わたしは、労働問題に限らず広く社会問題を論ずる際に、その全体としての現実適合性を担保してくれるものは、国際比較の観点と歴史的パースペクティブであると考えています。
私にはその2つともが余りにもなさ過ぎると、痛感させられた本。

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)



労働問題は想定を超える大きな相手だった

著者の濱口桂一郎先生のブログ『EU労働法政策雑記帳』はいつも目を通し勉強させていただいていましたし、まがいなりにも人材ビジネス業界に身を置くものとして真剣に労働問題を考えてきたつもりだった私でしたが、この本を読んで大きな脱力感を覚えました。

私が組み合い相手にしていたつもりの労働問題というものが、これほどまでに大きな相手だったのかと。

名ばかり管理職・ワークシェアリング・ホワイトカラーエグゼンプションの問題の裏側にある労働時間法制の変遷も断片的にしか知らず、

非正規労働の問題が論じられる際に知っておくべき労働者供給事業の歴史と今、派遣法制の世界的な潮流も把握せず、

家族手当に代表される企業における賃金制度と社会保障制度との役割分担をろくに考えもせず、

自分という人間は、ここまでどれだけ無邪気に労働問題を部分的に捉えた発言・仕事をしてきてしまったのかと。その相手にするものの大きさを改めて認識したことによる脱力感で、私には珍しくこの土日は寝こみがちになってしまいました。


日本の雇用契約を“職務のある雇用契約”へ

その一方で、濱口先生が冒頭するどく切り出されている「日本型雇用システムの本質」という一節によって、私が直感的に目指してきた方向性が決して的外れなものでもなさそうだということも、確認できました。
雇用契約それ自体の中には具体的な職務は定められておらず、いわばそのつど職務が書き込まれるべき空白の石版であるという点が、日本型雇用システムの最も重要な本質なのです。こういう雇用契約の法的性格は、一種の地位設定契約あるいはメンバーシップ契約と考えることができます。日本型雇用システムにおける雇用とは、職務ではなくてメンバーシップなのです。
日本型雇用システムの特徴とされる長期雇用制度、年功賃金制度及び企業別組合は、全てこの職務のない雇用契約という本質からそのコロラリー(論理的帰結)として導き出されます。

私が目指す「企業とそこで働く人との気持ちの良い関係構築」、それはここに言われている“職務のない雇用契約”を、“職務のある雇用契約”に変えていくこと。
具体的には、“企業”と“人”という粗い単位でマッチングするこれまでのカンパニーマッチングではなく、“職務”と“人”、もっと細かい単位で言えば“企業がその仕事に求める生産能力”と“人がもつ能力と生産性”をマッチングするジョブマッチングをビジネスとして実現し、「就社」「転社」ではない真の意味での「就職」「転職」「結職」を選択できる環境を作ること。
そしてそれによって、会社に束縛されて精気を吸われ尽くされている日本のビジネスパーソンに元気を与えること。

濱口先生が日本型雇用システムを肯定されているのか否定されているのかは、この本では明らかではありません。しかし、すくなくとも私はえも言われぬ束縛を伴う日本型雇用システムに精気を吸われ、モチベーションを完全に失いどうしようもない骨抜き状態になった経験があります。

自らの経験にあまりに素直に反応した短絡的な発想かもしれないけれど、そして組み合った相手が思った以上に大きいことをこの本に教えられちょっとビビったりもするけれど、自分だけでなく日本で働く人が元気に働き続けるために日本の雇用契約を“職務のある雇用契約”に変えるべく、今の仕事を頑張ってみよう。そんな決意をあらためて抱かせてくれました。