霊照会と鶴田麗貴氏について考える

霊照会と宗教家・霊能者としての鶴田麗貴氏に関わりを持とうとする方の参考にしていただきたいと思います

これで霊照会での体験記が終わりとなりますが、まとめとして、各関係者へのメッセージを残しておきたいと思います

1 これから霊照会で悩み相談をしようと考えている方へ

私の経験からして、霊照会ならび鶴田教主があなたの悩みを解決するのにふさわしいパートナーであるかについて、非常に疑問を持っています
霊照会に待っているのは、あなたの大切な心への支配と貴重な時間とお金の搾取です
そして、あなたの大切な感性も鈍ってきます
あなたの感性を大切にしてください
しかし、その感性であなたにとって霊照会が信用に足るのであれば、霊照会はあなたの人生のパートナーにふさわしいのかもしれません

2 鶴田教主様へ

わたしは、信念を持って一連の霊照会ならび鶴田教主の批判を展開してきました
それによって、どんな禍も受けて立つ覚悟をしています
それだけです

3 霊照会の会員の方たちへ

一連の記事で、一番心を痛めているのはないかと思われます
しかし、どの宗教も批判や弾圧に耐えて本物になっていきます
このくらいの批判で傷ついているようなら、その信仰はその程度なのではないでしょうか
在会中のご芳情には厚く感謝申し上げますが、私も信念をもって、記憶に忠実に今回の記事を書いていますので、ご理解のほどお願い申し上げます

4 その他の方たちへ

1以外の方は、あまり読者として対象としていません
にも関わらず読んでいただいたことに感謝するとともに「よっぽど暇なのですね」との皮肉を捧げたいと思います

一回目の司法試験の失敗後、試験勉強をしながら、神様とどのように向かい合えば良いのかを模索してきました。

そして、一定の結論に達して退会する決意を固めました

そのヒントを与えてくれたのが、「伊勢白山道」という人の書いた本でした
この人は、一人一人に「内在神」という神性が備わっており、個人は神様なのだ言うのです
そして、神様としてしっかり自立した人格をそなえて生かされていることに創造主たる神と先祖に感謝することが大切だと説いています

まさにこれだと思いました。
神様には感謝すればいいのだ
なにか救われた思いがしました

それ以来、四垂にお願い事でなく、生かされていることに感謝する日々が始まりました

願いを叶えてくれではなく、感謝すればいいのですから、とても簡単です
先祖にも線香を3本立てて、感謝すればいいのです
余計な供養などいりません。簡単でお金が掛かりません

霊照会に対してお願い事が叶うように、たくさんお金を払ってきたのが嘘のように楽になりました

生かされていることに感謝するようになると自分自身の力で人生を良くしようとするやる気が少しずつ湧いてくるようになりました

それに気づいたときから、段階的に霊照会から退会する準備を始めようと思いました
まず、神様にお願い事ばかりしてしまったので、御礼を重ねていくことにしました
8日は鶴田教主に神様に御礼の気持ちを伝えていただくようご祈願をお願いしていきました

そして、御礼も重なってきたとき、もう四垂は頂きませんと宣言することにしたのです
適当に理由をつけて、もう頂きたくないと申し出をしたとき、
鶴田教主は、大神様との手つながりを切るようなことはして欲しくないと言った瞬間
「これからは自分で直接やるっていうこと?」と私の心を読み取った時の表情は今でも忘れられません
その後がよくありませんでした。急にわたしの性格があーだコーダ言い始めて、ここままだと大変なことなるといった脅かしめいたこと言っていました
こういうことを最後になって言い放って不安にさせるあたり、これが鶴田教主の宗教家としての限界だったのだなと思いました


その後も、霊照会を辞めるにあたって、不安にさいなまれることも多かったのですが、やっと精神的に霊照会から自立できたのではないかなと思えるようになりました

長いもので入会してから9年の歳月が経っていました
退会してから何もなかったようにして過ごすのは簡単です
しかし、霊照会に関わってしまったことによって経験することとなった徒労をおもうと、霊照会のホームページを見て、救いを求めて霊照会に行く人たちの苦労を少しでも回避させたいと思っています

今度こそ神からの付託に応えられる人生を歩んでいくつもりでいます

これで、わたしの霊照会における体験記はおしまいにさせてもらいます

前回の予告通り、鶴田教主とI氏の宗教家として体験的比較論を書きたいと思います

S大は、設立母体の新興宗教の会員の子弟がほとんどの大学です。
また、ロースクールになってくると、I氏を人生の師匠と仰ぎ、I氏の理念を達成するために法律家を目指すかなり強固の信仰心をもった人が相当数いるのが特徴です

非会員は私たち学年では奇跡的に多く50人中5人いました
ほかの学年では、一切いませんでした

そのような環境なかで、強固な信仰心を持つ人が集まったなかで、部外者として生活することの不便さも感じることはありましたが、内部にいるからこそなかなか体験できないことを体験できたこともあり、それなりに自分の財産になってのではないかと思うところもあります

そこで、I氏が学生にとってどのような存在なのかについて、わたしの体験を下に書きたいと思います
ロースクール在籍者、在会2世あるいは3世の人たちで、生まれながらに家の宗教を背負ってきました。思春期にはそれに反抗し、また、その宗教の価値を見出し、信仰を決意した人がほとんどであるとの印象を持ちました
つまり、やらされている感はなかったように思います
そのなかで、I氏は、人生の指針を与えてくれる人生の師匠とし尊敬の対象となっています
同級生各位が頂いているI氏への畏敬の念は、大変純粋で、生きる原動力となっていることを痛感させられました
そのような意味では、その新興宗教やI氏を悪く言うことできません
戦後社会をリードしてきたI氏の功績は、評価にたるものと思っています

しかし、自分でS大への進学を勧めていながら、鶴田教主は、I氏を評価していませんでした。
なぜなら、I氏は金儲けに走っているからだというのです
鶴田教主の霊能力によって言っているのであるから、そういう部分もあるのかもしれません

霊照会に通って気づいた会員の鶴田教主にたいする不信感を思うと、よっぽどI氏の方が会員を励まし、生きる力を与えているように思えてならないのです

このように、わたしは ロースクール生活を通じて、鶴田教主とI氏では、宗教家として歴然とした差を思い知ったのです

次は、また本線に戻り、わたしの信仰の模索と現在の到達点について書きたいと思います

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