伊藤忠商事が、フレックスタイム制を廃止したという記事を読んで。

伊藤忠がフレックスタイム制を原則廃止にした理由(週刊ダイヤモンド)
これまで伊藤忠は、コアタイムの午前10時から午後3時までの間に就業していれば、始業や就業の時間は自身や組織ごとに決定できていた。それをこの10月からは、一部を除き始業は午前9時に、終業は午後17時15分に変更した。
玄関で入館証をかざし、入退社の時刻を記録することで、勤務状態を管理。退社時間が予定より15分以上遅れた場合には、理由の申請を義務づけるという徹底ぶりだ。
さらに、子どもの学校行事などで休みが取得できるファミリーサポート休暇なども廃止。こうした労働条件の変更に対し、一部の社員からは、不満の声が上がっている。
こうした変更の理由について、伊藤忠の岡藤正広社長は、「史上最高益を達成した今こそ、浮かれることなく気持ちを引き締める必要がある」からだと、説明している。

日本においてフレックスタイム制は、「従業員にとって優しい、メリットのある制度」という受け止められ方をしている方がほとんどでしょう。それだけに、伊藤忠さんの「一部の社員」だけでなく、なんという就業規則の改悪に応じてるんだ?という疑問を感じる方も多いのかもしれません。しかし、冷静になって考えてみると、フレックスタイム制というものは一見自由な制度に見えるだけの"綺麗事”の塊みたいな制度であり、伊藤忠さんのこの判断はあるべき姿なのかもしれません。

所定総労働時間による拘束からは逃げられない


フレックスタイム制は採用している企業も多く、法律的な建付けについてはご存知の方も多いと思います。1日の労働時間帯を、必ず勤務すべき時間帯(コアタイム)と、その時間帯の中であればいつ出社または退社してもよい時間帯(フレキシブルタイム)とに分け、出社、退社の時刻を労働者の決定に委ねる、というものです。

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長野労働局ウェブサイトより


たしかに見た目上は、いかにも労働者が自由に働ける制度のようです。でも、実際採用している会社での運用実態はどうでしょうか。本当に上司へのお伺いも同僚への遠慮もなく、出退勤時間を労働者が勝手に決められるオフィスライフが実現できるのでしょうか?否、そんな会社はほとんどないように思います。実態は、有給を使うほどでもない個人的理由にもとづく遅刻や早退を、他の日の早出や残業をもって“埋め合わせ”をしているだけの、しかもそれは、「いない間の顧客対応で周りの社員が犠牲になる」だけでなく「“埋め合わせ”のための標準労働時間帯外の労働が必ず存在する」ことが前提になっているという、よく考えればきわめて日本的でブラックな労働契約です。

最近の諸外国との法制度比較においても、まさに、このことがズバリ指摘されています。

ワーク・ライフ・バランス比較法研究<最終報告書>(労働政策研究・研修機構)
一方、日本の労基法に定められた弾力的労働時間制度の場合、(略)フレックスタイム制については、始業終業時刻の自由があるというだけで、清算期間における所定総労働時間は働かねばならないため、必ずしも WLB に資するとはいえない面もあろう。(P522)


誠実勤務・職務専念義務というマジックワードには勝てない


厚生労働省の通達(昭和63年1月1日基発第1号)によれば、フレックスタイム制を採用した以上、会社は出勤/退勤の時刻を指定することはできないことになっています。しかし、会社から指揮命令を受ける労働者である以上、その出退勤の自由も権利とよべるほどのものではなく、非常にもろいものだという学説もあります。以下安西愈先生の『トップ・ミドルのための採用から退職までの法律知識』からの引用です。

会議や打合せといった業務内容自体から時刻が当然定まる日の勤務については、フレックスタイム制の労働者であっても誠実勤務義務や職務専念義務があるので、自己の生活を規律して右時刻に業務ができるように自主的に勤務する義務があり、フレックスタイム制のゆえに、このような会議時刻に遅れたり、官庁の調査への応対業務を拒否してもよいということにはならない。
フレックスタイム制の適用者であっても、業務上の緊要な必要がある場合には、予め通知して特定の日についてフレックスタイム制の適用を解除して通常の勤務を命ずる権限が使用者に留保されているものと解される。

実際、全社員出席必須の朝礼やグループ単位での朝会・夕会が毎日設定されたり、営業時間中の電話番の都合で出退勤が束縛されたり、顧客訪問◯件のノルマ等から、フレックスタイムなど有名無実なものになっている会社も少なくないでしょう。

反面、平成24年就労条件総合調査を見ても、採用する企業は従業員数300〜999人で15.8%・1,000人超で25.9%と、年々採用率が増えている“人気の制度”でもあります。ホワイトカラーエグゼンプションが導入されそうになったとき、欺瞞的制度であるという批判が労働者サイドから数多く上がりましたが、運用の伴わないフレックスタイム制を採用していかにも従業員の自由を認めているかのように標榜する企業も、かなり欺瞞的ですね。

顧客・上司・オフィスが存在する以上、出勤退勤時刻の自由はない


本当に従業員のためを思うなら、所定労働時間をきっちりと決めて、その時間は最大限効率的に働いてもらい、時間外労働はさせないことをまず目指すべき。冒頭の伊藤忠さんの記事をよく読むと「退社時間が予定より15分以上遅れた場合には、理由の申請を義務づけるという徹底ぶり」とあるように、岡藤社長もまさにこれを意識しているものと思われます。

それでも従業員に出勤退勤時刻選択の自由を与えたいなら、
  • 裁量労働制を適用できる職種には、裁量労働制を素直に適用する
  • それができない職種には通常の定型労働時間制のまま、遅刻して定時に退社しようが定時に出社して早退しようが任せ、賃金もカットしない
そういう運用にすれば済む話。労働基準法も労働基準監督署も、所定労働時間を下回ってしまった人に所定労働時間分の賃金を支払うことを違法とはいいません。フレックスタイム制のような「精算期間における総労働時間」「(建前だけの)出退勤時刻選択の自由」で労働者を拘束・束縛するより、むしろそのほうが健全な労働契約でしょう。

しかしこれまで述べてきたように、企業には顧客からの連絡を受け付け商品・サービスを提供する営業時間という概念があり、上司には部下に対する指揮命令権があり、社員が一同に会して一緒に問題解決を行うためのオフィスがある以上、「労働者に自由に出勤退勤時刻を選ばせる」という制度の思想自体が幻想なのかもしれません。記事にあるように、伊藤忠商事は好業績と特別ボーナスのどさくさに紛れて労働者から自由を奪った、という見方もあるのでしょうが、むしろ企業の営業時間に就業時間をフォーカスし、全員がその時間は集中して働く、残業は前提にしないという、本来あるべき姿に戻っただけのように私には思えてきました。