企業法務マンサバイバル

企業法務を中心とした法律に関する本・トピックのご紹介を通して、サバイバルな時代を生きるすべてのビジネスパーソンに貢献するブログ。

終身雇用

法改正を待たずとも、解雇解禁は企業の心意気次第で成し得ると思う

 
センセーショナルを超えてアジテーショナル(笑)な週刊ダイヤモンドの特集「解雇解禁 ― タダ乗り正社員をクビにせよ」を読んで。

週刊 ダイヤモンド 2010年 8/28号


終身雇用のレールに乗った正社員だけが解雇規制で守られるのは、企業の労働生産性を下げ、失業と格差を増やすものであるから、この不平等状態を是正するために解雇規制を無くすべきだ
と声高に主張する本誌。「企業にもう福祉は担えない(p28)」と言いながら「雇用保険や職業訓練といったセーフティネットは必要(p58)」と言ってみたり(その財源の半分以上は企業が負担してるんですけど)と、ところどころ突っ込みどころの多い記事ではありますが、今の政府の“一億総正社員化政策”に対してこれだけ大々的に疑問を呈したのは、価値あることだと思います。

弊ブログでは、数年前から一貫して「解雇規制はもう事実上緩和されてるんじゃないか」というスタンスでものを述べてきたつもりですが、いよいよ時は来た、という感じでしょうか。

整理解雇の議論から生まれる、解雇権濫用法理の新たな潮流
【本】解雇規制の法と経済―緩和されていく解雇法規制から身を守る唯一の方法とは
【本】解雇法制を考える―コーポレートガバナンスの変化が解雇規制を緩和するという「痛み」を生んだという必然について
【雑誌】BUSINESS LAW JOURNAL No.13 4月号―秘密なんですけど、本当は企業から解雇するのって全然怖くない事なんですよ
終身雇用という幻想、というか誤解

本特集内の囲み記事では、水町勇一郎先生がこんなことをおっしゃっています。

日本の整理解雇法理は、相対的に厳しいことは間違いないが、具体的な判断は裁判所に委ねられており、実際、個別の事例を見て整理解雇を違法でないとする判決もある。法改正を伴わなくとも、労使の話し合いを基盤とした、客観的合理性・社会的相当性の判断に委ねることも十分可能だ。画一的な基準を画一的に適用するのではなく、変化に対応出来る柔軟な仕組みこそ必要だろう。

詳細な法的論点はこれまでのエントリで検討したとおりなのでここで重ねて申し上げることはしませんが、現行民法上も労基法上も労契法上もあくまで解雇自由が原則であることは忘れてはならないと思います。だからこそ、水町先生が言うように裁判所もすべての解雇を違法とせずに個別の事例を検討するわけで。

企業は、解雇規制という亡霊を前に思考停止して、なぜ解雇する必要があるのかについて説明責任を伴なう労使紛争から逃げているだけではないでしょうか。法改正を指を加えて待つばかりでなく、企業にとって本当に必要な解雇なら胸張って解雇しましょうよ、裁判所も今の時代に即した合理的な判決を出せる日をきっと待ってるはずですよ、というのがこの記事を読んでの私の感想です。
 

【本】DRiVE ― 日本の終身雇用という幻想・強迫観念が、巡り巡ってモチベーション維持を困難にしているという悪循環


このエントリを書いて約1ヶ月、遅ればせながらようやく原著を入手して読了。

日本の終身雇用文化の何がダメかって、サラリーマンの自主・自立を阻害するのがダメなんだ(企業法務マンサバイバル)
モチベーション1.0が動物としての生存本能に基づく欲求、2.0が与えられた目標を達成することで金銭や名誉を獲得することを目指す欲求なのに対し、モチベーション3.0は、成長・知的興奮を求める自発的な欲求のこと。

そして、そのモチベーション3.0を支える重要な要素が
1)自主・自立
2)熟達・専門性
3)理念・目的
の3つであり、これまでのカネに基づく成果主義(=モチベーション2.0)では創造性を破壊するばかりで、これからより求められるイノベーションを生む原動力とはならないよ、というのがダニエル・ピンクの主張。

ぶっちゃけ、前半の本編146ページでは、東洋経済を読んで私がまとめた上記要約以上の示唆は得られず(笑)拍子抜けしたのですが、後半の付録を含めたトータルパッケージで見ると、読む価値はある本です。

DRiVE ― The Surprising Truth About What Motivates Us


ダニエル・ピンクは現代版チクセントミハイを目指してる?

