企業法務マンサバイバル

企業法務を中心とした法律に関する本・トピックのご紹介を通して、サバイバルな時代を生きるすべてのビジネスパーソンに貢献するブログ。

契約締結交渉におけるリーガルマウンティング大全

こんな本が発売されてしまっていいのか?よく企画が通ったな・・・、と驚かされるばかりの、『人生が整うマウンティング大全 MOUNTFULNESS』を、笑いで腹を抱えながら読了しました。


人生が整うマウンティング大全
マウンティングポリス
技術評論社
2024-02-14



タイトルからして大爆笑。

前半のリアルかつボリューミーなマウンティングトーク事例の数々に、まずみなさん圧倒されるはずです。

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この冗談のような調子が最後まで貫くのか?私は何を読まされているのか?という恐怖にも似た感情に襲われ我を忘れかけましたが、中盤から落ち着いた縦書き筆致に代わり、気づくと内容も極めて真っ当なビジネス書を読んでいる自分に気づきました。

「ユーザーに気持ちよく"マウンティング体験"をさせるビジネスをいかに生み出すかが、日本企業がGAFAMに打ち勝つために必要な、これからの企業の勝負所」

という深い学びが得られる、優れた書籍です。

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こうしたマウンティングは、取引先との契約締結のシーンでもよく見かけます。

以下、私が法務担当として身に覚えのある、契約交渉シーンでのリーガルマウンティングの具体例を、初級編・中級編・上級編にわけてご紹介したいと思います。


初級編 こっそり直しておきましたマウント


「第15条だけ、『甲』と『乙』が入れ子になっていたようにお見受けしましたので、私の方であえて修正履歴を残さずに直しておきました。これまで何通も契約締結させていただいてますが、御社の◯◯法務部長様にいつも厳しいチェックで赤字をたくさん入れて頂いて、弊社も助かっています。」


何十条にもわたる契約書を作成していると、ふと集中力を失って甲・乙を逆に書いてしまうことがあります。条項によっては契約相手方を極端に有利にしてしまう、クリティカルなミスともなりかねません。基本的には、相手方から指摘をしてもらったら素直に感謝すべきなのですが、「私(相手方)が甲・乙を直したWordの修正履歴を返したら、いつもたくさんの文言修正を入れてくる細かい性格のあなたの上司にバレて大変でしょ?あの〇〇部長も今回ばかりは見逃しちゃったんですかね?」という余計なお世話とイヤミをあえてコメントするというマウンティング。

嫌われますね。

中級編 そんな論点当然承知してますよマウント


「御社のクラウドサービスの利用を検討しております。いただいた契約書ひな形を拝見しましたが、第30条の免責条項が貴社に故意・重過失があっても免責される条件となっており、無効と思われますので軽過失の場合のみ免責する条件に修正を希望します。え?これは法人間の取引だから、消費者契約法は適用されず、故意・重過失免責も有効ですって?いや、それはもちろん承知しております。私が申しておりますのは、改正民法548条の2第2項に定める不当条項に該当するのでは、という論点なのですが。」


免責条項は、契約交渉においてもせめぎ合いが必ず発生する部分です。その書きっぷりについて、民法の定型約款規制や消費者契約法の特有論点を交えながらの、「そんなのこちらは分かってますし、おたくこそ分かってないのでは?」的な、典型的リーガル・マウンティングの応酬。

仕事とはいえ、面倒ですね。

上級編 御社は英文契約に不慣れなんですねマウント


「"Whearas Clause"に、本契約締結に至る交渉の過程を詳細に記載していただき、お手数をおかけしました。ところで、米国ロースクールに留学した経験がある小生には、どうしても気になってしまった点があります。英文契約のWhearas Clauseとは、契約を構成する約束に法的拘束力を与える根拠としての『約因』がないと無効になってしまう、という判例に影響されて存在しているパートなのは、貴殿もご存知かと思います。しかし、貴社は日本法を準拠法とすることを希望されていますし、記載いただいた内容も単なる契約交渉過程の事実の記述であって約因にも該当しません。見出しを"Backgrounds"と変更し、これらを残す案も考えましたが、やはり不要な記述であり、削除させていただきました。」


