花はいつから「は・な」となったのか、時を想う。

以前、アメリカで知り合った日本の言語学者の方が言うのには、
「は」、という音は、空間に対して外側へ向かっていく音であり、「な」、
の音も同じパターンである、的な。つまり、開かれていく感覚が
そうさせた。ということでした。
理屈?はさておき、言語学者というのはそういうことを日々考えている
人なんだということを知り、感銘を受けました。

私なら、そのことを言語学者の方ではなく、もし、折口信夫が生きて
いたならば尋ねたい気持ちです。
「先生。花はいつごろ「は・な」になったんでしょうか」。
「オッ、ホホホホ」、と笑ってから静かに語りだしてくれたかも知れません。

言葉は、やはり世の中の推移につれ、合理化され、首きりされて
きたようです。
は・な、もそうですが、何故そうなったのかは、古いこともありますが、
当然のこと、人間史であり肉体史として知りたいと思います。

あー・いー・うー・えー・おー、で動いてみる練習も役に立つと思います。
以前、中西夏之氏のかなり大きな絵の展覧会がありました。
氏はオープニングの挨拶にあたり、こう言い始めました。
枕詞風に、「絵は、あ、じゃなくて、え、って言います」。
話の内容は忘れましたが、この言葉だけ憶えています。

氏は絵にたいして、そういうことも考えているのだと思いました。
「イメージの構造について考えている」。
そう、電話口で言っていたこともありました。
そして、自分の絵について誰に書いて欲しいか尋ねたことがありました。

やや、間があって、

オ・リ・ク・チ・シ・ノ・ブ
電話の向こうの声でした。