NBL1015は取り上げるべき話題が盛りだくさんではあるのですが、「自炊代行事件(東京地判平成25・9・30、同平成25・10・30)における複製主体の判断について」と題する池村聡先生の判例評釈については、ぜひ個人的にも支援したく、一部紹介とコメントをさせていただきたいと思います。

本件判決は、利用者の複製主体性を明確に否定している。しかしながら、利用者の複製主体性を判断するに際しては、利用者が複製の対象となる著作物を購入・指示していることや、裁断やOCR処理の有無、複製物の納品方法を支持していること等をどう評価するか(略)という視点からの検討も必要であると思われるところ、本件判決においては、かかる視点が欠けているように思われる。
さらに本件判決は、書籍の裁断やスキャン、スキャン後の点検等の作業を利用者自身が行うことは、設備の費用負担や労力・技術の面で困難を伴うことを自炊代行業者の主体性を肯定する事情として考慮しているが、自炊は裁断機やスキャナー、パソコンという誰でも入手が容易な機器で実現することが可能な行為であることに鑑みると、たとえば同様の考慮をしたMYUTA事件(東京地判平成19・5・25判時1979号100頁)と比しても困難さの程度には大きな差があり、この点においても説得力に乏しいように思われる。
行為主体性が争点となる事案において、「枢要な行為か否か」というきわめて抽象的な基準(?)が活用されることは、予測可能性の点からも望ましいものではなく、(略)控訴審では、社会的、経済的側面を含めた総合的な観察の下で、より丁寧な検討が行われるとともに、同種事案において参考となる基準や考慮要素等が明らかにされることが強く望まれる。
裁判所が今回使った「枢要な行為」なるマジックワードに対する批判だけで終わらせず、複製主体の評価という観点について深堀りされているところは、是非控訴審の裁判官のみなさまも熟読していただければと。
池村先生による指摘の無かった点で、「利用者の複製主体性」(=「自炊代行業者の代行者性」)を強化するポイントがあるとすれば、合法な自炊代行業者は、利用者が自ら書籍に書き込んだ書き込みを含めて、利用者が引き渡した書籍を1冊1冊スキャンして利用者にファイルとして納品し返しているという点でしょう。書籍にもともと印刷されている文章や図は、もちろん著者の著作物です。しかし、それは紙に固定されて書籍となって利用者に引き渡され、利用者の所有物となります。利用者は、著者の文章や図を読みながら、その書籍の所有者として堂々と、共感とともに何度も線を引いたり、気になる頁をドッグイヤーしたり、疑問に思う箇所に印をつけたり、本人にしか価値を持たない(一方で本人にとっては大きな意味のある)コメントを余白に加えていきます。こうしてできあがった利用者の所有物としての加工入り書籍は、レッシグ的な意味で“REMIX”されたプロパティとも言えるでしょう。そして、その「REMIXが施された利用者だけの書籍」を1冊1冊スキャンしているのが、自炊“代行”者なのです。
さて、控訴審に向けて私が不安に思うのは、自炊の作業を自分でやったこともなく、自炊した書籍をタブレットで使ったこともない(もしかするとタブレットというものに触ったことすらない)裁判官がいるとすれば、こういった議論にリテラシーレベルのレイヤーでついていけず、その結果、そもそもなぜ代行が社会的に必要とされているのか、原告がいうようなリスクが果たして本当に脅威と言えるほどのものなのかについても、正しい評価が下せないのではないか、という点ですね。
裁判官のみなさまには、是非、タブレットと自炊を体験していただきたいものです。なんだったら、裁判の途中で自炊(代行)の実演とか、裁判官に体験してもらったりできないものでしょうか?