ビショップ二足道

所謂バタイユなどが言うところの過剰なからだ。‥‥棒をもつサル

花はいつから「は・な」となったのか、時を想う。

以前、アメリカで知り合った日本の言語学者の方が言うのには、
「は」、という音は、空間に対して外側へ向かっていく音であり、「な」、
の音も同じパターンである、的な。つまり、開かれていく感覚が
そうさせた。ということでした。
理屈?はさておき、言語学者というのはそういうことを日々考えている
人なんだということを知り、感銘を受けました。

私なら、そのことを言語学者の方ではなく、もし、折口信夫が生きて
いたならば尋ねたい気持ちです。
「先生。花はいつごろ「は・な」になったんでしょうか」。
「オッ、ホホホホ」、と笑ってから静かに語りだしてくれたかも知れません。

言葉は、やはり世の中の推移につれ、合理化され、首きりされて
きたようです。
は・な、もそうですが、何故そうなったのかは、古いこともありますが、
当然のこと、人間史であり肉体史として知りたいと思います。

あー・いー・うー・えー・おー、で動いてみる練習も役に立つと思います。
以前、中西夏之氏のかなり大きな絵の展覧会がありました。
氏はオープニングの挨拶にあたり、こう言い始めました。
枕詞風に、「絵は、あ、じゃなくて、え、って言います」。
話の内容は忘れましたが、この言葉だけ憶えています。

氏は絵にたいして、そういうことも考えているのだと思いました。
「イメージの構造について考えている」。
そう、電話口で言っていたこともありました。
そして、自分の絵について誰に書いて欲しいか尋ねたことがありました。

やや、間があって、

オ・リ・ク・チ・シ・ノ・ブ
電話の向こうの声でした。

「昼間、泥棒に甘いものをあげると泣きますよ」。
これは、土方語録のうちで最も秀逸なものだと思っています。
こうしたことを、土方巽は皆がいるところで、特に交遊
のある文学者などのいるところで、すぐ言ったようです。
悪戯ともサービスとも、また、ひけらかしともとれますが、
いずれにせよ過剰だな、と思います。
氏は、こうしたことが常で、根っからのパフォーマーなのです。
場を引き寄せたり、どこでも劇場にしてしまったりする、この、
いわば劇場癖は一体なんなのか、と思うことがあります。

人を戸惑わせることに喜びがあったのかも知れませんが、
それはもって生まれたものなのか、また、練習もしたのか、
育った風土なのか、などとあれこれ思いをめぐらせてしまいます。
この、「昼間、・・・・泣きますよ。」は、一瞬、ああ、そうなん
ですか、なるほど。
不思議だなぁ、でもそうかもしれない。知らなかった。
などと、なにか関心して納得したような気になります。
嘘とも思えない、次第にほんとのことのように思えたり
してくるのです。

かって、電気などのない、昔の東北では、冬、降り積もり、
降り止まぬ雪の中で、人は死の恐怖を紛らわせ、それから
逃れるために二つのことをしたといいます。
ひとつは酒。
もうひとつが、囲炉裏の火をかこんででしょう、ありもしない話を
作って夜な夜な人に聞かせた。
こうしたことが、伝統としてあり、生活の知恵としてあった。と、
古老から聞いた話として、柳田國男は書いていました。
目からうろこ、でした。

きっと作り話は大会ともなり、様々に競われていったことでしょう。
それに、囲炉裏の炎も無言の演出となって、さらに工夫され、
より劇的な姿を立ち上がらせたと思います。
また、おらぁ、化けが好きなんだやなぁ。と、以前私が、山形の
鶴岡に稽古場を構えていた時、大家のおばさんが、良く私に
言っていたものです。

土方氏は秋田生まれですが、鶴岡でも土方巽のそっくりさん。
顔ですが、そういう人も良く見かけました。
アイヌ系かな、などと勝手に思わせるものでした。
昼間、泥棒、甘いもの、あげる、泣いてしまう。
これは、なにか出どころが相当深いなぁ。などと、思ったりして
しまうのです。

季節、自然、風、雪.
夜と昼、そこをくぐり抜けてきた人間。その肉
訛り。夕焼けと朝焼け。
入れ替わる生と死。そうした感情。
肌ざわり。長い長い歴史。
ありもしない話。

なぜか、こうしたことがぐるぐると駆け巡ってしまうのです。
単に、実際の泥棒と出くわし、どっかにあった甘いものをあげたら、
泣いてしまった。
あるいは、なにかで知った犯罪者の心理立てを、アレンジした。
そうしたことかも知れませんが、
とにかくよくはわからないのです。
そういうしかありません。

なんにせよ、しかし、文学者などの前でわざわざそういうことを言うのは、意図してとしか思えませんが、しかしこれもまた判然とはしません。
即興だった、実は。
これもあるのです。

以下の文は、2011年5月上旬、ある人に連れられ石巻市
大高森の瓦礫の中で踊ったのち、求めに応じて書いたもの
です。


それは、いきなり寝床から引きずり出され、表へ放り出された、
それ以上の心持ちであった。
また、それはある意味、私自身と舞踏、舞踏家といったものに
向けられた、ひとつの切っ先であったかも知れない。
とにかく、崖っぷち。
頭蓋を深海に沈め、ゴシゴシと洗いたくなった。
感情の排除。
肉で動こうとしない。
裸。
裸はそれ自体語り過ぎている。防具をつけずに素手でいく。
こんなことを咄嗟に頭に描きながら、その、瓦礫、東北の地へと
旅立った。

破壊の凄まじさや夥しさなどとは逆に、不思議なほど、そこは
静まりかえっていた。
温度はなく、真空。
大音響の無音。
降りそそぐ蝉しぐれの静寂。

無数の、様々に変形して重なり合い、ただそこに、在る、といった
物体。その姿。
そうしたモノ達に囲まれながら、すでに頭蓋をはずされ、眼玉だけに
なった私は、踊りはじめた。
あばらのあたりにスースーと吹き抜ける風を感じながら、
いつしか完全な骸骨となり・・・.
                     2011.5,18     ビショップ山田 

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