企業法務マンサバイバル

ビジネス法務に関する本・トピックのご紹介を通して、サバイバルな時代を生きる皆様に貢献するブログ。

解雇

解雇規制再考 ― 企業と労働者双方によるミスマッチ責任分担論

 
2011年以降あまり話題にならなくなった(弊ブログで最後にとりあげたのも2010年夏ごろ)解雇規制が、現政権になってからにわかに騒がしくなってきました。そんな時宜を捉えたジュリスト4月号特集「厳しい?厳しくない?解雇規制」は、非常に良い特集となっています。

感想とあわせ、私もこのテーマについて、企業の視点から少しだけ意見を述べてみたいと思います。





「いつもの方々」じゃないのがイイ


岩村正彦先生の監修のもと、本特集に論稿を寄せてらっしゃるのは以下5氏。まず良かったのが、水町雄一郎先生、濱口桂一郎先生、大内伸哉先生、森戸英幸先生といったこの分野の「いつもの方々」を、あえて人選していない点です。労働法分野に興味がある方は、もうこれらの方々のお話は聞き尽くしている感もあり、そろそろこれまでとは異なる視点・切り口が欲しかったという面もあったんじゃないでしょうか。

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以下その5氏のご紹介と、それぞれの論稿から印象に残った記述をメモ的に抜粋させていただきます。

■ 緒方桂子 広島大学教授 法学者
  • 解雇法制を法的に正当化する議論としては、憲法27条1項を根拠とする社会権説/憲法13条を根拠とする人格的利益保護説/関係的契約理論を取り入れた継続性原理説/労働者と使用者との間の適切な権利・義務関係が確保されるための前提条件であるとする権利保障基盤説の4つがある
  • 解雇規制へのこだわりは、観念的なものではなく、労働者の生活を壊し、職場を荒廃させ、社会を不穏にしないための実践的・防衛的手段でもある

■ 小嶌典明 大阪大学教授 法学者
  • 働かないのは、雇用契約上の債務である、労働義務の不履行に当たる。雇用契約は他の契約と違うといっても、それは程度問題にすぎない。指導票を書き、警告書を渡す。一定期間を間にはさんで、それを何度か繰り返しても、状況になお改善がみられなければ、雇用契約を解除する。民法541条の趣旨に照らしても、こうした契約解除=解雇を否定すべき理由はない
  • 試用期間が有名無実化し、降格・降級規定があっても、それが死文化しているようでは解雇など到底認められない。本採用と昇給は能力のあることの証。そう裁判官が考えたとしても、当然である。ならば、その逆を行けばよい

■ 川口大司 一橋大学教授 経済学者
  • 多くの国際比較に関する実証研究をレビューしたSkedinger(2010)、Boeri and Van Ours(2013)、OECD(2013)によると、厳しい解雇規制と失業率の関係は明確ではない。しかしながら、厳しい解雇規制は解雇と採用を減らし、雇われている状態と失業状態の行き来を減少させることが実証されている
  • イタリアのある銀行の勤怠データを分析した結果によると、12週間の試用期間が過ぎて雇用保障が適用されたあと、欠勤が倍増することが示されている(Ichino and Riphan 2001)

■ 峰 隆之 弁護士(使用者側)
  • 平成24年の労働関係訴訟は3358件、そのうち1026件が解雇等に関する訴えで、判決が言い渡された343件のうち、解雇無効は166件、請求棄却あるいは却下する判決が177件。使用者側が善戦しているように見えるが、482件で和解が成立しており、使用者側が勝ち切ったケースは4分の1未満
  • セガ・エンタープライゼス事件判示が象徴するように、能力不足、適性の欠如を示す不祥事、不始末、仕事の失敗といった具体的エピソードが豊富にあれば比較的楽に戦えるが、クオリティの低い仕事が行われても、それらの成果物は、上司等がチェックする過程で修正されていき、また顧客や他部門と接しない自己完結的な仕事への配置換えが行われるため、具体的な立証が難しくなる
  • 解雇に対する規制と採用プロセスにおける使用者の情報収集は裏腹の関係にあることが理解されるべき。解雇を厳しく制限するのであれば、使用者に採用段階における相応の情報収集権(プライバシーや病歴等に関する情報収集)が認められるべきである
  • 精神疾患を訴える労働者との間で解雇の効力を争う訴訟において、裁判所が独自に業務上外の認定を行い、業務による疾病と認められた場合、労基法19条に抵触するとして、解雇を無効とする裁判例が出てきている

■ 水口洋介 弁護士(労働者側)
  • 整理解雇事件の中には、必ずしも客観的な経営危機がないにもかかわらず、使用者側が「整理解雇」を主張する場合が多くあり、客観的な経営危機を使用者側が立証する場合には、労働者側の敗訴の可能性は高くなる
  • 裁判所に提訴される事件は、個別労働分そののごく一部に過ぎず、労働局の民事上の個別労働紛争相談における解雇事件5万件のわずか0.7%程度。解雇権濫用法理という「法の支配」社会に浸透・確立していないのが実態

見ていただいたとおり、中立な立場の川口先生をのぞいて、学者・実務家がキレイに使用者側と労働者側の立場に分かれて意見を述べており、厳しい/厳しくない甲乙付けがたい絶妙なバランスになっているわけです。といっても、メモの多さからわかるように、企業法務の立場からはやはり峰弁護士の視点に鋭さと共感を感じました。

企業の採用の自由 vs 労働者の職業選択の自由


憲法上保障された人権を根拠に労働者の保護を主張されると、企業としては何を言っても分が悪くなるなあ、というのが特集を読んでの率直な感想です。しかし、当該企業において能力不足・勤務不良と判断された労働者の雇用を継続する義務を一方的に企業に負わせるような解雇規制とするのは、やはり行き過ぎではないかと、私は思っています。

峰弁護士も問題視されているように、一般に社会や裁判所は、採用企業に対し、雇用の継続と教育/指導や配転(いわゆる「解雇回避努力」)による労働者の活用・再生を求めます。企業人事も苦労して採用しているわけですから、適性や可能性があり本当にたまたまその一部門で能力が発揮できなかっただけの労働者であれば、公権力によって強制されるまでもなく、人員が不足する他部門での活用・再生を試みるはずです。しかし、現実にそうして活用・再生に至るハッピーな事例をほとんど聞かないのは、現場からみても人事部門からみても、当該企業では活用・再生が著しく困難と判断せざるを得ない人材も現に存在するからです。無理をして雇用を継続しその部門全体をみすみす「荒廃」させたり、他部門に異動させて他の職場まで“荒廃”させるわけにはいかない。そういった判断から、(しかるべきプロセスを経て)やむなく解雇に踏み切っている事例も多いかと思います。

企業が社会の中で負うべき一定の責任はあります。そして、企業そのものが一つの社会でもあるのですが、その企業には、刑務所のように身体を拘束し生活習慣を強制できる執行力もなければ、また義務教育課程の公立校のような公益性を求めるべくもありません。解雇規制を一律に強化し、一人の権利を守ろうとし過ぎると、職場を構成する他の労働者の平穏・円滑・効率的な労働を阻害し、企業という社会をかえって“荒廃”させる新たなリスクも生みかねないという視点も、必要なのではないでしょうか。

このような話をすると、「企業には採用の自由があるのだから、採用した以上は責任をまっとうすべきだ」という声も聞かれます。これに対しては、「労働者にも職業選択の自由がある(退職の自由のみならず、採用決定当時に入社せずに別の企業・職業を選択する自由もあった)」ということも、忘れてはならないと思います。採用側と応募側、お互いに情報格差がある採用・就職活動において、ミスマッチは完全には排除できない、そして、そのミスマッチを発生させている原因と責任は、企業だけでなく労働者にもあるという前提に立ち、その相互責任をどうやってフェアに二者で分担すべきか、という視点をもう少し持ってもいいのではと考えます。
 

