kimagure読書メモ

紫陽花を捧げ持ちつつ小さくて冷たい君の頭蓋を思う松野志保)

彩瀬まる 桜の下で待っている4

 旅行にまつわる物語なのかと思っていたら、血の繋がりがあるが故に縁のある場所について。
ついてまわるものは煩わしかったり望むものではなかったりするけど、思いがけず覗ける景色もある。

 両親に兄弟姉妹。どういった家族であっても、 全てを理解し合おうなんてことはどだい無理なことではある。
分からないままでいてしまうから家族が見せる別の人間としての顔の出現に驚いてしまったりするんだろう。家庭の中で母親でい続ける母が、友達と会った時に母でない顔をするような。

 印象的な話は、福島生まれの夫の実家に挨拶をしに行く「からたちの花」
東日本大震災の原発事故があって、今の状況などもちゃんと理解しておかないとと、言ってみれば少し身構えた格好で出向くんだけど、でもそこに住む人たちの優しさも笑顔も家庭内の人間関係のめんどくさい部分もちゃんと他と変わらずにあるんだって。
そういったものを全部、彩瀬さんは物語に抱き込んでいる。

「ハクモクレンが砕けるとき」
 生きることは残酷でどうしようもない。下級生の事故死を境に、あっと言う間に大事なものが奪われることに怯える少女は、親類の結婚式の為に岩手県の母の生家を訪れる。
 「苦しみしか汲み取れないとしたら、お前の目が悪いんだ。よく目を磨いておきなさい。ちょうど、明日はケンジに会いに行くんだろう。だったらいいぞ、よく習え」
「目がとてもよかった男だ。教師をしていた」

宮沢賢治記念館もぜひ行ってみたい場所ですね。

 生きること、誰かと生活していくことは苦しいことであるけど、でも苦しいだけのことではない。
不仲だった両親が醸し出す冷たい空気の家庭で、弟と寄り添って生きていた車内販売員の女性視点の表題作「桜の下で待っている」
 家庭を作った結末は、たしかに望むものではなかったかもしれない。けれど、まとう衣を厚くするだけではなく、脱いで、自分以外の人間に分け与えることを楽しんでみよう、彼方のものに手を伸ばし、新しい関係性を築いてみようと決めた瞬間が、あの人たちの人生のどこかにあったのだ。

この家族を作ろうという視点は名文ですね。

 そして春に咲く花々。
 ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの。」
は太宰の『女生徒』から。

 
「春さればまづさきくさの幸くあらば 後にも逢はむな恋そ我妹」柿本人麻呂

2016年 ベスト3

1位 『停電の夜に』 ジュンパ・ラヒリ
http://blog.livedoor.jp/buudyhalfmoon/archives/1816549.html


2位 『甘いお菓子は食べません』 田中兆子
http://blog.livedoor.jp/buudyhalfmoon/archives/1832405.html


3位 『愛の夢とか』 川上未映子

http://blog.livedoor.jp/buudyhalfmoon/archives/1824163.html


他に印象深かった本。
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』 丹念に書かれた生活の描写で露わにされる世界の違和。
宮木あや子『官能と少女』 官能と言いつつ全く生易しさなんてない日常。
米澤穂信『さよなら妖精』 再読。悲劇的な結末の印象しかなかったけれど、それを上回る日常の一片一片のきらめき。
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』 人間にとって最も辛いことは自分の行いを顧みてそれを間違いだったと認めること。だからこそ正しい方向に進んで行けるとも。
小栗虫太郎『黒死館殺人事件』 すごい。膨大な量の比喩や学術や知識を用いた推理のオンパレードに、何が語られているのか読んでも全く分からない。
ジョージ・オーウェル『一九八四年』 二分間憎悪、表情犯罪、思考警察、愛情省など圧倒的な魅力に満ちた言葉の数々。
ローリングス『小鹿物語』 再読。http://blog.livedoor.jp/buudyhalfmoon/archives/1445564.html
作品中最も美しいと感じた表現を終盤よりもむしろ冒頭に見つけた。



