前回『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略 / 深田 匠』の紹介をしましたが、さらに検索してみると、やはり物凄い内容であり転載歓迎らしいので載せてみたいと思います。多くの方々と、著者 深田匠氏の視点・警鐘を共有できればと思っています。

 読むだけでも大変な為、テキスト読み上げソフトの使用をお薦めします。
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※転載元にあった誤字・脱字は出来るだけ修正していきます。
※よく解らなかった単語は、そのまま載せています。
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日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略 深田匠(P6~P20)
 
まえがき-日本夜明け前、治乱興亡の風が吹く-

 インドネシアには戦前に「ジョヨボヨ伝説」という予言的伝承があった。黄色い肌をしたトビメラという英雄が北方から現われ、インドネシアを支配する白人どもを追い払い、そしてジャゴンの花が咲く頃に英雄は去っていくという物語である。またビルマにも「ボウモウジョ伝説」があり、黄色い肌のボウモウジョという英雄が白い馬に乗って東方から現われ、ビルマを支配するイギリスを追い払ってくれると伝えられてきた。この二つの予言は成就した。インドネシアの北方の国、ビルマの東方の国、日本という国がその予言を成就させた。映画『ムルデカ』の主人公のモデルとなった柳川宗成中尉はトビメラを名乗り、またビルマ独立義勇軍を育成した鈴木敬司大佐はボウモウジョを名乗った。日本軍はアジアから白人植民地支配を一掃し、新しい世界秩序をその手で築いた。新たなる世界の創造には古き世界秩序の破壊が前提となる。古い皮袋に新しい酒は入れられないからだ。戦争は苛酷であった。しかし戦争によってしか変えることのできないものがある。戦争によってしか守ることのできない誇りもある。それは悲壮な戦いの中にも美しき輝きを放つ。しかし戦後、その輝きは失われた。

 八月十五日の靖國神社公式参拝を公約とした小泉首相は、就任以来いまだその公約を果たさず、しかもその一方で「先の大戦において我が国は、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました」として「深い反省の念」を口にしてもいる。自虐史観の象徴たる村山謝罪談話を今も「日本政府の歴史認識」としている以上は、その自虐史観を根源とする内外の歪んだ国策がいかに日本を衰亡へと導いているか、小泉首相も全くその自覚を持っていない様に見受けられる。さらに自らの祖国を一方的に「侵略国」だと断じる日本人が多い中で、国際社会においてはそもそも「侵略」の定義自体が存在していないことを知る日本人は少ないようにも感じる。

 「侵略」について現在でも世界のスタンダードとなっているのは、一九二八年のパリ不戦条約、いわゆるケロッグ・ブリアン協定である。この条約は、「侵略戦争は禁止するが自衛戦争は可とする」と定める一方で、「侵略か自衛かについてはその当事国が自己解釈権を持つ」とも定めている。ある国が一方的に他国へ先制攻撃を仕掛けても、それは単純に「侵略」とは定義できず、現にアメリカは「自衛のため」にイラクヘ侵攻し、旧ソ連や中共が他国へ侵攻してきた際にも「自衛戦争」「懲罰戦争」を掲げていた。つまり、その国の政権が「侵略だ」と認めれば侵略とされ、「自衛だ」と主張すれば自衛戦争とされるということである。従って自ら侵略国だと認めるような国は、世界では日本以外にはただの一国も存在しておらず、我々の目から見れば明白な侵略行為に映る中共や旧ソ連の他国への侵攻も、当事国が「自衛だ」と主張する以上は、国際社会はそれを批判はできても断罪することはできなかったのだ。

 かつて東京裁判において東條首相は「自衛戦争」を主張し、戦後歴代政権も「後世の歴史家が判断すること」とコメントして、決して自国を「侵略国」だとは認めはしなかった。当たり前のことだ。東條英機元首相の孫にあたる岩浪由布子女史は、開戦前夜に東條首相が布団に正座して号泣し、和平を希求する天皇陛下の御心に沿えない結果に至ったことを悔やみ慟哭していたことを自著に記している。泣きながら侵略する馬鹿が三千世界の何処にいるというのか。しかし、本文で述べる中共の対日弱体化工作が加速するに従い、宮沢や細川あたり以降の政権は、戦後数十年も経って自国を「侵略国」だと認める談話・声明・決議等を行い、自虐史観を事実上の国定史観に据えた。首相の立場で初めて「日本は侵略国だ」と公言した細川元首相は、平成十年に発表した論文で「北朝鮮には対日侵攻の能力はなく、中国にはその意図が皆無だから、在日米軍は不要である」という在日米軍撤兵論を主張して、さすが元朝日新聞記者のお里が知れると言うべきか、反米かつ親中朝の本心を露呈している。かくてマルクス主義者の村山政権時にその自虐性はついに頂点に達した。小渕・森両政権はかろうじて現状維持に踏みとどまったが、靖國神社公式参拝を公約にした小泉首相はその期待が大きかっただけに残したキズ跡も大きかったのだ。