英文契約となると、契約交渉の初級者・中級者には知り得ない独特の慣習や言い回しがつきまといます。社内に実務経験豊富な先輩がいたり、米国資格を有する弁護士に気軽に相談できる環境があればこんな事故も起きないはずですが、すべての会社がそうとは限りません。慌てて購入した英文契約のひな形集と首っぴきになりながら見よう見まねで頑張って英作文した長文を、海外留学マウントを交えながらバッサリとカットされたときの虚無感。

法務って、何年やったら修行期間が終わるんですかね。


コメント欄で、本ブログの読者の皆さんの「リーガルマウンティング・エクスペリエンス」もぜひ共有してください。

『利用規約の作り方』改訂第3版は何をアップグレードしたのか

初版から11年、第2版にあたる改訂新版から5年。「そろそろ情報古くない?」と後ろ指を刺される頻度も年々増していく中、雨宮美季先生・片岡玄一さんと私3人の共著『良いウェブサービスを支える「利用規約」の作り方 【改訂第3版】』を出版することができました。

改訂新版をリリースした際も「全面的にアップデート」と胸を張っていた記憶がありますが、今回の改訂はあのとき以上に「アップグレード」しています。

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対象読者に求められる法律知識が高度になった

アップグレードの理由の1つが、対象読者層のレベルの変化です。本書が想定する読者は、エンジニア・スタートアップ経営者なのですが、法律専門家ではないはずの彼ら・彼女らに求められる法律知識のレベルが、11年前・5年前とは比べものにならないほど高くなったことを感じています。

具体例を挙げてみましょう。前版までは、プライバシーポリシーを作るための知識としての個人情報保護法を解説するにあたり、「個人情報」が条文上どう定義されているかまで厳密には解説をしていませんでした。当時の対象読者層には、そこまでの知識は不要との考えからです。しかし、デジタル社会化が進んだ現代では、個人データが数珠繋ぎにデータベース間で連結され、それを事業者が悪用もしくは不意に目的外利用するリスクについて、ユーザー側の理解度や警戒心は年々高まり続けています。商売上様々なパーソナルデータを扱うウェブサービス事業者自身が、自ら規制や法令を深く理解する必要性から、もう逃げられなくなったのです。

その法的リスクの範囲や影響の大きさを正確に理解し、ウェブサービス事業者としてあるべきプライバシーポリシーを自分の力で考えられるようになるためには、法律家が使うテクニカルターム(専門用語)である「容易照合性」や「提供元基準」といった考え方も、責任ある当事者の新常識として理解していただかなければならないだろう。そんな思いで、第3版では詳細に踏み込んだ解説を増やしました。

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ウェブサービスの課金モデルが変わった

11年前、そして5年前と大きく変わった点がもう一つあります。それは、「無料のウェブサービス」がもはや古いものとなり、有料課金が当たり前になった点です。

かつてウェブサービスは「広告モデル」「フリーミアム」が前提にありました。お客様には基本無料でサービスを使ってもらい、法的責任だけ「一切責任を負わない」免責文言で最大限に免除しておきさえすれば、儲けや永続性は後で考えればいいだろうという牧歌的な時代だったと言えます。本書のひな形文書の各条文も、そうしたビジネスモデルを前提としていました。しかし競争は激化し、ユーザーの目は肥え、無料だからといって使ってもらえる時代は終わり、本当に価値があればお金を払うことも厭わなくなりました。皆様もご存知の、いわゆる有料サブスク・SaaSモデルの登場です。その代わりに、事業者が負うべき責任はユーザーから厳しく追求される時代になりました。

