「しゃがんでください。そして、20分かけて立ってください」。
これが、大野慶人さんが土方巽から受けた最初の稽古だったといいます。
かれこれ50年ほど前、こういう稽古がなされたわけです。
慶人さんは大変驚いたそうですが、これは肉体とか人間という物質、
あるいは人体というものの生い立ち、それらの歴史といったものを覗き込む、
ないしは嗅ごうとしたものではないかと思っています。
人間が立っていることへの疑問、不思議さと、
四足から二本足で立ち上がるまでの膨大な時間と経緯が、
刻々と変わる人体の形や心理、またその時の戸惑い、感情などを通してそこに出現し、
無数の様相が浮き上がってくるのです。
その人の背景もろとも立ち上がってくる・・・・。
このレッスンは、土方氏が練りに練って、または直感の降臨によって考案したかは知るよしもありませんが、
今なお画期的で、まさしく革命的なものだと思っております。
立っていることなどに何の疑問もなく、それを前提にどういう風に動き回るかに心をくだいていたのが今までの踊りであり、いわゆる舞踊の表現だったわけですから。
暗黒舞踏の原点的レッスン。そう呼べるものだと思います。
からだはしゃがみこんだ状態からゆっくり、それも非常にゆっくり立ち上がっていく中で、猛烈に喋ったり、ふさぎこんだり、時に叫んだりしているのです。
それは、立った状態から素早く動き回ったりするような、いわば普段の段取り的な速度や導線、また形態や形状といったものとは違い、推し量れないリズムや速度を持った真実異質なものであり、立ち動きではとうてい捉えられないものなのです。
原速度の世界。強いて言うならそういったようなものだと思います。
「人間」などと言っていては追いつかない、間に合わない、そんなものや形がひしめき合っているのです。
びっしりと。
まるで、見たこともない生き物と遭遇しているかのように。
さて、おぎゃーと生まれて三ヶ月も経つと、人間は調教化された機械として育てられ、社会化され始める。
意識の社会化、あるいは社会化された意識でぐるぐる巻きにされる。
そんな風に思えて仕方ありません。
麻痺と分裂と崩壊の王国。それが舞踏。
土方語録?、発言ですが、この意識の三点セットとも言うべきものは、
こうした人間存在の社会化といった大命題を引き剥がそうとする果敢な挑戦でもあり、
からだを自然へ帰そうとするとってもアナーキーな想念だと思うのです。
仕業と言ったほうがいいかもしれません。
人間の概念の拡張。そうした視点、、観点、とも思っています。
山中教授のIPS細胞発見とオーバーラップさせて、
般若心経を唱えるごとく、日々それらを谺させんと勤めねばならないと思っています。
そう、ありたいのです。
2012年10月
擬音の森からいつの日か海へ
浅利六畳美術館・・・別名 ラッタ美術館 オープン
まことにもって申し訳なく思っております。伏して謝罪申し上げ、二度とこのようなふ
しだらのなきよう心がけ、鋭意精進、努力致す所存であります。
さて、今年の馬鹿暑い、狂った夏の最中、「深海鮫」の隣りのフロアーに太い木の枝を
立てかけ日々眺めております。フロアーと言ってもタタミですが、そこに木の台を置いて
枝の根元を金属のビスで固定し、彫刻作品のように飾ってあります。
この枝は強風で折れたもので山道の途中で偶然見つけ、拾って担いできました。ブナでは
ないようですがまだ何かはよくわかりません。
このところやっと涼しくなり、朝晩は冷え込むようになってきました。
冬までに木肌がどんな変化を見せてくれるのか、また、それまでに朽ちてしまい、どんな変貌
を遂げるのか、そんなことをしばらくは眺めていようと思っております。
ラッタ美術館前面の山