企業法務マンサバイバル

企業法務を中心とした法律に関する本・トピックのご紹介を通して、サバイバルな時代を生きるすべてのビジネスパーソンに貢献するブログ。

フェアユース

明治大学知的財産法政策研究所(IPLPI)セミナー「平成24年著作権法改正の評価と課題」に参加しました

 
仕事がエンタメ系に変わらなければスルーしていたであろう本セミナー。立場が変われば途端に興味が湧く。人間とは現金なものです。

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プログラムは以下(明治大学知的財産法政策研究所ウェブサイトより転載)。

■問題提起 13:00〜13:15
中山 信弘 (明治大学研究・知財戦略機構特任教授)

■第一部 基調講演 13:15〜14:30 
「改正著作権法の解説」
永山裕二 (文化庁長官官房著作権課長)

「改正著作権法で見えてきたもの」
福井健策 (弁護士・日本大学芸術学部客員教授)

■第二部 パネルディスカッション 14:45〜17:00
「平成24年著作権法改正の評価と課題」

パネラー
上野達弘 (立教大学法学部国際ビジネス法学科教授)
奥邨弘司 (神奈川大学経営学部国際経営学科准教授)
永山裕二 (文化庁長官官房著作権課長)
福井健策 (弁護士・日本大学芸術学部客員教授)

司会 金子敏哉 (明治大学法学部専任講師)

と、登壇者もオールスターだったことに加え、twitterを見てたら法務クラスタの方も会場にちらほらどころか15名ぐらいはご来場のご様子。私は休日モードの妻同伴で来ていたもので、会場では見つからないように一切の気配を消しておりました(笑)。それにしても、明治大学のこのホールは画面も見やすく、空調も照明も座席も快適ないい場所です。

冒頭で中山先生が権利制限規定のあり方に対し苦言を呈し、福井先生が容赦なく改正法文言解釈にツッこみを入れ、上野・奥邨両先生は言葉は選びながらも審議会での議論が十分に反映されなかったことを惜しみ・・・と、立法担当者として「やるべきことはやった」と胸を張る永山氏に対し、一見大人しい雰囲気の中でその実フルボッコにしている会のようにも見えたのですが、それは小生の見方がねじ曲がっているのでしょうか。

さておき、改正法のニュースだけを見ていると、そもそも改正法自体がわかりにくいのか自分が勉強不足なのかが自信が持てなかったところ、このセミナーに出たことで、その両面について具体的な文言ごとにじっくりと確認できたのが収穫でした。改正法のフォローはこういうセミナーに出るのが一番効率的ですね。あと個人的には、中山先生のぶっちゃけ発言が印象的で、あれを生で聞けただけでも行った価値があったかなと。


togetterの方で私を含む参加者のみなさんのつぶやきをまとめて下さった方がいらっしゃいましたので、詳細をお知りになりたい方は、こちらをご参照ください。

2012/8/4 明大セミナー 「平成24年著作権法改正の評価と課題」
 

【本】REMIX ― 時代遅れの「ふぇあ・ゆーす」から「フェア・レギュレーション」な未来へ

このエントリで伝えたいこと

  • フェア・ユースという考え方ですらもはや時代遅れで、創作の自由の邪魔にしかならないというレッシグ教授の主張に賛同する。
  • 著作権法は、著作物に権利をまず発生させた後で利用を規制するという発想から、一部の著作物にしか利用制限を認めないという発想に転換していくだろうし、そうあるべきだ。

レッシグの出した結論「著作物の利用制限は無くしてしまえ」

決して内容は難しくないにもかかわらず、読み終わるまでに3通勤分も消費したのは、ドッグイアコンバージョンレート(感銘を受けたページの端を折ってブックマークしていく確率)が高すぎたのがその理由。

REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方


この本でレッシグ教授が述べている主張を私なりに解釈すると、
今の著作権法では、過去の著作物をリミックスして新しい創作をする自由がまったくない。リミックスという活動のほとんどが、過去の著作物には何の迷惑もかけないのに。
著作権法による利用制限は“無い状態”をデフォルトとして、一部の特別なものだけ利用制限を認める、そんな法律に変更すべきだ。
ということかと。

