第   5    章

 退会者 3名の 告白手記

 ①  RCさん  ( 女性 50代 )

こんにちは。

RCです。


私が、親鸞会を辞めて3年近く経ちます。

でも  親鸞会退会が、3年以内の出来事とは、信じられないくらい 遠い昔からのことのように感じます。


  きっと 親鸞会を退会してから「 聴聞が楽しく、お念仏が嬉しく有り難く、安心して 今を生きられるようになった」からだと思います。

今を 生きている実感が あります。


   私が、親鸞会を辞めた経緯につきましては、以下に、詳しく書いてありますので、ぜひ 読んでいただけたらった思います。


http://blog.livedoor.jp/skai_as/archives/41221991.html


 親鸞会退会から 3年近く経った今 、親鸞会について思うことを書きたいと思います。


親鸞会にいた頃、

 「 親鸞会以外には、正しい親鸞聖人の教えを説いているところはない」

と、固く信じていましたが、それは 私の人生における最大の誤解でした。

 そんな根拠のないことを 信じ切っていたのは、親鸞会のマインドコントロールと 私の愚かさが、原因だったと思います。


 親鸞会以外の 「すべての」お寺や、団体、個人を調べなければ  そんなことは、言えるはずないのに・・・。

  親鸞会の中で聞いたことを、確認もせず 鵜呑みにしてしまいました。

  聴聞や活動で 精一杯で、その時の私に親鸞会の教えを疑うことはできませんでした。


 結局、たくさんのお金や、時間や、エネルギーを費やし、家族や友人を巻き込む結果となりました。


  親鸞会を辞めて、親鸞会を批判すると「あなただって、たくさんの人を 騙してしまったのだから、被害者であっても、加害者でもあるでしょ」いう批判を受けることがあります。


 人生の根底を支える宗教の問題なのに、慎重さが足りなかったという点、反省しなければならないと思います。

  無知であることの恐ろしさを今、痛切に感じています。


 ただ、

言い訳のつもりでは、無いのでですが、

人生の様々な出来事は、単純に 加害者だとか 被害者だとか、と言い切れないことが多いように思います。


病気になりたい訳でもないけれど、病気になる。

 間違った宗教を信じたつもりなど、ないけれど

気がついたら 間違っていた。

 

思いがけない 「つまずき」の連続が 生きることのように 思います。


 ⚫︎よきこころのおこるも、宿善のもよほすゆゑなり。悪事のおもは れせらるるも、悪業のはからふゆゑなり。故聖人(親鸞)の仰せに は、「兎毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあ らずといふことなしとしるべし」と候ひき。                         ( 歎異抄)


宿業の人生を 歩くのが、私たちだと思います。


  私は、十代の後半に、ある病気になってしまい、自分の将来に大きな不安を持っていました。心は重く 孤独でした。

 ちょうどその頃、親鸞会と出会いました。

「人生の目的がある。達成できる。そのために生まれてきたのだ。」と いう教えは、絶望していた私の心の明かりとなりました。 


 30年以上教えに従い、頑張って活動して、親鸞会の教えは、ニセ物とわかりました。


でも「人生の目的がある、そこに向かって進んでいる 」って 思っていた間、親鸞会の教えは 私の生きる意味となり、そこに向かって生きていることを誇りに思っていました。


でも 親鸞会の教えで、私は 救われませんでした。


「私を救える教え」なら、私は、救われるし、

「私を救えない教え」では、私は救われません。


 親鸞会の教えは、「私を救えない教え」だったから 救われないのは、当然でした。

 親鸞会を辞めてから聞いた、本当の真宗の教えは、「私がどんな者であろうと私を救える教え」だったから、私は救われたのです。

だって、阿弥陀仏の本願が そうなっているから。そして、その本願が成就しているから。

 あたり前といえば、あたり前です。


 親鸞会会員の方、

「あなたが救われていないこと」が、「親鸞会の教えは あなたを救えない教えである」いう証明です。


 今のままのあなたを救えない本願なら、すべての者を救う本願ではないことになってしまいます。そんなはずはありません。

阿弥陀さまが、嘘をつくはずはありませんから。

だとしたら、「親鸞会が、阿弥陀さまの本願を間違えて伝えている」という事です。


「そのまま救う」っていうのは、文字通り

「そのまま」なのです。


19願の善をやって 善が出来ない者と知らされ

20願のお念仏を励み、自力の念仏が廃った時に、やっと、やっと 阿弥陀さまの「そのまま救うぞー!」が届くなんて・・・⁉︎


親鸞会では、

三願転入しなければ、蟻一匹救われない。ってよく聞きましたが。


三願転入しなければ救われないなら、果たして、救われる人が この世にいるのでしょうか?