今年読んだ本は76冊。うち再読は24冊。

『シン・ゴジラ』は8回観に行きました。
何度見ても面白い映画です。

ちょっと毎日苦しくて死のうかなあとか思った時期もあったのですが、そうしなくて良かったとかとりあえず今のところは思ってます。
来年もどうぞよしなに。


 

田中兆子  甘いお菓子は食べません5

 タイトルとカバーイラストに惹かれて手に取ってみたのですが、大当たりを引きました。
 これが初の単行本ということですが、確かな文章力裏打ちさせた凄まじい力量を感じます。
40代女性6人が生きる人生の中の結婚や仕事や性だとか。

 帯に記された結川恵さんの書評がとても的確に思える。
「読む、というより、物語そのものがぐいぐいとこちら側に入り込んで来る。その迫力は小説が生きている証に違いない。」

そうそう、ぐいぐい迫ってくる様子がすごい。

 印象的な話は40台半ばの主人公がしようとした結婚を職場の同僚たちとする話。
「結婚について私たちが語ること、語らないこと」
何をおいても結婚をしたいという切実さはないけど、出会った相手の好意。
恋愛結婚はできないであろうと承知している容貌だからこそ、相手に求められることは確かな自負にもなって。

 愛していた夫から、もうセックスは終わりにしたいと告げられたビーズ作家の女性が、友達から会員制の組織のことを教えられる。
「花車」
夫のことを愛していて、夫からも変わらず愛されてはいるものの、「おつとめ」はもう終わらせたいと告げられる。
生活を支えるビーズ作家としての仕事も明るいけれど、それだけでは満たされないものがある。
欠損を抱えたままにしたくない。

 そしてなんといっても圧巻の一言だったのは「残欠」
毎日欠かさず一人息子のためにお菓子を手作りする専業主婦と、ママと距離を置きたがる中学生の息子にあーそういう子離れできないような話か、と思ったところ。
鮮やかに痛切に裏切られました。
色気も艶も全くなさそうな毎日は、アルコール依存症により息子と夫を手痛く手痛く傷つけ続けた過去から来ていると判明する。

 このあたりの描写がとても恐ろしい。
またアルコールに溺れる渦に引き込まれないよう、以前好きだったものを何もかも遠ざけるしかない毎日。
生き延びるためには、酒に手を出さずに済む毎日をひたすらこなしていくしかない毎日が悲壮な戦いで。

子供に幸せな生活を送らせたいとは思うが、それと生きていたいという欲が結びつかない。ほんとうはあまり生きていたくない。息子と同じくらい愛してしまった酒をやめてまで、生きる理由が見つからない。理由がないけれど、死なないから生きている。生きてしまっているからには、あの子を煩わせないように、酒を飲まないことだけを考えて一生懸命に生きる。生きることが嫌いなことと、一生懸命に生きることは、矛盾しない。

 そして依存期間中も紳士的な優しい態度を決して崩さず妻を支え続けた、あるいは依存関係にあった夫の浮気。
仕方のないことなんだと諦めつつも、たがが外れてした初めての訴え、嗚咽、そして慟哭。
死のうとした自分を引き留めたかつての息子のような慟哭。
もう一度生まれる。
そして慟哭の結果がどこに行きついたまでは語られない。

 もう文学の神髄を見た気すらします。秀逸の一言では足りない。 

「母にならなくていい」もそうだけど、埋まらないものに四苦八苦しつつもどうにかこうにか生きようとするんでしょう。 

岩本ナオ  金の国 水の国5

 このマンガがすごい!2017 オンナ編1位の作品です。
岩本ナオさんの『町でうわさの天狗の子』は大好きな作品だったのですが、ここ最近このマンガがすごいのランキングにちょっと懐疑的だったので、どんなものかなという感じで買いました。

 最高です。
物語として完璧なのではないかと思うほど。
古風な争いをしている二国間の政略偽装結婚から育まれる関係という王道展開を軸として、自分が生まれた国をこのまま守ってゆきたいという夢に、命を狙われる緊張感のあるやり取りに策略、芽生えた友情と、誰かを愛する気持ち。
もちろん万人にとって完璧なものなどはありえないのだろうけど、個人的にはあえてそう表現したい。