日本では、ようやく著作権法への「ふぇあ・ゆーす」規定の導入を目指して議論をはじめて、しかもそれすら頓挫している段階。そうこうしているうちに、ご本家アメリカのレッシグ教授はもうフェア・ユースでは足らないと公言しはじめているわけです。言うなれば、著作物に権利をまず発生させたその後で利用を規制するという“フェアユース(fair use)”な発想から、一部の著作物にしか利用制限を認めない“フェア・レギュレーション(fair regulation)”な発想に転換していくべきだ、と。

この本全編を通して、それ以外のことはほとんど言ってません。しかも、『CODE』で見せたアカデミックで先鋭的な論考を重ねて行くアプローチはほとんど見られず、自らの体験談を中心とした感情的・煽動的な文体。それはまるでITジャーナリストの本を読んでいるかのよう。

だから、レッシグ信奉者でありこの翻訳者である山形浩生さんも相当拍子抜けしたみたいで、
さて、この不肖の訳者は、これまでレッシグの端緒をすべて日本語に訳してきた。そしてこれまで、レッシグの展開する議論について、一切違和感を覚えたことはなかった。
しかし本書は・・・・・・本書の中心的な主張の一つは、ぼくにはピンとこない。
と、訳者でありながら内容に懐疑的な解説をつけているほど(笑)。

しかし私は、レッシグ教授の感情的・煽動的な今回のアプローチは意図的なものだと感じました。論理的なアプローチでは、リミックスの自由が生む創作のすばらしさは伝わらない、自由な創作のすばらしさが伝わらなければ法律を変えようという力は生まれないと考えて、敢えてこんなアプローチに振り切ったのでしょう。おかげ様ですっかり感化されて、昨今の著作権法改正問題、特にフェア・ユース問題に対して今イチ立ち位置を決めかねていた私の頭の中もクリアになりました。

最後に、レッシグ教授自らがこのテーマについて語ったプレゼンテーション映像を贈ります。これを見れば、この本で彼が伝えたいことは十分に伝わると思います。



そして、このプレゼンテーションが受け付けられなかったあなたは、「ふぇあ・ゆーす」な立ち位置な方なのかも知れません。
 

【本】著作権の世紀 変わる「情報の独占制度」―情報独占の欲望を法制度だけで解決しようという試みは、この果てしなく広い海に壁を建てるようなものだ

このエントリで伝えたいこと

  • もともと独占に向かない性質を持つ“情報”の独占を許す制度である著作権法は、もう少しやわらかさ=変動性能を備えた方がよい、という著者の主張に共感する。

情報独占制度としての著作権をニュースから理解する

先週ご紹介した著者福井健策先生の前著『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』の続編。

著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」


前著が主に作品の模倣・パロディという側面を中心に著作権法を語っていたのに対し、本書は著作権にまつわるニュース・トピックス、たとえば
・槇原敬之対松本零士事件
・海洋堂フィギュア事件
・ディジタル録画録音機器の補償金拡大問題
・森進一氏と川内康範氏の『おふくろさん』騒動
・保護期間20年延長(ミッキーマウス保護法)問題
こんな事件・話題の美味しいところだけをスナップショットのように切り取って、著作権法との関係性を分かりやすく解説してくれます。

そして、このような世間から注目される著作権事件のいずれもが、誰かがだれかの“情報”を独占しようとして生じている問題であること、そしてこのような“情報”独占への欲求は著作権に留まらず、商品の名前・物のデザイン・肖像・アイデアまでをも巻き込んで、大“情報”航海時代とでもいうべき時代になっていることを述べます。

P215ではこの今の混沌とした様子を一枚のポンチ絵で表現して下さっていて、私はこれが大変気にいってます。

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情報の海に壁は立てられない

後半では、このような大“情報”航海時代において、情報情報の独占をどこまで・そしてどのように認めていくべきかが今まさに議論されるべき時に来ていると述べる著者。

前著では、日本版フェアユースの導入是非がその議論の中心だったのに対し、本書では
・フェアユース以外のリフォーム論(作品登録制・報酬請求権化)
・DRM(補償金制度などの契約やコピーガード技術による制限)
・パブリックライセンス
といった様々な選択肢を挙げて、その良し悪しを検討しています。