前半部は、正直言ってチクセントミハイの『フロー体験 喜びの現象学』の引用があまりに多かった所が少し鼻につきました。あの本で言ってること「小さな仕事・小さな困難に小さな楽しみを見出し、それを積み重ねてハイになる」は共感できるんですが、具体的な手法論に欠けてあまり好きな本じゃないのです。

しかし、本書がその『フロー体験』に不足する具体的手法論に踏み込み、かつ現代版にアレンジすることにチャレンジしている点は、好感がもてました。特に、本編の後には70ページものボリュームで“TypeーI Tool Kit”と名付けられた即効性の高いHOW TO集をつけていて、実際前半部分よりもむしろこの付録が読んでいて面白かったです。

たとえば、こんな「モチベーショナル・ポスター」を作ったら?なんていう古典的なテクニックから、

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ドラッガー、ジム・コリンズ、ゲイリー・ハメルら経営のグル達のモチベーション語録までついているという・・・ダニエル・ピンクにそんな自己啓発的な要素を期待してなかったんですけど(苦笑)。

やっぱり日本の解雇規制は全ての元凶だった

その付録の中から、経営者の視点から「モチベーション経営」を考える上で、P172のこのHOW TOは非常に重要かもと思ったのがこれ。

Higher wages could actually reduce a company's cost.
The pay-more-than-average approach can offer an ellegant way to bypass "if-then" rewards, eliminate concerns about unfariness, and help take the issue of money off the table. It's another way to allow people to focus on the work itself. Indeed, other economists have shown that providing an employee a high level of base pay does more to boost performance and organizational commitment than an attractive bonus structure.

「できたらあげるよ」的成功報酬型ではなく、ほんのちょっとでもいいから平均より高いベース賃金を払う約束をあらかじめしてあげれば、お金のことで従業員のモチベーションを損なう心配がないと。

安っぽく聞こえるかもしれませんが、ベース賃金を世の中の平均水準より少し高くするだけで、「俺たちは皆、その他大勢に比べれば正当に評価されているんだ」という自信・プライドを、(評価される一部の従業員だけでなく)全従業員にもたせることができるということだと思います。上記引用部で言及されている"economists"が誰でその言説がどんなものなのかは分かりませんが、私が勤めてきた2社とも、このアプローチを意図的にとっている会社だったので、このことは実感としても共感できます。

なのに、人材業の立場から日本の求人を見ていると、ほとんどが逆のアプローチ、つまり「基本給は低く・残業手当もありませんが、頑張った人には“ボーナス”できちんと支払います。」という会社のまあ多いこと。この手法では、採用に成功したとしても、一回でも平均値を上回って支払われなかったときに人は「裏切られた」と感じ、辞めていってしまう。

分かっているのに、どうしてベース賃金を高く設定できないのか。それはやはり、日本では労働法上の解雇規制がキツすぎるからなのではないでしょうか。自由に解雇ができない日本においては、みんなのベース賃金を一律に上げることは、経営として将来を考えた時に資源配分の自由を失う恐怖感につながるからです。

正規・非正規問題といい、在籍社員のモチベーション問題といい、なんだか全ての元凶が日本の「終身雇用維持」という幻想・強迫観念にあると思わざるを得ません。
 

日本の終身雇用文化の何がダメかって、サラリーマンの自主・自立を阻害するのがダメなんだ

 
今週発売の東洋経済で知った“モチベーション3.0”というキーワード。

週刊 東洋経済 2010年 3/27号


フリーエージェント社会の到来』『ハイ・コンセプト』のヒットで有名なダニエル・ピンク氏が、最新の著書『Drive』で提唱しているコンセプトのことです。

日本的終身雇用文化は、日本人の自主・自立精神を骨抜きにする

モチベーション1.0が動物としての生存本能に基づく欲求、2.0が与えられた目標を達成することで金銭や名誉を獲得することを目指す欲求なのに対し、モチベーション3.0は、成長・知的興奮を求める自発的な欲求のこと。

