されてもやむを得ない」と述べた上で、秘密録音は話者の人格権を侵害するものとしながら、当該事案における録音の方法は著しく反社会的な手段であるとまではいえないとして証拠能力を肯定したものがある(東京高判昭和52年7月15日判タ362号241頁)。(P166)

と、多少ではありますが追記。この辺りは、もう少し実務で具体的に争われるようになるでしょうから(すでになりはじめている気もします)、改版にともなって記載も増えていくことを期待しています。
 

解雇規制再考 ― 企業と労働者双方によるミスマッチ責任分担論

 
2011年以降あまり話題にならなくなった(弊ブログで最後にとりあげたのも2010年夏ごろ)解雇規制が、現政権になってからにわかに騒がしくなってきました。そんな時宜を捉えたジュリスト4月号特集「厳しい?厳しくない?解雇規制」は、非常に良い特集となっています。

感想とあわせ、私もこのテーマについて、企業の視点から少しだけ意見を述べてみたいと思います。





「いつもの方々」じゃないのがイイ


岩村正彦先生の監修のもと、本特集に論稿を寄せてらっしゃるのは以下5氏。まず良かったのが、水町雄一郎先生、濱口桂一郎先生、大内伸哉先生、森戸英幸先生といったこの分野の「いつもの方々」を、あえて人選していない点です。労働法分野に興味がある方は、もうこれらの方々のお話は聞き尽くしている感もあり、そろそろこれまでとは異なる視点・切り口が欲しかったという面もあったんじゃないでしょうか。

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以下その5氏のご紹介と、それぞれの論稿から印象に残った記述をメモ的に抜粋させていただきます。

■ 緒方桂子 広島大学教授 法学者
  • 解雇法制を法的に正当化する議論としては、憲法27条1項を根拠とする社会権説/憲法13条を根拠とする人格的利益保護説/関係的契約理論を取り入れた継続性原理説/労働者と使用者との間の適切な権利・義務関係が確保されるための前提条件であるとする権利保障基盤説の4つがある
  • 解雇規制へのこだわりは、観念的なものではなく、労働者の生活を壊し、職場を荒廃させ、社会を不穏にしないための実践的・防衛的手段でもある

■ 小嶌典明 大阪大学教授 法学者
  • 働かないのは、雇用契約上の債務である、労働義務の不履行に当たる。雇用契約は他の契約と違うといっても、それは程度問題にすぎない。指導票を書き、警告書を渡す。一定期間を間にはさんで、それを何度か繰り返しても、状況になお改善がみられなければ、雇用契約を解除する。民法541条の趣旨に照らしても、こうした契約解除=解雇を否定すべき理由はない
  • 試用期間が有名無実化し、降格・降級規定があっても、それが死文化しているようでは解雇など到底認められない。本採用と昇給は能力のあることの証。そう裁判官が考えたとしても、当然である。ならば、その逆を行けばよい

■ 川口大司 一橋大学教授 経済学者
  • 多くの国際比較に関する実証研究をレビューしたSkedinger(2010)、Boeri and Van Ours(2013)、OECD(2013)によると、厳しい解雇規制と失業率の関係は明確ではない。しかしながら、厳しい解雇規制は解雇と採用を減らし、雇われている状態と失業状態の行き来を減少させることが実証されている
  • イタリアのある銀行の勤怠データを分析した結果によると、12週間の試用期間が過ぎて雇用保障が適用されたあと、欠勤が倍増することが示されている(Ichino and Riphan 2001)

■ 峰 隆之 弁護士(使用者側)
  • 平成24年の労働関係訴訟は3358件、そのうち1026件が解雇等に関する訴えで、判決が言い渡された343件のうち、解雇無効は166件、請求棄却あるいは却下する判決が177件。使用者側が善戦しているように見えるが、482件で和解が成立しており、使用者側が勝ち切ったケースは4分の1未満
  • セガ・エンタープライゼス事件判示が象徴するように、能力不足、適性の欠如を示す不祥事、不始末、仕事の失敗といった具体的エピソードが豊富にあれば比較的楽に戦えるが、クオリティの低い仕事が行われても、それらの成果物は、上司等がチェックする過程で修正されていき、また顧客や他部門と接しない自己完結的な仕事への配置換えが行われるため、具体的な立証が難しくなる
  • 解雇に対する規制と採用プロセスにおける使用者の情報収集は裏腹の関係にあることが理解されるべき。解雇を厳しく制限するのであれば、使用者に採用段階における相応の情報収集権(プライバシーや病歴等に関する情報収集)が認められるべきである
  • 精神疾患を訴える労働者との間で解雇の効力を争う訴訟において、裁判所が独自に業務上外の認定を行い、業務による疾病と認められた場合、労基法19条に抵触するとして、解雇を無効とする裁判例が出てきている