著者としてどのような方策がいいという明言はされていないまでも、著者の思想の根底に流れるのは、「情報の海は、時代によって相互に影響しあい領海の大きさも変わるのであって、壁=明確な境界は立てられないし、少なくとも変動性能の低い法律のみで無理やり壁を建てるようなことはすべきではない」という主張と私は読み取りました。


著作権の基本的な部分が分かっていた上で読んだ方が、今起こっていることの何が問題なのかがつかみやすいかもしれません。twitter上で福井健策先生自ら『著作権とは何か』から読むことをお薦めしていた理由は、そんなところにあるのでしょう。

著作権の基本的な部分はわかっていて、今後どうなっていくのかを主に考えたい方には、本書後半がズバリ期待に応えてくれると思います。
 

【本】著作権とは何か 文化と創造のゆくえ― 餅は餅屋に、著作権は著作物そのものを解せる弁護士に


著作権から「文化」を語られてもまったく理解ができないけれど、
「文化」から著作権を語ってもらうと理解できるんだ、ということが良く分かりました。

著作権とは何か―文化と創造のゆくえ



法への当てはめの前に、まず作品(著作物)を理解すること

最近テレビにネットにと多数露出され、飛ぶ鳥を落とす勢いのノリに乗っている弁護士のお一人、福井健策先生。

その福井先生が新刊「著作権の世紀」を出されたと聞いたので、早速買って読もうと思ったら、先生自らtwitterでこちらの本から読むことをお薦めされていたので、素直に従ってみました。

この本の全編を通して感じたこと。それは、ともすると法律家が著作権事件を語るときには裁判所の判断をもとに「この作品はここが模倣と解釈され・・・」と法律からその著作物の特徴を語るケースがほとんどなのに対し、

福井先生は、まず作品(著作物)について先生なりにじっくりと解釈した上で、著作権法に丁寧に当てはめて考えようとされている点です。本来そうあるべきではあるものの、他の先生にはなかなか感じられない特徴なのではと思います。

著作権を専門に数多く扱ってきた弁護士でありながら、経験則で判断するような雑な考え方ではなく、作品(著作物)や作家(著作者)に対し深い造詣と愛情をもってまず理解に努めようとする姿勢を強く感じます。


文化を育む法ならば、文化を否定しないための規定が必要だ

さらに、正直新書ということで気楽な気分で読みはじめていた私が、この本の3章と4章には相当影響を受けてしまう結果に。これは日本版フェアユース規定導入反対派の方は、是非一読すべき本かと。

それも、
「ほーら、だからフェアユースがないと実生活で困るでしょ?」
と安易に“ユーザーとしての窮屈さ”に訴えたり、
「権利者に正当な名誉や報酬が確保されないと、創作のインセンティブが湧かないからだめなんだ」
といたずらに“著作者の権利を声高に叫ぶ”ようなありきたりな主張ではなく、“文化を育むために著作権の厳格な利用制限がいかにそれを妨げる結果につながるか”というアプローチでの問題提起。

その問題提起の中心的題材となっているのが、パロディの問題です。

強烈・辛辣なパロディを作られたせいで、オリジナル作品のイメージが劇的に低下することはあり得ることだ。その場合、結局、売上は壊滅的な打撃を受けるじゃないか。これは、よくある模倣品よりもよほど大きな迷惑になりかねない。
『プリティ・ウーマン』事件の連邦最高裁はこの点について「評価の低下」は著作権が問題にしている「市場での迷惑」とは違う、と述べました。
辛辣なパロディの結果、オリジナル作品の真価を人々がより理解するようになって人気が落ちるのはこれと同じことです。それは、正当な批評活動であって、社会にとってはむしろ有益でしょう。
批評行為を著作権を使って防止しようとするのは、言い換えれば批評活動を行うためにオリジナル作家の許可が必要だというのは、これはおかしい、ということです。

パロディは文化、しかし日本ではその文化であるパロディが文化を育むための法であるはずの著作権法によって行えないという矛盾。これには私も反論の言葉が見つかりません。

昔はあれだけ日本版フェアユース規定導入に抵抗があった私も、この本の前に正直相当揺らぎはじめています。
 

「特許権侵害罰が存在しない特許法」と「フェアユース規定が存在する著作権法」に共通する“アメリカ的”なるもの

 
先日、ひょんなことから、アメリカで特許権侵害が発生した場合に特許権者としてどう対抗すべきかという話題になり、

「アメリカじゃ日本と違って特許権侵害に刑罰ないからな」

という話を聞いて、え、そうなの?と内心あせった私。なにせアメリカ特許法なんてほぼお世話になることがないので。

調べてみたら、特許権侵害に対しては確かに刑事罰はないんですね。


懲罰的損害賠償は抑止力として十分?

