「世の中」を良くも悪くも動かすキーパーソン足りえる検事という職業と弁護士という職業について考えさせてくれる本。

そして、図らずも『商事法務』の見方を大きく変えざるを得なくなった本でもあります。理由は後述します。


私にとってのフムフムは大きく以下3点。
企業法務パーソンとしては、このような世の中の背景をきちんと理解した上で、企業に降りかかる様々なリスクに対処したいものです。

1)警察と検察の関係からくる検事という存在のあやうさ

企業法務では、刑事事件へ対処する頻度はそうそう無いと思います。
そのため、あまり検事という立場がどういう立場なのか、改めて考えてみる機会もないと思います。

特に、私が恥ずかしながらピンと来ていなかったのが、警察と検察の関係性です。
もちろん、刑事訴訟法は大学時代も、そして社会人になってから司法試験受験をした際にも学びましたが。感覚的に腹に落ちなかったところです。

この点につき、著者であり特捜エース検事であった田中氏は、警察と検察という関係、そしてその中の検事の存在のあやうさを、次のように短く表現しています。
検察の捜査の本質が、権力体制と企業社会を守護するためのものだ。つまりすべて国策操作である。
検察庁は最高検から地検にいたるまで、法務省所管の捜査機関であり、独立機関とはいえ、法務大臣の影響を受ける。
被疑者が嫌疑不十分で拘留されなかったり、起訴猶予で起訴されなかったりしたら、国家賠償も生じる、それを未然に防ぐ上でも、刑事は捜査状況を検事に報告し、意見を聞く。(中略)事実上、捜査の指揮をすることになる。いわば検事は、事件における操作の指揮官のような存在である。

2)メディアたる『商事法務』のあやうさ
事態を挽回するには、世論を見方につけなければならない。そこで二人で思いついたのが、川合昌幸論文だった。川合は法務省刑事局付けの後輩検事で、正義感が強い。そこで頼んだ。
「『商事法務』に、利益供与についての論文を載せてくれないか。」
企業法務パーソンであればかならずお世話になっているであろう雑誌『商事法務』。
純粋に法律論を戦わせているように見えているこの雑誌でさえ、こんなにも意図的に、検察内や裁判所に影響を与える世論を作るための工作に使われることがある、ということを再認識しました。

前職では放送ビジネスにも関わっていたため、新聞・テレビ等メディアの中立性には常に懐疑的な私でしたが、そんな目で商事法務をみたことはありませんでした。正直、ちょっと油断してた感じです。

3)日本における人権問題の根深さ

アメリカと違い、日本には差別はない、と思ったら大間違いです。
人材サービス業というものに携わると、自然と人権問題について考えさせられる場面が大変多くなります。

著者が大阪地検に長く勤めていたこともあり、この本では、地域特性からくる差別と、そこから生まれる同和・ヤクザ利権の構造についても、かなりリアルに描かれており、日本における人権問題の根深さを教えてくれます。

たとえば、こんな一節。
この当時、税務署の職員は、事実上同和関係の各所へ立ち入ることすらできなくなっていた。同和地区の住居の軒先には、牛の獣革を吊り下げている家がある。これが部落解放運動の活動家やその賛同者であることを示す符丁なのだという。
ヤクザは部落のヒーローだったという。そのヒーローを頼って、同じ部落出身の若者が組織に入り、命をかける。そして、若者は新たなヒーローになり、それに憧れる若者が出てくる。
ただし、人権問題とは本当にセンシティブなものであり、この本における著者の見方がすべてを正確に言い表しているわけでないことは、敢えて申し添えておきたいと思います。

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