何十年も、一生懸命やっている親鸞会の講師や、会員が救われないのに。


十方衆生を救う本願は、無いのと同じになってしまいます。


 また、そもそも、そんなことことを言っている会長自身も、いつ19願の善にはげみ、いつ20願の念仏を称えていたのでしょうか?

それとも 会長だけには、近道があったのでしょうか?


親鸞会を離れて、正しく本願をお聞きすると

親鸞会の教えは、滑稽で、悲しいです。


十方衆生を救うご本願に 「三願転入しないと救われない」なんて ムチャな条件がつくはずないと思いませんか?


どんな病気でも治す医者だけど、

フルマラソンを完走した人だけ、治療しますって言ってるのとおんなじです。

どんな病気も治すお医者さんが、患者に、そんなムチャな 条件をつけるはずが ないのと同じで

阿弥陀さまが、煩悩具足の私に、三願転入なんて条件つけるはずが無いです。

 考えただけでも、わかります。


 とは言え、親鸞会にいた頃は、私も 頑張って、聴聞して、善をして、財施をしなければ 救われないって思っていました。


でも 真宗は、絶対他力の救いです。

私の「自力」が、少しでも救いの足しになるなら、他力の救いではありません。

だいたい、私には、救いの足しになるような善をする「力」が、ありません。


法蔵菩薩が、助かる力を持たない私のために、頑張って、ご修行をしてくださって  誓が成就して、 阿弥陀仏と名乗ってくださっているですから、もう 救いは 完成しています。


すでに(十劫の昔に)救いが完成していて、私が、もう 救いの中にいるってことが 「平生業成」です。

そのことを お聞きするのが、聴聞です。


⚫︎聞というは、衆生 仏願の生起本末を聞きて疑心あることはし。これを聞というなり。


「三願転入」ではなく、「仏願の生起本末」をお聞きするのです。


こんなに、ストレートに親鸞聖人が、教えて下さっています。


「疑心」というのは、「計らい」です。

「私が 聴聞して、信心決定しよう」とか、

「私が、善をして 救いの足しにしよう」とか

「自力を捨てて、助かろう」とな、

「ああすれば、こうすれば 、なんとかなるだろう」とか、全部、計らいです。


「計らい」を自分で捨てることは、出来ません。捨てようとする心が 自力だから。


「計らい」は、「他力と出遇う」ことでしか、廃りません。


「他力と出遇う」とは、

法蔵菩薩さまが「あなたを救えなければ、仏とは名乗らない」とお誓くださり、五劫思惟され、兆載永劫の修行をしてくださって、もう、阿弥陀仏になられている。

だから、

「もう 私を仏にする阿弥陀さまが おられて、私は阿弥陀さまのおはたらの中にいる。私は 仏になる者なのだ」という教えに出遇うことです。


その言葉に頷くことです。


なぜ頷けるのか、といえば、

南無阿弥陀仏が 今ここに届いているからです。

救いが、完成したから、南無阿弥陀仏が、今 届いているのです。

「南無阿弥陀仏」は、「私の往生浄土の証拠」です。

「南無阿弥陀仏」は 阿弥陀さまが、私を救うお姿です。


そしたら、

「私を 仏にする仏さまが、おられるのに、凡夫の私が あれこれ心配することなど いらないのですね」って、なりますよね。

それが、「他力に出遇って、自力が廃る」ってことです。


そんな簡単な話⁉︎って 思うでしょ。

そんな簡単な話です。


だって、

簡単でない救いなら、どうやって私が救われるのでしょう?


親鸞会会員の皆さん、

一度でも、最初から最後まで、真剣に聴聞出来たことあります?