■ 水口洋介 弁護士(労働者側)
  • 整理解雇事件の中には、必ずしも客観的な経営危機がないにもかかわらず、使用者側が「整理解雇」を主張する場合が多くあり、客観的な経営危機を使用者側が立証する場合には、労働者側の敗訴の可能性は高くなる
  • 裁判所に提訴される事件は、個別労働分そののごく一部に過ぎず、労働局の民事上の個別労働紛争相談における解雇事件5万件のわずか0.7%程度。解雇権濫用法理という「法の支配」社会に浸透・確立していないのが実態

見ていただいたとおり、中立な立場の川口先生をのぞいて、学者・実務家がキレイに使用者側と労働者側の立場に分かれて意見を述べており、厳しい/厳しくない甲乙付けがたい絶妙なバランスになっているわけです。といっても、メモの多さからわかるように、企業法務の立場からはやはり峰弁護士の視点に鋭さと共感を感じました。

企業の採用の自由 vs 労働者の職業選択の自由


憲法上保障された人権を根拠に労働者の保護を主張されると、企業としては何を言っても分が悪くなるなあ、というのが特集を読んでの率直な感想です。しかし、当該企業において能力不足・勤務不良と判断された労働者の雇用を継続する義務を一方的に企業に負わせるような解雇規制とするのは、やはり行き過ぎではないかと、私は思っています。

峰弁護士も問題視されているように、一般に社会や裁判所は、採用企業に対し、雇用の継続と教育/指導や配転(いわゆる「解雇回避努力」)による労働者の活用・再生を求めます。企業人事も苦労して採用しているわけですから、適性や可能性があり本当にたまたまその一部門で能力が発揮できなかっただけの労働者であれば、公権力によって強制されるまでもなく、人員が不足する他部門での活用・再生を試みるはずです。しかし、現実にそうして活用・再生に至るハッピーな事例をほとんど聞かないのは、現場からみても人事部門からみても、当該企業では活用・再生が著しく困難と判断せざるを得ない人材も現に存在するからです。無理をして雇用を継続しその部門全体をみすみす「荒廃」させたり、他部門に異動させて他の職場まで“荒廃”させるわけにはいかない。そういった判断から、(しかるべきプロセスを経て)やむなく解雇に踏み切っている事例も多いかと思います。

企業が社会の中で負うべき一定の責任はあります。そして、企業そのものが一つの社会でもあるのですが、その企業には、刑務所のように身体を拘束し生活習慣を強制できる執行力もなければ、また義務教育課程の公立校のような公益性を求めるべくもありません。解雇規制を一律に強化し、一人の権利を守ろうとし過ぎると、職場を構成する他の労働者の平穏・円滑・効率的な労働を阻害し、企業という社会をかえって“荒廃”させる新たなリスクも生みかねないという視点も、必要なのではないでしょうか。

このような話をすると、「企業には採用の自由があるのだから、採用した以上は責任をまっとうすべきだ」という声も聞かれます。これに対しては、「労働者にも職業選択の自由がある(退職の自由のみならず、採用決定当時に入社せずに別の企業・職業を選択する自由もあった)」ということも、忘れてはならないと思います。採用側と応募側、お互いに情報格差がある採用・就職活動において、ミスマッチは完全には排除できない、そして、そのミスマッチを発生させている原因と責任は、企業だけでなく労働者にもあるという前提に立ち、その相互責任をどうやってフェアに二者で分担すべきか、という視点をもう少し持ってもいいのではと考えます。
 
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