「狂いがないですねぇ」。
およそ二十年ほど前、今は故人となられた郡司正勝先生の
お宅へお邪魔した折、先生の第一声でした。
これは、当時の歌舞伎や舞踏、また多くの舞台に対する先生の
批判をこめた感想でした。
狂い。
これは以前からよく言われてきたことで、舞台に立つものにとって、
上手い、下手以上にまず第一に要求されてきたことです。
よくできてました。頑張りましたね。
これではダメなわけです。
また、狂いは計算づくで作れるものでないだけに、かなり難しいもの
だと思います。
奥義。そういった境地と言ってもいいのでしょう。

思えば、大昔、花鎮めの踊りというものがあったそうです。
この踊りは念仏踊りや田楽などの大元だったと言われてますが、
これは昔、古代といったほうがいいでしょうが、稲虫を払うための
もののようでした。
それは丁度春の終わり、夏に先立って流行る疫病を予防するため、
踊られたようです。
昔の人々の考えでは、田に稲虫が出ると、人間にも疫病が流行る、
と、そんなふうに思っていたらしく、花はそれらの前ぶれを意味した
ようです。
従い、その花が散ることは、人々にとって空恐ろしいことであり、
なんとかその花が散らないように、また、散らせまいといった願いを
こめ、さらには、花の散ることを忘れさせるために踊られたようです。

これは、すでにこの次点で、踊りも、踊るという行為自体も、かなり狂ったものと言わざるをえません。そう思います。
合理性などとはまったく無縁の行為です。
しかし、切羽詰まった、切実な思いは確かにそこにあり、それを言葉
などでは足りず、なにか超人的な手法で神にとどけ、花の散るのを止め
させる。ほんとに奇跡を呼び起こす。懇願の全身体的行為。
まぁ、そんな風に言う他ないように思います。
とにかく、踊るんです。踊っちゃうんですね。
また、こうしたことで踊った人々は、きっと異常に興奮したのではないかと
察せられます。
そして、それらは年を追うごとにエスカレートし、また自らエスカレートさせ、想像もつかないような世界を現出させるに至ったことだろうと、これまた察せられます。

踊りとは狂いである。と、昔より翻訳されてもきましたが、源泉のひとつは、花をめぐってのことのようです。
さて、舞台で狂っている。
これは先の歌右衛門、中村歌右衛門をおいて他にはほとんどといっていいほど思い浮かびません。
私も含め、我が暗黒舞踏の面々も、とうてい及びがつかないと思っています。
「行っちゃってました。」、歌右衛門は。
行ってましたが、怖さはなく、なにかやや気がふれてる、といった微笑ましさのほうが目立ってました。
しかし、舞台の回数もそうですが、のべつまくなしに狂い、踊っている一挙手一動は驚きでした。
そして、そうした歌右衛門は、寝る時いつもぬいぐるみを抱いていたと聞きます。これは夙に有名なエピソードですが、最初は、歌右衛門が女形のために、なにか他愛の無いこととしてほとんど気にもとめていなかったのですが、最近になって、それはそう単純なことのように思えなくなっています。それは、なにか触覚というか肌触りといった、のっぴきならないもの
との関係を感じ出したからだと思っています・・・。

さて、狩猟だけやっていたネアンデルタール人が滅び、洞窟で絵などを描いていたホモ・サピエンスは生き残りました。
現在の我々の祖先といわれています。
なぜ絵なんか描いていた連中が生き残ったのか。
本来なら狩猟だけで事足りたと思うのですが、何故か、絵を描いた。
この次点で、理由は不明ですが、ホモ・サピエンスは突然、脳が狂ったという説があります。
そして、現在に至ってます。
私達は言わば、三万年前から狂い、ずっと狂っているのです。
「狂いがないですねえ。」
これは、時代を超えて、舞台へ上がる人間のみならず、人間すべてへの警句、ないしは激励の言葉かもしれません。
「しっかり、ちゃんと狂いなさい。」