2009年に完全に振り回されることになったtwitterに対して抱く現時点の自分の偽らざる気持ちを、記録のために書いておこうと思います。

ツイッター 140文字が世界を変える


そこに人がいるから、どこにいても誰かとつながることができるから、インターネットは面白いのだと思います。ツイッターは、そんな人と人とのつながりを、シンプルな形で“見える化”したサービスであり、それが多くの人に響いたのだと思います。

この本でも端的に述べられている通り、ホント、よくできた“見える化”サービスだと思います。

が、しばらくtwitterに浸った後に、このあまりにもシンプルな“見える化”が生む強迫観念によって、ある時からtwitterは一気にあなたにとっての重荷になる可能性があるということは、これからtwitterを本格的にはじめようという方にも是非伝えておきたいと思います。


twitterという社会から無視される恐怖

ブログになくてtwitterにはあるもの、それは
・フォロワー数
・被リスト数
・RT・QTの数
がその人のつながりの多さ=注目度・信頼度を強制的に見える化するという仕組み。言わずもがな、でありますけれど。

ブログであれば、訪問者数やブクマ数を表示しない設定にし、コメントやトラックバックも承認制にしてしまうことで、独りよがりや内弁慶状態も許される(というか放置される)ところですが、twitterではフォローしないことで独りよがりや内弁慶な人たちを輪に入れない、場合によってはブロック設定をして排除することすらできてしまう。

これがために、twitterという社会において自分の影響の輪を広げる(=フォロワーを増やす)ためには、ブログであれば許されたであろう身勝手な発言・振る舞いを封印し、自分が関わろうとするtwitter社会(=自分のTL)にいる人たちが求める(=RT・QTやフォロー返しをしてくれる)気の利いたつぶやきを追及しつづける必要があります。

そして、それができない人は、いつまでもフォローされず、またはフォローされてもリムーブされて、twitterという社会から「無視」されていくことに。

自分がtwitter社会から注目・信頼されている存在なのか、それとも無視されている存在なのかどうかが一目瞭然なこの状態の、どこが「ゆるい」のかと。


twitter社会に参加しないという選択肢はあるのか

別にフォロワー数etcを増やしていく義務なんかないんだし、もっと気楽にやれば?という声もあるかと思います。しかし自分がこだわるつもりがなくても、強制的かつこんなにもシンプルに“見える化”されてしまっている以上、一度始めたら、このtwitter社会から無視されたくないという強迫観念からは、逃げにくくなるのも事実。

「twitterには興味ない」を決め込んで参加しないのが、この恐怖から身を守る最後の手段なのかもなあ、でもそんなのってネット社会の引き込もりみたいでやだなあと思ってところ、twitterでこんな記事を教えてもらいました。

Twitter的サービスは人類を二極化させる(かも)(情報通信総合研究所ニューズレター)
当初Twitterは、「コメントをフォローする時に相手の承認が必要ない」点などを捉えて、「Mixiなどと比べてゆるいメディア」と称されたが、ユーザーのTwitterへの向き合い方は、けっして「ゆるく」ない。むしろ、コメントがどんどん流れて行ってしまうというリアルタイム性や、 iPhoneなどのスマートフォンで利用しているユーザーが多いという事情もあり、Twitterのヘビーユーザーの方が、「常時接続している」印象が強い。
こうなってくると、「一般の人はほとんど知らないが、Twitterユーザーはほとんど全員が知っている」という情報が増えてくる。
このような、Twitterユーザーとそれ以外の人達の情報格差は、今後さらに拡大していくだろう。
知らない人でも、Twitterを使いこなすニュータイプ同士は、相手が何をしようとしているのか、どういう精神状態にあるのか、ということを、言葉を交わすこともなく判ってしまう。他方、Twitterを使わないオールドタイプ達は、まったく蚊帳の外。そんな社会がもう目の前に迫っている。

参加しなければ置いていかれる。参加してみれば窮屈だ。とかくにtwitterの世は住みにくい・・・。by夏目漱石な気分に。

2010年は、twitterを使いこなすというよりは、うまく距離を保って付き合いながらも依存しない、ポストtwitterな生き方を見つけていきたいと思いはじめている私です。