ビショップ二足道

所謂バタイユなどが言うところの過剰なからだ。‥‥棒をもつサル

2012年06月

「狂いがないですねぇ」。
およそ二十年ほど前、今は故人となられた郡司正勝先生の
お宅へお邪魔した折、先生の第一声でした。
これは、当時の歌舞伎や舞踏、また多くの舞台に対する先生の
批判をこめた感想でした。
狂い。
これは以前からよく言われてきたことで、舞台に立つものにとって、
上手い、下手以上にまず第一に要求されてきたことです。
よくできてました。頑張りましたね。
これではダメなわけです。
また、狂いは計算づくで作れるものでないだけに、かなり難しいもの
だと思います。
奥義。そういった境地と言ってもいいのでしょう。

思えば、大昔、花鎮めの踊りというものがあったそうです。
この踊りは念仏踊りや田楽などの大元だったと言われてますが、
これは昔、古代といったほうがいいでしょうが、稲虫を払うための
もののようでした。
それは丁度春の終わり、夏に先立って流行る疫病を予防するため、
踊られたようです。
昔の人々の考えでは、田に稲虫が出ると、人間にも疫病が流行る、
と、そんなふうに思っていたらしく、花はそれらの前ぶれを意味した
ようです。
従い、その花が散ることは、人々にとって空恐ろしいことであり、
なんとかその花が散らないように、また、散らせまいといった願いを
こめ、さらには、花の散ることを忘れさせるために踊られたようです。

これは、すでにこの次点で、踊りも、踊るという行為自体も、かなり狂ったものと言わざるをえません。そう思います。
合理性などとはまったく無縁の行為です。
しかし、切羽詰まった、切実な思いは確かにそこにあり、それを言葉
などでは足りず、なにか超人的な手法で神にとどけ、花の散るのを止め
させる。ほんとに奇跡を呼び起こす。懇願の全身体的行為。
まぁ、そんな風に言う他ないように思います。
とにかく、踊るんです。踊っちゃうんですね。
また、こうしたことで踊った人々は、きっと異常に興奮したのではないかと
察せられます。
そして、それらは年を追うごとにエスカレートし、また自らエスカレートさせ、想像もつかないような世界を現出させるに至ったことだろうと、これまた察せられます。

踊りとは狂いである。と、昔より翻訳されてもきましたが、源泉のひとつは、花をめぐってのことのようです。
さて、舞台で狂っている。
これは先の歌右衛門、中村歌右衛門をおいて他にはほとんどといっていいほど思い浮かびません。
私も含め、我が暗黒舞踏の面々も、とうてい及びがつかないと思っています。
「行っちゃってました。」、歌右衛門は。
行ってましたが、怖さはなく、なにかやや気がふれてる、といった微笑ましさのほうが目立ってました。
しかし、舞台の回数もそうですが、のべつまくなしに狂い、踊っている一挙手一動は驚きでした。
そして、そうした歌右衛門は、寝る時いつもぬいぐるみを抱いていたと聞きます。これは夙に有名なエピソードですが、最初は、歌右衛門が女形のために、なにか他愛の無いこととしてほとんど気にもとめていなかったのですが、最近になって、それはそう単純なことのように思えなくなっています。それは、なにか触覚というか肌触りといった、のっぴきならないもの
との関係を感じ出したからだと思っています・・・。

さて、狩猟だけやっていたネアンデルタール人が滅び、洞窟で絵などを描いていたホモ・サピエンスは生き残りました。
現在の我々の祖先といわれています。
なぜ絵なんか描いていた連中が生き残ったのか。
本来なら狩猟だけで事足りたと思うのですが、何故か、絵を描いた。
この次点で、理由は不明ですが、ホモ・サピエンスは突然、脳が狂ったという説があります。
そして、現在に至ってます。
私達は言わば、三万年前から狂い、ずっと狂っているのです。
「狂いがないですねえ。」
これは、時代を超えて、舞台へ上がる人間のみならず、人間すべてへの警句、ないしは激励の言葉かもしれません。
「しっかり、ちゃんと狂いなさい。」

