kimagure読書メモ

紫陽花を捧げ持ちつつ小さくて冷たい君の頭蓋を思う松野志保)

この作品のどこが好きだったのかというと、兎にも角にもまず第一にその透明感のある絵柄が好きだった。
吹き抜けていく一陣の涼風のような。
でもその透明さのせいか、好きだったわりにどこか印象意外に確たるものを残さずに過ぎていってしまうような気がしていたけど、最終巻まで読んでみると最初からそうやって過ぎていくものを目指して書かれた物語なのかもしれないなんて思ったりする。

ネタバレを含みます。

ずっと不思議に思っていたことはこの作品のタイトル、『恋は雨上がりのように』について。
怪我によって部活を休むことになった主人公の橘あきら(17)は、気遣いをしてくれたファミレスの店長(45)に惹かれてアルバイトを始める。
そんな年齢差に隔たれた恋の物語。
1巻のその出会いの日、ファミレスを出たあきらが雨上がりの空を見上げる描写があって、感情の機微と雨上がりの組み合わせはあるけど、やはりつかの間の言うなれば雨宿りのような恋なのではないかとずっと感じていた。

そして最終巻の10巻。
雪の日自宅にやってきたあきらを招き入れる近藤が「なんだかこれきり 橘さんと会えなくなるような気がする。」
という非常にドキドキさせるシーンから始まるアパートの場面。
ここでわりと長い尺で挟まれる近藤の、もし自分が高校生で、橘あきらと同級生だったらどういったやり取りがあっただろうと思う空想。

雨宿りのような恋、というのはあくまであきらの視点から見た物語で、近藤の視点からは全く違ったものになるのではないか。
最終的にあきらはバイトを辞めて陸上部に復帰して、なおさら恋は雨宿りのようにつかの間の恋だったという印象を強くする。
「…今日のこと、俺 きっと一生忘れないんだろうな」
「橘さんは忘れたっていいんだ」
という、今まで降って湧いたようなあきらの好意をどうするべきか悩んでいた近藤の、憑き物が落ちたかのように晴れやかな台詞。
引き伸ばすことも十分に可能だったはずの関係を、大人として終わらせようと決めた近藤の。

恋っていうのはいわば一種の異常な興奮状態で、永続して続いていくものではない。
降りやまない雨がないことと同じで。
雨宿りのようにいつかは終わる恋。

タイトルが「ような」であったなら、それは雨宿りのような恋だけど、選ばれた言葉は「ように」
文章を補完するなら、恋は雨上がりのように、美しい印象を残して過ぎ去っていったのではないか。

あきらと橘だけではなく、あきら周辺で生まれた恋も描写してあるけれど、
あきらに恋をした同級生の吉澤、その吉澤に恋をしたバイト仲間の西田ユイ。そして大学生バイトの加瀬が抱く義理の姉への恋愛感情。
これら全ての恋が報われることなく物語は幕を閉じる。
やはり恋は雨上がりのように消えていくものと書かれた作品なのではないかなと思わせる。

そして、部活を休んだ後にまた走ることを選んだあきら同様、近藤は絶てずにいた文筆への想いを再燃させてまたペンを走らせるようになる。
恐らくこの作品のもう一つのテーマが停滞とリスタートで、そこにはたぶん抱いた感情の全ては決して無駄にならないんじゃないかということが書かれているのだと思う。
もう自分には何もない大人なんだと折に付けて思っていた近藤がまた執筆を再会したように、吉澤への想いが届かなかったユイが美容師になりたいとより強く願ったように、何をしたいのかと思う自分を自分に問うていけるならまた新しい景色が見えてくるはずだっていう。

ところで、あきらの強い眼差しに慄いたりなどする近藤に、田山花袋の『蒲団』を思い出した。
年若い女弟子の存在に揺らされる中年作家の心情。
「時雄はこの力ある一瞥に、意気地なく胸を躍らせた」なんていう文章は、ちょっと似てるよね。
でも、この作品で描かれた近藤は橘あきらのことを性欲の対象とはしないし、私物をくんくんしたりもしない。
ということで『恋は雨上がりのように』は、綺麗な田山花袋とするのはどうでしょう(笑)

