○ まだ 矛盾がありますよ 。

高森先生「 会報 第5集 」59-61P

  

 「一体、どこに 十九願 相応の修行 している道俗が  真宗に見当たるのか。

  どこに  二十願 相応の念仏行 をやっているものがいようか。

  真宗の道俗はさも易く「あれは まだ 十九願だ」「あれは  二十願の人だ」と言っているが、願の上からだけなら 言えるかも知れぬが、それに相当 した 行がともなわない人達ばかりだから 、本当の十九願の行者、二十願の行者は

真宗の道俗には、いないといってよいのだ。」 

「ここで特に注意しておかねばならぬことは、真宗の道俗の中に、未だ大信海に入らずとも 求めている者が死ねば、みんな間違いなく化土往生出来ると 主張し、同行の求道心 をさまたげている人がいる  ということである。 

 これは許すことの出来ない 、正法の怨敵である。 

 三機のところでも述べたように  十九願の邪定聚の機 ならば 化土 でも行けるであろうが、真宗の道俗の中に、そのような者は見当たらないから、化土往生どころか、必堕無間こそ、間違いのない後生である。 

 若し、信前の者も、求めてさえいれば、化土往生が出来、やがて報土往生、弥陀同体に 成仏出来るのなら  後生の一大事は 立たない。

 後生の一大事、生死の一大事の立たないところに仏法 また成立しないのでる。 

  若し、信前の者が、みんな化土往生出来るのなら、 親鸞聖人は、なぜ「たとえ、大千世界に、みてらん火をも すぎゆきて 仏の御名を聞け  」とおしゃったか。 

  蓮如上人も「御文章」の各処に「この信、決定されずんば 極楽には往生せずして、化土へ参るべきなり 」といわれずに「無間地獄に堕在すべし」と教えられている。」

・ 徹底して19願、20願の行者はいない と書いてありますが、覚えていますか 。

19願、20願の行者はいないのに「 ヤレ、進めと」は 誰に向かって言うのですか 。

 講師部なら 進めるのですか 。幹部なら進むのですか 。

 

  高森先生は「講師部は 19願の入り口にも 入っていない」と言われました 。

● 光晴講師長は 貴方の長男で 約50年近く 一番前で聴聞していますすから、5000回程は 聴聞しているでしょう。しかも 講師部の最高責任者です 。 

 彼も 19願の入口にも 入ってない人ですか 。

20願の 念仏を 称えていないことは 30代の青年部時代から 知っていますし、

 隣の席で 3年間 聴聞していたので 知っています。  念仏を称えません 。

● 徹晴副学院長はどうですか。 彼も同じく 貴方の 次男として 40年ほど 同じ講師部の道を歩み、20年近く 講師部を育てる 顕真学院 で 教育の任務をしています 。

 当然 学院生に 三願転入の教えを教え 自ら 19願、20願をやっているはずです 。

彼も「19願の入口にも入ってない人 」ですか。

 20願の 念仏を 称えているところを 見たことはありませんでした 。



高森先生、

息子達でさえ、未だ 困難な道ではりませんか 。

 講師部さえ、無理なのに 横の線を誰が進むのですか 。

進める人とは 誰ですか。どんな人ですか 。

支離滅裂 無茶苦茶なことを言っていると、気づきませんか 。

「 幻の 三願転入説 」で どう やって 無常の人生で 救われるですか  。

「 死ぬまで 求道 」になるのは 当然です 。

 講師部の 実態が 証明していると思います。

 

 

 ○ まだ ありますよ 。

「顕正」 常に虎の説法124P

「然るに、わが浄土真宗は、このような十九、二十の本願に当る 浄土宗とは違って、

 十八願の願意 である、信心正因称名報恩の仏意  を弘通する教え であるから、信前の人にも信後の人にも、終始一貫して信心正因、称名報恩の教えを勧めなければならない。

ーー手本はいかに信心正因、称名報恩でも機執によって、そのよう になれず、或いは定散自力の称名となり、称名正因となるものもあろう が、たゆまずアキラメず信心正因、称名報恩の教えを勧めていれば、やがてその真意を諦得出来るようになるのである。