 好きな場面は水の国の橋の上でナヤンバルとサーラが鉢合わせる場面。
時間に追われるナヤンバルを送り出すサーラと使命のために道を急ぐナヤンバル、のちのちこのナヤンバルの決意が走馬灯のように蘇ってきたりもして
 そしてなんといっても、足場の不安定な近道を二人で行こうとする場面。

お嬢さんは二度と置いていかない
もし落ちるなら 一緒に落ちよう


 右大臣に役職を降りる賭けをムーンライトがもちかける場面も格好いいですね。
左大臣の衣装に、ポーズも様になっていて。

 展開を動かしていく、物語の肝になっているのは実はナヤンバルとサーラの互いを思いやる優しさなのだろう。

 Twitterでお友達になった三日月さんという方から、岩本ナオさんのトークショーで、完成した橋の名前はラスタバン大橋だということをお聞きしました。
作中で「妻や娘の名前を冠すれば家族思いという形容詞もつきますよ」というナヤンバルの提言が描かれているにも関わらずラスタバンの名前がついてるっていうことは、
結局ラスタバンは自分の名誉心を捨てられずにいたのか、もしくは完成を待たずに没した王様を称えた国民が付けたのか。
どちらでしょうね。 

夏時間の大人たち  中島哲也5

 映画監督の中島哲也さんが自身の映画を書き下ろしにした作品ですが、こちらの方の文字が織りなす世界が絶妙すぎて映画の印象が正直あまりない。

 読んだのは本の方が先。図書館で見つけたタイトルに惹かれて読んで、いたく気に入ってネットで古本を探した。
この本を知ってる方とかどれくらいいるのかなーっていうのが降って湧いた疑問。
フレーベル館出版です。


 逆上がりが出来ない小学4年生のたかし少年の世界を移りすぎていく幾つもの疑問符。
同じように逆上がりができないクラスの5人のうち一人、ツンとした美少女のことや友人のこと、両親のこと。
なんというか、この疑問に至るまでの心情の描き方が上手くて。
どこか抜けていて先生に怒られることが多いながらも、母親につられて夕方五時から再放送される『愛と欲望の谷間』というテレビドラマに熱中しているという少し変わった少年の、いずれ色々なことを悟っていくまでの前段階というか。

 そのプライドの高さ故、失敗する自分が許せないためずっと居残って逆上がりの練習をするトモコを見て、胸がドキッとする理由が分かった気がするという結末は、なんだか子供の頃の世界の完全さっぽくて。

 そして間に挟まれる父親と母親に残っている子供の頃の記憶。 
今起きている出来事の不安な様子は大人になっても消えないのだろうかと思うたかしもいて。そう、記憶を軸にした物語でもある。
この作品のうちで個人的に一番好きなのは、たかしの母親の記憶です。
ふとしたことが重なって病気で伏している自分の母親をヘビ女だと思い込み、食べられてしまうのじゃないかと恐怖する。

 二階を見あげながら、わたしは心の中でおかあさんに話しかけた。
おかあさん、ねえ、おかあさん、わたしはホントはおかあさんが大好きなのに、なんでおかあさんはヘビ女になっちゃったの?なんでおかあさんはわたしを食べるの?
 わたしは階段をひとつだけのぼった。おかあさんの泣き声が消えた。わたしは……わたしは、でもやっぱりこわくって、それ以上階段をのぼることはできなかった。それ以上おかあさんのそばに近よることはできなかった。

 それから二か月たって、わたしを食べることなく、おかあさんは死んだ。


 幼少期のかわいらしくも残酷な過ちとかさあ、旧家の階段の前でたかしの母が「おかあさん…」と呟くところとかさあ、姉と一緒にヘビ女だとはしゃいでたかしをくすぐる場面とかさあ。
 読んでいるこちらの胸を優しいタッチで引っ搔いていく。
 