これに対応するため、有料サービスを継続していく上でのトラブル発生ポイントや、それを回避するための規約の作り方(とその限界)、特定商取引法に基づく表示の見直しなど、第2版ひな形との連続性は意識しながらもアップグレードを図っています。

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AIの影響を無視できなくなった

初版から望外の評価をいただき、書籍のオビにも「ロングセラー」と銘打っていただけるようになった要因の一つが、法律実務書のセオリーを無視したユニークな章立てにあると思います。

1章では、ウェブサービスに携わる誰もが知っていてほしい、最低限レベルの法律知識のラインと心構えを
2章では、起業家が弁護士にビジネス相談する会話内容をフックに、より実戦的であるあるな頻出法的リスクの各論解説を
3章では、具体的な規約ひな形をベースに、各条文の文言のウラに込められた真の狙いや法的背景を

本書は、これら各章が相互に・有機的にリンクするように工夫した構成となっています。それだけに、どこかの記述をイジれば、そこに紐づいた参照先も直さなければならなくなる大工事が発生してしまいます。

しかし、これからの時代のウェブサービスに対応した書籍とするために、起業家による弁護士へのビジネス相談シーンに「生成AI」の論点を盛り込むのは絶対必要。すると、2章の解説に追加・変更が発生するだけでなく、AIリスクを踏まえたひな形の書きぶりも、そのひな形にリンクする1章・3章の解説も書き換えとなるわけです。そんなわけで、気づけば5年間の法改正に対応するアップデートの域を超えて、ほぼ全面書き換えと言っても過言ではない作業量でのアップグレード版となりました。

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ひな形英訳バージョンの掲載を削ったにもかかわらず、このような著者らのこだわりが暴走し、全体では前版から50ページも増量という結果に。それにもかかわらず、出版社である技術評論社様には、初版から伴走し続けてくださっている傳さんに、新しく編集担当として藤本さんも加わり緻密な校正とリニューアルをお手伝いいただきまして、予定通り桜のシーズン到来に間に合わせることができました。

この『良いウェブサービスを支える「利用規約」の作り方【改訂第3版】』が、新しいビジネスの創造にチャレンジしようとされる皆様のお役に立てれば幸いです。 


良いウェブサービスを支える「利用規約」の作り方 【改訂第3版】
雨宮美季・片岡玄一・橋詰 卓司
技術評論社
2024-02-24




2024年2月19日追記:

発売までまだ数日ありますが、紀伊國屋新宿本店の5階で先行テスト販売されています。自分自身の目で現場を確認してまいりました。

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私は未確認の情報ですが、Xのポストによれば池袋ジュンク堂でも同様に先行販売があるようです。もしお急ぎの方がいらっしゃればぜひこちらでお求めください。 

本当のソーシャルネットワーク

2012年に人材業界から離れたきっかけの一つに、当時FacebookやLinkedInといったSNSが隆盛を極めようとしていたことが挙げられます。





恋愛・性・職・食・金・健康といった人間の本能をくすぐる極めてパーソナルなコンテンツが、世界中の人々によって24時間365日止まることなく更新され続ける新しいメディア。そんなSNSのパワーは無視できないし、そこで起こるであろうビジネスと法律問題の解決に私も関わりたい、という好奇心を止めることはできませんでした。


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そんなふうに好奇心優先で過ごしてきた私が、2022年の大晦日以降twitter(現X)への投稿を停止したのは、刺激に溢れるSNSから意識的に距離を置き、自分自身に起こり始めている変化と静かに向き合う時間に振り向けるべきでは?という思いからでした。

案の定変化は起きました。プライベートでは、家人が新たな病と戦う中で何もできない無力感と心細さを感じながら、祈るばかりの毎日。仕事では、部署・上司・職務が数ヶ月おきに変わり、自分の個性をどう発揮すればいいかに悩みました。