「追い出し部屋」は日本企業の“甘やかし”の成れの果て ― 『HRmics』寄稿記事のご紹介

 
ほそぼそと続けている人事労務パーソン向け専門誌『HRmics』への連載。有期雇用法制の大特集の影で私は別の時事ネタをということで、「追い出し部屋」報道をきっかけとした、日本企業の解雇に関する一考察を書かせていただきました。

(原稿を上げたのは2月頭で、その時はまだ旬だったんですけど、皆さんもうお忘れですかね・・・)

HRmics vol.15 特集 非正規雇用の決着点
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労働法のことばかり考える仕事をしていたころの私の疑問の一つに、なぜ日本企業の人事は解雇リスクときちんと向き合った上で、適切なプロセスを経て正々堂々と従業員を解雇をする勇気をもたないのか?というものがありました。外資企業が、同じ労働法の保護の下にありながらバンバン解雇しているのにもかかわらず、です。解雇法制を語るときに、労働法学者も外資と内資の差異について触れている方は少ないようにお見受けしますし、私の知る限り、「外資は厳しいからしょうがない」「そういうリスク含みで入社してるわけだしね」と、企業と争うおうという労働者もいまだ少数派に見えます。

その疑問に対する私なりの答えは、「日本企業が解雇の法的リスクから逃げ続けるハメに陥っているのは、普段のマネジメントにおいて従業員を甘やかすだけ甘やかしているからだ」というものなのですが、こんな考え方にご興味がおありの方は、上記リンクP29ー30をご一読いただければ幸いです。
 

【本】グローバル企業の人事リストラ戦略 ― 「行きはよいよい帰りはこわい」じゃ困ります

 
弊ブログでご紹介する本をお買い求めくださる方は結構いらっしゃって、いつも本当に有り難い限りです。

もちろん、誰がどんな本を買っているかはこちらからは特定できないわけですが、毎月のAmazon売上集計を拝見していると、随分昔にこのブログで紹介したマニアックな専門書をふとしたタイミングで購入して下さっているのがわかり、「今この本を買ってくださった方は、きっとこんな課題にぶち当たって苦労されているのだろうなあ」なんていう想像を膨らませていたりします。

そんな中、10月分のAmazon売上集計を見ていると、明らかに今どきな傾向が現れていることに気づきます。それは、随分前にご紹介した『グローバル人事 ― 課題と現実』が飛ぶように売れているということ。[グローバル+人事+法務]でググると当該記事がトップに出るということもありますが、グローバル化が企業にとっての切実な課題になってきたことの証左でしょう。

そんなグローバルブームに便乗して、もう一冊ご紹介しよう(笑)という企画。

グローバル企業の人事リストラ戦略 事業再編・撤退における人員整理の法務



日本/アメリカ/イギリス/フランス/ドイツ/中国/オーストラリアの計7カ国の労働法におけるリストラにまつわる法制と慣習のみをまとめた本。ストレートに言えば、いかに安全に従業員をクビにしEXITするかを考える本です。

この顔ぶれの中では俄然中国が注目なわけですが、そこは著者サイド(TMI総合法律事務所)も当然心得ているわけでして、総ページ数300頁のうち60頁あまりを割いて解説する力の入れよう。

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解説の中身も、単に条文を解説していくというものではなく、
・異動・減給
・ワークシェアリング
・一時帰休
・個別解雇
・希望退職制度
・整理解雇
というようなリストラの具体的手法ごとに配慮すべき法律の条文を当てはめていくスタイルが取られているところに、工夫のあとが見られます。例えば、“異動・減給“の項の「法的根拠」の解説を読むと、
職種、職場、職位、賃金等労働条件の更新であり、法的には労働契約の変更(労働契約法第35条、第17条)に該当する。
従って、要件は、1)当事者の合意と2)契約書への記載である(労働契約法第35条、第17条)。
といった具合に。


経営者として、解雇にリスクがあるからという理由でその国への進出をやめるなどというビジネス判断をするはずはありません。加えて、実際にリストラをする重大な局面では、当該国の弁護士にアドバイスを貰うわけで、進出する前から解雇法制を完全に理解しておく必要もないと思います。

そうは言っても、その国の人々の力を借りてビジネスをする以上、「これから進出する国で労働者に対して負う責任の重み」をできるだけ正確に理解した上で進出し、やむなく退出する際にも立つ鳥跡を濁さぬよう備えておくのが、グローバル企業の経営者たるもの(そしてそれを支える法務たるもの)の最低限のマナーだと思います。その意味で、この本はお役に立つことでしょう。

【DVD】マイレージ・マイライフ ― みんなの憧れ「アメリカ型解雇自由」のリアル


ジョージ・クルーニー演じる"リストラ宣告人"ビンガムが、年間300日を超える出張生活の中で築いた人生の哲学、それが「バックパックに入らない人生の荷物は背負わない」。そんな彼の目標は、マイレージを貯めて(使うのではなく)ある記録を達成すること。

そのビンガムの仕事と個人的な目標が、優秀な新入社員のビジネス構造改革案によって窮地に立たされ、同時に起こる人々との触れ合いにも惑わされながら、自分の人生哲学を見つめ直していく、そんなお話。DVD化を楽しみにしていたこの映画が8/27に発売されたということで、早速TSUTAYAへ。

マイレージ、マイライフ [DVD]


男性のビジネスパーソンだったら、絶対に楽しめる映画でしょう。特に出張の多い方であれば、旅なれたビンガムの挙動に自分を重ねあわせて観ることが出来て、それだけでも楽しいはず。



ジョージ・クルーニーはオーシャンズ11ぐらいしか記憶に残ってない俳優(失礼)でしたが、これはハマリ役だと思います。会話と演技だけで見せるヒューマンドラマなこの映画は、彼の安定感なしには成り立たなかったかもしれません。

で、私が観たかったのはそのジョージ・クルーニーではなく、アメリカの人材ビジネスとアメリカ型解雇の「実際」。整理解雇が自由にできるアメリカにおいて、従業員相手にクビを告げつつ再就職支援サービスを提供するコンサルタントがどんな風にこのビジネスをしているのか、そして従業員たちが解雇の通知をどう受け止めるのかという点。この映画は、何十人もの解雇通告のシーンを通して、そこが丁寧に描写されているのが良かったです。たとえばこんなシーン。

ビンガム:「あなたは、お子さんから尊敬されたいのですね?」
従業員 :「今日、こうして安定した収入が得られる仕事を失った父親は、もう尊敬されないだろうね。」
ビンガム:「でも、尊敬されていないのは、前からでは?」
従業員 :「・・・失礼な、何だって?」
ビンガム:「レジュメによれば、あなたはフランス料理の学校へ通い優秀な成績を修め、料理人を目指していたようですが、その夢をあきらめてこの会社に就職した。」
従業員 :「そうだ。」
ビンガム:「しかし、いつかは料理人に、とお考えだったのでは。」
従業員 :「・・・」
ビンガム:「あなたのお子さんは、安定した収入を得て帰ってくる父親を尊敬するのでしょうか。そうではなくて、夢を追いかけ続ける父親を尊敬するのでは?」