そして、そのモチベーション3.0を支える重要な要素が
1)自主・自立
2)熟達・専門性
3)理念・目的
の3つであり、これまでのカネに基づく成果主義(=モチベーション2.0)では創造性を破壊するばかりで、これからより求められるイノベーションを生む原動力とはならないよ、というのがダニエル・ピンクの主張。

これを読んで私が思ったのが、日本の終身雇用文化の何がダメかって、モチベーション3.0に必要な1)のサラリーマンの自主・自立を阻害しているのがダメなんだろうな、ということでした。

ダニエル・ピンクのコンセプトに当てはめれば、とりあえずクビにならない限り食べさせてもらえる(=モチベーション1.0の充足)、会社の言う事を聞き与えられた目標さえ果たしていれば給料が上がり役職を上げてもらえる(=モチベーション2.0の充足)という意識どまりのサラリーマンを大量生産こそすれ、自主・自立の精神を育む要素は一つもありません。むしろ、会社は従業員を組織に依存させることでロイヤリティを高めようとする方向に傾き、人材はタコツボ化していくばかりで、モチベーション3.0的には百害あって一利なしでしょう。

同じ理念・目的を持った者同士による、より緩やかな協同へ

では、この日本的終身雇用文化から抜け出し、モチベーション3.0を生み出すにはどうすればいいのか。

東洋経済のこの特集では、この自主・自立の精神を育むことに成功しているモデルケースとして、副業と労働時間の自由を完全に認める一方で給与は全員同一額としたユニークな企業、ソウ・エクスペリエンスさんを取り上げています。

私も、このblogやTwitterで何度か言及してきましたが、まずはサラリーマンに兼業・副業を認め、会社という場を「同じ理念・目的を共有できる人が緩やかに協同していくことにコミットしあう場」に変えて行くアプローチが現実的かと思っています。
その上で、自分なりのオリジナルな理念・目的を掲げて人を集めたい方が、起業というステップを踏むのではないかと。

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今やっておくべき事は、熟達・専門性づくり

ただし、その緩やかな協同や起業を成立させる前提として、ダニエル・ピンクも挙げているようにまずは自分自身になんらかの熟達・専門性がなければならないということは、忘れないようにしたいところです。

日本的終身雇用文化が与えてきたモチベーション1.0と2.0に浸りきって、気付けばなんの仕事にも熟達しておらず、たいした専門性も身についていない・・・となる前に、自分はこれで生きるんだと決めそれに関連する勉強・キャリアを積み続けておくことが、来るべき新しい働き方の実現とモチベーション3.0の充足に向けて、私達ビジネスパーソンが今やっておくべきことなのだと思います。

正社員という“踏み絵”―解雇規制という負担を強いられても日本企業が「終身雇用」にこだわる本当の理由

 
私はこのblogで、日本の労働法に根強く残る“企業都合の解雇に対する厳格なまでの規制”に対し、何度か問題提起をしてきました。

解雇に対する規制が厳格に過ぎることで、企業にとっては「まずは仕事をさせてみる」というチャレンジ採用・登用もできなくなり、ゆくゆくは年齢・性別・国籍・学歴・・・といったステレオタイプな偏見人事(統計的差別)を助長する原因となるだけでなく、労働市場の健全な活性化を阻害する、と考えるからです。

※解雇規制が生む統計的差別についての参考エントリ
終身雇用は採用時の属性差別を強める(Zopeジャンキー日記)

労働者の立場としては、一度雇用を確保してしまえば後は法律が保護してくれる(しかも都合が悪くなれば労働者からは民法上2週間前予告で自由に辞めることができる前提での)解雇規制は、厳しくて大いに結構なのでしょう。