ーー未熟な人に合わせて 信心正因、称名報恩の教え以外の 法門 を 説いて(十九、二十願)、信心を得る方法に称名せよ、などと教えれば、あたかも 猫の手本 を与えて、虎を書く方法 とするようなものである。

 故に教家は常に虎の説法(十八願)をしなけらばならないである。」


 これは 、今の高森先生への 痛烈な批判ですよ 。

 自分の 書い たものに 自分が批判されて どうするのですか 。

 今 どっちを 否定するのですか。

 ( どちらが ウソか )

 明らかに おかしくありませんか 。

 こんな 程度で、よく 「善知識に 無条件で従え」などと 指導できましたね。

 従わされる 講師部、会員さんが お気の毒千万です 。

 これからも、この矛盾を 抱えたまま、白黒つけず 親鸞会は いくのですか 。

 2代目になっても 親鸞会が ある限り この問題は 追及され続けます 。

 どうするのか、お聞きします 。


○ 本願寺からの質問 

 30年前 本願寺との 「 宿善論争 」で 寒い1月に  本願寺のご影堂に「 返答求む 」の 白ハチマキで 500名が 座り込み 返答が無いから 勝った 勝ったと 騒ぎましたね 。

私も 参加して 大声挙げた 馬鹿でした 。

あの時 本願寺から 

 第六問・「高森親鸞会は、宿善として、自力諸善を積むように勧めているが、当流では、他力の信心を獲るために、まず、自力諸善を積まねばならない、などという説示はない」(回答書?P・一四二)

 ・ 「『破邪顕正や財施を修することが、獲信のための宿善となる』という文証があれば、示してもらいたい、

 と求めたのが一昨年の六月二十一日であるから、もう八百日以上が経過していることになるが、これについては、何の返答もないままである」(回答書?P・一六)

 同趣旨のことが、回答書??に、五、六回も強調されています。 


・ 勝った筈の本願寺からこんな、逆質問されましたが 返事されましたか 。

どんな 返事をされましたか 。聞かせてください 。


○ 捨てよは 悪い自力の心であって 行ではないと 苦しい 言い逃れ 。

高森先生は この様に 説明をして 批判を 誤魔化しました 。

そもそも 雑行(親鸞会では活動)の 金集め、人集め をするのは 「 助かりたい、信仰が 進む」と思うからで、そんなことを 思わずに やれますか 。

やっている人はいると思いますか。

考えらえませんよ 。

全く、現実を無視した言い方です。批判を避ける「 詭弁  」です 。

 雑行をやれば やるほど、私はこれだけ 頑張っている、前より進んでいる、あの人より頑張っていると 自分の活動の量や 出来た 出来ないの 善悪にこだわってゆきます。執着します。

  

 これは 「信罪福心ーーー罪は恐ろしいから出てくるな、福は有難いから出てこいよ  」という、自力の信心です 。

 私も 「 親鸞聖人アニメ」の個別訪問販売で 販売責任者として、 青年部員19名と 寝食を共にして 4年半、九州から北海道まで 日本中 毎日飛び込みセールスをやって 毎月毎月の成果を出すことに真 剣になりました 。

 皆で 1本 15000円のアニメを 数万本(数億円)を販売しました 。

 

  また、それが終わると今度は 「 顕正部隊」 になり 1年目  広島県で  20名、2年目福井県で 30名の成果を挙げるのに必死になりました 。

 この人数は大変なことで、やった人なら分かります。

 「宿善になる」「獲信の因縁になる」と 言われるから その言葉を命として 信じて 頑張ったのです 。

 全部「後生の一大事の解決」の為だから、逃げずに 諦めず 頑張りました 。

「 捨てよ」は その「 当てにする 悪い心がけ」 のことだ⁉︎ ーーーふざけるなー 。そんな心だけ別にして 捨ててやれると思うかー。

 やれるもんなら やってみせろー!です 。

人に ヤレ ヤレと、「 当てにする悪い心がけ」で 煽っておいて 、本願寺から 批判を受けると 慌てて「  悪い心がけ を捨てよ」です ーーー何を 誤魔化して、フラフラしとるか、本心から 腹がたちました。


