モルタルを使わずに荒削りの石だけで作られ、支柱なしで立っているアーチは安定した構造になりうるが、それは還元不能な複雑さを持っている。どの一つの石を取り除いてもアーチは崩壊する。とすれば、それはそもそもどのようにして建造されたのか。
(中略)それらは足場を使って建造されたのであり、のちにその足場が取り外されて見えなくなっているだけなのである。ひとたび構造が完成してしまうと、何の支障もなく足場を取り除くことができ、その構造はそのまま立っていることができる。

こんな例えを持ち出しながら、宇宙や生物のように“説明ができないほど美しく設計されているもの”を「神のなせる業」として乱暴に片付け、人間をして分からないものを科学的に探る意志を放棄させる点において、宗教は人類の発展を阻害こそすれ一分の役に立たないものであるということを主張する著者、リチャード・ドーキンス。

オックスフォード大の一流の科学者であり、ダーウィン進化論の信奉者であるという意地にかけて、科学の視点から600ページにわたり宗教の害悪を説き、神は存在しないという論証を試みています。


こんなちょっと変わった本を読みながら、自戒の念を込めて思ったことを書きます。


法務パーソンが陥りがちな妄想

法務パーソンとしての自信と経験を身につけ、営業や企画部門に頼られながら、契約書をゼロから作りあげるとき、法務パーソンは、ビジネスと法を司る神の視点に立ったような妄想を覚えることがあります。

契約という言葉によって、そのビジネス・プロジェクトを誕生させ、自社を含めた契約当事者すべてにかかわるチャンスとリスクをコントロールし、終わりまでを定義するという意味においてです。

(もしかすると、これから法務パーソンを目指そうという方の中にも、そんな風に会社やビジネスのコントロールタワーになれるのではという妄想を抱いている方がいるかもしれません。)

しかし、それはとんでもない思い上がりだということに、ある日法務パーソンは気づくことになります。


「足場」を組んでいるのは法務ではない

冒頭のドーキンスの例えで言えば、「足場」の上で石を積み上げる石工に対し、石の積み方に間違いが無いようアドバイスする者に過ぎないことを。

最大の貢献者は、何もないところから重力に逆らって「足場」を組む者であることを。

そしてその「足場」を組む者とは、あくまで現場であり、顧客であるということを。

「契約を取り仕切る法務がビジネスをコントロールしているんだ」という妄想状態に入ることは自信の表れでもあり、成長の通過点ともいえますが、この妄想からいち早く抜け出せるかどうかが、法務パーソンとしての真の成長を大きく左右するポイントだと思います。

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