しかし立ち止まってふと考えると、日本にこれだけ根強く解雇規制が残っているのは、(本来は自由に解雇できなくて困るはずの)企業自身にもメリット・狙いがあるからではないか。そんなことを考えながらうまく整理できずにいたのですが、先日発売された雑誌『経済セミナー』に、この疑問に関連する論稿が掲載されていたので、この論稿を発展させる形で、私の考えを述べさせていただきたいと思います。

経済セミナー 2009年 07月号 [雑誌]



「働かせ方の自由度」を確保するための長期雇用

その論稿というのが、日本大学大学院の安藤至大准教授による「契約理論からみた派遣・非正規労働の問題」というもの。

その第3節「なぜ企業は求職者に対して長期雇用契約を提示するのか」に、以下3つの理由があることが述べられています。
理由1:多くの労働者が長期雇用を望むから
理由2:企業特殊的訓練が必要だから
理由3:働かせ方の面で自由度が高いから

この理由のうち、1については企業自身が安定的成長を描けなくなったことなどから、そして2については仕事に必要な技能や知識が企業間で統一され特殊的訓練が減少していることから、企業が正規(長期雇用)ではなく非正規(短期雇用)でこれを置き換えるようになったことが述べられています。

ところが、残る理由3で企業が欲する「働かせ方の自由度の確保」だけは、短期雇用への置き換えでは解決できません。

企業としては、キャリア・家族の都合に関係なく人を将棋の駒のようにどこにでも動かせるフレキシブルな労働契約であればこの上なく楽ですし、ゼネラリスト的人材育成を前提とする日本の人事慣行からも配置転換・転勤は「誰もが通るべきいばらの道」という考え方がまだ大勢を占めてます。
企業が長期雇用というメリットを与える以上、労働者はそのような「苦難」も受容すべき、と考えていると言ってよいと思います。


キャリア・家族>仕事という価値観への弾圧のための踏み絵

これに対し、長期雇用されている労働者はといえば、昨今の不況と相まって自分の身を守るためのキャリアビルディングの意識は高まる一方です。さらに核家族化によって、介護や子育ての必要性から転勤を拒否せざるを得なくなる労働者も少なくありません。これらは、長期雇用というメリットを与えた企業からすれば、許しがたい行為に他なりません。

そんな発想の日本企業が対抗策として無意識にやっているのが、非正規雇用を増加させることで、相対的に正規雇用というものを神格化し“踏み絵”化する行為なのではないかと、私は考えています。

「君は、自身のキャリアビルディングよりも、会社の人事の都合を優先できるのかね?」
「君は、自分の家族の問題よりも、会社の問題を優先できるのかね?」

日本において正社員になるということは、この2つの踏み絵を踏んで会社に忠誠を誓うようなもの。
この“踏み絵”を踏めない“隠れキリシタン”は、
・自ら非正規雇用を選択するか
・「会社の都合を押し付けられるとすぐに転職してしまう
 堪え性の無いジョブホッパー」 という日本ならではの
 ネガティブなレッテルに甘んじるか
のどちらかを選ばざるを得なくなります。このことが非正規雇用を増やし、正規雇用されている者の健全な流動化をも妨げているのではないでしょうか。

つまり、解雇規制という負担を強いられても日本企業が「終身雇用」にこだわる本当の理由とは、会社よりもキャリア・家族を優先する価値観を許さないマインドを根強く持っており、そこから脱却できない(しようとしていない)からなのではないかと。

しかし、労働法は生き物です。人間が人間らしく生きたいという欲望・価値観を否定するこのような日本企業的な古めかしい“弾圧”が、いつまでも当たり前のこととして許される気がしないのは、私だけではないと思います。

日本企業は、長期雇用というメリットを与えても「働かせ方の自由度の確保」ができなくなったときに備えて、何をもって優秀な人材を引き止めるのかを、今から真剣に考えておくべきでしょう。

終身雇用という幻想、というか誤解

 
GW中にちょっとした盛り上がりを見せていた、総合研究開発機構(NIRA)の研究報告書に対する池田信夫先生とhamachan先生のご意見を読んで。

終身雇用という幻想を捨てよ(池田信夫blog)
長期雇用だけを「正規雇用」として転職を悪とみなす労働行政を変えるべきだと明確に提言し、flexicurityの理念を掲げたことは注目に値する。
終身雇用と呼べるような実態は従業員1000人以上の大企業の男性社員に限られており、その労働人口に占める比率は8.8%にすぎない。これは戦後ずっと変わらない事実であり、終身雇用が日本の伝統だなどというのは幻想である。