一度でも、最初から最後まで、真剣に お勤め出来たことあります?

真実開顕のために、全財産投げ出せます?

後生が気になって 眠れなかったことが、あります?


30年以上も 

「後生の一大事を解決したい!」「八万劫年も 無間地獄で苦しみたくない!」って  私も、精一杯 頑張ってきたつもりです。

でも、箸にも棒にもかからない私かいるだけでした。

だから、 私が、真剣になれないから救われないんだ。 救われないのは、私に原因があるのだと 自分を責めて 「もっと、もっと、もっと、頑張らなければ」って、自分を、励ましていました。


 その心が、自力の心であり、他力に出遇えなければ、廃らない心です。


 煩悩具足で 知恵もなく 、一生懸命生きているのに、傷つけ合って、苦しむばかり。

ずっとずっとずっと、果てしなく 迷い続けるだけの存在が 私です。


だから 法蔵菩薩さまが、ご苦労するしかなかったのです。

私に、ああしろ、こうしろって注文することが出来ないから、48願を、ご自分に注文され、すべて成就してくださったのです。


そして、「仏さまのおはたらき」に 気づくことの出来ない私のために、「南無阿弥陀仏」という声の仏さまに なってくださったのです。

「南無阿弥陀仏」は、「阿弥陀さまそのもの」 です。

 声になってくださったから 、私の口から いつでも どこでも出てくださって

「おまえを仏にするよ。いっしょにいるよ。

安心していいよ。おまえの還る家は私の浄土だよ。」って、教え、呼びかけてくださるのです。


南無阿弥陀仏の聞こえる世界に、生まれた以上の幸せは、ないと思います。


⚫︎本願力にあひぬれば、 

むなしくすぐるひとぞなき

功徳の宝海みちみちて 

煩悩の濁水へだてなし


親鸞会会員の皆さん、

せっかく、南無阿弥陀仏の聞こえる世界に生まれて、「阿弥陀さまの本願に救われたい」と、聴聞に励んでいるのに、正しく教えてもらえずに、「むなしくすぐるひと」で、終わってしまったら 残念過ぎます。


 親鸞会でしか、聴聞したことのない親鸞会会員の方々、どうか どうか、親鸞会の外に出て 南無阿弥陀仏のお話しを 聴聞なさってみてください。

別に、親鸞会を辞めなくても、どこでも 聴聞出来ます。


私に、ご連絡くだされば、南無阿弥陀仏のお話しをしてくださるご縁を 紹介します。


rokujinotsudoiアットマークyahoo.co.jp

(アットマークは@に変えてください。)

に ご連絡ください。


 さて、親鸞会を退会して、私が、一番驚いたのは  日本中の アチコチで、親鸞聖人の教えが 説かれているということでした。


 〇〇会に 入会しなくても、〇〇寺の門徒でなくても、自分の氏名を明かさなくても、ご法礼を出しても 出さなくても、

好きなところで、好きな先生のお話しを いくらでも、聴聞出来るのです。

そして、録音も、し放題!(私が今まで ご縁があったご法話は、ほとんど)

なんて、世間は 気前がいいのでしょう!

振り返ると、親鸞会は、本当にガメツかったです。

親鸞会の外では、たくさんお金を出さなくても、一番前の席で聴聞できます。


 インターネットで、「浄土真宗の法話案内」と検索すれば、どこで どんな ご法話があるのか、すぐにわかります。

地図も載っているので、初めてでも 行けます。

連絡先の番号に、電話すれば、丁寧に教えてもらえます。

すごーく便利で、有り難いです。

 作ってくださって、本当にありがとうございます。

この先も、ずっとお世話になると思います。



「聴聞は 何故するの?」って、親鸞会会員さんに 聞いたら、

「決まってるでしょ!信心決定するため。阿弥陀仏の本願に救われるため。

 信心決定できなかったら、無間地獄で 苦しみ続けなければならないもの。

ズッてでも、ハッてでも、聴聞して、そしてお布施もして、破邪顕正もして、あの横に線を 1ミリでも 進まないと!