 でも想像するに、ヘビ女という単語を母親の姉も出したっていうことは、子どもだったときに母をヘビ女だと思っていたんだということをたかしの母親は姉と話していたんだと思うんですよね。

 また現在、降る雨を眺めている母は憂鬱でも倦怠でも郷愁ですらなくて、言うならばアンニュイな。

 僕も肌の冷たいヘビ女になりたい。

憂鬱たち  金原ひとみ4

 精神科に行きたくて行こうとして、でも行けないし行かない毎日を繰り返す女性・神田憂が主人公の連作短編。
って書くと重たくて苦しいような感じだけど、読み心地はまるでショートコント。
 自分の心持ちが思うようにならず入る視界に振り回されている様子は当人にからすると辛いんだろうけれど、タイトルも含めてその全部を冷笑しているような。
だって神田憂さんと、髭を生やした四十男のカイヅさんと、長身の若者ウツイ君が織りなしていく7つの物語はコントにしか思えない。
 時間を変え場所を変え様相を変え。
くるり回すと景色を一変させる万華鏡のような心象風景と章。

 不謹慎な感じだけど、精神を患った神田憂さんが周りの物事を過剰に理不尽に敵視したりしている描写がとても面白い。
(でもこういう内容の本なのだから、こう思うことを許して頂きたい所存)

腹を立てながらネームプレートを見るとカタカナで「カイズ」と書かれている。何がカイズだお前客を馬鹿にしてんのかという言葉を飲み込み、行き先を告げようとした瞬間、そうだ私には行き先がなくなってしまったのだと思い出す。


 個人的に好きだったのは精神科に行く途中で見つけたバーでアルバイトをすることになった神田憂さんの「デリラ」と、目に入る男全てとのセックスを想像するようになってしまった神田憂さんの「マンボ」。

書いていて思ったけど、軽快に支離滅裂な話ってわりと好きな話形なのかもしれません。
支離滅裂さに話形なんてっていう気もするけど。 

 そしてあるいはこの『憂鬱たち』 も、僕が思ったようなコメディではないのかな。

城のなかの人  星新一4

 NHK大河ドラマ『真田丸』が面白いです。
これまで真剣に大河を見たことがなかった、これは毎週楽しみに見ています。
先週も三谷幸喜の大胆な脚本が冴えわたるエキセントリックな展開でしたね。
関ヶ原の戦いを前に相対する真田一族と徳川。
豊臣方からは勝った暁の甲斐信濃の領地を安堵するという約束も引き出して、あとは関ヶ原の勝利を待つばかりというなかで放送は2分にも満たない関ヶ原のシーン。
半日で終わった合戦から離れた場所にいる真田勢の衝撃が現れますねー。

 ちょうどいいタイミングだったので読み返してみました。 
すると、文章を辿っていく度にあの人だっていう俳優さんたちの顔が浮かんできたりもして、掛け算で面白い。

 それにしても星新一は文章が上手ですよねえ。
この後の「春風のあげく」や「正雪と弟子」では普段通りの軽妙洒脱な文章、「はんぱもの維新」歴史講義のような。なんでも書けるのかこの人は。
そして表題作で顕著なのですが、人物を巡る感情の機微の表現がまた上手い。
自分自身を豊臣の「旗印」と見る周囲の視線に敏感な秀頼の聡さ。

 豊臣秀頼を主人公に据えた作品というのもあってか読んでいてしんみりとしてきます。
秀吉由来の誠実な武将たちが衰えた末に、側から永遠に離れていってしまう。
特に加藤清正の秀頼のやり取りなんかがもう。
 
立場や性格のちがいから三成に反感を抱き、関ケ原で反対側につき、その結果として徳川方を強大にしてしまった。まちがってたのかもしれない。そのあたりになると清正の声は乱れ、秀頼には聞きとりにくかった。

 そうそう。真田丸でもこうでした。紛れもなく太閤に感じた恩義は同じで豊臣に尽くそうとしていた二人は、どうしても分かり合うことが出来なくて。
そんな清正への秀頼の視線が優しくて。