そのことをtwitterでつぶやいたところ、こんな反応が。

確かにご指摘いただいたとおりだと思います。
それでもまだ2つばかり、もどかしさの残る部分があるのではと思っていた次第。

1)実損が発生するまで、抑止力が期待できない
損害の発生と関係のない懲役や罰金がないということは、特許権侵害の事実やそのおそれを把握していても、損害が発生していない段階での抑止力は期待できない、ということになろうかと思います。
また、懲罰的損害賠償の額も、その金額は実損をベースとする補償的損害賠償額が算定の基礎となる以上、侵害の実損額が小さければ抑止力は期待できません。
刑事罰がないことで、実損が溜まりに溜まるのを待たないと抑止力が発生しない、つまり侵害初期段階で相手を叩きにくいということになりはしないかと。

2)日本では懲罰的損害賠償部分は執行できない
アメリカの民事訴訟で勝利をおさめ、首尾よく懲罰的損害賠償を認める確定判決を得たとしても、日本で執行となるケースでは懲罰的損害賠償の部分は無効となり、補償的損害賠償のみしか認められないという最高裁判例があるのはご存知の通りです(萬世工業事件平成9年7月11日第二小法廷判決)。
刑事罰があれば、それこそアメリカで刑務所にぶち込んでもらったり、罰金をとってもらったりして気も紛れようものなのに。

特許権を楯にグローバルに戦われている企業の知財部さんは、これで果たしてもどかしさを感じていらっしゃらないのでしょうか・・・。


フェアユースにも共通して垣間見える、アメリカ的なるもの

日本の知的財産権法は、
・侵害の抑止は(横領罪なみに重く設定された)刑事罰で
・財産的救済は民事の損害賠償で
というのが立法の思想。
刑事罰はあえて置かず、侵害が発生したら民事の出たとこ勝負でどうぞ・負けると痛い目に遭うけどね!というアメリカ的発想は、法思想として日本のそれとは全く別物なのだなあと改めて感じた次第。

ちょうど日本の著作権法界隈では今、アメリカを見習ってのフェアユース導入論真っ只中だったりもします。このフェアユースも、懲罰的損害賠償がありうるアメリカ著作権法だからこそ、バランスよく成立していると言えます。

日本では、フェアユースに当たらないと判断されると、理論上は著作権侵害の重い刑事罰の対象になってしまうことになり、そのことがフェアユース導入慎重派からも指摘されているところ。
とはいえ、実際に刑事罰を課せるかというと、出たとこ勝負のアメリカ的法思想に倣って導入する以上それは難しいのではというのが専門家の見解。BLJの09年1月号のフェアユース特集でも、中山先生が
実際は刑罰規定で困ることはないと思います。フェアに当たるかどうか分からないものでは警察も謙抑的になりますね。
なんておっしゃっていたように。

しかしそうなると、懲罰的損害賠償を課すことはできない日本における著作権侵害の抑止策は、実質被害者からの補償的損害賠償請求のみとなり、これで果たして抑止になるのだろうかという疑問が残るわけです。

今更なにをと言われるかもしれませんが、国策として知的財産権を中心とする国家戦略をうたう一方で、侵害からの保護のための抑止については国は知らぬ存ぜぬ、民事で勝手にやってくれというような発想を背景にもったアメリカ的法理論を持ち込もうというのは、やはりどこかで無理が祟るのだなあと。

フェアユース、結局自分は賛成なのか反対なのか。全くわからなくなってきました。

みんなそんなにフェアユース規定導入を望むのか、そうか、そこまで言うなら著作権法だけじゃなく民法からまるごとコモンローに切り替えてしまおうか


クリエイティブ・コモンズ・ジャパンによる「日本版フェアユースに関するアンケート」の集計結果を拝見しました。

クリエイターや一般ユーザーは日本版フェアユース導入に積極的(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)