ただし、これは映画に出てくる解雇通告シーンの中で、ビンガムがコンサルタントとして相手をうまく納得させることができたほぼ唯一の事例。

他のケースでは、取り乱したり、怒って物を投げつけたり、泣き崩れたり、すがったり、挙句の果てには自殺予告をしてみたり・・・と、リアルな従業員の姿が描かれます。整理解雇が合法なアメリカであっても、人格を否定されるかのようなこの行為を人間の感情としては到底受け入れることはできず、そう簡単には済まないということ。だからこそ、ビンガムのようなリストラコンサルタントに職があるわけで。歴史的背景により整理解雇に免疫がない日本でアメリカ型解雇自由が導入されれば、なおさらでしょう。

今ちょうど巷で流行りつつある「解雇解禁」。私も肯定派ではありますが、こういった解雇の現実を想像した上で主張しなければ、と。
 

法改正を待たずとも、解雇解禁は企業の心意気次第で成し得ると思う

 
センセーショナルを超えてアジテーショナル(笑)な週刊ダイヤモンドの特集「解雇解禁 ― タダ乗り正社員をクビにせよ」を読んで。

週刊 ダイヤモンド 2010年 8/28号


終身雇用のレールに乗った正社員だけが解雇規制で守られるのは、企業の労働生産性を下げ、失業と格差を増やすものであるから、この不平等状態を是正するために解雇規制を無くすべきだ
と声高に主張する本誌。「企業にもう福祉は担えない(p28)」と言いながら「雇用保険や職業訓練といったセーフティネットは必要(p58)」と言ってみたり(その財源の半分以上は企業が負担してるんですけど)と、ところどころ突っ込みどころの多い記事ではありますが、今の政府の“一億総正社員化政策”に対してこれだけ大々的に疑問を呈したのは、価値あることだと思います。

弊ブログでは、数年前から一貫して「解雇規制はもう事実上緩和されてるんじゃないか」というスタンスでものを述べてきたつもりですが、いよいよ時は来た、という感じでしょうか。

整理解雇の議論から生まれる、解雇権濫用法理の新たな潮流
【本】解雇規制の法と経済―緩和されていく解雇法規制から身を守る唯一の方法とは
【本】解雇法制を考える―コーポレートガバナンスの変化が解雇規制を緩和するという「痛み」を生んだという必然について
【雑誌】BUSINESS LAW JOURNAL No.13 4月号―秘密なんですけど、本当は企業から解雇するのって全然怖くない事なんですよ
終身雇用という幻想、というか誤解

本特集内の囲み記事では、水町勇一郎先生がこんなことをおっしゃっています。

日本の整理解雇法理は、相対的に厳しいことは間違いないが、具体的な判断は裁判所に委ねられており、実際、個別の事例を見て整理解雇を違法でないとする判決もある。法改正を伴わなくとも、労使の話し合いを基盤とした、客観的合理性・社会的相当性の判断に委ねることも十分可能だ。画一的な基準を画一的に適用するのではなく、変化に対応出来る柔軟な仕組みこそ必要だろう。

詳細な法的論点はこれまでのエントリで検討したとおりなのでここで重ねて申し上げることはしませんが、現行民法上も労基法上も労契法上もあくまで解雇自由が原則であることは忘れてはならないと思います。だからこそ、水町先生が言うように裁判所もすべての解雇を違法とせずに個別の事例を検討するわけで。

企業は、解雇規制という亡霊を前に思考停止して、なぜ解雇する必要があるのかについて説明責任を伴なう労使紛争から逃げているだけではないでしょうか。法改正を指を加えて待つばかりでなく、企業にとって本当に必要な解雇なら胸張って解雇しましょうよ、裁判所も今の時代に即した合理的な判決を出せる日をきっと待ってるはずですよ、というのがこの記事を読んでの私の感想です。
 

【DVD】フィラデルフィア―弁護士が弁護士を雇って弁護士事務所と不当解雇を争う物語

 
と言っても、クリームチーズの方ではなくて。
トム・ハンクス主演の法廷映画の方です。

フィラデルフィア


エイズであることがバレて大手法律事務所をクビになった若手弁護士(トム・ハンクス)が、ゲイに偏見を持つ黒人弁護士(デンゼル・ワシントン)と共に法廷で不当解雇を争うというストーリー。

痩せ細って原形をとどめなくなっていくトム・ハンクスの演技だけをとってみても、さすがこの映画で主演男優賞をとっただけのことはあり、一見の価値があります。デンゼル・ワシントンも、他の映画で彼が見せるシリアス一辺倒な感じとはちょっと雰囲気が違う役柄で、親しみがもてます。

陪審員裁判を扱った映画にありがちな過剰な演技を一切使わずに、同性愛に対する差別意識と不当解雇という事件の本質とを裁判の中でうまく切り離して考えさせていく脚本や演出は、法律に覚えがあるはずのこのブログの読者の皆さんであれば一層素晴らしいものに感じられるはず。

ちなみに、日本においても、HIVを理由とした雇用差別を不当とする指針や裁判例があります。この映画を観た後にお読みになると、理解度も高まるのではと思います。

職場におけるエイズ問題に関するガイドライン(平7.2.20 基発第75号 、職発第97号)

HIV感染者解雇事件(東京地裁平成7年3月30日判決)

会社から解雇と言われた以上、それが不当解雇であってもあなたは「離職中」です

 
「会社からは解雇と言われたけど、不当な解雇で私は認めていないし、書類選考も通過しにくくなりそうなので、履歴書には『在職中』と書いて転職活動をしたいです。」

リストラによる整理解雇や不景気に乗じた乱暴な普通解雇が増えているのでしょうか、最近こういう求職者が増えています。


「在職中」としたいなら、地位保全の仮処分の申立てが必要

「在職中」であるか「離職中」であるかは、転職活動、特に書類選考において大きな印象差を与えるのは否定できず、このような求職者の気持ちはわからないではありません。しかし残念ながら、会社から解雇の通知を受け退職日を迎えた日から、それが不当であろうがなかろうが、労働契約は将来に向かって解除されることとなります。

その理由は、解雇は会社の一方的な意思表示だけで労働契約の解除という法律効果を発生させる“形成権”の1つと解釈されているから。

労働者が単に「不当だから認めない」と解雇された会社に言い張っているだけでは法的には意味がないですし、そのまま「在職中」として転職活動をしていると(人事上の保険の手続き等でほとんどバレるわけですが)、解雇を隠匿したことと併せて、入社後に履歴詐称としても問題になりかねません。

会社が一方的に不当な解雇を通知してきた場合で、「在職中」の身分を確保しながら会社と解雇権濫用を争いつつ転職活動をしていきたいなら、面倒ですがまずは従業員としての地位を法律上仮に認めてもらう地位保全の仮処分を申し立てる必要があります。


労働法 第八版 (法律学講座双書)


解雇・退職をめぐる実務対策 (労働法実務シリーズ)

正社員という“踏み絵”―解雇規制という負担を強いられても日本企業が「終身雇用」にこだわる本当の理由

 
私はこのblogで、日本の労働法に根強く残る“企業都合の解雇に対する厳格なまでの規制”に対し、何度か問題提起をしてきました。

解雇に対する規制が厳格に過ぎることで、企業にとっては「まずは仕事をさせてみる」というチャレンジ採用・登用もできなくなり、ゆくゆくは年齢・性別・国籍・学歴・・・といったステレオタイプな偏見人事(統計的差別)を助長する原因となるだけでなく、労働市場の健全な活性化を阻害する、と考えるからです。

※解雇規制が生む統計的差別についての参考エントリ
終身雇用は採用時の属性差別を強める(Zopeジャンキー日記)

労働者の立場としては、一度雇用を確保してしまえば後は法律が保護してくれる(しかも都合が悪くなれば労働者からは民法上2週間前予告で自由に辞めることができる前提での)解雇規制は、厳しくて大いに結構なのでしょう。