 
個人的に一番好きな場面は、秀頼とその正室である千姫のやり取りでしょうか。
場面としてはそれほど多くはないものの、表現が素晴らしく美しい。
初の対面で自分も周囲の人間と同じように千姫を「旗印」として見つめてしまっていた自分に気付いて、この人を大事にしようと思う場面から始まって、初めて寝室に入る場面なんかは特に。 

「さきほど、宮内卿さまから珍しいお花をこんなにたくさんいただきました。ランという花で、海のかなたの南の国に咲く種類だそうです。なんという美しいお花。それに、このすばらしいかおり。なんだか夢のなかにいるような……」
 部屋のなかには、鉢植えの花がいくつも飾ってあった。あざやかな色の花だった。強烈な、甘いようなかおりが部屋にこもっていた。顔を近づけてかぐと、理性がどこかへ薄れて消えてゆき、情熱がそれにかわってくる。秀頼は燭台の火をつぎつぎに消していった。
「そなたは花よりも美しい……」
 秀頼はほの暗いなかで、白いほっそりとした千姫のからだにいった。

 まずランの描写で全体の雰囲気を盛り上げていってから、それを踏まえたこの決め台詞ですよ。 
しかもそういう場面なのに耽美な印象はそれほどなくて、やはり圧倒的に綺麗。
お殿様とお姫様同士、それっぽい品のある会話表現だからなのかなあ。

 真田幸村の活躍も表現されていましたし、真田丸の放送がより一層楽しみです。 

映画 シン・ゴジラ5

タイトルのせいもあって、正直それほど期待せずに観に行ったのですが、これがもう抜群に面白かったです。
今日までに3回も見てきました。

ゴジラという巨大生物が日本に現れるっていう虚構映画なのに、実際ゴジラが出現したらこういった対応をしていくんじゃないかと思わせる圧倒的なリアリティーが、まるでドキュメンタリーを見ているかのような。
怪獣同士が戦うことないけど、紛れもなく正当な怪獣映画。

作品上無駄な場面がほとんどなく(これは良し悪し)、みっちり詰め込まれた物語が早いテンポで展開されていって否応なく作品に引き込まれていって。
この映画がすごいのは情報量が多くて全体を把握しきれないのに、それでもちゃんと面白いんですよ。
名作、というよりも非常に優れた映画だという印象。

内容をある程度把握できた上で見た2回目の方がずっと面白く感じました。 
最初と印象が特に変わったのは大河内総理ですね。
官僚たちに決断を迫られる場面ばかりが目立って、頼りにならない人だなーって笑いながら最初は見たんですけど、この人は感情をすごく大事にしちゃう人なんですよね。 

石原さとみ扮するカヨコ・アン・パタースン。日系ハーフの特使というあからさまな役柄なのですが、むしろこれにつっこむのは野暮なのではないかという気もします。
設定だけで見るとすごく違和感があるのに、でも物語にしっかり組込まれていて自然。
「祖母を不幸にした原爆を三度もこの国に落とすような行為を、私の祖国にさせたくないから」の場面は泣きそうになりますね。

ゴジラの吐いた熱線による破壊で、見ているこちらまで絶望に飲み込まれそうになるなかさらなる緊迫感がもたらされてくる。
文科省のオタクっぽい青年の「そりゃ選択肢としてはあるだろうが。選ぶなよぉ」もすごく印象が強い台詞。

竹野内豊の赤坂官房長官補佐。
竹野内さんはニシノユキヒコの役柄がすごい似合っていた印象が強くて、出演していたのは知っていたのに最初はどこに出ていたのかが分からなかった。

そして市川実日子さんの尾頭ヒロミ。これはいい役ですね(笑)すごくいい。
対策本部が非難する際、みんなが慌てふためいて走り回る中、彼女だけが颯爽と速足で歩くカット。あそこのカットが抜群。

CGのメイキング動画がサイトにアップされていたのですが、ヘリコプターや戦車も大部分がCGで驚く。
防衛省も協力してるという先入観もあって、全部本物なのかと思ってました。