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「クリエイター」と「一般ユーザー」以外に利害関係者っていましたっけ?全員賛成ってことですか?というタイトルへの突っ込みはさておき(笑)、赤色の個別制限規定派のボリュームに対して、青色の一般制限規定すなわちフェアユース規定導入派が3倍にもなっています。

基本的にフェアユース規定導入を支持している団体のアンケート結果なので、大幅に割り引いて見たとしても、ここまで多くの方が「このインターネットの時代に法律でガチガチに禁止・規制しても法律が時代に追いつかないから、規定は曖昧な一般制限にしておいて、柔軟な運用で解決するっていうことでいいんじゃないか」と思っているんですね。


フェアユース推進派は、内田先生に法改正を進言しては?

アメリカで導入されているフェアユース規定は、それまでの度重なる裁判によりコモンロー(判例法)が認めてきた被告側の著作権侵害の抗弁の要素を抽出し、1976年に米国著作権法107条に一般制限規定として“後付け”で明文化された、という成り立ちがあります。
コモンロー(判例法)を前提としている法体系だからこそ、一般制限規定という曖昧な方式でも、権利者にとっての法的安定性や予測可能性が保障されているわけです。

一方この日本では、大陸法の成文主義が採用されていて、最高裁判例以外は先例としての価値を持たないことを前提としています。従い、最高裁判例が数十件分ぐらい出ないうちは「争ってみないと何がフェアなのか分からない」という状態となりかねません。
3年で1件ぐらいのペースで先例としての価値を持つ最高裁判例が出たとして、法的安定性・予測可能性が確認できるほどの最高裁判例の数が得られるのは、一体いつになることやら。

その意味で、著作権法の一部だけがコモンロー的発想をとるというのはやっぱりおかしいのではないかと思いますし、ちょうど今まさに100年に一度の民法(債権法)大改正の議論もしているわけですから、どうせなら思い切って一般法である民法に加えてその特別法である著作権法もまるごとコモンローに切り替えるか否かぐらいの大局的議論に持ち込んで欲しいと思っておりますけれど。

内田先生、いかがでしょうか?


デジタルコンテンツ法の最前線―発展するコンテンツビジネス


債権法の新時代―「債権法改正の基本方針」の概要

フェアユースを持ち出さず、いちいち利用許諾をとることもなしに、如何にして「tsudaる」を合法なものとするか

 
最近何かと切れ味のあるエントリが続く企業法務についてあれこれの雑記のkataさんが、tsudaる=twitterで講演やシンポジウムを中継することについて、著作権法の観点から問題提起をされています。

"tsudaる"の著作権法上の留意点(企業法務についてあれこれの雑記)
中継の対象は、ほぼ「思想又は感情を創作的に表現した」「学術の範囲に属する」ものであるため、言語の著作物に該当するケースがほとんどだと思います。
そして、中継行為は、言ってみれば要約(翻案)+送信可能化なので、著作権者の許諾を受けている場合や、著作権の制限に該当する場合を除いて、中継行為が翻案権侵害・送信可能化権侵害と評価される可能性は非常に高いはずです。
前例が無い以上、中継をする場合は、著作権者(主催者ではなく)に必ず中継の事前承諾を得るべきです、と。

著作権法の解釈論&理想的な解決策としては私もkataさんと同意見です。コンプラや法務に携わる者の頭の構造として、曖昧な状態で著作物を利用する行為を見かけると、どうしても著作者(権利者)の視点から利用対価請求権を行使できるかどうかを即座に検討し、著作権法上それが行使されうるとなると、(悪意なく)反射的にそのリスクを指摘し、ヘッジのために権利者からの許諾をとることをオススメせざるを得ないわけで。これはもう法務パーソンの性分ですね(笑)。

加えて、閉鎖された空間に参加者を集めて行う講演やシンポジウムは、(終了後にある程度その周辺に伝達されることを想定しているとはいえ)その閉鎖された空間にいる参加者のみが聞くことを前提として喋るわけで、もっとうるさいことを言えば、著作者人格権上の公表権や同一性保持権の問題もでてくるかもしれないとビビってみたり。