そうしたピンチの時に、私にはない見識・スキル・人脈をもって助けてくれるのは、友人・知人・親類のネットワークでした。すべてが解決したわけではありませんが、おかげさまでようやく公私それぞれ次に向かうべき方向性が固まり、落ち着きを取り戻し始めています。

年末は、これまで出会った人の中でも特に感謝すべき方々のお名前をお一人お一人書き出しながら、改めてその支えと影響の大きさを噛み締めていた次第です。私も一人でも多くの人に「あの時に彼が関わってくれてありがたかった」と思ってもらえるような人間でありたいです。

2024年に起こる変化が、皆様にとって良いものとなりますように。 
 

時間をかけて他人のニーズに自分のウォントを練り込んでいく

 
目の前にいる他者からの期待(ニーズ)に応える仕事は、短期的な成果・やりがい・熱狂を得やすいものです。一方で、そればかりではすぐに燃え尽きてしまいます。

そこに自分自身の願望(ウォント)も練り込んでアレンジし、成果がすぐに出なくても、5年10年単位の長い時間をかけて取り組み続けることが重要なのではないか。最近は、そうしたニーズ軸×ウォント軸×時間軸で、自分が関わる仕事を捉えるようになりました。


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今年は、5年前に立ち上げたメディア「サインのリ・デザイン」がその役割を終え、看板を下ろしました。始めた当時は電子署名のニーズも少なく、リーガル領域にテクノロジーを持ち込むことにもアレルギー反応を示されていた時代。今やデジタル庁や政府臨調がこのテーマを掲げ、国主導で契約業務全体を変革する具体的工程が進められています。

私はいま、その次のテーマとして、押印や手書き署名が使われていない意思表示や合意の領域、例えば「ウェブ上で[規約に同意する]ボタンを押す」ことのリ・デザインに、私が以前所属した会社の皆さんと一緒に取り組んでいます。現時点ではウォント軸先行で手探り状態の事業ですが、おそらく2年後ぐらいにはニーズ軸にも確信を得て、「これだ」と言える方向性が見出せているのではないかと思います。


昨春から副業でお手伝いをしているDPF取引透明化法関連の仕事にも、2年経ち変化がありました。デジタルプラットフォーマー、特にアプリプラットフォームの市場独占をリバランスする動きが、日本だけでなく世界中で具体化しはじめています。遡ること10年前、前職(アプリ提供会社)在籍時からのウォントの一つが、ようやく現実のものとなりつつあります。

これに関連して、『新アプリ法務ハンドブック』プロジェクトを完遂することもできました。春にお話をいただいた当初は、前著リリース以降7年間に起こった法改正等の反映だけでなく、出版社の変更・書籍タイトルの権利処理などの調整ごとに時間がかかり、2023年春に出せれば御の字かと思っていました。共著者及び関係者の皆様のご理解とご協力のおかげで、結果的にベストなタイミングで出版ができました。


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健康については、引き続き不可逆的問題を抱えながらも、師の導きでいくつかの対処法と出会い、小康状態を維持することができました。家族に関しても、落ち着かない情勢のなかで仲良く健やかに過ごすことができており、何よりありがたいことです。

来年は、15年ぶりぐらいに、新しい楽器にチャレンジします。昨年から継続してマインドシェアの20%ぐらいを占めている、モノに関わる仕事へのトライも続けていきます。「住む場所を変える」(by大前研一)もそろそろ、特に発信をする場所を強制的に変えることで、これまで出会えていなかった方々からフィードバックをいただくサイクルができればと考えています。

ご迷惑をおかけしてしまうことも多々あるとは思いますが、「色々あったけど、長い目で振り返れば、あいつと関わって助かった/楽しかった/よかった」と思っていただけるよう、引き続き精進します。

