2005年08月18日

序 章

 低く、大地が揺れ動いていた。

 腰近くまで伸びたヒメジョオンが、地平線の果てまで広がる草原の中に広がっている。

 うす暗く、低い唸り声を上げて、重く湿った大気を吸い込んだ雲が満ちている。

 その雷雲が二つに割れて、裂け目から青空が覗いている。

 やけに生温い風、血の臭いに似ていた。

 時には全身を叩きつけ、時にはからかうように頬を嬲っていく風が、リズミカルなピアノの旋律のように交互に襲ってくる。

 雨は降っていない。

 風だけが、真横から叩きつけてくる。

 その風が、ヒメジョオンを左に右に大きく揺らし、そして、たちまち四方に散って草原の上を駆けていく。

 ついさっきまで、心地よく聴こえていた虫の鳴き声が、嘘のようにぴたりと止んでいた。
                 ・・・
 とてつもなく危険をはらんだ空気のにおいを察知し、どこかへ非難したかのように
思えた。

 やがて、その風さえも、その場を避けるように、大きく渦を巻いて、逸れていった。


 よく見れば、雲の切れ目は、その場の真上だった。

 雲すらその場を避けているようであった。

 もはや、風の音も聴こえない。

 その場に、二人の男が立っていた。

 一人は老人で、年は七〇くらいだろうか。肌の艶の良さは五〇代くらいに見えた。もう一人は、まだ三〇半ばくらいにみえる。

 老人は、正面からその男と対峙していた。

 老人は、地面、というよりびっしりと生えたヒメジョオンにリュックを降ろしていた。

 紺の作務衣を着ていた。着替えは持っていないらしく、既に作務衣の元の鮮やかな濃紺の藍色といえる面影は無く、汗と土汚れで色あせていた。

 頭のてっぺんは薄いが、見事な白髪であった。やや肉厚の体で、スーツを着ればそれなりの風格さえ感じられそうであった。

 もう一人の男は、灰色のズボンを穿き、上は黒の革ジャンパーを着ていた。
 男も、ズボンの裾がかなり汚れていた。

 男は肩まで届きそうな黒い長髪だった。手入れはいていないらしく、ぐちゃぐちゃに絡まっていた。

 目が糸のように細く、ややつり上がり、頬がこけていた。その細い眼は充血し、凶暴な光を持っている。

 「………ようやく…会えたか」

 男が口にした言葉だった。が、それは北京語だった。

 「……長かった。おれはこの日がくるのをずっと待っていた」
 「まさか、日本に隠れているとは思わなかったじゃろう」
 老人も北京語で返した。

 「師、雲彰は亡くなった」
   
 男は、老人に向かって視線を動かさずに、そう言った。

 「………そうであったか」

 老人の眼がすっ、と細くなった。

 「おれは、師の遺言で、お前を捜すよう頼まれ、今日までその遺言に従った」
 「わしも覚悟はできておった。こっちから行くつもりだった」

 長い、長い沈黙が二人を包んだ。

 「わかって………いるだろうな」

 男は、一言一言、ちぎり捨てるように言った。
 
 「あの日から、我が一門は屈辱の日々を過ごした。ついに捜し出せずに、病魔につかまれて死んだ師の無念さが、お前には解るか」

 「……承知の上だ」

 そう老人が答えると、男は腰を低くし、身構えた。

 「…十年。……十年もかかった」

 老人は、男と対峙していた姿勢のまま、動かなかった。

 「きいいいぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜ぁぁぁあああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 男は、老人に向かって疾りざま、かん高い奇声を上げて、天高く跳躍した。
 その場面が老人の目には、時間が止まりかけるかのように、スローモーションした。
 
 老人はまだ動かない。
 
 まだ動かない。

 動いた。
 
 男が跳躍し、老人に向けての攻撃が、飛び蹴りだとわかった瞬間、老人の右腕が唸った。
 それまで懐に隠し持っていた鎖状の物が、男に向かって投げつけられた。

 ──九節鞭。中国の武術で使われる武器のひとつであり、九つの節で繋がっている。丁度、公園にあるブランコの鎖を小さくしたようなものだ。折りたためば、片手で持つことができる。鎖の先端は槍と同じで、ロープを振り回す動作から投げつければ、太い大木にも突き刺さる。
 九節鞭の先端は、確実に男の額に向かって飛んでいた。が、男は空中で体を捻ると、その攻撃を難なくかわした。