とはいえ、その一方で、講演やシンポジウムをやる側としても、何らかの主義主張があり、それを一人でも多くの人に伝えたいと思って発言をしているはずでしょうから、実際にtsudaることについて著作権を振りかざしてガミガミ言いたくなるシチュエーションの方が少ないとも思われ・・・

と考えていくと、堂々巡りで答えがでないので、以下tsudaっても著作権侵害とならない基本的なガイドラインを、現実的な線でこう引きませんか?という大胆なご提案。

“講演・シンポジウムの主催者および講演者が「会場内撮影・録音禁止」の意思表示をしていない限り、tsudaることについても黙示の同意があったと推定する。”

参加者(著作物の利用者)側はあれこれ理屈を作っていかにして著作権侵害にならないかに傾いた主張になりがちなので、講演・シンポジウムに出演される側の方の意見もお聞きしたいですね。

著作権法改正の議論って、不自然なくらい報道されませんね

 
ここのところ、著作権法改正まわりのニュースをあまり聞かないなと思って能動的に調べたら、いろいろあるじゃないですか。

権利者軽視では結論出ない? 著作権制度「大所」からの議論開始―文化審議会の「基本問題小委員会」初会合(InternetWatch)
著作権制度の根本的なあり方を議論する文化審議会著作権分科会の「基本問題小委員会」第1回会合が20日に開かれた。参加メンバーの半数以上が権利者で占められる同小委員会では、著作権制度の議論では権利者が軽視されているといった意見が多数上がったほか、日本版フェアユース規定については導入に慎重な議論を求める声も上がった。
JASRACのいではく氏は、「権利者を尊重すべき」という前提で議論を展開すべきとコメント。(中略)さらにいで氏は、過去の著作権分科会で主婦連合会常任委員の河村真紀子氏が、「自家用車で聞くために、消費者はもう1枚同じCDを買うのか」と疑問を投げかけたことを取り上げ、「当然だと思う」と説明した。「家にあるコーヒーを車で飲みたければ、持ち出すか外で買えば良いのと同じ。車で聞きたければCDを持って行くか、それがいやならもう1枚買えば良い。CDの自宅内でのコピーは認められてはいるが、コピーを持ち出すのは『基本的に全面OK』ではない。自宅内で使うものは仕方がないから認めるという程度。そういうことがきちんと理解されず、既得権のように当たり前になるのは非常に危険だ。」
「基本問題小委員会」で議論される予定の日本版フェアユースの問題については、日本写真著作権協会常務理事の瀬尾太一氏が、「日本を裁判社会に持って行く強い覚悟がなければ危険」として、導入の有無には慎重な検討を要請した。
 「米国のように懲罰的にきちんと賠償金を取れるのであれば成り立つが、日本では、権利者が侵害されたからと言って、大手を相手に訴訟したら心労で胃に穴が空いてしまう。日本には個人の権利者が多数いる。かたや利用する側の多くは会社で、法務部や顧問弁護士もいる。たとえ権利者が裁判で勝っても少額のお金しかもらえず、裁判費にも満たないだろう。」

と、まあ早速権利者側は全面戦争の構え。

この委員会のメンツには私も疑問を感じますが、実務面からは森濱田の松田先生とフェアユース推進派と推察されるTMIの宮川先生の2名が参加されているので、バランスは取っていただけると思うのですが。

議事録もこちらに公開されています。


無断配信コンテンツのダウンロード違法化法案が衆院可決(マイコミジャーナル)
衆議院は12日、著作権者の許諾を得ずにネット上で違法配信された映像や音楽のダウンロードを違法とする著作権法改正案を全会一致で可決した。改正案には、違法だと知らずに録音・録画をした人に不利益が生じないよう留意するなどとした付帯決議が付されている。

ファイル交換ソフトや音楽配信サイトを利用した音楽や映像の無断ダウンロードについてはこれまで、コンテンツ権利者から違法性が指摘されていた。だがこれまでは、コンテンツを無断で「配信」することは違法だが、ダウンロード自体を禁じる規定はなかった。

フェアユース議論に先駆けて導入される違法ダウンロード禁止法案。まあ、罰則がないんで取り締まるつもりもないんでしょうし、権利意識醸成・教育効果としてどのくらい意味があるか不明なんですけども。