終身雇用という幻想を捨てよ(EU労働法政策雑記帳)
解雇権濫用法理それ自体に、「そもそも終身で雇用すべきだ」などというスタンスはありません。こういう勘違いは、経済学者には非常によく見られますが、困ったものです。これでは、アメリカ以外のすべての国、北欧諸国も含めて、不当な解雇を制限している国はすべて終身雇用を法律で強制していることになります。そんな馬鹿な話はありません。
期間の定めのない雇用は必ずしも「長期雇用至上主義」ではありません。スウェーデンの労働法は不当解雇をかなり厳しく規制し、有期雇用についてもその雇い止めを厳しく規制していますが、労働市場は非常に流動的で、決して長期雇用至上主義ではありません。

ちょっと言葉がきついなあと思うところはあるものの、お二人のような論客が終身雇用というテーマについて語っていただくのはよいことだと思いますので、ここではそれぞれのご意見にケチをつけるつもりはありません。

しかしながら、お二人が話題にしているNIRA研究報告書については、勤続年数をベースにして終身雇用のありやなしやを語っているところはイマイチな気がします。
小企業の労働者の勤続年数が大企業のそれより短いのは、大企業よりも企業自体の存続が短命なことも大いに影響していると思いますし、女性の勤続年数の短さは出産・育児が大きく影響していると思いますし。


誤解を放置した怠慢のツケなのかも

さておき、本エントリのタイトルにもあるとおり、「終身雇用」という言葉は、やはり労働契約に対する誤解の最たるものだと思います。

hamachan先生が上記エントリでも述べているとおり、労働者を「正社員」として積極的に雇用する企業でさえ、「終身」=その人が死ぬまで雇用するなんてつもりはさらさらありません。
「正当な理由なくして解雇はしないよ」と約束して入社させているだけなのであって、
・会社の倒産などのやむを得ない事由
・明らかな職務遂行能力不足などの本人の責に帰すべき事由
があれば、契約である以上本来は契約解除=解雇できるわけで。

しかしながら、事なかれ主義的な御用組合との労使協調路線とあいまって、企業側も解雇権を然るべきときにきちんと行使しようとせず、労働者(組合)側もそれを行使させようとしなかったばかりに、法律学的にも裁判例的にも「『終身雇用』してしまった以上はクビにできない」という解釈が幅を利かすようになり、そうこうしているうちに、企業も労働者も「正規雇用とは『終身雇用』の権利である」と誤解する世の中になってしまいました。


終身雇用≠正規雇用時代に即した法律の整備と教育を

このような誤解を企業・労働者の双方にさせてしまった原因は、1つには法律の不備にあり、もう1つには日本の法律教育の不足にあると私は思います。

今後、企業・労働者双方に生じている誤解を解くために、まずは、
1)企業または労働者から労働契約を解除する際の
  「正当な理由」とは何か
を(例示列挙でいいので)はっきりと明文化することが1stステップとなり、その上で、
2)労働とは契約であり、契約によって双方に発生する
  権利と義務とを確認し理解してから自らの責任で結ぶこと
の重要性を教育で伝えることが必要だと思います。

労働契約法が制定されたことで、2)が再認識された面もありますが、肝心の1)の議論が条文として盛り込めなかったところに、大きなチャンスを逃したのかもしれないと感じる面もあります。

日本において、「終身雇用」という誤解に基づく呼び名が使われなくなり、法律に忠実に「無期(期間の定めのない)労働契約」と自然に呼ばれるようになる状態。
さらには、「無期労働契約」が正規雇用すなわち“唯一の理想的な働き方”ではなく、選択肢の一つに過ぎない状態
そんな状態がフツーに感じられる新しい時代を作っていくことも、私たち人材ビジネスに関わる者に課せられた使命なのかもしれません。
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