しかし立ち止まってふと考えると、日本にこれだけ根強く解雇規制が残っているのは、(本来は自由に解雇できなくて困るはずの)企業自身にもメリット・狙いがあるからではないか。そんなことを考えながらうまく整理できずにいたのですが、先日発売された雑誌『経済セミナー』に、この疑問に関連する論稿が掲載されていたので、この論稿を発展させる形で、私の考えを述べさせていただきたいと思います。

経済セミナー 2009年 07月号 [雑誌]



「働かせ方の自由度」を確保するための長期雇用

その論稿というのが、日本大学大学院の安藤至大准教授による「契約理論からみた派遣・非正規労働の問題」というもの。

その第3節「なぜ企業は求職者に対して長期雇用契約を提示するのか」に、以下3つの理由があることが述べられています。
理由1:多くの労働者が長期雇用を望むから
理由2:企業特殊的訓練が必要だから
理由3:働かせ方の面で自由度が高いから

この理由のうち、1については企業自身が安定的成長を描けなくなったことなどから、そして2については仕事に必要な技能や知識が企業間で統一され特殊的訓練が減少していることから、企業が正規(長期雇用)ではなく非正規(短期雇用)でこれを置き換えるようになったことが述べられています。

ところが、残る理由3で企業が欲する「働かせ方の自由度の確保」だけは、短期雇用への置き換えでは解決できません。

企業としては、キャリア・家族の都合に関係なく人を将棋の駒のようにどこにでも動かせるフレキシブルな労働契約であればこの上なく楽ですし、ゼネラリスト的人材育成を前提とする日本の人事慣行からも配置転換・転勤は「誰もが通るべきいばらの道」という考え方がまだ大勢を占めてます。
企業が長期雇用というメリットを与える以上、労働者はそのような「苦難」も受容すべき、と考えていると言ってよいと思います。


キャリア・家族>仕事という価値観への弾圧のための踏み絵

これに対し、長期雇用されている労働者はといえば、昨今の不況と相まって自分の身を守るためのキャリアビルディングの意識は高まる一方です。さらに核家族化によって、介護や子育ての必要性から転勤を拒否せざるを得なくなる労働者も少なくありません。これらは、長期雇用というメリットを与えた企業からすれば、許しがたい行為に他なりません。

そんな発想の日本企業が対抗策として無意識にやっているのが、非正規雇用を増加させることで、相対的に正規雇用というものを神格化し“踏み絵”化する行為なのではないかと、私は考えています。

「君は、自身のキャリアビルディングよりも、会社の人事の都合を優先できるのかね?」
「君は、自分の家族の問題よりも、会社の問題を優先できるのかね?」

日本において正社員になるということは、この2つの踏み絵を踏んで会社に忠誠を誓うようなもの。
この“踏み絵”を踏めない“隠れキリシタン”は、
・自ら非正規雇用を選択するか
・「会社の都合を押し付けられるとすぐに転職してしまう
 堪え性の無いジョブホッパー」 という日本ならではの
 ネガティブなレッテルに甘んじるか
のどちらかを選ばざるを得なくなります。このことが非正規雇用を増やし、正規雇用されている者の健全な流動化をも妨げているのではないでしょうか。

つまり、解雇規制という負担を強いられても日本企業が「終身雇用」にこだわる本当の理由とは、会社よりもキャリア・家族を優先する価値観を許さないマインドを根強く持っており、そこから脱却できない(しようとしていない)からなのではないかと。

しかし、労働法は生き物です。人間が人間らしく生きたいという欲望・価値観を否定するこのような日本企業的な古めかしい“弾圧”が、いつまでも当たり前のこととして許される気がしないのは、私だけではないと思います。

日本企業は、長期雇用というメリットを与えても「働かせ方の自由度の確保」ができなくなったときに備えて、何をもって優秀な人材を引き止めるのかを、今から真剣に考えておくべきでしょう。

終身雇用という幻想、というか誤解

 
GW中にちょっとした盛り上がりを見せていた、総合研究開発機構(NIRA)の研究報告書に対する池田信夫先生とhamachan先生のご意見を読んで。

終身雇用という幻想を捨てよ(池田信夫blog)
長期雇用だけを「正規雇用」として転職を悪とみなす労働行政を変えるべきだと明確に提言し、flexicurityの理念を掲げたことは注目に値する。
終身雇用と呼べるような実態は従業員1000人以上の大企業の男性社員に限られており、その労働人口に占める比率は8.8%にすぎない。これは戦後ずっと変わらない事実であり、終身雇用が日本の伝統だなどというのは幻想である。

終身雇用という幻想を捨てよ(EU労働法政策雑記帳)
解雇権濫用法理それ自体に、「そもそも終身で雇用すべきだ」などというスタンスはありません。こういう勘違いは、経済学者には非常によく見られますが、困ったものです。これでは、アメリカ以外のすべての国、北欧諸国も含めて、不当な解雇を制限している国はすべて終身雇用を法律で強制していることになります。そんな馬鹿な話はありません。
期間の定めのない雇用は必ずしも「長期雇用至上主義」ではありません。スウェーデンの労働法は不当解雇をかなり厳しく規制し、有期雇用についてもその雇い止めを厳しく規制していますが、労働市場は非常に流動的で、決して長期雇用至上主義ではありません。

ちょっと言葉がきついなあと思うところはあるものの、お二人のような論客が終身雇用というテーマについて語っていただくのはよいことだと思いますので、ここではそれぞれのご意見にケチをつけるつもりはありません。

しかしながら、お二人が話題にしているNIRA研究報告書については、勤続年数をベースにして終身雇用のありやなしやを語っているところはイマイチな気がします。
小企業の労働者の勤続年数が大企業のそれより短いのは、大企業よりも企業自体の存続が短命なことも大いに影響していると思いますし、女性の勤続年数の短さは出産・育児が大きく影響していると思いますし。


誤解を放置した怠慢のツケなのかも

さておき、本エントリのタイトルにもあるとおり、「終身雇用」という言葉は、やはり労働契約に対する誤解の最たるものだと思います。

hamachan先生が上記エントリでも述べているとおり、労働者を「正社員」として積極的に雇用する企業でさえ、「終身」=その人が死ぬまで雇用するなんてつもりはさらさらありません。
「正当な理由なくして解雇はしないよ」と約束して入社させているだけなのであって、
・会社の倒産などのやむを得ない事由
・明らかな職務遂行能力不足などの本人の責に帰すべき事由
があれば、契約である以上本来は契約解除=解雇できるわけで。

しかしながら、事なかれ主義的な御用組合との労使協調路線とあいまって、企業側も解雇権を然るべきときにきちんと行使しようとせず、労働者(組合)側もそれを行使させようとしなかったばかりに、法律学的にも裁判例的にも「『終身雇用』してしまった以上はクビにできない」という解釈が幅を利かすようになり、そうこうしているうちに、企業も労働者も「正規雇用とは『終身雇用』の権利である」と誤解する世の中になってしまいました。


終身雇用≠正規雇用時代に即した法律の整備と教育を

このような誤解を企業・労働者の双方にさせてしまった原因は、1つには法律の不備にあり、もう1つには日本の法律教育の不足にあると私は思います。

今後、企業・労働者双方に生じている誤解を解くために、まずは、
1)企業または労働者から労働契約を解除する際の
  「正当な理由」とは何か
を(例示列挙でいいので)はっきりと明文化することが1stステップとなり、その上で、
2)労働とは契約であり、契約によって双方に発生する
  権利と義務とを確認し理解してから自らの責任で結ぶこと
の重要性を教育で伝えることが必要だと思います。

