だいぶ前に、スマホ×ITビジネスという業界に入るにあたって、移動者を顧客とした企画が何かできないものかと、タイトル買いして読んでいた本。


移動者マーケティング移動者マーケティング [単行本]
著者:加藤 肇
出版:日経BPコンサルティング
(2012-09-06)


ちょうど今話題のSuica乗降履歴の話題と重なったこともありますので、ご紹介をさせていただきます。


ビッグデータは「個性の深堀り」ではなく「インサイトの輪切り」に使うもの


この本のキモはズバリここ。

ターゲットを絞り込む上で、最も一般的な方法に、年齢、性別、居住地といったデモグラフィックによる分割がある。しかし近年、そのような属性と実際の消費行動との乖離が大きく、手法としての限界が指摘されている。(略)これらのターゲットセグメンテーションに共通するのは、人をどのような視点で区分けするか、という「縦切り」の発想に基づいている点である。一方、移動者マーケティングは、移動のTPOによるセグメンテーション、つまり場面(シーン)で横切りすることに比重が置かれる。


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生活者の価値観が多様化し、各人がそれぞれバラバラなことを考えていても、特定の移動シーンにおけるニーズやインサイトは比較的共通していることが多い。若者も大人も、男性も女性も、その多くは朝の通勤・通学という移動シーンは「だるいなぁ」と思っており、帰宅時は多くが解放感に浸ってくつろぎたいと思っている。そこに取り立てて大きな違いはない。ちなみに、夕方の駅では炭酸飲料と缶ビールがよく売れる。未成年者は炭酸飲料、成人はビールの弾ける泡を楽しみながら「ぷは〜」とひと息ついているのだ。その根柢にあるインサイトには、属性を超えて相通じるものがあるのだろう。

ビッグデータで個人の個性がより精度高くわかり、その個性に応じた広告をピンポイントで出せるようになると喜んでいても、肝心の広告のクリエイティブが最大公約数的な作りになっていたりしないでしょうか?ビッグデータというと、保護法上の個人情報を取得せずとも個人の趣味嗜好がわかるという方向での発想にすぐになってしまいますが、セグメンテーションを細分化したマーケティングには自ずと限界があります。むしろ、効果的・効率的なマーケティングという視点では、人の個性をピンポイントに狙う縦切り=深堀りよりも、似たような境遇に居る人を場所によるインサイトで横切り=輪切りするほうが有効だろうなあと、読んでいて納得させられました。同時に、そのような個人性を追求しないビッグデータ活用であれば、プライバシーの問題もそうそう発生しないだろうとも思いますし。

そうなると、あらゆるユーザーの通勤・通学シーンのユーザー動向を一手に抑えている交通機関が最強ということになります。この本の内容もだんだんその方向に話がフォーカスして、あれなんか色がついているなこの本??と、よく見ると著者のお三方はJR東日本の広告小会社であるジェイアール東日本企画さん所属というオチでした(苦笑)。「移動者マーケティング」という言葉も同社が商標登録しているそうで・・・。

日本の大企業タッグがビッグデータビジネスに乗り出した


そんな中、そのJR東日本が日立と組んでSuica乗降履歴を販売し始めた、という話題が。

Suica利用履歴販売、JR東は「個人情報に当たらない」との見解(ビジネスメディア誠)
今回販売したのは、私鉄を含む首都圏約1800駅で、Suicaを利用して鉄道を乗り降りした履歴データ。JR東日本は、累積で約4300万件のSuicaを発行しているが、Suica定期券、My Suica(記名式)、Suicaカード(無記名)、モバイルSuicaすべての乗降履歴が対象だという。
「SuicaのIDにはひも付いていないから、個人が特定できるようにはなっていない。つまり、個人を特定できないので、(販売しているデータは)個人情報に当たらない」(広報部)
JR東日本では個人情報の取扱いに関する基本方針を定めており(参照リンク)、そこには下記のように記されている(略)。JR東日本としては、個人情報を第三者に販売する場合は事前に利用者や株主に許可を取らなくてはならないが、今回販売したデータは個人情報ではないので、あらかじめ許可を取る必要はなかった、という見解のようだ。

『利用規約の作り方』にも書いたとおり、プライバシーポリシーを作る上での考え方には
  1. "個人情報保護法上の個人情報(個人データ)”のみを対象とするもの
  2. 1のみならず、その外延にある"パーソナルデータ”も対象とするもの
と、大きく2つの流派にわかれているのが日本の現状です。では、JR東日本のプライバシーポリシー(個人情報の取扱いに関する基本方針/個人情報の取扱いの具体的な事項)の文言はどうなっているかというと、