 だが、それで老人の攻撃は終わっていなかった。飛び蹴りのタイミングをくるわせた男が着地したところを、すかさず連続攻撃に出た。

 腰近くまで伸びている草原の中では、思うように身動きは取れないので足技は繰り出せない。無理に行うことは自殺行為にもつながる。ほとんど上半身の動きが中心となる。
 老人は、老人とは思えぬほど見事な連続攻撃に出た。男の顔、のど、胸、脇腹、いずれも急所を狙った攻撃だった。股間も狙った。

 正拳によるものもあれば、開掌による攻撃もあった。どれもえげつない、相手を殺す為に用いる「禁じ手」だった。

 しかし、男もその攻撃を次々にかわしていった。男の動きは、大振りで、外側から勢いよく老人の攻撃をはじいていた。それに対し、老人の動きは小振りで、拳を出してはすぐに引き、それを繰り返す細かい動きだった。

 老人の体から湯気が上がっていた。風は止み、暗く沈んだ空に、湯気が鎌首をもたげた蛇のように、細く立ち上がっていった。
 
 男は、老人の左腕を捕まえると、開掌で肘の部分を包み込むようにして叩いた。

 パンッ、という空気の入ったビニール袋を手で叩いて割った時のような音がした。老人は「くっ」という呼気を洩らすと、額に玉のような汗をかき苦悶の表情を浮かべた。
 肘関節の骨を砕かれたようだ。
 
 だが、老人はその摑まれた左腕で男の頭髪を鷲づかみにすると、絡まった草を何本も引きちぎる勢いで、左足による前蹴りを、男の上半身目がけて放った。

 空中に散った草からでる、青臭いにおいが鼻腔に漂った。

 ただの前蹴りではない。老人の履く靴の先端に、刃物が仕込まれてあったのだ。

 だが、男も後に引かず、突進していた。それまでの動きとはうって変わってすばやかった。一気に体勢を低くし、左足で勢いよく地面を踏み込むと、真半身、老人から見て真横になった姿勢で、左手による突きを放っていた。

──二人の動きが一瞬止まった。

──吹っ飛ばされた!

 老人のほうだった。まるで車に衝突されたかのように後方にとばされていた。

 男は、低い体勢から一気に踏み込んだと同時に、左の開掌を老人の胸部に当てたのだ。
 内臓がひっくりかえるような衝撃が老人を襲った。老人は呻きながら懸命に立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。動かない左手には、引きちぎれた男の頭髪が、多量に絡まってついていた。

 「死ね」

 男が老人に向かって疾ったのと、老人が立ち上がるのはほぼ同時だった。

 真っ赤な血が視界いっぱいに広がり、辺り一面が大量の返り血を浴び、妖しく濡れた輝きをみせていた。


  
Posted by butaiden at 00:03Comments(0)TrackBack(0)格闘ライトノベル 武 胎 伝 | 小説

2005年08月17日

主な登場人物

be15a586.jpg主な登場人物

 南条広鷹

 札幌に住む高校一年生。通称『鬼足の鷹』の異名を持つマッハキックの使い手。祖父・徳次郎に師事したその源流は回族の秘拳であるとか、少林拳、仏山詠春拳、テコンドー、インドのカラリパヤット等に酷似すると言われるも発祥は定かではない。

 二戸城康

 香港映画のビデオの貸し借りが縁で付き合いの始まった、南条の数少ない親友。柔道部のナンバー2。得意技は袖釣り。年齢をごまかして飲食店の厨房でバイトしている。

 桜樹奈織

 西安学園一年生。南条のクラスメートで幼馴染。

 大賀 誠
 多勢で南条に挑むも、軽くあしらわれ、その実力に感嘆する。後に古流柔術の門を叩く。

 二宮 将志

 西安学園三年生。空手部主将。南条の良き相談相手。

 茶木 大介

 西安学園三年生。少林寺拳法部主将。南条に因縁がある。

 陳 (名は不詳)

 静岡で少数にのみ武術を教える老人。既に齢は六十を過ぎていると思われるが不明。弟子が集まる彼の家は「円舞館」と呼ばれている。徳次郎失踪の鍵を握る人物。

 麻生 健

 陳の高弟。『バーリトゥード・ジャパンカップ』覇者。




 

  
Posted by butaiden at 17:10Comments(0)TrackBack(0)格闘ライトノベル 武 胎 伝 | 小説