2023年もよろしくお願いいたします。
 

TwitterアプリのBAN(配信停止措置)を巡るイーロン・マスクとAppleの「密談」に関する考察


Twitterを買収したイーロン・マスクが、AppleのCEOティム・クックに直談判し、「twitterアプリが配信停止になるのではと心配していたが誤解が解けた。ティムは、そんなつもりはさらさらなかったということだ。」とツイートしたことが話題になっています。



これについて、

「さすがはイーロン・マスク、行動力の人だ」
「Appleも話が分かる会社だ」

などと賞賛する向きもありますが、多くのアプリ事業者にとって、これを手放しで歓迎すべきではない行為と考えます。

そもそも、なぜtwitterがApp StoreからアプリBAN(配信停止措置)を受けそうになっていたのか?マスク氏の「Appleによる言論の自由に対する挑戦」と抗議をしていたわけですが、そこが問題の本質なのか?

マスク氏によるtwitter買収劇の当初の目的に遡って、この問題を分析しておく必要があります。

twitterにアプリBAN(配信停止措置)リスクが発生した背景


2022年4月にtwitter買収に名乗りを上げて以降、交渉過程で紆余曲折あり一時は買収資金不足による撤回のウワサも囁かれながら、結局マスク氏は10月28日付でtwitter買収を完了しました。

この買収劇が繰り広げられた半年間、マスク氏はtwitterがこの先生き残るための戦略として経営体制刷新と課金施策強化の必要性を表明し、CEO就任早々に取締役・従業員を大量解雇し、さらには「言論の自由」を守る必要性を訴えトランプをはじめとする閉鎖アカウントを復活させるなど、世間の耳目を集め続けてきました。

その騒ぎの裏で、Appleは「マスクCEO体制となった後のwitterに起こること」を予期し、準備していたのではないかと思われる行動をとっています。App Storeで配信するアプリ審査の基準「App Store Review ガイドライン」を、2022年10月24日付で、事前予告なく同日から改定したのです。

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今回のガイドライン改定では、NFTのアプリ内利用制限などの新たな審査基準がいくつか加えられましたが、その中の一つが、以下のアプリ内広告表示に関する課金ルールを加えた条文です。

3.1.3(g):広告管理App:広告主(商品、サービス、イベントを広告する個人や企業)が、各種のメディア媒体(テレビ、屋外広告、Webサイト、Appなど)にわたる広告キャンペーンを購入および管理することを唯一の目的とするAppでは、App内課金を使用する必要はありません。このようなAppはキャンペーン管理を目的としているため、広告そのものを表示することはありません。ただし、同一App内で表示するための広告(ソーシャルメディアAppへの投稿に使用される販促コンテンツなど)の購入を含め、App内で体験または消費されるコンテンツのデジタル購入には、App内課金を使用する必要があります

一読しただけでは何が言いたいのか分からない文章ですが、「広告(ソーシャルメディアAppへの投稿に使用される販促コンテンツなど)の購入」についても、Appleに対して支払う配信手数料(販売代金の30%)の対象となることが、新たに書き加えられました。

アプリ事業者がユーザーから収益を得る手段にはさまざまありますが、これまで、

・アプリをユーザーが入手(ダウンロード)する際のDL課金
・アプリ内で販売されるデジタルアイテムや拡張機能等を入手する際の追加コンテンツ課金
・動画やニュース等のアプリサービスの提供を継続的に受けるためのサブスクリプション課金

このような手法に限定されていたところ、上記文言の追加により、たとえばユーザーがSNSの中で広告などの手段により「目立たせる」ことを目的に行う課金についても、配信手数料の対象となりました。



イーロン・マスクがとった戦術


これに焦ったのがマスク氏です。

前述のとおり、マスク氏はtwitterを買収するにあたり、経営立て直しのためには企業広告一本槍からの脱却が必須と考えており、買収以前からtwitterユーザーへの課金強化を検討していました。中でも、一番手取り早い施策として、認証済みユーザーに与えるバッジ(マーク)等による販売強化を考えており、自身も何度かそのアイデアをツイートしていました。