 500年に一度の善知識、高森先生がおられる今、今生で、後生の一大事を解決できなかったら、もう 永遠に浮かぶ瀬はないから。」って  答えると思います。  


親鸞会にいた頃の私は、そうでした。


でも 親鸞会の外では、


「私か救われるおはたらき(南無阿弥陀仏)は もう はたらいたいるから大丈夫ですよ。もう、南無阿弥陀仏は、完成して、あなたの往生は、決まりましたよ。それを告げて下さる言葉が

南無阿弥陀仏のお念仏ですよ。」ということを聴聞するのです。


親鸞会は、

「救われるために 聴聞する」

親鸞会の外は、

「救いの中にいることを 聴聞する」

この違いは、天と地との差 です!


⚫︎「 我称え われ聞くなれど 南無阿弥陀仏 

                  連れて往くぞの 親のよび声」


真宗の聴聞は このことを教えて いただくのでした。


親鸞会のように、

「阿弥陀仏の18願に救われたい」って思って、聴聞に来る人に、「19願からヤレ」っていうのは、酷すぎて、冗談かと 思います。

ゴール直前まで来た人に、スタートから走らないとゴールさせないぞ!って言っているみたいなものです。

阿弥陀さまが、そんな冷酷なこと言われるはずないです。


南無阿弥陀仏のおはたらきの中にいるから、

南無阿弥陀仏が聞こえるのです。

お念仏は、私の口から出てくださる 仏さまです。


阿弥陀さまは、ずっとずっとずっと

「あなたを仏にする仏に 私がなったんだよ。

あなたが還る浄土を作ったのだよ。

安心しておくれ。」と 

南無阿弥陀仏の声となって 私に、呼びかけて

早く気づて欲しいと いつでも、どこでもはたらきかけてくださっていたのです。

「いつでも、どこでも」っていうのは、「今、ここ」です。


南無阿弥陀仏がもう聞こえて、救いの真っ只中にいるのに、

私が 救われるために、頑張るって「変」です。


私が これから頑張って幸せになるのではなく、私が願うよりも ずっと前から、阿弥陀さまが 私の幸せを願ってくださっていたのです。

そして、 ご修行をされて、私を仏にするはたらきが もう はたらいているのです。

そして「南無阿弥陀仏」となって そのことを告げてくださっているのです。


 私の心に、「阿弥陀さまに救われたい」っていう気持ちが起きたのも、南無阿弥陀仏のおはたらきです。


 阿弥陀さまの「無碍の光明のお育て」が  「流転輪廻の命しか持たない私」を ずっとずっとずっとお育てくださったから、今 、私が、人間に生まれ、仏法を聞きたい気持ちが起こり、そして 、南無阿弥陀仏と出遇えたのです。


このご恩を思えば、煩悩具足の身であっても、ご恩に報いる私でありたいって思います。


そういう気持ちさえも、南無阿弥陀仏のおはたらきがあればこそなのでしょうけれど。


流転輪廻を永遠に続けるのが 私の命の姿でした。

 それが、今 阿弥陀さまの願いに遇えて、

浄土へ向かう命の姿に 変えていただきました。

煩悩具足の私のままで。


 親鸞会を出て 、南無阿弥陀仏のいわれをお聞きするご縁に恵まれて、お念仏を称える身にしていただけました。


もし、あのまま、親鸞会に留まっていたら、

今も 「三願転入の先にあるという まぼろしのような信心決定」に 向かって、ヨロヨロと、たどり着くはずのない道を進んでいたでしょう。


 親鸞会会員の皆さん!

早く間違いに気づいて 、早く南無阿弥陀仏に出遇って下さい。



  親鸞会にいた時、同じ支部だったステキな女性は、「聴聞していく妨げになる可能性があるから、結婚はしない」という考えを持っていました。

 当時は、人生をかけて 教えを聞こうという覚悟を尊く思いました。 


 でも、では 、なぜ親鸞聖人は 肉食妻帯されたのでしょうか。

 結婚も考えられないくらい聴聞を重ねなければ、救われない教えが、聖人の教えならば、親鸞聖人が、肉食妻帯されるはずはないのに。


高森会長から、

「2000畳の本部会館が 大悲の願船に乗る乗船場です」と  教えられ 、今も 多くの会員さんは、たくさんの犠牲を払って  射水の親鸞会会館に 足を運んでいると思います。