労働契約法が制定されたことで、2)が再認識された面もありますが、肝心の1)の議論が条文として盛り込めなかったところに、大きなチャンスを逃したのかもしれないと感じる面もあります。

日本において、「終身雇用」という誤解に基づく呼び名が使われなくなり、法律に忠実に「無期(期間の定めのない)労働契約」と自然に呼ばれるようになる状態。
さらには、「無期労働契約」が正規雇用すなわち“唯一の理想的な働き方”ではなく、選択肢の一つに過ぎない状態
そんな状態がフツーに感じられる新しい時代を作っていくことも、私たち人材ビジネスに関わる者に課せられた使命なのかもしれません。

【本】解雇・退職をめぐる実務対策―労働法学者の「論文型」教科書を予備校テキストのセンスで再編集すると、こんなに分かりやすくなります

 
この4月に発売となった労働法関連の新刊のご案内です。

このblogで紹介していないものも含め、労基法の解雇・退職関連の法律書は何冊も読んでいるのでもういいかなと思いながら、手にとってめくってみると「お、これは」と思う点が多く、結局お買い上げとなっ(てしまっ)た本です。

解雇・退職をめぐる実務対策 (労働法実務シリーズ)



見やすさへの配慮と法的な確からしさのバランスが秀逸

労働法に限らず、法律の本には、
1)見やすさをひたすら追求する「図表型」
2)法的な確からしさを優先する「論文型」
の2つがあると思います。

1)の「図表型」は初学者の理解には大いに助けになる一方で、実務には使えないものとなりがち。一方2)の「論文型」は実務の助けになる一方で、敷居が高く読みこなせないと宝の持ち腐れになりがち。どちらにも偏らない「丁度いい具合」がいいわけで。

その点でこの本はそのバランスが秀逸でした。

基本的な構成としては、
第?章で解雇法理全体について述べ、
第?章から第?章で普通解雇、整理解雇、懲戒解雇の順に解説し、
第?章では退職と合意解約と辞職の違いについて述べるという、
パンテグテン方式の如く講学的分類に忠実に、「論文型」構成をとりながらも、

実務家が最も知りたい「その解雇は有効となるのか無効となるのか」に関わる法的判断要素については、例えば普通解雇であれば
1 能力不足
2 勤務態度不良
3 欠勤
4 行方不明
5 遅刻・早退
6 協調性の欠如
7 私生活上の非行・犯罪
8 身元保証書の不提出
9 入社後発覚の持病
10 入社直後の産休請求
11 試用期間満了後の本採用拒否
12 私傷病による労務不能
13 業務上災害による労務不能
14 精神疾患
15 不注意による損害
16 雇止め
17 労働基準監督署への申告
18 職業人としての適格性欠如
19 ユニオンショップ協定に基づく組合除名・脱退
20 セクシュアル・ハラスメント
と、実務に即してかなり細かく個別テーマごとに節に分けた上で、その各節ごとに“チェックポイント”として法律と裁判例から導かれる法的判断要素をコンパクトにまとめており、「図表型」の分かりやすさも取り入れようという配慮が随所に見られます。

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また、重要な労働裁判例・判例をこれでもかとほぼ漏れなく引用し、特に重要な判例については各章の最後に「知っておきたい重要判例」というコーナーをわざわざ設けて判決文の抄録を掲載しているところもgood。
このあたりは、労働法全体について述べる本ではボリュームの関係で端折られてしまうところなので、分野別専門書ならではの良さが生かされています。

加えて、
・全体的に文字が大きく、
・2色刷りで重要な部分が目に飛び込んできやすく、
・文章に無駄が無く読みやすい
のも、通常の「論文型」法律書にない特徴。

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これらはすべて、著者が社会保険労務士でありながら各種セミナーや資格試験予備校の講師も務めている関係で、レクチャー用の教材作りに長けているからこその長所といえます。

はしがきによれば、今後「労働時間・休日・休暇」「賃金・賞与・退職金」とシリーズ化されていく予定とのこと。そちらにも大いに期待したいと思わせる良書です。

喫煙者を採用選考で排除することは合法か

 
先週も少し紹介したPRESIDENT 2009.5.4号のP109に、喫煙者の就職差別についての記事がありました。

・喫煙者を選考段階で差別することは、企業に認められた「採用の自由」の範囲であり、許される。
・一方で、採用後に喫煙者であるという理由で解雇をするのは法的に問題がある。
というのがこの記事の大筋の見解でしたが、前段の採用選考における喫煙者差別について、少し思うことがあります。

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健康増進法によって加速する喫煙者排除の動き


記事中に紹介されているセントラルスポーツ、星野リゾート、ライブレボリューションといった会社以外にも、入社に当たって喫煙者にタバコをやめさせたり、喫煙者を選考段階で排除する企業は増えてきているという実感があります。

企業が就業中にタバコを吸わせないことは、違法ではありません。
それどころか、健康増進法により、企業には受動喫煙が発生しないよう分煙環境を整える義務すら発生しています。

ところが、このような分煙環境を整えるには(タバコ部屋の設置等)カネがかかることから、そもそも喫煙者を入れたくないという企業の論理が働きます。

加えて、社長などが嫌煙者だったりすると、「タバコを吸うヤツは休憩を取りすぎて生産性が悪い」「そもそもタバコを吸うヤツは仕事ができない」などという先入観も働いて、容易に喫煙者を排除する方向へと傾いていきます。

しかし、タバコを吸う人からすると、本来自由であるはずの嗜好品たるタバコを強制的にやめろと言われる筋合いがどこにあるのか、という疑問が湧いてきます。「労働から解放される休憩時間に、外に出てタバコを吸う行為のどこが悪いのか」と。喫煙権の侵害ではないかと。


嫌煙権もあるが喫煙権もある


この点、私は厚生労働省の採用人権担当の方とも話したことがあります。

その時は、「喫煙権もある一方で、最近では嫌煙権も強くなっているので、なんともいえないですね。」と、玉虫色の回答ながら、少なくとも、そういった喫煙者を排除する採用選考も違法とは断言できない、という回答でした。

しかし、本当に「喫煙者排除は違法ではない」と言ってしまって良いのでしょうか

私はタバコを吸わないですし、好きか嫌いかで言えばタバコの煙やにおいは嫌いです。タバコが無い世界の方が自分にとっては快適ですし、嫌煙権を振りかざして、会社にとっての効率だけを重視する立場に立ちたいと思うときもあります。

しかし、企業に「採用の自由」が認められるとはいえ、休憩時間に外に出て吸うという喫煙者側の行動だけでも受動喫煙が起きない状況が担保しうるのに、「彼・彼女はタバコを吸う人である」というだけで選考段階で排除するというのは、プライベートな時間における人の趣味嗜好まで口を出すような行為であり、認められるべきではないと思います。

それを合法と言うなら、タバコを吸う行為そのものを禁止する、すなわち、喫煙権を完全に否定することが先ではないでしょうか。

飲み屋でキューバリブレばかり選んで飲んでいるヤツは採用しない。
クラブに繰り出しHOUSEミュージックに身を任せて気持ちよくなっているようなヤツは採用しない。
太宰治の『人間失格』を家で読んでいるようなヤツは採用しない。

こういった職務遂行能力と関係の無い理由で応募者を排除することは不当な就職差別にあたると理解していますが、エスカレートするとこういう不当な就職差別すら肯定してしまいかねない、危険な考え方だと思います。

【雑誌】BUSINESS LAW JOURNAL No.13 4月号―秘密なんですけど、本当は企業から解雇するのって全然怖くない事なんですよ

 
今月は、創刊1周年特大号ということで、題字が金色でいつもと違う雰囲気。なんか豪華っぽい!


