先達て、西江雅之氏の写真展を見に行きました。
写真の多くは、アフリカやニューギニアの部族のものでした。
また、以前西江氏とお目にかかった際、氏の話に出てきた
ハイチの女性の写真もありました。
それは、なにか太鼓の合図で、いとも簡単にトランス状態に
入った女性がいきなりニワトリに噛みつき食いちぎる、
その写真でした。
元アフリカを体験したいならハイチへいったほうがいい。
以前、氏はそう私に言っていました。

泥や灰、木や草の汁、それに石や岩の粉。
そのようなものでしょうが、そうしたものを頭の先からつま先
まで、全身に被るか塗りたくって、部族達は堂々と写真に
収まっていました。
誇り。気高さ。といった言葉が似合う、そんな感じでした。
青塗り、赤塗り、白、黒、白黒斑、黄塗り、緑、紫。
ない色はない、全天然色を見せつける。
そう、言ってるような感じもしました。
特に顔の化粧などは凝っていて、ほとんど芸術品といっても
いいものでした。
F1000395

さて、どう呼んだらいいのかわかりませんが、こうした化粧という
か、装飾にはどういった意味が込められているのか、などと
思ってしまうのですが、それは単に面白がってやっただけでは
ないと思います。
動物よりも動物。というか、動物の王になる。そんな意識があった
のでは、と、思ったりします。
真似を超えて、より強そうであでやかに。
似せるふりをして、より際だたせる。
威嚇する。堂々とした感じにみせる。
様々にあったと思いますが、それらの源泉というか、直接の動機の
ひとつには、心底怖かったからだと思います。
動物も植物も。
植物とて、触っただけで皮膚がただれるものや、食べると苦しんで
死んでしまうものなど多々あったはずです。
虫も恐ろしいのがいっぱいいるはずです。
自然は怖い。
そういうものなんだと思います。
その裏返りというか、当然ながら、過剰に意識する。
まぁ、無意識のうちに、すでにデフォルメなどはなされている、
そういうことでしょうか。少なくとも、彼らにとっては、です。

とにかくそうした怖れを、蛮勇をふり絞り皆で乗り越える。
その大切な儀式であり呪術なんだと、勝手にですが思うのです。
精神そのものを顔やからだに塗りたっくていると思うと、
なにかとてつもない世界へ連れられていかれそうになります。

彼らの化粧、扮装はいわゆる芸術や宗教にとどまらず、それは
ひょっとして科学なのかも知れない。
そう、思ったりもするのです。
また、秋田のなまはげを倍くらいにした、大なまはげ対全身骸骨
絵化粧人間との微笑ましいバトルもビデオで見ました。
微笑ましい。
これは、彼らに怒られます。絶対に。