・ 南無阿弥陀仏の喚び声 一つで救い摂られるから その他のものは 一切 必要でない、それどころか  信じられす、不足に思い 自分の方から お助けの足しになると思って動くから、それは 却って 阿弥陀様には 邪 魔ものだ  。それが 雑行だから 捨てよと。なぜ言い切らないのですか 。

・ 「身口意の乱れ心を 繕い  めでとうしなして  浄土へ往生せんと思うを自力と申すなり」   (  末灯鈔  )

  

・「 自力というは 我が身をたのみ、我が心をたのむ、我が力をはげみ、我が善根をたのむ人なり」         ( 一念多念証文  )


  ここで分かるように 「  自力を捨てよ 」は身口意の三業のことで 、「 悪い心がけだけを 捨てよということです」は、全くの ウソと分かります。

  どうして こんな小手先の誤魔化しをするのですか、お聞きします 。


  捨てるものは「 悪い 心がけ  」だけにして 活動してもらわないと、親鸞会は発展、維持できないから「諸善、活動はヤレ」、

こんな 二枚舌を使うのでは ありませんか。

  会員さんの 後生より 親鸞会の経営が優先ですか 。 お聞きします 。

 

  

○  雑行を知るだけでも30年~40年かかるーーなんですか、これは 。

 これは どこから出た言葉ですか。誰が 言ったのでしょうか 。

高森先生の 体験からですか 。

ーー自分で確認できないこと言われたのでしょうか 。

 もし、そうなら 、今 70歳の方が 初めて親鸞聖人のみ教え聞かれても、もう 間に合わんということですね 。

 求めるだけ 無駄ですね。

 そんなことでいいはずがありません 。

 老若男女が弥陀の本願の お目当てす。

恐ろしいことを 言ったなと 思われませんか。

 講師部、幹部の皆さんが 30年、40年、中には 50年ほどの方もありますが、

 救われない 理由はここですか 。

 お聞きします 。


・ 20年や30年で獲られる信心なら「億劫にも獲難し」と言われるはずがない。

                                 (これが獲信か、7P) 

  

・ 信心獲得は100年や200年求めて獲られるような、 ちっぽけなものでなく、多生永劫、求めてようやく獲られるもの、ということが明らかです。

ーーー我々も魂のリハビリをしているようなもので、信心獲得までには肉体のリハビリどころでない、多生永劫という長いリハビリの時間を要するのだ、と教えて頂きました 。 

 (会員暦40年近くの方からの手紙です)


 これでは 一生救われなくても 仕方がな い、あきらめよと、なりますが 。

それでもいいですか 。

  

・ 「待ちわびて 恨むと 告げえよ 皆人の

 いつを いつとて 急がざるらん」

 これは 十劫から 喚びづめ 立ちづめ 招きづめ の阿弥陀さまの やるせない み心を詩ったものです 。

 今か 今かと待っておられるのですよ 。

 感じませんか 。


 高森先生、阿弥陀様は泣いておられます 。

 

  

 ○ 平生業成の救いではありませんか 。

  

・ 阿弥陀仏は なぜ一念で救うという本願を建立されたのか。

 「如来の大悲、短命の根機を本としたまえり、若し多念をもって本願とせば、命一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。

 されば真宗の肝要、一念往生をもって渕源とす」                                   覚如上人(口伝鈔)


・「  無常 念々に至り、恒に死王と居るす」                                          

(善導大師)

  

 ・「  聞思して遅慮することなかれ」

                                                   (親鸞聖人)    


・「明日も知らぬ命にて候に、何事を申すも命終わり候わば 徒事にてあるべく候。

  命のうちに不審もとくとく晴れられ候わでは、定めて 後悔のみにて候わんずるぞ。御心得あるべく候」

  

 ・「だれの人も はやく 後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏もうすべきなり」


・「 一日も片時も急ぎで 信心を 獲れ  」 

 (蓮如上人)