これだけ報道が無反応だと、このまま成立しても国民への周知と理解促進がどれだけなされるのか心配です。


日本版フェアユース検討に向け、2009年度の法制問題小委員会が始動(CNET Japan)
著作権にまつわる法制度のあり方を議論する、文化庁の著作権分科会の法制問題小委員会の2009年度の初会合が5月12日、開催された。
委員からは「フェアユースのイメージが漠然としたままヒアリングをすると、話が噛み合わなくなってしまう可能性があるのではないか。ある程度要点を整理した上でヒアリングを行うべき」(東京大学大学院教授の森田宏樹氏)と意見を提案。一方、文化庁長官官房著作権課著作物流通推進室長の川瀬真氏は「政府の知財本部やこれまでの議論の中間報告書で関係団体などからある程度提言が出されている。とりあえずそれで整理されているので、これをもとに意見聴取を行いたい」と、方針を貫く姿勢を崩さなかった。
その後に行われた意見交換では、「権利制限だけでなく、著作権法体系全体の基礎となる課題。十分に時間を尽くした議論を」「日本と米国では法文化や慣習が違う。日本の国民性にのっとった独自のフェアユース規定を模索するべき」「一般規定だけでなく、個別規定の整理と合わせてトータルで考えていくべき」といった慎重的な声が聞かれた。一方で、「米国の裁判では競争法(独占禁止法)では著作権法の事例がほとんどない。これはフェアユースが一定の歯止めになっていると言えるのではないか」という前向きな意見も挙がった。

上述の基本問題小委員会との役割分担がイマイチ不明ですが、事務局の文化庁をはじめ法制問題小委員会はフェアユース導入ありき、という姿勢なんでしょうか。

権利を使ってビジネスを行う企業の実務家として、かつ自分自身も権利者を志す者として、現時点での私の意見を表明すると、
・権利者の権利はきちんと守れるように、が大原則。
・私的使用は認められる場合を明文化し、積極的に認める。
・私的使用に入らない不正利用については明確にこれを禁止
 する。ただし、権利者が不当に権利を濫用し利用させない
 行為は、文化の発展を阻害することにつながるので、権利を
 強化するのではなく、著作物の利用に対する正当な対価を
 どう権利者に循環するのか、という発想に立って権利を保護
 すべき。
・「フェアユース」というマジックワードをひとたび用意すると、
 正しい引用とは何かもまともに議論できない(しようとしない)
 今の日本では、「フェアユース」にかこつけた著作権の侵害
 が乱発することは間違いないので、導入は反対する。
こんな感じです。

それにしても、報道が無さ過ぎるのが何より気になるところです。

社内イベントで音楽著作物をBGMとして利用する場合にも著作権は及ぶか

 
私の所属する会社は、従業員を鼓舞するための社内イベントがとにかく大好き。この4月も、当然のように各部門でイベントが目白押しです。

そのような場でCDなどの音楽著作物をBGMに使うことについて、著作権法上問題ないかを以前検討した経緯がありましたので、何かのお役に立てばと。


著作権は社内イベント利用にも及ぶ

著作権法第38条1項には、
公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。
と定められています。

つまり、
1)営利性がない
2)聴衆・観衆から対価を取らない
3)実演家等に報酬を払わない
という3要件がそろえば、著作権は及ばないということ。

社内イベントで音楽をBGM利用するというケースでは、2と3の要件は問題ないと思います。一方で1の要件については、会社のオフィス=営利事業を行う施設であること、かつ会社が音楽を利用し従業員の士気を高める行為は営利活動の一環でもあることから、この要件に抵触する解釈となります。

従い、著作権法上は、たとえ社内のイベントであってもBGMとして音楽著作物を利用する場合は著作権者の許諾が必要となる、それが原則です。


JASRAC規定は意外とやさしい

ところが、音楽著作物の著作権管理を行うご存知JASRACの利用料規定には、こんな定めがあります。

お店などでBGMをご利用の皆さまへ(JASRAC)
BGMの使用料規定・備考(JASRAC PDFファイル)
福祉、医療もしくは教育機関での利用、事務所・工場等での主として従業員のみを対象とした利用又は露店等での短時間かつ軽微な利用であって、著作権法第38条第1項の規定の適用を受けない利用については、当分の間、使用料を免除する。