特集も豪華2本立て。
第1特集が、「リストラ実務と労働法リスク」
第2特集が、「ハイスペック法務を目指す能力開発&ステップアップの道標」

第2特集では、他社の法務パーソンのスキルアップ環境がいかに恵まれてるかを思い知らされ(法務部の書籍購入費予算は年間5万〜90万/定期購読誌は1〜20誌/有料セミナー参加件数は年間3〜70件/勉強会を週1.5時間〜3時間実施etc)、不景気の波に飲みこまれ浜に打ち上げられてメンバー全員干からびそうになっている私の職場とのあまりの違いに色々コメントしたいこともあるのですが・・・。

単なるひがみになりそうなので控えさせていただきまして、本職の労働法絡みの方にコメントさせていただきます。


日本の解雇は簡単だ

特集の中でも際立っていたのは、何と言ってもフレッシュフィールズブルックハウスデリンガー法律事務所の弁護士、岡田和樹さんのインタビュー。

題して、「解雇を難しく考えすぎない―労使双方の経験をもつベテラン弁護士からみた日本のリストラ事情―」。

外資系企業の役員をしている外国人からは、「日本の法律は労働者に有利過ぎる」というようなことをよく言われるのですが、私は「とんでもない。日本では使用者の方がよほど楽だ」と反論します。
現状を前提とするかぎり、使用者はあまり訴訟リスクを気にする必要はないと思います。労働者は裁判まで起こして負けたら本人の将来を考えると最悪なので、訴訟リスクは使用者側より格段に大きいのです。

岡田弁護士がこここまで断言する決定的な理由は、アメリカと比べた日本の証拠開示制度の甘さにあります。

ディスカバリー制度もない日本では、顧客とのEメールのデータをはじめとして労働者の労働実態を示す証拠はすべて企業が握っており、労働者は会社の中で起こっていることを証明できないという現実がある、ということです。

かつては国鉄の労働組合側代理人として活躍していたにもかかわらず、立場を一転、現在は使用者側の立場で活動する弁護士ならではの「実戦」的コメント。

特集の写真ではすごく柔和な笑顔なのに、鬼のようなことをサラリと言ってますね・・・(苦笑)。

私も仕事がら、労働基準監督署に駆け込む労働者を何人も見てきましたが、労働基準監督署も個別の紛争解決において職場から証拠を集めるところまでは補助してくれません。「企業と交渉して、○○をもらってきてください。そうしたら企業を指導しますから。」というスタンス。
それでは労働者はいつまでも泣き寝入りなわけですよ、労基署の皆さん。

今はまだ、このことを企業側もあまり理解していません。ですので、「労働者が労基署に駆け込んだ!」と聞くと、企業も焦って大幅に譲歩した和解案に応じたりするわけですが、岡田先生のような弁護士が企業側に立ってこのような知恵を授けはじめると、労働者にとっては良くない方向に形勢が傾いてしまうかもしれませんねぇ。

日本における募集・採用時の年齢差別完全撤廃は、遠い未来の夢物語か

 
最近、企業からご依頼いただく求人数がめっきり減ってしまい、私のいる人材ビジネス業界は本当に悲惨な状況です。まあ、この世の中の情勢では当たり前の結果なんですけど。

しかし、堀江さんにまで名指しで心配されてしまうとは・・・。
しかし・・・不況はどんどん進行しているようです。人材紹介会社は青息吐息らしいです。以前は紹介する人を見つけさえすれば、業績を上げられたようですが、今は、去年人を採用しすぎて内定取り消しすら出ている状況で中途採用なんか出来ません。ということらしいです。最大手のリクルートでも人材紹介事業は赤字だとか。他は推して知るべしです。


募集・採用時の年齢制限は禁止されたけれど

こういう時期には、景気拡大期と違い、企業からの求人依頼は欠員募集などのピンポイントな求人のみに絞られていきます。そしてこのピンポイントが行き過ぎて、企業も意識しないうちに法律上問題のある募集条件となってしまうケースも少なくありません。

特に、最近の不景気で問題が深刻化するのでは?と懸念しているのが「年齢制限」問題です。

2007年10月から施行された改正雇用対策法により、募集条件に年齢を設定することが原則禁止になったのですが、実態としてはそれが守られているのかは甚だ疑問な状態。

採用選考においては、希望者全員と面接するわけにもいかず、書類選考で履歴書に記載される年齢を使ってふるいにかけている企業は多いというのが実感値であり、「35歳転職限界説」はまだまだ根強く残っていると言わざるを得ません。


定年制がいまだ合法とされている国、日本

一方で、世界各国の年齢差別に対する対応は、日本のそれよりもかなり厳しく、またスピードについても2歩、3歩先を行っています。

例えば、アメリカでは1967年より年齢差別が禁止されていますし、EUでも2003年までには主要国に年齢差別規制が導入されています。

しかし、これら各国の年齢差別禁止法令には、日本の年齢制限禁止法の発想と決定的に違う点が1つあります。それは、年齢を理由とした労働契約の終了、つまり“定年制”をも原則違法としている点です。

年齢だけを理由とした労働契約締結の可否判断が非合理的ならば、年齢だけを理由とした労働契約終了の判断も非合理的と言わざるをえない。これが道理ですね。

一方日本の雇用対策法では、“定年制”という年齢による労働契約終了の非合理性についてはまったく触れずに、採用についてのみ禁止法が立法されてしまいました。

なぜ定年制については触れなかったのか。そこには、日本に根強く残る終身雇用という慣行の存在があります。

終身雇用を成り立たせる制度として、“定年制”は欠かせない表裏一体の制度です。解雇規制がなくなって、アメリカ並に解雇が原則自由にできるようにならない限り、終身雇用に一定の上限を設けるための“定年制”は無くせないわけです。


年齢差別を完全に禁止するためには、踏むべきステップがある

年齢だけで採用をしないと判断するのはナンセンスですし、先進国として恥ずかしい状態なのは間違いありません。それは誰も異論を唱えることはできないでしょう。

しかし、定年や解雇規制との整理を端折って、採用における年齢制限についてだけ規制をしたことで、改正雇用対策法は事実上骨抜きとならざるを得なくなってしまった、と言わざるを得ません。

 解雇規制撤廃⇒定年制禁止⇒採用における年齢制限禁止

このようなステップで、しっかりと議論を積み重ねる必要があったのではないでしょうか。

「日本は定年制を前提とした終身雇用の年功人事なのだから、採用において年齢は重要な要素でありつづけるのだ」
「定年という年齢を理由とした契約終了が認められるのに、採用では年齢を使うなというのはおかしい」
改正雇用対策法に対する各企業のこういった反論はごもっともなところ。今の状態では、仏作って魂入れずな悪法だと言われても仕方がありません。

安倍政権下でこのような中途半端なカタチで改正雇用対策法を立法してしまった「立役者」は、某美人女優を妻に持つ某2世議員と聞いていますが、所轄官庁である厚生労働省には、正義感だけでなく、このような企業の現実の声に応えた立法をして欲しいと思いますし、世の中の実情に鑑みて改正する勇気ももってほしいと思います。




関連エントリ:

募集・採用における年齢制限禁止についての一考察(リクルート ワークス研究所)

転職活動において「解雇」を「一身上の都合で退職」と嘘をつくと、こういうことになります


本当は会社から解雇されたけど、転職理由を「解雇されたので…」と言ってしまっては、応募先からの悪い評価を受けかねない。
なので、「一身上の都合で退職した」ということにして転職活動をしたいと思うがどうか。

