2018年04月01日
尊い合掌の姿
私たちは普段の生活の中で、お墓まいりやお仏壇の前、お寺や神社に行ったとき、手を合わせて合掌しますよね。
合掌は仏教と一緒にインドから伝わった、 尊敬や感謝を表す所作です。
人に物事をお願いするとき、「拝み倒す」なんて言ったりしますが、けっしてお願いごとのためにあるのではないんです。
観音経でも「その時に無盡意菩薩(むじんにぼさつ)即ち座より起って偏(ひごえ)に右の肩をあらわにし、合掌し、仏に向かいたてまつりて、この言(ここば)を作(なさく)…」
無盡意菩薩がご自分の座っておられた場所から立ち上がって、右の肩をあらわにし(最高の敬礼)合掌された。そして仏様に向かって、このようにおっしゃいました…となりますね。
仏教では、合掌するというのは、人間の姿の中ではもっとも尊い姿だと言われます。
インドでは、
右手が清浄な手、左手が不浄な手といわれ、右手を仏様、左手を人間だと表すそうです。
仏前でその右手と左手を合わせて合掌した時、私たちと仏様が一体になるという意味だと言われます。
合掌をすると宗教的な信念だけでなく、精神も統一されてきますよね。
武道などで合掌している姿も見たことがある方も多いでしょう。
仏教では、合掌についてこのような意味もあるとされています。
十本の指を十の世界にたとえています。
十の世界とは、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、声聞界(しょうもん)、縁覚界(えんかく)、菩薩界、仏界、をいい、汚濁(おじょく)に満ちた浅ましい地獄、餓鬼、畜生などの世界から始まって最後は菩薩、仏界という仏さまの世界になる。そしてこの十の世界の全てが私たちの心の中に存在するのです。
卑しい貪りの気持ちを持てば、それは餓鬼の世界になり、慈悲心を持てば仏界になります。
私たちの毎日の暮らしはこの十の世界を次から次に移りながら生きているのです。
私たちの心は仏界や菩薩界にはなかなか無縁で、餓鬼や畜生の世界に身を置いてしまっているのが現実の私たちの姿といってもいいでしょう。
この十の世界を一つに合わせる、融和させるのが合掌をだと言われています。
合掌する事で仏様と一体になり、仏様の心を感じるようになれるのです。
ですから、本当の合掌は物乞いや、ねだる姿、また自分の思い通りに人を動かしたいという「拝み倒す」姿であってはならないのです…
慈悲と勇気をそなえた合掌の姿でありたいものです。
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byakuren0104 at 06:21│Comments(0)│仏教の話