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上記2のスタンスを取っている企業のプライバシーポリシーの多くは、保護法の定義とは違う「利用者情報」を保護する旨を述べたり、第三者提供の同意取得文言において「分析結果や統計的情報などを第三者に提供する可能性」について言及しています。しかし、同社のプライバシーポリシーには、そのような文言は見当たりません。同社広報部の回答主旨に加えてこの点からも、JR東日本および日立は上記1のスタンス、すなわち保護法上の"個人情報”以外はそもそもプライバシーポリシーの対象にしない、だからSuica利用者からの情報取得にあたっても日立への提供にあたっても、同意は必要ないという理屈に立っているようだ、というのがビジネスメディア誠の分析になっています。

Suica乗降履歴は“パーソナルデータ”か否か


このようなJR東日本と日立のスタンスの是非を考えるにあたっての論点は、総務省が「パーソナルデータ研究会報告書」で示していた論点とも重なります。この「報告書」で示されている方向性を踏まえて有識者やネット上の感度の高い方々の間から発信されている意見は、おおよそ以下4つの論点にまとめられるようです。

  1. 保護法にいう“個人情報”ではないとしても、継続的に収集した乗降履歴(≒購買履歴)は、「パーソナルデータ研究会報告書」における“パーソナルデータ”に該当するのではないか?
  2. “慎重な取り扱いを必要とするパーソナルデータ”に該当しないか?該当する場合は、情報のプライバシー度に応じ、明示的な個別同意またはプライバシーポリシーによる包括同意を取る必要があるとされているが、いずれかを取得していたか?
  3. 形式的にはいずれかの同意を取得していたとしても、そもそも公共交通機関で利用がほぼ必須となっているカードにおいて「同意しない」という選択の自由は事実上ないのでは?
  4. 第三者(日立)にどのような形式でデータを渡すのか?データを提供した後、第三者の情報処理の過程で特定される可能性はゼロとは言えないのではないか?

実際、twitterなどでの一般ユーザーの反応を見ていると、「Suica乗降履歴が他社に販売されることについて同意した覚えはない」「利用場面で個人を特定されてしまう/しようとしているのでは」といった不安の声は少なくないようです。

この点、同意取得のJR東日本の見解については上述したとおりですが、利用の態様については、まさに冒頭でご紹介した本で披露されている“横切り=輪切り”のマーケティング目的でこのデータを活用することが謳われており(下記日立のプレスリリース参照)、必ずしも個人を特定する方向でのマーケティングには用いないことが表明されています。

交通系ICカードのビッグデータ利活用による駅エリアマーケティング情報提供サービスを開始(日立製作所)
本サービスでは、主に駅エリアを中心にビジネスを展開する企業に向け、毎月定期的に、駅の利用状況の分析データをさまざまな分類でまとめた「駅利用状況分析リポート」を提供します。本レポートは、駅の利用者の性年代構成をはじめ、利用目的(訪問者/居住者など)や滞在時間、乗降時間帯などを、平日・休日別に見える化するほか、これらの情報と独自の評価指標を用いて特徴を抽出することにより、駅のタイプ(住居/商業/オフィスなど)を割り出すなど、多岐にわたるマーケティング情報を網羅します。
これらの情報により、本サービスを利用する企業は、駅エリアの集客力や集客層、潜在商圏の広さ、通勤圏、駅エリアを最寄り駅とする居住者の規模や構成などを把握し、出店計画や立地評価、広告・宣伝計画などへ活用していくことが想定されます。

個人的には、このような利活用であれば、なぜその分野を研究していたJR東日本企画に子会社での共同利用という構成でこの分析を担当させる(またはそこから業務委託先への個人情報提供という構成で日立に分析を委託する)というソフトな活用の仕方にしなかったのか、なぜあえて第三者提供的に日立に情報を販売するというハードな道を選ばなければならなかったのか、不思議ではあるのですが。


いずれにせよ、この夏の日本の2大企業による“ビッグ(データ)なチャレンジ”の過程で、パーソナルデータの取り扱いにおける論点は、急速に整理されていくことでしょう。CCCのTポイントカード問題に負けず劣らず、情報産業に関わる方であればフォロー必須の話題となりそうです。