映画を観に行こうかなー、とも思ったのだけど、上にも書いたようにでも自分がこの作品で一番好きなのは、この絵柄なんだよなーと思ったら結局足が向かなかった。

せっかくだからとファミレスでこの文章を書いているのだけど、ちょうど女子高生がアルバイトの面接を始めて、橘あきらよりも近藤に日々近づいていく自分は、眩しさを感じたりなどしている。
日々朽ちていく身体に、澱んでいく心が。
だからこそ、まだまだ17歳の子供でしかないあきらを元いた場所に戻れるように仕向けた近藤を人間として尊敬できる。
青く跳ぶことができた季節が過ぎ去ってしまって、もう戻ってこないことは寂しくて悲しいことだけど、でもそれが今自分がいる地点を否定する訳じゃないよね。

過ぎ去ってしまう感情に、身体の心の若さに、悲観的になりがちな物事を悲観させずに書ききったのがこの作品なのではないかなあと思います。

4
別れることになった不倫相手に腕を貰えるような世界の「くちなし」に、私たちの中には脳を刺激する虫がいるという「花虫」など。

綾瀬さん新しい作風で来たなーと思ったけど、読んでみたら完全に綾瀬さんの新境地だった。
身体の機能や社会の構成が変わったとしても、それでも傷つきつつ何かに手を伸ばさなくてはいられない私たちの。
最初は今ここにいる自分とその物語の差異が目につくけど、だからこそより一層登場人物たちが抱く愛憎が自分たちが持つものと変わらないことが際立つようで。

帯に書かれた文句。
「遠ざかるほど、愛に近づく」、それが全て。

一番好きな話はやはり表題作。
分離した腕を慈しむ描写に、悲しみに染まる妻を少しずつ分離していく不思議な夢。
夢を中で悲しみを作り出す醜い生き物を捕まえる描写は、とても美しいです。
悲しみの涙をぽたぽたと流す、醜い小さなトカゲがこの作品が自分の中にもいればと思うほど。

そして美しいといえば「愛のスカート」も外せない。
隣の部屋で着替える母と娘の華やぎ。

難民の子供の一夜を買う夫人の「薄布」
この話で圧巻だと思った部分は、お互いに軽蔑し合う関係の夫、夜中に帰宅した夫に既視感のある香りがよぎる場面の描写。

 自分がこんなに寒い場所にいたなんて知らなかった。寒い。寒い、のに、可笑しい。目隠しの布を外したみたいによく見える。しんしんと凍える荒野で、初めて夫に会った気がした。

ここの世界はこういうものなんだと気付いてしまった時の、視界の反転。

反転といえば変化した女は愛した男を頭から貪り喰う「けだものたち」
その設定だけでも素晴らしいけど、物語の帰結がね。
お互いに満たされていて変化とは無縁だった夫婦の愛は、娘が変化したことによってその形を変えていく。

読み終わってみて、自分の中にある欠落を埋めようと、何かを求めずにはいられない私たちそのものに思いを馳せる。
そういう生き物だからだろうか。
私たちがこうやってでしか生きられない世界だろうか。

3
大学の友人が本を出しました。すごい!!


通称「恋虫」と呼ばれる「感情性免疫不全症」にかかった人間は、他者への感染を防止するため駆除されてしまうという世界。

予防法も治療法も見つからないこの病は正式名称からHIVを連想させるからなのか、感染者を処分しなければいけない理由というものを、読んでいて埋めることができなかった。

また、「現在は日本でしか発生しない」という記述。
現在は、ということは諸外国からは既に根絶されてしまったということで、他の先進国なども駆除隊を組織するという手段をとったのだろうか。

個人的には設定だけが少し突出してしまっている印象だけど、でも物語としては面白かった。
駆除隊に入隊した女の子から始まる連作短編で、特に第2話から3話への展開がすごい好き。
 そして気づく。
 ああ、彼は、私のことが好きだったのか。
 『恋』をしていたのか。

とマッチングされた当時の恋人を振り返る女の子と、その男の子が彼女を思ううちに恋に罹患するまでが描かれた。。。

そして4話「幸せになれよ」といういわば呪いを打ち破るべく伸ばす手。

読む前は、なんというか伝わるかな。
あくまで恋愛感情、強く強く狂おしく相手を思うような感情は、今の自分からしたらこの世界に自然にある感情で、正しいもの是であるものという認識のまま読んでいて。
でもこの物語内では、恋虫に罹患せず結婚して子供を産んでという状況が正しいとされていて、登場人物たちが抱えた感情は本当に『恋虫』によってもたらされたものであるということも否定はできないんだと思うと、どこか少し怖くなった。
感情は、脳内の電気信号がつくるものである私たちは。


