今、このブログは更新されようとしていますが、これはすべて
私の腸によってなされ、書かされていくものなのです・・・。
「狂いなおし」、を書いて、特になにかおかしくなったわけでは
ありません。
さて、なんの因果か、「狂いなおし」の翌日に、久々ですが突然
持病の腸の病気が出てしまいました。憩室炎というものなのですが、
かれこれ三十年ほど前に発病して以来のつきあいになります。
三度ほど入院しましたが、いずれも同じパターンの治療で、およそ
十日間絶食しひたすら点滴をうたれて、ベッドへころがされています。
ほとんど急性盲腸炎と同じような症状で、痛み、かなり激痛と、発熱、
吐き気などが主な症状です。
痛みとしては、まっすぐに立っていられず、屈んでないと痛みが腸に
響いてしまい耐えられないといった状態になってしまいます。
当然歩いたりはとても痛くてできません。
「痛みを我慢しちゃだめだよ」。
医者はだいたいそう言います。
理由は、こちらの痛みということではなしに、腸がパンクするとやっかい
だからということのようです。
痛みが急に無くなったときは、パンクした時で、やばいそうです。
退院時の目安は、おならがひとつの基準のようです。
それも豪快にではなく、スー、とかプーです。
それは当然で、十日なにも食べてないわけですので。
まぁ、それに熱も加わってという感じで、それら一連の腸セレモニーが
鎮静化して、体重も落ちて、フラーッとした幽霊のようになって病院を
あとにしていくわけです。
解脱。そんな感じもあります。
さて、こうした我が腸とも友達になって久しいですが、この腸は、というより、
この腸こそが我々人間をあらしめている生の情動を司る根源体らしいのです。
体という字を付けましたが、そういうに相応しい存在なのです。
腸は、人間に限らず牛や馬、犬や猫などの動物のからだが生成
されていく時の最初の形だそうです。腸が最初に出来て、それからその腸
を生かし続けていくために、肝臓とか心臓ができ、脳もできてくるそうです。
脳は腸から進化したものらしく、腸が脳を産んだわけです。
以前から腸が脳の形と良くにているとは思っていましたが、事実は
そこにあったわけです。親子、兄弟。どう表現したらいいのか迷いますが、
そういうことのようです。
口から肛門まで、食道、胃、腸とひとつにつながったチューブ。
で、その先っぽに頭や目をのせ、それらを移動させるための道具として
手や足を生やしているのが動物であり人間の姿というわけです。
チューブ体。腸人間。そんな感じです。
また、腸の表面積は巨大で、その上皮や膜をうすく延ばして広げたとすると、
テニスコート二面ほどになるそうです。
「腸は神経の網タイツをはいている」。
こう評す学者もいるそうで、広い原っぱのような腸の皮膜は無数の神経が
糸のようにくっつき、絡まりあいへばりついているようです。
それには、立派な理由があって、外界から来るいかなる異物にも対応し
反応でき、からだを常に正常な状態に機能させようとのことから、自らが
自発的にさまざまなものを考案し、作り出して四六時中そのために働いて
いるそうです。
さて、人間は、というか、人体はというか、おおいに悩むところですが、
いずれにしても、起源はまず腸だったということは確かです。
それが何億年という時間を経て、その時間を圧縮するような形で、腸は
人間の姿を出現させた、のです。人間というものとなった。
とりあえず今のところは・・・・・、です。
第二の脳と言われて腸が着目されたのは最近です。
腸は脳とは別に自ら考え行動していることが証明されているようです。
が、今現在は、そんなゆるいことではなく、第二どころかそれ以上の、
超能力をそなえている器官ではないかといわれ出しています。
腸というとなにか昔から馬鹿にされ、低くみられていたもののように
思います。脳がトップで、次は心臓みたいな・・・・。
まぁ、それも仕方ない面もあります。
なんかグニャグニャしててミミズのお化けのようであり、しかもウンコが
溜まった汚い臓器。
しかしそうした外形的な印象による偏見と不遇の一方、古代の人達は
腹や腹部を、心の在りか、場所として思っていたようです。
それは、言葉を思えば容易に想像がつきます。
腹をくくれ、腹にしまえ、腑に落ちない、腹が煮えくりかえる。断腸の思い。
きりがないほどあります。
で、どうも近代というのか、時間が経つに従って心はだんだんからだの
上のほうにきてしまったようです。心臓のあたりに心は移動しました。
腸は原形、原始的な臓器だそうです。
それはいろんなものに対応できるようにできている、という意味らしいです。
腸に代表される蠕動運動は、生物というものの最初の動きだと、なにか直感
させられるものがありますね。ちょっと不気味ですが。
蛇やミミズ、芋虫、ヒドラ、イソギンチャク・・・・。
腸そのものが外皮を纏って動いている、といった。
かって、すべての動きは内包されている、と言いましたが、こうして腸のことや、
その生成過程などに思いを巡らすと、改めて再認識するような思いになって
きます。
思えば腸は我々のからだのちょうど真ん中にあり、頭蓋のように
硬く守られずに、実に無防備に存在してます。
何故だろう、と思います。
まるで、原始の存在を人に知らしめるかのように。
は・ら・わ・た。
腸。
なにか海のにおいもするのですが。
今回はこのへんでペンを置きます。
まだちょっと病み上がりで、これ以上書き続ける
と腸が痛んでくるの分かるんです。
ほんとです。
腸で書いてるんですね私って。
