2009年06月18日

自殺問題を「情緒的な話」で済ませようとする人こそが情緒的である。

自殺の問題を「情緒的な話」で済ませたがる人は決して少なくない。
今朝の読売新聞には、こんな記事が載っていた。

◆◆◆

鳩山代表の自殺論議は「お涙ちょうだい」…官房長官が批判

河村官房長官は17日の記者会見で、民主党の鳩山代表が党首討論で
医療事故や若者の自殺問題などを取り上げたことについて、「お涙ちょ
うだいの議論をやるゆとりはないのではないか。財源の問題や外交・安
全保障などテーマは多々ある」と述べた。

長官は「人の命は重要なテーマだと考えているが、情緒的な話をしてい
る段階ではない」とも語った。

野党は「『お涙ちょうだい』という言葉が出ること自体が、若者の自殺
問題の深刻さを理解していないことの表れだ」(民主党幹部)と批判し
ている。

(2009年6月18日01時21分 読売新聞)

◆◆◆

官房長官といえば、閣僚で作る「自殺総合対策会議」の会長でもあり、
自殺対策推進に関する政府の言わば責任者だ。

そのような立場の人が、法治国家である日本において、2006年に議員立
法で成立した「自殺対策基本法」の存在すらをも否定するような、かく
のごとき発言をするはずはないから、きっとこれは読売新聞の「誤報」
なのだろう。

だって、人が毎日100人も自殺で亡くなっていく異常事態が、情緒的な
話であるわけがない。
生身の人間がそれだけたくさん死に続けている現実が、「お涙ちょう
だい話」なんかであるわけがない。

自殺は、人の生き死ににかかわる極めて個人的な問題であると同時に、
生活苦や過重労働、介護疲れやいじめ等と通底する社会的な問題であり、
また地域のセーフティーネットや縦割り行政の弊害とも関連する社会
構造的な問題でもあるのだ。
それこそ、極めて今日的な社会の課題が、自殺の問題に凝縮されている
と言っても過言ではない。

それを「情緒的な話」で済ませられる人がいたとしたら、それは現実を
まったく知らないか、その人が情緒的過ぎるかのどちらかだろう。
いのちが不本意な形で失われていくことの壮絶さを知っている人ならば、
自殺問題を「お涙ちょうだい」で語れるわけがないのだ。


繰り返しになるが、だから今朝の読売新聞は「誤報」だろうと思う。
だって日本の自殺対策の責任者でもあられる官房長官が、かくのごとき
発言をするわけないだろう。「救えるはずの命」を守ろうと、いろいろ
な形で、それこそ命懸けで奮闘している人たちのやる気をそぐようなこ
とを公の場で言うわけがないだろう。

ただ念のため、というか官房長官の誤解を解くためにも、私たちは
全国各地で自殺対策に取り組む民間団体に呼びかけて、近く官房長官に
「申し入れ」をしようと考えている。
官房長官の真意をあらためてお聞きし、自殺対策の推進に懸けるご決意と
ご覚悟を、ぜひとも公の場で語っていただきたいと思っている。


何か進展があったら、ぜひまたここでもご報告します。

bxs00035 at 23:32│Comments(0)TrackBack(1)

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1. 自殺問題は「お涙チョーダイ」ではない  [ die-in(ダイイン) ]   2009年06月19日 15:13
河村官房長官の発言が、自殺予防・自死遺族支援など自殺対策を行っている多くの団体で波紋を呼んでいる。いや、もっと端的に、批判を呼んでの..

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