飯田
名  前/飯田哲也(いいだ てつや)
生年月日/1968年5月18日(46歳)
出  身/東京都調布市
経  歴/拓大紅陵高校→ヤクルト(1987〜2004・ドラフト4位)→楽天
身  長/173cm
体  重/80kg
投  打/右投右打
守備位置/捕手→内野手→外野手

拓大江陵高校入学後は外野手となり、
2年時になると俊足強肩に注目され捕手にコンバートされ
3年時には春夏連続して甲子園に出場。
春の選抜大会では本塁打を放ち5番捕手として注目された。
そしてその1986年のドラフトではヤクルトに4位指名されて入団。
1989年にやっと一軍昇格を果たし活躍の場を与えられたが
中西親志、秦真司や新人の古田敦也と競争しなければならなくなったため
同年オフに監督に就いた野村監督からキャッチャーミットを取り上げられて、
外野手コンバートされることになった。
翌年の1990年はセンターや内野手など目まぐるしく守備位置が変わったが
最終的には二塁手に固定されて活躍した。
さらに1991年からはまたセンターに固定されたが
強肩ぶりやとても捕球できないような打球の処理など随所に
ファンの度肝を抜くプレーでファンや首脳陣をうならせた。
結局この年から7年間連続でゴールデングラブ賞を受賞し
ヤクルトどころかセリーグを代表する外野手として成長していくことになる。
シーズンは2割半ばから後半の打率ではあるが
やはり彼の走塁技術は素晴らしく他の誰も真似できないような走りやスライディング、
とても捕球できないような打球を捕球したり
強肩で本塁突入した走者を何度アウトにして我々を喜ばせてくれたことか。
特に1993年の日本シリーズ第4戦、
このプレーはヤクルト1点リードの8回表2死で走者1-2塁の場面で、
2塁走者は俊足の笘篠誠治、打者は鈴木健という状況だった。
この状況で鈴木健がセンター前ヒットを打ち、
笘篠が本塁に突入したが飯田は見事に刺してピンチを救ったことが一番の記憶である。
そもそも捕手でありながら外野手に飯田をコンバートし
彼を大成させた野村監督の眼力もすごいが
それに応える飯田の技術も素晴らしかった。
今のヤクルトの指導者でこのようなことができる指導者は皆無、
藤井のようにユーティリティープレイヤーでも
何もできない馬鹿指導者どもには腹立たしい限り、
アイデアもなければ考えもしない、
本当に強いチームになんて考えたことも考えることもできないカスばかり。

ところで飯田のすごさと言えば
やはり日本シリーズでの活躍だった。
日本シリーズになれば水を得た魚のように活躍しまくる。
打撃、守備、走塁、何をとっても素晴らしくキーマンとして活躍したのを思い出す。
野村監督時の黄金期には飯田がいたからこそ
4回も優勝できたと今でも思う。
何度も言うが打撃力、守備力、走力、何をとっても一流で完璧な選手だった、
あの選手を褒めない辛口の野村さんが「天才」と言ったのは飯田だけ。


KC_iQ5mziMCXxHT1396925950_1396925962あ〜あ、高橋由伸の年俸って3.5億円もあるのかよ。そこまでして獲得する選手じゃないか……。
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0SXqKgaJgwl0KUW1396926079_1396926087今の選手で飯田に例えられる選手は? 皆無だ。
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