そして番外編の秋名。
また少し雰囲気が変わって、もっと強い心身の痛みが生じる暗さで、今後どんな景色を見せてくれるか楽しみに思った。

たまたま見た映画がとても印象深くて、どうしても引っかかるから不本意だけど記事に書く。
悪い意味で。

カルチャースクールのアマチュア劇団が大手楽団と間違えられて、屋久島の演奏会に呼ばれてしまうという物語。
ネタバレを含むよー。



勘違いから始まるドタバタをコメディー調に描くのかと思ったら、どうもそうでもなくて。
間違えてオファーを出したのは行政側の主人公で、それについてはまあ失態なんだけど。
間違えられるような名前を、あやかるつもりで付けてるのに、そのオファーを確認すらしないのはどうなのよって。
だって、縁もゆかりもないアマチュア劇団を招いて演奏会なんてしないじゃない、普通。

まあ、その起承は物語だから置いておくとしても。

不倫をしている主人公がそれをやめることにする、とかそういう展開もあるけど、言いたいことはそれじゃないのでここも置いておく。

結末を言ってしまうと、演奏をします。
演奏をして、逃げます。主人公の手引きで。
大きな舞台で演奏をしたいんだという団員の熱意に押し切られるような形にもなって。

ここが本当に理解できない。
いくら舞台で演奏をしたいという夢を持っていたからと言って、人の褌で相撲を取る以外の何物でもないのに。
それでいいのかなって、身の丈に全く合わない舞台に立つのって怖くないの。

あまつさえ、演奏したあとに「気持ち良かった」って、音楽は自己満足の手段でしかないのかと勘繰っちゃう。

自己満足のために道理にそぐわないことをしちゃうことに、劇団の人物たちは自覚的なんだけど、たぶん撮る方が緩い着地点を目指したせいで、そこがなあなあなんですよね。
つまらなかったとか、そういうレベルじゃなくて、ホラーみたいな狙って作られた訳でもない不快感が気持ち悪くて。
生理的に無理だとまで思える展開が、なんだか新鮮。

4
ピンクなタイトルと柔らかくガーリーな表紙イラストからイメージされるような生やさしさからかけ離れた、少女たちが置かれた圧倒的な現実。
今ついたばかりの傷から、まだ温かな血が流れたままでいるような鮮烈な痛み。

置かれている境遇がもう既に辛いんだけど、彼女たちが信じていた風景も容易に壊れてしまうものであったり、そうだとしても自分でその景色を作り上げるしか他に生きていく術がなかったりして、それがもう大変つらい。

中でもやはり印象的なのは、養護教諭とその生徒たちの交わりを描く「春眠」
自傷する子たちを、そういうものなんだと突き放したように淡々と接する彼女に向けられた
「私、先生がいつ助けてくれるんだろうって、ずっと待ってるんですけど」の言葉。
見ようとすれば気付けたものだったのだろうか。
そして美しい少年は、痛んだ翼で発っていく。

そこからの、自傷する少女側を描く「モンタージュ」
「春眠」で語られたその後の顛末も、養護教員の彼女に対する少女も、もうどこにも救いがなくてつらい。
けれど、それでも。
私が私であることを誰が証明できる?
誰の言った言葉なのかやっぱり判らないけれど、まず、それを証明するのは私でありたい。



読み終えてから、ここに出てくるのはちゃんとした少女時代を送ることを許されなかった少女たちばかりなんだと思うと、タイトルの「官能と少女」がより一層染みた。

1位 『殺人出産』村田沙耶香
http://blog.livedoor.jp/buudyhalfmoon/archives/1840674.html



2位 『骨を彩る』彩瀬まる

http://blog.livedoor.jp/buudyhalfmoon/archives/1841496.html


3位 『神様のビオトープ』凪良ゆう
http://blog.livedoor.jp/buudyhalfmoon/archives/1842452.html


次点
『絶望に効くブックカフェ河合香織 読んでいて楽しいエンタメだけが本なのではなくて、魂の慰めにもなり得るものだと信じさせてくれる良ガイド。
『秋期限定栗きんとん事件』米澤穂信 あまりにも鮮やかでしたたかな帰結。ああこの人はミステリーが好きなんだなあっていう。
『シンドローム』佐藤哲也 
http://blog.livedoor.jp/buudyhalfmoon/archives/1839807.html