免除する、っていうのがまあちょっと上から目線気味なんですが、著作権法どおりの権利を主張しない(いつものJASRACらしからぬ)奥ゆかしさは、結論としては妥当なところですね。

ということでまとめると、
社内イベントでの音楽著作物のBGM利用には、著作権は及ぶものの、JASRAC管理の音楽著作物であれば使用料を払わずに利用できる。
ということになります。

ところで、うすうす疑問ではあったんですが、この利用形態でもJASRACへの演奏利用申請って必要なんでしょうかね?
[入場料 有・無]とか[出演者への報酬 有・無]の記入欄まで丁寧に用意された申込書を見ると、利用申請を前提としている雰囲気が漂ってるんですけど・・・
演奏利用申込書(JASRAC PDFファイル)

【雑誌】BUSINESS LAW JOURNAL No.14 5月号―著作物の社内/部門内コピーという現実に対する法務パーソンのスタンスを問う

 
今月のBLJの特集「法的リスクの見落とし事例」は、一見地味ながら共感度の高い事例がギュッと集まっている、読み応えのある記事でした。

BUSINESS LAW JOURNAL 2009年 05月号


・秘密保持契約に、よく読むと競業避止条項が入っていた
・サプライヤーとして結ぶ取引基本契約に、「バイヤーの責に
 帰すべき事由による場合を除き、〜損害を賠償しなければな
 らない」という条項を受け入れたことで、“当事者以外”の
 責任も負うことになってしまった
・株主からの質問に対して、ついうっかりインサイダー情報と
 知らずに総会で開示してしまった
などなど、あるある!なケースが勢揃い。


「部門内コピーは合法」?

その中の記事「著作権等侵害トラブルはこうして起きる」の中に、TMI総合法律事務所の宮川先生・升本先生の踏み込んだコメントが。

企業その他の団体において業務上利用するために著作物を複製する行為は、私的使用目的複製にはあたらないとした判例もあります。
と、いわゆる舞台装置設計図複製事件(昭和 48年7月22日東京地裁)に基づく“常識的見解”を披露した上ではあるものの、
社内での文献等のコピーが著作権侵害になるとして一切許されないということにも抵抗を感じます。
会社内の同じ部署の人たちが、数人程度の小規模な会議や研修会の資料として文献等をコピーする場合には、同項の「これに準ずる限られた範囲内」に当たると解釈することも無理ではないのではないかと思います。
つまり、社内であっても部門内コピーは合法という解釈ができるのではないか、という思い切ったご意見を披露されているのです。

厳格な法律解釈に囚われてビジネスを過度に制約すべきではない、という意図が多分に込められていることは分かりますが、さすがに弁護士の先生が公の場でこの発言は行き過ぎでは?とこちらが心配になってしまいました。


100%は無理でも、守るべきものは守る

どこの会社においても、「まあ、良識の範囲でやってるのはしょうがないよね」と現実から目をそらしているであろうこの著作物の社内/部門内コピー問題。法務パーソンの皆さんはどのように考え、対応されていらっしゃるのでしょうか。

現場から正式な見解を求められれば、
「残念ながら、社内で会社のコピー機を使ってコピーしている時点で私的利用とは言えず、部門内に限定した利用であっても、著作権法上はNGです。」
苦悶しながらも、私はそう答えてきました。

私の様なブロガーが増えていることに象徴されるように、一億総クリエータ化も進む現代。何でもかんでも権利でがんじがらめは時代にそぐわないよねとフェアユース論が沸騰しはじめている一方で、100%は無理でも権利者の権利は守れる限りにおいて守っていくべきではないか、というのが私の今のところのスタンスなのですが。

同じ号のBLJの5ページ“OPINION”のコーナーでは、関西大学の森岡教授がちょうどこんなことを述べていらっしゃいます。

問題を労務に限れば、日本企業にはコンプライアンスからほど遠い状況がある。その例は、障害者法定雇用率の未達成、女性賃金差別、不当解雇、賃金不払残業、過労死、偽装請負、労災隠し、最低賃金法違反など挙げればきりがない。

著作権もしかり、労務もしかり、真のコンプライアンスとは、今まで「現実」という一言で解決を先送りし続けた問題を、ひとつひとつ聖域なくクリアしていく終わりなき戦いなのかもしれません。
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