ところが、Appleが10月24日にガイドラインを改定したことにより、文言上はこのユーザー課金施策が「広告(ソーシャルメディアAppへの投稿に使用される販促コンテンツなど)の購入」にあたり、Appleに手数料を支払わなければならない可能性が出てきたわけです。

マスク氏はこれに対し、以下のようなツイートでAppleに批判的な論者を煽る作戦に出ました。



「Appleが理由の説明もなしにアプリ配信停止をするぞと脅してきたが、これはtwitterが実現しようとしている言論の自由に対する挑戦だ」と。

実際、12月2日からスタートしようとしていた新しいアプリ課金施策をリスケしたところを見るに、Appleのアプリ審査チームにアプリを提出し、リジェクトを受けていたことは事実なのでしょう。そして、一般論としてAppleの審査チームがリジェクト理由について多くを語りたがらないのも事実です。

しかし、さすがにtwitterほどの大きな影響力を持つアプリを、何の理由の説明もなしに審査プロセスからリジェクトすることは考えにくく、今回の審査リジェクトは、用意周到に改定した10月24日ルールを理由にしたと考えるのが自然です。

ここでマスク氏は、Appleに配信手数料徴収を認めさせないための交渉カードとして「いかに世論を味方につけるか」という戦略に踏み切ることにし、「言論の自由への脅威」を訴える手法を選択したものと思われます。

Appleの打算


実際、このマスク氏の戦略は功を奏しました。

レッシグのような法学者がAppleを擁護する発言をする一方で、フロリダ州知事で次期大統領候補との評判もあるデサンティス議員をはじめとした政治側から、Appleを批判する声が上がり始めたからです。



日本においてもそうですが、米国ではデジタルプラットフォーマーの市場独占に対する政治の風当たりは強まる一方となっています。

そうした状況下で、私企業が言論の自由を脅かしているという論法で火をつけられると、SNSをそれほど利用していないようなアメリカ国民も交えて一気に「デジタルプラットフォーマー憎し」の世論に傾く可能性がある。Appleのクック氏は、この状況をいち早く収束させるべきと考えたのではないでしょうか。

冒頭紹介したマスク氏の「和解ツイート」は、Apple側がマスク氏に会談を持ちかけ、問題となった「広告(ソーシャルメディアAppへの投稿に使用される販促コンテンツなど)の購入」に対する手数料ルールの適用について、ある種の“手打ち”を行った可能性が高いものと考察します。

クローズドなアプリ審査プロセスが抱える課題


Appleのトップを交渉のテーブルに引き摺り出し、和解に持ち込んだマスク氏の戦略は、経営者としてさすがの一言です。しかしそれができたのは、大手アプリ事業者のバーゲニングパワーがあったからこそ。

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本当にクック氏自身が交渉相手だったのかは、マスク氏の動画に映る影しか手がかりがなく不明

中小アプリ事業者の場合、突然のルール改定によって収益が脅かされ、審査が通らなくなり、死んでいくケースがあります。そうしたルール改定や審査プロセスの透明性についてクレームをしても、トップのクック氏はもちろん、審査チームの責任者ですら、個別のアプリ事業者との対話の場に現れることはありません。

独占状態のストアにアプリをリリースするには、デジタルプラットフォーマーがいつ改定するかもわからない審査ガイドラインをクリアしなければなりません。その審査ガイドラインが制約なく自由に改定できてしまうこと自体も問題ですが、そこに書かれた文言の適用・不適用についての透明性について疑問を感じざるを得ないのが、今回のやりとりでした。

マスク氏個人の経営手腕はさておき、デジタルプラットフォームが課すルール適用に振り回されている中小デベロッパーの立場からは、こうした「デジタルプラットフォーマーと大手アプリ事業者にようる密談での解決」は、歓迎できないものであったというべきでしょう。


新アプリ法務ハンドブック
橋詰卓司
日本加除出版
2022-12-12

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