 親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人が 命がけで 無常の命だから、急げと 教えていかれたのに、 高森先生の 教えは方は 違います。

 これで浄土真宗でしょうか 。

貴方の話を30~40年聞いて 雑行を知ればいいのですか 。

そのうち、阿弥陀さまが 何とかして下さるだろうと、待っておればいいのですか 。

会員さんは 迷うばかりです 。


お聞きします 。


○ 高森先生 あなたは いつ救われたのですか 。

 どの様に 「  高森先生は 18歳の時 阿弥陀仏に救われて、以来 カラスの鳴かぬ 日はあっても 、叫ばれない日はないのです  」

 私が 18歳で 顕正された時の 話しでした。このように思っている会 員さんも多いと思います  。


・ 華光会で見つけた 告白文です 。18歳です 。

 

「華光」誌第5巻5号

「学校の伝道部に入り、一意誠らしく話してみたが、真の安心はできない。或る人は信心を戴かない伝道は奇弁だと非難する。

 それについても私は非常に恥ずかしかった。穴があれば入りたい気もしたが、どうにも私を迷わせただけでありました。

 名誉獲得に常に走る我が心を哀れと思いながら、なおそれを覆い隠そうとする迷雲は、なかなか私を仏道に近づけなかった。

  そこでまた私は、聞くということが我が真宗では大切であると言われるか ら、大いに聞こうと毎晩毎晩総会所にお参りさせていただきました。

  ところがいかに説教を聞いても「うまく言うない」「フフン」とあざける内心に、何だか嫌になり、或る晩もあまりに自分の立場に苦しみ、ひとつ徹底的に私の理解を促したいと、布教使さんのもとに行き、自分の疑っていたことを問いただしてみたが、これも明解を得ず、

 満足せずに悲しく淋しい闇夜を帰ったこともありました。

  何とかして私達に、地獄の存在、極楽の有無を確実に指してくれる人はないか。求めつつ、ややもすればこの解答をなし得ざるを

自身の偉きが如く考え、人をも迷わし、自 分も迷いながら、実に毎日仮夢をやっていたのであります。

  はからずも夏休み数日前に、増井君をはじめ数名の求道者諸兄の御指導を受け、半信半疑、なお私の心は悶えました。

  親切にも休暇中『仏敵』の書をお借りして読ませていただき、また家にあった書物により、さらにまた華光をも送っていただき、

 次第にその迷雲も晴れ、今日までの悪疑を恥づるに余念がありません。ただただ「そのままこい」「そのままでよい」とは何と有難いことでしょうか。南無阿弥陀仏々々々々々々

  これも諸兄の方々のお骨折りによるものと、さらに大悲の無限の方便 摂化に、ただ感泣するのみであります。

 毎日毎夜、念仏は楽しい時に苦しい時に、無造作に口より出づる蓄音機にさせていただいて、

 有難き弥陀の呼び声を聞かせていただけます・・・ただただ、うれしさで一杯なのであります。南無阿弥陀仏  今や、地獄極楽の存在など疑ってみようとする心の恐ろしさに身をば悶えるのであります。ただ南無阿弥陀仏々々々

  しかし日常生活は煩悩の起こりづめで、ことさらに変わったところもなく、といってそれとて一時の間で、後は悲しみも楽しみにさせていただいております。今後ともますます諸兄の御指導をお願い致す次第で あります。」

・ これは 高森先生の書かれたものですね。違いますか 。

どこにも 「 三願転入した」 とありません 。

「19願の善を頑張ったと」 ありません 。

どこにも 「 30年、40年かかった」とありません、半年ほどです。

なのに 今は 全く違ったことを言いわれてるーーーー不思議ですね

 説明できますか 。

● 何回、 信心決定されたのですか 。

18歳のこの時の 獲信は後になって 崩れたことを 増井先生より詳しく聞きました 。

「 余 りにも その苦しみ悩みが ひどいので 伊藤先生にも相談して 奈良の 伊藤先生の知り合いのおばあさんの ところへ 高森君を連れていったんだよ 」

 この時のことを 高森先生からも「奈良のおばあさんから一晩中聞かせてもらったが信心決定が出来ず、あんたは無宿善かもしれないと言われて泣き泣き帰った」と何回か聞きました 。