『はなとゆめ』冲方丁 中宮定子様に心酔した清少納言が、書き残そうとした日々とまたその理由。平面な知識でしかなかった枕草子が、自分の中で質量を伴った三次元のものになっていく感じ。
『シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱』高殿円 登場人物を女性に、現代のロンドンを舞台にしたホームズ。人物たちの掛け合いがとにかく楽しい。

今年読んだ本は139冊。うち再読は41冊。
去年よりは多く読めたわりに記事には出来なかったなー。

そのほかだとやはりアニメ化もした「宝石の国」
とにかく美しい映像が、漫画だと把握し切れなかった動作をしっかり描いてくれてとにかく充実した。
そして原作が、ああーっ!となるような、もうどうなっちゃうんだよという展開で、救われてくれええと呻くような楽しさ、なのか。

とにかくなんとか生きてます。
来年もどうぞよしなに。

5
 交通事故で死んでしまったはずの夫・鹿野くんと暮らすうる波。
という設定だけを見て、川上弘美みたいなちょっととぼけた様子の本なのかなと読んでみたところ、なかなかにえげつない内容の作品でした。
夫がいないまま死んだようになって暮らしていくより、それがどれほど間違っていても狂っていても誰に理解されなくても実際に触れることができなくても、夫がいてくれる生活の方がいい。
 そして他者はその生活が、感情が間違ったものなのだと決めることが出来るのだろうかと。

 私たち人間が、まず不完全な心を持った不完全な存在だという諦念の上に立った、人類賛歌のような本。

 何かのせいで断絶された関係の中で、それでも自分の内面にある欲求に目を向けて手を伸ばそうとする4つの愛を描いた連作短編。
恐らく当人たちにとってそれを選ぶしかなかった、もしくは選択の余地すらなかった愛の。

 似たような立場でも絶対にされたくない共感もあれば、自分の立場を想えばこそしたくはなくても認めざるを得ない感情もあって、人のこころは様々だ。

 圧巻に思われたのは、現れた鹿野君を見たうる波がすぐさま決意をしてしまう第一話。
自覚してその幸福を選んだからには覚悟をするほかないという、明確な線引き。
「みんな、自分が見たい夢を見ればいいと思う。わたしはわたしの。千花ちゃんは千花ちゃんの。わたしはあなたの夢を否定しない。だから、わたしのことも放っておいて」

 愛したもののことでもう選べなくなるものに自覚的。またそうならざるを得ないのだろうし、自分の夢の強化のためにすり寄られるのは耐えられない。


 期待をすればその裏には絶望があって、時には誰からも理解されないという孤独や、行き違いによる傍から見ればどうしてそんなと思うような惜しい軋轢。
死んだ後のことはどうなるか分からないけど、死んでしまった方が生きることよりずっと楽なんじゃないかと思うこともあって。
 それでも夫に先立たれてしまったうる波さんが、夫の幽霊との生活を重ねる度に「生きていてほしかった」と願うから、読んでいる側に届くものがあって。そこがすごい。

 障壁のある恋をしている二人を見た後に、『ロミオとジュリエット』を引き合いに出す会話が好き。
もっと二人が大人になった頃に出会っていたなら、今なお読み継がれる作品は生まれていないだろうけど、それでも二人は死なずに済むねって。

鹿野くんも生きていてくれればよかったのに。
どんな絶望を抱えていてもいいから、生きていてくれればよかったのに。


 
 死んでしまった鹿野君とその妻のうる波さんの関係はもう発展していきようがないけど、だからこそ他の3話のどうにでも変化し得る愛が映えるのかも。
意中の相手と結ばれるかもしれないし、大切な相手にもう会えないのかもしれない。
それでも未来が残っていると。