先達て、西江雅之氏の写真展を見に行きました。
写真の多くは、アフリカやニューギニアの部族のものでした。
また、以前西江氏とお目にかかった際、氏の話に出てきた
ハイチの女性の写真もありました。
それは、なにか太鼓の合図で、いとも簡単にトランス状態に
入った女性がいきなりニワトリに噛みつき食いちぎる、
その写真でした。
元アフリカを体験したいならハイチへいったほうがいい。
以前、氏はそう私に言っていました。

泥や灰、木や草の汁、それに石や岩の粉。
そのようなものでしょうが、そうしたものを頭の先からつま先
まで、全身に被るか塗りたくって、部族達は堂々と写真に
収まっていました。
誇り。気高さ。といった言葉が似合う、そんな感じでした。
青塗り、赤塗り、白、黒、白黒斑、黄塗り、緑、紫。
ない色はない、全天然色を見せつける。
そう、言ってるような感じもしました。
特に顔の化粧などは凝っていて、ほとんど芸術品といっても
いいものでした。
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さて、どう呼んだらいいのかわかりませんが、こうした化粧という
か、装飾にはどういった意味が込められているのか、などと
思ってしまうのですが、それは単に面白がってやっただけでは
ないと思います。
動物よりも動物。というか、動物の王になる。そんな意識があった
のでは、と、思ったりします。
真似を超えて、より強そうであでやかに。
似せるふりをして、より際だたせる。
威嚇する。堂々とした感じにみせる。
様々にあったと思いますが、それらの源泉というか、直接の動機の
ひとつには、心底怖かったからだと思います。
動物も植物も。
植物とて、触っただけで皮膚がただれるものや、食べると苦しんで
死んでしまうものなど多々あったはずです。
虫も恐ろしいのがいっぱいいるはずです。
自然は怖い。
そういうものなんだと思います。
その裏返りというか、当然ながら、過剰に意識する。
まぁ、無意識のうちに、すでにデフォルメなどはなされている、
そういうことでしょうか。少なくとも、彼らにとっては、です。

とにかくそうした怖れを、蛮勇をふり絞り皆で乗り越える。
その大切な儀式であり呪術なんだと、勝手にですが思うのです。
精神そのものを顔やからだに塗りたっくていると思うと、
なにかとてつもない世界へ連れられていかれそうになります。

彼らの化粧、扮装はいわゆる芸術や宗教にとどまらず、それは
ひょっとして科学なのかも知れない。
そう、思ったりもするのです。
また、秋田のなまはげを倍くらいにした、大なまはげ対全身骸骨
絵化粧人間との微笑ましいバトルもビデオで見ました。
微笑ましい。
これは、彼らに怒られます。絶対に。

絵というと、私はラスコーの壁画を思ってしまいます。
これはいつからなのか、半ば癖のようなものになってます。
ラスコーは、写真でしか見たことがありませんが、あの黒い
牡牛やぼかしの入った馬などを見ると、いつも感嘆してしまい
ます。
たぶんピカソだと思いますが、実際の壁画を目にし、技術など
を超えて余りある世界に圧倒され、完全にノックアウトを食らった。
と、いったようなことをいつだったか、読んだ記憶があります。
ピカソ展は、絵と舞台装置など二回ほどでしたか、見たことがあり
あります。
嫌になるほど上手い。
わざと逸脱させた線とかタッチ、勢いの強弱、歪めた形、色彩。
それらすべてが、実に冷徹にコントロールされていて、気味悪いほど
のハーモニーを奏でている。そんな感じでした。
「ちっきしょう、いいなぁ。クソッ。」
でした。そのピカソをしても及びのつかない、それがラスコーの洞窟
に描かれた絵ということになります。初期人類の・・・。

私の好きな絵のひとつは、たとえば、茄子なら茄子が描かれてる
とします。
で、その茄子が、雲のように見えたり、壺とか女性の裸体のように
見えたり、また、八百屋で売られている茄子とは絶対に違う、なにか
別の世界に存在する生き物のように見えたり、・・・・・・・。
そういう、つまりはいろんなものに見える絵がすきです。

先日より「深海鮫」に、いろんなものに見える代表格として、マチスの
千夜一夜物語を飾っています。
私はマチスのファンで、十数年ほど前に展覧会にも行きました。
題名は忘れましたが裸婦の絵で、有名なものですが、五十回ぐらい
手を加え、描き直して、最終的な完成に至る絵の工程全部を明らか
にしたものが展示され貴重なものでした。
マチスを見てるといつも思うのですが、絵っていいなぁ、自分もああいう
風に描けたらなぁ、と、思ってしまうのです。
マチスの色でこの夏涼めるか、やってみます。

ふんにばあてれめ
れそおかにききば
とれめんぞ!!