でも、よくよく考えてみてください。


親鸞聖人や蓮如上人の時代に 今の 親鸞会会員のように、多くの時間や お金をかけて、聴聞出来る人が人が、どれほどいたでしょうか。   

そんな余裕のある人しか救われない教えなら、とっくの昔に、そんな教えは、消滅していたと思います。


「南無阿弥陀仏が、私を仏にしてくださる。

だから、安心して生きて、安心して死んでいける」という、「いつでも、誰でも救われる南無阿弥陀仏の教え」が、聞いた人を救い、安心させたから、南無阿弥陀仏は、ずっとずっと、伝わって来たのだと思います。



親鸞会会員さんは、高森会会長から、

「皆さんは、選びに、選びに、選びに、選びに選ばた人類の代表の方々です」って、持ち上げられて、自分には 特別に 阿弥陀さまのお慈悲がかかっているのだから 頑張ろうって、自分を励まして、無理を重ねているのですよね。(私は、そうでした。)


 私は、娘が一歳になると同時に、娘を保育園に預け仕事を再開しました。信心決定できるまでは 仕事を続ける覚悟で。

 仕事をしなければ、とても富山まで行く交通費や お布施を出すことは、できませんから。 


 幼い娘は、保育園で 風邪をもらっては、肺炎になったり、気管支炎になったりして、度々 入院しました。

 熱や咳で、食事が出来なくて 小さな身体が 点滴に繋がれて、娘を抱っこすると 娘の身体が軽くなってしまったことを感じても、仕事を辞めるという選択肢は、私にはありませんでした。


 「富山まで行って、聴聞しなければ 無間地獄は、免れない。無間地獄に堕ちたくない」という我が身かわいい気持ちは、まだ免疫力の弱い娘の身体を護ることより、聴聞を優先しました。


 娘は 聴聞の度に、子供部屋に閉じ込められても、「大切なことだから」と、言い聞かせると 嫌がるそぶりも見せず、遠い道のりを いつもいっしょに、来てくれました。


次の日、学校で 友達に話せない日曜日のお出かけは、娘には、大きな負担だったと思います。



高森会長の

「私の話しを聞きなさい。私の話を聞かなければ、救われません」という教えを信じるということは、こんな残酷な道を進むことです。


こんな残酷な道の先に、大慈悲の弥陀が待っていらっしゃるはずは、ないでしょう。


あんな 私 が、今、南無阿弥陀仏のおはたらきの中で、こんなに安心して いられることが 不思議でなりません。


親鸞会会員の皆さん、

「今、そのままのあなたを救う南無阿弥陀仏」です。


「南無阿弥陀仏」は そういうことです。

「なんの条件もつけない。あなたは、あなたのまま、そのままで 仏にする仏がいるから、安心せよ」が 「南無阿弥陀仏」です。


無知で、愚かな私でも、

南無阿弥陀仏は 「そのまま」と はたらいてくださいます。


 どうか 高森会長の言葉ではなく、阿弥陀さまの言葉を聞いてください。


私は、現在 埼玉県熊谷市で 「埼玉恵日会」という勉強会を 時々しています。

(本当は、私がしているのではなく、阿弥陀さまがしてくださっているのだと思います)


参加者は 限定はしていませんが、元親鸞会会員、現親鸞会会員の方が、ほとんどです。


安心して ご参加いただけます。

よかったら、お越しください。


もちろん、埼玉恵日会でなくても 南無阿弥陀仏の教えは 日本中で聞けます。


阿弥陀仏の本願は成就しているのですから

私たちの 往生は、決まっているのです。

そのことをよく聴聞させて頂いて、

阿弥陀さまの言葉に頷き、南無阿弥陀仏のおはたらきにおまかせして、安心して生き、安心して 死んでいけるのが、浄土真宗です。


そのことを わかっていただきたいと思い

いろいろ 書かせていただきました。


皆さん、

流転輪廻は、もう終わりです。

お浄土で、再会しましょう╰(*´︶`*)╯♡


長文失礼 致しました。


南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