5
次に読み返したら記事に書いてみようと思っていたものの、いざ読み返してもなんだか書き口が見当たらない。

 熱帯魚を飼い始めた中学生のコウコと、家族がコウコの家に預けられたさわこおばあちゃん。
熱帯魚を飼育する環境は、さわこの遠い女学生時代を呼び覚まし、悲劇的な殺戮に終わる。

 半覚醒のうたかたの淡いの中で、水槽のモーター音で女学生時代の人格に戻るさわこおばあちゃん。
面白いと思うのが、そのモーターの音で覚醒していることに本人も気づいていること。水槽を別の場所に移したらもうこうやって二人で話すことはできないかもしれない。
こういったお互い同意している不安定で危ういけど特別な関係ってわりと好き。

 熱帯魚の水槽に限らずペットを飼いたいという願望、なにか自分の手の内に生き物を飼いたいという願望は、知らず知らずのうちに神様に近い位置にあるのかもしれない。
ことに水槽というビオトープの、小さく区切られた世界にいたっては。

 愛おしく大事に思っていたからこそ憎くなってしまう気持ち。

 本富に、私たちの気分の、万華鏡のやうにころころと変はること。
と言っていた朗らかな少女が、仲よくなりたいと思っていた少女が傷つくことを願ってしまったせいで、自分が悪魔に魂を売り渡してしまったんだと思うまで。

 「おばあちゃんは、戦後本当に苦労なされたのよ」とコウコの母は言うけど、人生の最期で蘇ってきたのは女学生時代の悔恨。
避けることのできないどうしようもない苦痛なのではなく、あくまで自分がしてしまったからこそ辛くて苦しい、でも楽しかった時代の甘くて痛い記憶といったところだろうか。
結局もう二度と元に戻ることはなかった関係の。

 そして水槽に起こっていた事件の終末、自分を打ち滅ぼすように何度も何度も石を振り下ろすさわちゃんに向かってコウコが言った「もういいよ、さわちゃん、もういい」

 許してもらえるかどうなのかは相手が決めることに間違いはないけど、でも最後まで残ってしまうのは案外、自分で自分を許すことが出来るかということなのかも。

 神様が、お前たちをこういうふうに創ってしまって悪かったねえ、と言ってくれたなら、それはどんなにいいだろう。

この言葉で救われることはなくても、救われたような気持ちにはなれて、それがたぶん大事なこと。

「ごめんね、コウちゃん、ごめんね、コウちゃん」と泣き出すさわちゃんに、コウコは夜な夜なの会話で自分とさわちゃんが近しいんじゃないかと感じたことを踏まえて
「いいんだよ、さわちゃん、姉妹じゃないか」
と、冗談めかして返す。
この場面がすごく好き。




5
彩瀬さんの、ほら、こういうものなんだよ。って突き付けてくるような文の書き方がたまに物凄く怖ろしくて。でも決して嫌な印象ではなくて。
見えてくる景色にだからこそっていう説得力が増してくるような気もして。

 「指のたより」
十数年前に妻を亡くした津村は、夢に現れる妻の指がだんだん減っていくことに気付く。
妻が文字を書きためていたノートに遺っていた言葉も壮絶なんだけど、この話で一番そうなのかも知れないと合点がいったのは、夢の中で目にしていると思っていた妻の姿をもう思い出せないのだと気付いた場面。
寂しい余韻を残しつつそれでも美しいラスト。

 「古生代のバームロール」

まずタイトルに一目惚れ。物語の話形も人と人とが選んだ挙句についてしまった決別という形で好き。
悲劇的ではあるけど、それでも決着がついてしまったという救いがあるようにも思う。
 高校の恩師の葬儀に出席した光恵は、望まない形で再開したかつての友人に葬儀のことを伝える。

この子は友達だ、いつも一緒にいる玲子や美鈴とは違う、この子のこころの形を知っている。だから無事でいて欲しいと願うような友達だと思った。

だけれど否応なく流れていく時間は、私たちを押し流して関係すらも変えてしまう。
美しい決別というよりかは、やはり描き方なのだろうか。


 「ばらばら」

幼い頃に両親の離婚と再婚を経験している玲子は、自分の息子がいじめを受けていると知る。
タイトルのばらばらが再結成するように玲子が感じる様子に、一番好きな話かも。
自分というものを取り巻く世界は脈絡がなくてばらばらで、すぐにほどけてしまう。