コメントに書きましたが、二年ほど前、女の方から戴いた
手紙の文面です。
今、言葉について考えていて、ひきあいに出しました。
認識や意識の回路にかかわってくる、膨大なことですから
おいそれといくわけにはいかないでしょう。
が、しかし、からだのことでもあるので、ちょっと挑戦もいいのでは、
と思っています。
降ってくる。
入ってくる。
そういうことではないかと思います。

そのためには、きっと、季節や時期といったものがありそうにも
思えます。
古代の人は、夏に神が来る。
そう思ってたようです。
そろそろ私も準備しなくては、と思います。
ふんにばあてれめ、FUNNNIBAATEREME。

暗黒舞踏派から風さかしまへ。
風さかしまからマハ・バックル商会へ。
マハ・バックル商会からレタス・クラブへ。
レタス・クラブから・・・眼鏡店へ。
こうした言葉の流れとイメージ連鎖。時間。時代。
また、言葉をモノのように扱い、オブジェ化して、脈絡なくつづって
いく、かっての自動記述のこと。
「シュザンヌの硬い茎、無用さ、とくにオマール海老の教会つきの
風の木の村」。
などのことも。
「すべてを形容詞で書こうかと思っています。」
中西氏のこの考えとそれへの経緯。

まぁ、いっぱいドライブすることになるでしょうが、運転あやまりたく
ないな、と思ってます。
時々、「深海鮫」で紅茶とお菓子で休憩も必要でしょう。
ふんにばあてれめ王国への旅。
あるいは、恐るべき遊園地。
恐竜や得体の知れない怪獣にもたくさん会うと思ってます。

マホガニー調の書斎机が、喫茶「深海鮫」のテーブルとなって、
二十日くらい経ちました。
その存在感と、私の思いについてはちょっと触れておきました。
今ではかなり、というより、もうすっかり馴染んだ感じになってます。

佇まい。
要は、そうしたことなんだなぁ、と改めて感じ入ったりしています。
それは、もう長いこと、家具や調度品などと縁のない、なにか、
生き別れた生活のせいだったからでしょう。
部屋は、天井と壁と床だけ。
そうしたところへ、からだ一個、ゴロンと転がり入れた、そんな風
でしたから。

で、まぁ、そんなところへいきなりドーンと、マホガニー調が来たわけ
です。
前に、「置き、決め」と言ったのは、渾身の情だと思います。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、新たな御神体をも運び入れた。
そんな心情だったのでしょう。

細かい傷やなにかと擦れあって、少し剥げ落ちたところに、
紙やすりをかけ、ウォルナットとメープルのニスを塗ってやりました。
そして、このマホガニーのある部屋の入り口の、古くて陽にやけ、
色落ちした床の一部もついでにニスをかけました。

窓を開け、山の空気を入れてニスを乾かしていると、
木肌は、次第に、水を得て蘇えり、息すら感じるようでした。
そして、机と床は、なにか
お互いサインをかわすかのように、絶妙な調和を醸し出してくるの
でした。
空気もより涼しくなった。
そう感じました。
また、光沢も落ち着きを増し・・。

旅。
なぜかこの言葉が浮かんできました。
なにか今、旅をしてるんじゃないかなぁ。それもずいぶんと長い旅。
で、今涼んでる。涼しさのなかに佇む私。
人間は普段、生活のなかでこんな感じの旅を始終しているんじゃないのかなぁ。
とも、思いました。
無意識に涼をとったり、木に水をやったり・・・
いろんなところへ出かけなくとも、旅はここ、身体の中。
どうなんでしょうか。
トンビが鳴いてます。山で。

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