他にも色々書きたいことがあった気がするけど、とりあえずあれです。面白かったよ。
 

余波

リオ五輪は陸上男子4×100m
予選で出したタイムを上回る37”70 の2位着銀メダルで、日本記録とアジア記録を再び更新。
 
えぇ〜、すっごい速い。

ただ映像をリアルタイムで見られなかったことがすっごい悔しい。
結果を知った後のニュースの映像を見ても、あんまり高揚はしなくて。
快挙に嬉しいことは嬉しいけれど、悔しさも混じってしまうような。

喜ぶどころか妙にもやもやしてしまったおかげで、さ迷い込んだ靴屋さんでお買い物。

DSC_0171






















































ナイキの靴はデザインが鮮やかで洗練された印象で格好いいですよね。

なんでよりによってこの色にしたのかっていうと、NBAのカイリー・アービングが履いていた靴がピンクと黄色ですごく印象的だったからなんだけど、今確かめてみたらピンクと黄色なのはソールの部分だけで他は黒だった(笑)

正直、勧められたまま試し履きだけしてちょっと楽しんでみるだけのつもりだったけど、思いのほか軽くてでも足の底もしっかりしていて走りやすそうだったので買ってしまいました。
リレーも銀を取ったんだしとお祝いの気持ちと、それ故のやるせなさみたいなものが入り混じったせいもあって。

でもこの靴を履いていけたらきっと走るの楽しくなりそう。
心身ともに衰えてしまったせいで、走りに行くことが出来るかは別として。 

雨はコーラが飲めない  江國香織3

 雨と言う犬について書かれた江國香織のエッセイを久しぶりに読みたくなったんだけど、音楽について書かれている部分が記憶からすっぽり抜け落ちていて驚く。 
そうか、雨と音楽を聴いている日々でもあったんだ。 

 大多数の世界の流れを軽々離れていける一人と一匹の、活力に満ちつつ穏やかなな日常。
その場所を柔らかく取り巻いて包み込む音楽の数々。
ほとんど知らない音楽ばかりだったけど、江國さんの紹介が興味深いというかすごく聞いてみたいと思わせる文章。(実際、その影響で聞くのかといったらそうではないのだけれど)

 どこまで理解できているのかはさておき、一緒に音楽を聞くっていう行動をすることで共に暮らして生活して生きている感じがものすごくしますね。
一緒に寝るとか食べるとか遊ぶとかではなく、文化的な活動であるっていうことが。
言葉を交わせない違う生き物なのに。

 私は言葉に依存しがちなので、言葉に露ほども依存していない雨との生活は驚きにみちている。驚きと、畏敬の念に。


ここからはちょっと個人的な話。

 音楽、は久しぶりに聞く音楽とかだと、その曲を好きで聞いていた頃の記憶とかがたまにものすごく鮮烈に蘇ったりするから怖いです。 
日々のあれこれ、近くにいてくれた誰か、体内を巡っていた感情。 

 大学生の時にフジファブリックというバンドにものすごくはまって、その中でも特に「陽炎」っていう曲が好きだったんですね。 
センチメンタルな郷愁の渦みたいな音楽で、「あの街並み 思い出した時になぜだか浮かんだ 英雄気取った路地裏の僕がぼんやり見えたよ」っていう歌い出し。 
ちょうど大学時代っていうと地元を離れて一人暮らしをしていた時だったから、ノスタルジックな気持ちに浸りつつ故郷の風景に思いを馳せてたりもしたんだけど、また地元に戻ってみてあの頃自転車で走り回っていた景色と今は車で走るほかない景色はまるで違う風景になるんだなと。 

 だから陽炎を聞くときに浮かぶ自分の「あの街並み」っていうのは今でも思いのほか変わってない風景なんだけど、でも近しいようだった気持ちが随分と離れてきてしまっていて。 
かつて「共感」に近いようだった自分の感情のアプローチが、ほとんど「憧憬」に変わってしまっているのは、なんだか切ないなって。 
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