 古い講師部、幹部なら知っているでしょう 。

しかし、まだ 信前の時のように言われましたが、崩れた後の話しと知りました。嘘をつかれましたね 。

その後「夢の中で 親鸞聖人より回向して頂いた」と言 われ、

「私には、教えを受けた先生はいない。親鸞聖人に導かれて信心決定したのです」と、18歳の獲信告白と全く違うことを言われて、 このときの経緯も 増井先生より詳しく聞いています 。

 そして、華光会から決別して 32歳の時 親鸞会を立ち上げ、会長先生になられましたね

 やがて 親鸞会結成 35周年ころから「 会報」の「三重廃立」から 大沼氏の主張する「三願転入」への 教えの転換が始まりました。


 「三願転入しないとアリ一匹助からん  」

なら 、高森先生 あなたは いつ どのように 三願転入したのですか。

 40年間 聴聞しましたが 一度も聞いたことがありません 。

「橋の下の乞食になってもいい、後生の一大事が解決出来るなら手足の1本や2本 無  無くなってもかまわん。解決したいと思って求めた」

という、18歳の時の ことだけです 。

 

 雑行 を捨てるのに 30年 40年かかるなら 50代、60代で 3回目の信心決定をされたのですか。

 自分がそうだから 人にもそんな言い方をするのですか、お聞きします 。


 私は 18歳の  獲信を 信じていたので 不審に思いながらも 会員の時は 聞くことは 疑うことになるので講師部の立場上もあって 聞けませんでした 。

 しかし、今 こんな大事なことを うやむやにして 皆を 三願転入じゃーと説くのは 無責任極まると思います  。

 自信教人信で 導くのが 仏法です 。

 法然上人も親鸞聖人を導かれるのに 自信教人信でした  。


・ 「真宗紹隆の大祖聖人ことに 宗の淵源(体験)を尽くし、教の理致(教学)をきわめてこれを述べたもうに、たちどころに

 他力摂生の旨趣を受得し、あくまで凡夫直入の真心を決定しましましけり」 ( 御伝鈔 )


 ならば 高森先生も 自信教人信で あるべきではありませんか 。自分は例外ですか、お聞きします 。

 私だけでなく、聞けないけれど 、皆 腹の中で思っていることです 。ぜひ 聞かせて下さい 。


○ 個人的 体験など 何にもならないーーー

と逃げられるなら、なぜ 谷本貞三氏の 「 獲信の記録」のビデオを 製作して広く 会員さんに 配ったのですか。今も持っている人も多くいますよ 。

私も持っています 。

「 阿弥陀様に 遇えたー、往生ハッキリ 往生スッキリーーー」覚えていますよ 。

 癌で 臨終間近の 谷本氏に 高森先生は 3回葉書を書いて導かれましたが 、

そこには 「 六字の心 」が書かれていました、

 本当に 珍しく 私も 何度も見ましたが 「宿善まかせ」の 頭しか無かったので

分かりませんでした 。

「 光に向かって」自力一杯 求めてゆくものとしか思えないのに、阿弥陀様の方 から

「救い摂ろうと しておらえる」 の指導は 入っていかなかったのです 。

  

 当時の私は 40年も求めて、講師部でありながら、こんな 程度の信仰しかなかったのです

 

○ (講師部は 皆 行の座ーーーそれも無理)

