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夜は車窓から蛍が見えたこともあったという、目前の延びる線路跡をすすめば、まるで自分が汽車になった気分。
かつて、寿都と黒松内を結ぶ寿都鉄道という私鉄があった。
一六・五キロの区間に、たった五駅しかなかった小さな鉄道である。 大正九年(1920)に開業したが、ニシンの不漁、沿線人口の減少、鉱山の閉山、車道の開通などにより計NPO不振に陥り、昭和四二年(1967)末頃を最後に運転をとりやめた。
それから四六年の月日が過ぎた。
元社員や関係者の高年齢化もすすんでいる。
町の名を冠する鉄道があったことすら知らない町民も増えた。
だが、鉄道がすっかり忘れ去られたわけではない。 一定年齢以上の町民に昔話をお尋ねするときには、きまって鉄道の話題になるし、近年鉄道のことを直接知らない町民の間からも,寿都鉄道のことをもっと知りたいという声がでてきた。
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かつて、寿都と黒松内を結ぶ寿都鉄道という私鉄があった。
一六・五キロの区間に、たった五駅しかなかった小さな鉄道である。 大正九年(1920)に開業したが、ニシンの不漁、沿線人口の減少、鉱山の閉山、車道の開通などにより計NPO不振に陥り、昭和四二年(1967)末頃を最後に運転をとりやめた。
それから四六年の月日が過ぎた。
元社員や関係者の高年齢化もすすんでいる。
町の名を冠する鉄道があったことすら知らない町民も増えた。
だが、鉄道がすっかり忘れ去られたわけではない。 一定年齢以上の町民に昔話をお尋ねするときには、きまって鉄道の話題になるし、近年鉄道のことを直接知らない町民の間からも,寿都鉄道のことをもっと知りたいという声がでてきた。
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