つい先日、プライベートでこんな相談を受けました。

結論から申し上げれば、
「解雇されたなら、正直に言っておけ。」
というのが、この質問に対する回答です。

以下その理由をご説明したいと思います。


「解雇」を「退職」と表現することのリスク

通常の求人企業の認識では、
1)「解雇」… 会社側からの労働契約の解除
2)「退職(辞職)」… 労働者からの労働契約の解除
と理解していると思います。

つまり、「一身上の都合で退職」と聞けば、2)の自分の意思で辞めたと受け取り、求人企業はその前提で選考をすることになるわけです。

実は後で1)だったことがわかった場合には、企業としては当然どんな事情で解雇されたのかを改めてきちんと聞いて再選考しないではいられないのは当然のこと、会社によっては、そんな理由を聞くまでもなく嘘をついた信用ならない人物として、内定取消・解雇を決定する企業も少なくありません。

職業がら、このようなシチュエーションでの不採用・入社後解雇の合法性について、裁判例を洗いざらい調べたことがあるのですが、「従業員の責めに帰すべき雇用終了事実の不申告による採用取消や懲戒解雇は有効」とする裁判例は、いくつも存在しています(京都地判昭44年10月14日京阪自動車事件、名古屋高判昭51年12月23日弁天交通事件、東京地判昭47年7月20日荏原製作所事件など)。

一般人の感覚で考えても、倒産で解雇ならいざ知らず、普通解雇・懲戒解雇されたという事実は、採否判断の前提を揺るがす重大な事実の詐称・隠匿と捉えざるを得ないかと考えます。

実際に裁判まで争うケースはまれかもしれません。しかし、法的には確実にリスクがある行為ですし、裁判まで行かなくとも企業の通常の反応としてその応募者を採用したくなくなることは、残念ながら目に見えていると言わざるを得ません。


退職理由はその気になれば簡単に調査できる

リスクはあるかもしれないけど、解雇されたことがバレなきゃそれでいいじゃん、という考え方もあると思います。
しかし世の中そうはうまくいかないもので、応募先・転職先企業がその気になれば退職理由をすぐに調査できる情報源が存在するのです。

a.離職票

その情報源の一つが、「離職票」です。
職業安定所長が発行し企業経由退職者に交付される離職票には、離職(退職)の理由が、
1 事業所の倒産等によるもの
2 定年、労働契約期間終了等によるもの
3 事業主からの働きかけによるもの
4 労働者の判断によるもの
5 その他
といった分類に従って、かなり詳細に退職理由が明記されます。
離職票記入例(ハローワークインターネットサービス)

離職票は退職時に退職企業から交付されます(頼まないと交付しない企業もあるようですが)。採用における詐称リスクに敏感な“先進的”企業は、この離職票を提出するよう要求します。まずここでバレる可能性があります。

b.退職証明書

もう一つ認識しておくべき情報源は、一般的にはまだあまり知られていない「退職証明書」の存在です。
離職票とは別に、労働基準法第22条の定めにより、労働者が請求したときは、企業は退職証明書を速やかに交付する義務を負います。
退職証明書のモデル様式(神奈川労働局)

この権利・義務の存在を知っている“先進的”企業は、入社者に対し、退職した企業から交付してもらった上で提出するよう要求してくる場合があり、これによって白状せざるを得なくなるケースもあるのです。


そこまで確かめにくる“先進的”企業なんてあるの?というあなた。
確かにここまで疑り深い企業は今のところは多くはありません。しかし、確実に増加傾向にあると認識しています。世の中そんなに甘くない、と思っていた方がよいかと思います。

解雇を隠して転職したことがバレて、それを理由に再び(短期間で)解雇されることを想像してみてください。そんな人を次に雇おうという企業が、果たしてどこにあるでしょうか。

どこかの求人サイトさんではありませんが、そんな事にならないよう、くれぐれも「転職は正直に」。

【本】解雇法制を考える―コーポレートガバナンスの変化が解雇規制を緩和するという「痛み」を生んだという必然について

 
他人事ではなく、私自身も解雇されないか心配になるぐらいの景況感になってきた日本。

今はまだ雇止めの問題“だけ”しか発生していませんが(派遣社員として働く皆様には失礼なものの言いようですがあえて“だけ”と表現させていただきました)、年明け以降には、正社員の整理解雇の問題へと発展することも避けられない情勢です。

これまでも何度か解雇をテーマにしたエントリを書きましたが、このような“正社員の整理解雇”をも検討せざるを得ない事態に備え、解雇の論点を整理しておきたい法務担当者・人事担当者・経営者・労働者の皆様におくる参考書がこちら。


9名の労働法学者・労働経済学者(常木淳・江口匡太・土田道夫・大竹文雄・藤原稔弘・黒田祥子・内田貴・八代尚宏・大内伸哉の各先生)の論文をまとめ、それに山川隆一先生が全体を俯瞰した総論を書くという10章構成。

この本が出た2004年当時は、整理解雇を広く容認する東京地裁労働部の裁判例が何件か発生する一方、労働基準法第18条の2にいわゆる判例法理に過ぎなかった「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」が条文化したばかりという混乱期だったせいもあるのか、学者のみなさんがそれぞれ自由に意見を戦わせている(ネガティブな言い方をすれば意見がまったくまとまっていない)様子が見受けられます。


解雇の基準は確実に緩くなっている

その9人の論文の中で最も分かりやすさで印象的だったのが、「整理解雇の4要件」について検証した、大竹先生による「整理解雇の実証分析」という論文。

整理解雇訴訟における
・解雇無効判決率
・整理解雇4要件それぞれについての要件充足率
の数字を10年刻みで分析するという、他の本では見ることのなかった興味深いデータがレポートされています。

これらの数字の変遷を見ていると、解雇無効の判断基準が時代によって変化していること、そして、だんだんと無効判決率が減少していることが如実に表れています。

このblogのエントリでも何度か言及してきた「解雇の判断基準は、かなり緩くなっているのかもしれない」という感覚はやはり正しそうだなと、思いを新たにしました。
整理解雇の議論から生まれる、解雇権濫用法理の新たな潮流
【本】解雇規制の法と経済―緩和されていく解雇法規制から身を守る唯一の方法とは


株主利益を守るか、長期雇用を守るか

では、なぜ解雇に関する規制が緩くなってきたのでしょうか?

その疑問に我が意を得たりと感じたのが、今や民法学の権威である内田先生が、労働契約における解雇を契約法的観点から述べている「解雇をめぐる法と政策―解雇法制の正当性」という論文の一節。

解雇に関するヨーロッパ大陸の国々の法制(自由な解雇に対する何らかの制約を課す)とアメリカ式のemployment at willの雇用契約法制は、ある意味で対照的であるが、いずれかが誤っているのというものではなく、また、経済的条件によっていずれかが一義的に導かれるものでもなく、めざす社会のヴィジョンの違いに由来するとみることができる。

この数年間の日本は、会社法改正論議でも見られたように、“めざす社会のヴィジョン”を模索していた時代でした。

そして日本が選んだ結論は、アメリカ型の「株主重視の経営」をロールモデルとするもの。この結論を前提とすれば、「株主の利益」を守るために雇用を切るのもやむを得ないという結論になるのは、ある意味必然なわけです。

もし、今マスコミが言うように「雇用を守るのが企業の義務」だというならば、アメリカ型の「株主重視の経営」をロールモデルとしてきたこの数年間を否定・撤回しなければならない