前っからですが。
私の腸によってなされ、書かされていくものなのです・・・。
「狂いなおし」、を書いて、特になにかおかしくなったわけでは
ありません。
さて、なんの因果か、「狂いなおし」の翌日に、久々ですが突然
持病の腸の病気が出てしまいました。憩室炎というものなのですが、
かれこれ三十年ほど前に発病して以来のつきあいになります。
三度ほど入院しましたが、いずれも同じパターンの治療で、およそ
十日間絶食しひたすら点滴をうたれて、ベッドへころがされています。
ほとんど急性盲腸炎と同じような症状で、痛み、かなり激痛と、発熱、
吐き気などが主な症状です。
痛みとしては、まっすぐに立っていられず、屈んでないと痛みが腸に
響いてしまい耐えられないといった状態になってしまいます。
当然歩いたりはとても痛くてできません。
「痛みを我慢しちゃだめだよ」。
医者はだいたいそう言います。
理由は、こちらの痛みということではなしに、腸がパンクするとやっかい
だからということのようです。
痛みが急に無くなったときは、パンクした時で、やばいそうです。
退院時の目安は、おならがひとつの基準のようです。
それも豪快にではなく、スー、とかプーです。
それは当然で、十日なにも食べてないわけですので。
まぁ、それに熱も加わってという感じで、それら一連の腸セレモニーが
鎮静化して、体重も落ちて、フラーッとした幽霊のようになって病院を
あとにしていくわけです。
解脱。そんな感じもあります。
さて、こうした我が腸とも友達になって久しいですが、この腸は、というより、
この腸こそが我々人間をあらしめている生の情動を司る根源体らしいのです。
体という字を付けましたが、そういうに相応しい存在なのです。
腸は、人間に限らず牛や馬、犬や猫などの動物のからだが生成
されていく時の最初の形だそうです。腸が最初に出来て、それからその腸
を生かし続けていくために、肝臓とか心臓ができ、脳もできてくるそうです。
脳は腸から進化したものらしく、腸が脳を産んだわけです。
以前から腸が脳の形と良くにているとは思っていましたが、事実は
そこにあったわけです。親子、兄弟。どう表現したらいいのか迷いますが、
そういうことのようです。
口から肛門まで、食道、胃、腸とひとつにつながったチューブ。
で、その先っぽに頭や目をのせ、それらを移動させるための道具として
手や足を生やしているのが動物であり人間の姿というわけです。
チューブ体。腸人間。そんな感じです。
また、腸の表面積は巨大で、その上皮や膜をうすく延ばして広げたとすると、
テニスコート二面ほどになるそうです。
「腸は神経の網タイツをはいている」。
こう評す学者もいるそうで、広い原っぱのような腸の皮膜は無数の神経が
糸のようにくっつき、絡まりあいへばりついているようです。
それには、立派な理由があって、外界から来るいかなる異物にも対応し
反応でき、からだを常に正常な状態に機能させようとのことから、自らが
自発的にさまざまなものを考案し、作り出して四六時中そのために働いて
いるそうです。
さて、人間は、というか、人体はというか、おおいに悩むところですが、
いずれにしても、起源はまず腸だったということは確かです。
それが何億年という時間を経て、その時間を圧縮するような形で、腸は
人間の姿を出現させた、のです。人間というものとなった。
とりあえず今のところは・・・・・、です。
第二の脳と言われて腸が着目されたのは最近です。
腸は脳とは別に自ら考え行動していることが証明されているようです。
が、今現在は、そんなゆるいことではなく、第二どころかそれ以上の、
超能力をそなえている器官ではないかといわれ出しています。
腸というとなにか昔から馬鹿にされ、低くみられていたもののように
思います。脳がトップで、次は心臓みたいな・・・・。
まぁ、それも仕方ない面もあります。
なんかグニャグニャしててミミズのお化けのようであり、しかもウンコが
溜まった汚い臓器。
しかしそうした外形的な印象による偏見と不遇の一方、古代の人達は
腹や腹部を、心の在りか、場所として思っていたようです。
それは、言葉を思えば容易に想像がつきます。
腹をくくれ、腹にしまえ、腑に落ちない、腹が煮えくりかえる。断腸の思い。
きりがないほどあります。
で、どうも近代というのか、時間が経つに従って心はだんだんからだの
上のほうにきてしまったようです。心臓のあたりに心は移動しました。
腸は原形、原始的な臓器だそうです。
それはいろんなものに対応できるようにできている、という意味らしいです。
腸に代表される蠕動運動は、生物というものの最初の動きだと、なにか直感
させられるものがありますね。ちょっと不気味ですが。
蛇やミミズ、芋虫、ヒドラ、イソギンチャク・・・・。
腸そのものが外皮を纏って動いている、といった。
かって、すべての動きは内包されている、と言いましたが、こうして腸のことや、
その生成過程などに思いを巡らすと、改めて再認識するような思いになって
きます。
思えば腸は我々のからだのちょうど真ん中にあり、頭蓋のように
硬く守られずに、実に無防備に存在してます。
何故だろう、と思います。
まるで、原始の存在を人に知らしめるかのように。
は・ら・わ・た。
腸。
なにか海のにおいもするのですが。
今回はこのへんでペンを置きます。
まだちょっと病み上がりで、これ以上書き続ける
と腸が痛んでくるの分かるんです。
ほんとです。
腸で書いてるんですね私って。
前っからですが。