 親鸞聖人が 法然上人の お弟子の 信心調べをなされたのが 

 「信 行 両座の諍論」です 。


 高森先生の 三願転入の解釈では まず 「行」の座へ入らないと 絶対に「信」の座へ入れないことになります 。

これで いいですか 。

しかも、「講師部は19願の入り口にも 入っておらん」の発言は 「行」の座の外で、

話にも ならないということです 。


 親鸞会結成50年をこえているのに、これが 高森先生の指導の 何よりの「成果」です 。

 こんな 程度の指導をしてきたということではありませんか。


「 後生の一大事の解決」一つを目的に 皆さんそれぞれ 決意して講師部に飛び込んだ人は

300人余り。退部、除名者は 50年で 100名を越えています。

残った講師部員がこの有様で す。

高森先生、88歳の苦労の人生、これで 満足ですか、本望ですか お聞きします。



  ● 三願転入 、縦横線の 話しが、どれほど恐ろしいか・・・。


 最近 「なぜ生きる」のアニメを使って 話をすると聞きました 。

○ 「 映画『なぜ生きる』の中の蓮如上人のお言葉

 「『聞く一つで、大船に乗せる』ということは、阿弥陀仏の命を懸けたお約束だからです。」とはどういうことでしょうか?」という会員さんの 質問に答えた話 をしたと聞きました 。

・ しかし、いくら、今頃 「そのまま救う 」と話をしても、20年近く「三願転入」「宿善まかせ」「縦線 横線」 の話をしてきたから、 それが 邪魔して入っていかないと思います 。

 「 条件があってこそ 頑張って信仰は進む こうして救いに近づいてゆくのだ  」

 こんな 自力の信心を 植え付けたのだから 今から 他力回向のお助けは 理解できません 。

 自力信心を固めるーーこの指導ばかりでした 。

本願寺が指摘した、親鸞聖人と違う 教えです。

 

⚫︎だから 親鸞会の会員さんは、


・三願転入、19願をやらねば信仰は進まぬが 自分には、まだまだ余裕がある 。

 18願の縦線 近くまで進んでいると思えないから まだまだ 先の話だ。 

・宿善の薄い者は助からぬ 。自分は特別に、厚いと 思わない 。

「そのまままかせよ」と言われても、困る。

もっと宿善が厚くならないと 聞けない話だ 。

・後生の一大事に驚きがたっているか 。

まだ自分はそこまで行ってないから助からない。

・無常観、罪悪観を深め 地獄行きの者とは、まだ 自覚できていないから、無理だ 。

・極難信の救いだ、そんな早く助かるはずがない 。

・国に一人、郡に一人、宝クジより 難しい救いだ 。自分なんか無理だ 。

・あんなに頑張ってる支部長、講師部でも まだ無理なのに、自 分が先だなんてあり得ない。

・20願の念仏 なんかも 全く称えたことがない、まだまだ横の線は進めていない 。

 縦の線の向こうの 18願の話をされても関係ない 。

・南無阿弥陀仏の救いがあると、目標は分かったが、今の自分は 支部長の指示に従って、地道にこれまでの 活動を続けるしかない。

「宿善まかせ」だから。

 こうして 続けた末に 行ける世界であり、今は まだまだだ。

 10年や20年聞いたくらいで判るものではない!

そんな簡単に救われることはない!

一生や二生で救われるものではない、多生の目的だ !

    

               ーーーこんな心しか、ありません。



  長い時間かけて この様に 話しをしておきながら 一念で救われますと、

 今頃 言っても遅くはありませんか 。

私は 8年前から ここを 20回以上 指摘してきたのです 。


○ 無条件で救うなんてありえない

                      ーーー自力の根本的な思いです 。

 これで 無量劫、迷っているのです 。

 迷いの親玉、そんな簡単ではありません 。

・こんな 思いで 講師部も会員さん 聞いていますよ 。

手に取るように分かりますーーー私もそうだったからです 。


二願も捨て 宿善の厚薄も捨て 縦横線も捨ててこそ「そのまま救う」です 。

それを 話さずして 救われる人はありません 。

今から、全部 切り替えて話せますか 。


「では これまでの 指導は 何だったんだー」大惑乱が起きます 。

 責任を取る腹が、出来ていますか 。

そこまでの 決断してこそ、の「そのまま救う」です 。

恐れて、「これまで通り」の話をしながら、「そのまま救う」も話もする 。

「二本建て」で 誤魔化し てゆくつもりですか。

 お聞きします 。


会員さんが 本当に 哀れです 。