来るべきマルチメディア時代とは、いかなるものであろうか。それが著作権制度にどのような変革を迫るのであろうか。その検討が本書の最終的な目標である。

著作権法の権威・中山信弘先生が、発達・変容していくメディアとそれに対応できていない現行著作権法の限界について述べながら、将来の著作権法像を占う本。



著作権法が情報流通を阻害する

中山先生が言及する「現行著作権法の限界」の中でメインの論点となっているのが、権利保護が情報流通に対する阻害になるという矛盾について。
情報の利用促進という観点だけを考慮すれば、現行の著作権法は、情報の自由な流通の阻害要因になっているとも言える。現行の著作権法は、著作権者が、当該著作物の利用を許諾するか否かの自由を有しており、利用に際して著作権者に許諾料を支払う必要があるからである。

創作者にとっては、権利が保護されなければ創作のインセンティブは湧かない。

一方、ユーザーにとっては、許諾を得ないと侵害になるとなれば利用しにくい。

結局はうまくバランスを取っていくしかないわけですが、このバランスの取り方が、現行の著作権法では権利保護に傾きすぎているという指摘です。

現行著作権法では、ユーザー側に私的使用の複製を認めることでそのバランスを保とうとしているように思われますが、この点についても、中山先生は
今後マルチメディア時代となると、私的使用と非私的使用の境界は不明確となるので、私的使用と非私的使用をメルクマールとした制度設計は合理性を失うであろう
すなわちデジタル技術で情報の流通・複製が容易かつ頻繁に行われるようになると、もはや私的使用という“目的に着目した規制”は不可能であり、デジタル機器に課せられている補償金制度を含め、破綻するであろうことを指摘します。


創作者≒ユーザーな時代へ

マルチメディア時代においては、ある作品を最初から最後まで一人で作り上げるというよりは、多数の外部情報を取り込んで創作するという手法が盛んになり、一つの作品に膨大な数の創作者と原作者が存在するという自体が予想される。また、制作過程も従来とは異なり、かなりの創作的部分をコンピュータが担当すると共に、グループウェア等の発達により、創作者を特定しにくくなるという現象も生じつつある。

私tac自身が趣味でやっているDJに置き換えて、この問題を考えてみようかと思います。

クラブDJは、無数のレコード・CDの中から曲のパーツを切り取り、それをシームレスに繋いで新しい曲のように聞かせ、客の反応や要望を見聞きしながら、客をノらせる「場」を創作する存在です。

これを著作権的に言えば、
・曲をかける行為は、演奏権の許諾にもとづく演奏
・曲のいいところを切り取って繋いで新しい曲に創り変える
 行為と見れば、編集著作物の創作(場合によっては著作者
 人格権の侵害?)
・客をノらせる「場」を一連の曲の流れで創作するという総体
 で見れば、翻案権の許諾に基づく翻案と二次的著作物の創作
・客の要望や反応にあわせて曲を次々と変え、場を創っていく
 という意味では、DJと客による共同著作物の創作
まさに瞬間瞬間において、DJと客が著作物の利用(ときに侵害)と創作を激しく交錯させている場がクラブだったりします。場合によっては、その「場」の音をそのまま録音して、Live形式のmixCDにするケースもあり、さらに権利関係はややこしくなったり。

少なくとも、創作者でありユーザーであるDJ(DJの選曲に影響を与える客を含む)の行為は、引用や私的使用の複製などでは処理・説明できないのは事実。

このクラブという場ないしmixCDで行われている著作物の利用(ときに侵害)と創作を、誰のものと評価するのか。現行の著作権制度ではすっきりとした回答を出すことができません。


次世代の著作権法はユーザーの利用権も保証すべき

ミュージシャンとしてのDJもそうですし、ビジネスブロガーもそうですが、デジタル技術によって創作⇒公表が容易にできるようになった今、創作者でないユーザーなど存在しません。

さらに言えば、これだけ情報≒著作物に溢れた時代において、もはや著作物の利用(模倣や編集)のないところに創作は存在しないと言っても過言ではないと思います。

これからの著作権法は、創作者のコントロール権による創作者の利益保護ばかりに傾くのではなく、著作物を利用して新たな創作をするユーザーの利用権も保証し、一方で利用によって生まれる利益の分配を創作者に対し保証することで、バランスを適正化すべきではないか

はっきりとそうは書いてないのですが、中山先生はそのようにおっしゃっているように思いますし、DJ兼ビジネスブロガーの私tacもそう思います。

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