失われた10年をもう一度繰り返し、やり直すか?
今回の「解雇が是か非か」の議論に置いては、近視眼的な議論でなく、そういう大局的な議論をする必要があると思います。

【本】解雇規制の法と経済―緩和されていく解雇法規制から身を守る唯一の方法とは

 
これまた今の旬なテーマ「解雇」を読み解くのにぴったりな本。こんな本を今年の3月に出すというタイムリーさに拍手。

なんでもかんでも「解雇は違法、だからヨクナイ」と報道しているメディアの皆様も、この本を読んで法律の世界の現実と、解雇規制の経済理論を知っていただくのがいいかもしれません。




整理解雇事例に焦点を絞った調査で見える現実

本書の特色は、比較的新しい“整理解雇”についての裁判例のみを徹底的に集めて分析している点。

そんな中から見えてくるのは厳しい現実。
そもそも裁判まで争う解雇事件が少ない中、2000年から2004年末までに終局した509件のうち、復職が実現したのは約7%ということ。

勝訴しても、なんのための戦いだったのかがわからなくなるという結末。労働者にとってはこれが現実です。


崩れつつある「4要件説」

先日のエントリでも、教科書的な整理解雇の4要件は判例で確立されたものではないことを述べました。
整理解雇の議論から生まれる、解雇権濫用法理の新たな潮流

この本の調査分析によってもそれは裏付けられています。それどころか、以下のような興味深い傾向も見られるようです。
四要件の解雇の必要性、解雇回避努力義務、人選の適切性、協議義務の履行のすべてに関して裁判所は必ずしも判断を下さず、解雇の有効無効を判断しているケースが多い。そこでそれぞれの要件に関して判断が下されているケースのみを分析対象として、分析を行った。分析結果は、(1)整理解雇の必要性に関しては経常利益の赤字に関して言及がある場合に必要性が認められるケースが多いこと、(2)解雇回避努力義務に関しては新規採用の停止や退職勧奨の実施がその認定に貢献すること、(3)人選の適正性に関しては組合役員が解雇対象者となった場合に是認されにくいこと、(4)協議義務に関しては(中略)退職勧奨が行われたこと、解雇通知から解雇までの日数が90日以上あることの二つが重要であることが明らかになった。

つまり、大雑把に言って
・経常赤字である
・新規採用を停止している
・組合役員をターゲットにしていない
・退職勧奨を行っている
・通知から90日間の期間を置く
これらの要素が満たされていれば、整理解雇が認められる傾向にあるということ。
もはや「要件」と呼べるような厳格さは、そこにはありません。

やはり私の感覚どおり、解雇の要件は緩くなっている気配があります。


解雇規制の経済論から導かれる解雇から身を守る方法

ちょうど今日、池田信夫さんがこんなことを書かれています。
[中級経済学事典] 事後の正義(池田信夫blog)
目先の正義感で規制を強化して市場をゆがめる思考法を、法と経済学で事後の正義とよぶ。それ自体は悪いことではないが、不況になっても労働者を解雇できなくなると雇用コストが上がるので、企業は正社員の雇用をますます減らす。それは結局、失業者を増やし、労働者を不幸にするのである。

法と経済学に疎い私には、この“解雇規制の経済論”を理論的に述べることはできないのですが、この本ではこのことをこんな風に説いていました。
雇用関係の所有権を労働者に与える法制と、それを企業に与える法制の間では、実現する資源配分に違いはないという、いわゆる「コースの定理」が成り立つ。というのも、効率的な交渉が行われている限り、雇用関係が継続するかどうかを決めるのは共同余剰の大小関係にのみ依存するからである。したがって、自由な交渉が可能な環境では、解雇規制には効果も無ければ実害も無い。(中略)実際、賃金が生産性より高い水準で固定されていれば、企業は解雇したいが、生産性が失業利得よりも高いならば、解雇は非効率である。

法理論はさておき、経済学的な観点だけで言えば、
「自分の生産性を賃金より高めれば、必然的に雇用は守られる。」
ということでしょうか。

つべこべ言わずに、自分の生産性を高める努力をすることにします。

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整理解雇の議論から生まれる、解雇権濫用法理の新たな潮流

 
人材ビジネス業界の方々で集まる会合(というか忘年会)に出席し情報交換をしていると、やはり各社ともこの景気悪化に伴い“便乗的”内定取消の事案が増えているとのこと。

そういった行為が許されるか許されないかはさておき、日本においても、倒産回避のための人員削減ではなく、業績確保のための人員削減が容赦なく行われる時代になったのだなあと、ひしひしと感じている次第です。

こうなってくると、もしかすると整理解雇の法的妥当性判断や解雇権濫用法理にも影響がでてくるかも、というのが今日のお話です。


実は不明確な整理解雇の要件

12/5の衆議院予算委員会で、日本IBMの人員削減問題が取り上げられ、共産党の笠井議員と舛添厚生労働大臣との間で質疑応答がなされています。
予算の実施状況に関する件(衆議院TV)

その中で象徴的だったこの質疑応答。
笠井議員)
労働契約法第16条は、解雇は客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効であると致しております。
そこで、舛添厚生労働大臣に1点確認したいことがあるんですけれども、整理解雇については、確立した裁判例で、倒産寸前などよほどの必要性があるか、解雇を回避するための最大限の努力がされているか、人選の妥当性、労働者側との十分な協議は行なわれているかという、4つの要件が満たされる必要があるということで間違いありませんね。そのことだけお答えください。端的にお願いします。

舛添厚生労働大臣)
端的に答えられないので、ちょっとだけ詳しく答えさせていただきますのは、今の4つの事項が裁判において、解雇権濫用に該当するかという4つの事項が考慮されているということはその通りで、ございますけれども、これをすべて満たしていなければならないという要件と見なすのか、この解雇権濫用の判断するための要素と見なすのかということについては、これは、最高裁の判決があるわけではありませんので、判決の上ではまだ確立はしておりません。

議員)
しかし、満たされるべきであるということで、法的にはそういうことだということでいいですね。これが違うといったら大変ですよ。

大臣)
判決を下す、裁判所が判決を下すときに、いまおっしゃった人員整理の必要性等の、4つの事項が考慮されるということは確かでございます。

明らかに官僚がどこかの先生の本をパクって作った原稿を見ながらの答弁にやや頼りなさを感じてしまいますが、舛添さんがおっしゃっているとおり、教科書的に「整理解雇の4要件」と言われている
/涌削減の必要性
解雇回避努力
人選の合理性
ぜ蠡海の妥当性
は要件なのか要素なのか、実は判例上まだ決着がついていません。


解雇権濫用法理がこれまでよりも緩くなる?

日本IBMに限らず、業績確保のための人員削減の波は、年末から来年にかけて各企業に押し寄せることとなるでしょう。上述のとおりいまだ定まらない整理解雇に必要となる要件とは何かについて、各地で起こる裁判を通じ、法的な議論が詰められていくことが予想されます。

どこの企業がいつ倒れるのか、誰も読めなくなってきている時代です。整理解雇の4要件と言われるもののうち、,凌涌削減の必要性を検討するようないとまもなければ、△硫鮓朮麋鯏慘呂鮨圓したりの人選の妥当性を検討しているうちに倒産しないとも限りません。倒産をしては、肝心の雇用は守られず、何のための整理解雇制限なのかという本末転倒な話になってしまいます。

まったくの私見ではありますが、このような「今」を前提として整理解雇の議論がなされていくと、スピード感を要求される整理解雇の正当性判断が「高度な経営判断」の一つと捉えられるようになり、必ずしも客観性のある倒産回避の急迫性や人選の妥当性といった要件・要素までを求めない、という結論になっていく可能性すらあるのではないかと考えます。

そしてこれを機に、終身雇用を前提とした解雇権濫用法理そのものも、大きく変化していきそうな予感すら覚えています。

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