 お父さん、と言ってみる。いつか終わると思っていたお芝居が終わらない。ばらばら、の、心もとなさが、終わらないよ。
からの、バスで乗り合わせた少女との偶然の再開、思いやりを持って接してくれていた継父との記憶。

ビーズの触れ合う音がする。ばらばらになって、跳ねて跳ねて、その先でまったく想定していなかったものと出会う。かちんと音を立て、一度触れ合って、離れる。

 「ハライソ」

ネットゲームで仲良くなった少女と細々と続く対話に、相談に。
自分が触れることを許してくれている相手の温み。

そして「やわらかい骨」
最初の話の主人公:津村の一人娘の小春が主人公。
小春と同じバスケ部にも入った転校生の葵は、学校の食事前にもお祈りをする。

「古生代のバームロール」と似ているようで違う別れ。
なんといっても中学生の彼女たちは、まだ自分の意志で物事を決めるということができなくて、そこが別れの要因として決定的に異なる。
私たちを取り巻く世界は、やっぱりどこでも脈絡がなくてどうしようもなく理不尽で。
家の格が低いから、告げ口を恐れてお祈りを欠かすことのできない子と、家の格があるから食事前のお祈りをしなくてもいい子。
とある宗教家さんが著書の中で「良い宗教とそうでない宗教の見分け方は、それにまつわることで人が離れていくなどの不具合があるか」みたいなことを言ってた(うろ覚えです)

憎む。なにも欠けていない。よくある。普通。そう言って、振り払いたかった。けれど、なかったことには出来ない。黒い飢餓も、葵がお祈りを止められないことも。否応なく骨へと染みた、色とりどりのものたち。

5
『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した村田沙耶香ですね。
彼女の作品はこれが最初に読んだ本。

子どもを10人産めば、1人を殺すことが許される「殺人出産システム」で人口を保つ世界。
あー、なんか聞いたことありそうな設定だなと思いつつ、読み終えた率直な感想はというと、そりゃあこの人なら芥川賞も取るでしょうよと。

他に収録されている短編も併せて、今現在過ごしている社会の理念からはまったく外れていて生理的に理解はできないように思うのだけれど、彼女の凄さはそういった相容れない視線(今の私たちの?)のことを常に意識してそれを作品にも落とし込んでいるところ。
そのおかげで、何を正しいと思い善いと思い美しいと思うのかという、人が抱える信仰についての物語として読ませられる。
絶えず変わっていく社会の中で、理念も倫理もまた変わっていく。

ああ、すごい。
誰かに勧めたい本なのかというと、それも少し違う気がするんだけど、この物語はたぶんきっと誰かを救うとさえ感じるほどの。

私と、高校卒業後すぐに「産み人」となった姉、それは正しくない世界ですと信念を言い募る同僚、この世界の未来に瞳を輝かせる小学生の従妹。システムによって産み、殺す人、殺される人、産まれる命。
万華鏡でもないしスノードームでもないし、群像でもないし、言うなればビオトープに近いかも。

その間に視界をよぎる昆虫たちがいて、虫は物語事態に直接関係はないのだけど、関係ないがゆえになぜそれが描かれるの?という妙にグロテスクな要素があって、それもまた一方では効果的。

私が、ほら、取って変わったでしょという蟻と従妹が最初自由研究の課題にしようとしていた昆虫食に、お菓子のモチーフにまでなって。
取って変わりこそすれ、昆虫は昆虫のままであるのにその扱いが変わるのは、人の視線が変わるから。


文字を選び取って、物語を紡いでいった指先のことを想わざるを得ない具合かな。

 私はふっと笑いそうになる。私たちはいつでも、手を伸ばして目の前の命を奪うことができる。殺人出産システムなんかができるずっと前から。

世界はいつも残酷です。残酷さの形が変わったというだけです。私にとっては優しい世界になった。誰かにとっては残酷な世界になった。それだけです」

あなたが信じる世界を信じたいなら、あなたが信じない世界を信じている人間を許すしかないわ」



決して正しいとは言えないけれど、でも醜悪ではないし、拒否はしたいけれど無邪気に否定することもできない。
今自分が生きている世界のことは?
そんな感じの世界でした。

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