 そもそも首相が靖國へ参拝するのに「不戦の決意を新たにするため」だのと言い訳することが異常であり、「国を守る決意を新たにするため」と言うのが当然である。国民全体を見ればそれに異を唱えるような日本人は、少数の親中朝派左翼だけしか存在しない。しかしながら今や、中共に媚びるというその為だけに国家のアイデンティティや国益が放棄され、世界でも類例のない自虐国家日本が米中冷戦の綱引きの間に呆然として立ちつくしているという状況である。ケロッグ・ブリアン協定さえもおそらく知らないままに、愚かな自虐史観から祖国を「悪」と断罪した首相たちの名は、後世の歴史教科書にはどのように記されるのであろうか。

 平成十五年七月十二日、江藤・亀井派の会長であった江藤隆美代議士は福井市での講演で「南京大虐殺(の死者)が三十万人なんてでっちあげの嘘っぱち」「過去の歴代首相は、侵略戦争だったと頭を下げて自分の国が悪いように言ってきた」「日本人はこれまで自ら辱めるようなことをやってきた」「新宿の歌舞伎町は今、第三国人が支配している無法地帯」などと述べておられる。江藤氏はマスコミからは「抵抗勢力」だのと悪役扱いをされていたが、その実は正しい歴史観と信念を持つ数少ない国士政治家であり、その引退が惜しまれると同時に、一人でも多くの政治家にこの江藤氏の識見を継承して頂きたいと切に願う。政治は年令ではなく識見と信念であり、そして国家国益を想う心に他ならない。ところで村山政権あたりから連立与党の幹事長が何かにつけて揃って北京を訪問する「朝貢」がこれまで慣習化していたが、安倍晋三氏は大型連休の外遊先に北京ではなくワシントンを選んでいる。安倍氏は米国に対して媚びることもなく堂々と対等なパートナー化を進めようとしておられ、その言動は米国からも「筋の通った人だ」(ライス補佐官)と評価されており、北京通いばかりしていた山崎拓とは大違いだ。さらに安倍氏は集団的自衛権行使の解釈変更を提起し、自民党各県連に宛てた幹事長通達の中で「(自虐的な)歴史教育の見直し」を明確に打ち出し、民主党が主張している「従軍慰安婦」への賠償や靖國代替施設について「自虐史観」「第二社会党」だと強く批判している。実にこれはかつてない画期的なことであり、自民党が安倍テーゼに沿って変わっていけば自民党は真の保守政党へと再生することができる。これは真の保守政治家が実権を得られさえすれば、この国はまだまだ立ち直れることを示している。

 ご存知のように平成十五年の総選挙において、「反戦」「護憲」を掲げた社共両党は大惨敗に至り、自民党は十議席を減らす一方で民主党が四十議席も増やす結果となった。マスコミは「二大政党時代の到来」と嬉々として報道していたが、しかし私はこの結果に大いに危機感を覚えている。それは政党のイデオロギー再編なきままに民主党が議席を伸ばしたからである。共産党が二十議席から九議席へ、社民党が十八議席から六議席へと激減したのは、両党の支持者が民主党に鞍替えしたからであるが、それもその筈で民主党には旧社会党の「沈む船」から逃げ出したマルクス主義者が多数存在しているからである。民主党の岡崎トミ子議員が二〇〇二年二月に韓国の反日デモに参加し「自称・元慰安婦」らと共に日本を罵倒するシュプレヒコールをあげていたことからも明らかなように、旧社会党出身の議員たちは党は変わってもその思想は全く変わっていない。さらに旧社会党系の存在のみならず、民主党は平成十六年の参院比例候補として、日教組や部落解放同盟といった共産主義組織の幹部を担いでいるが、仮にも政権交代を唱えるのであれば、やっていいことと悪いことの区別がある。これらの共産主義組織の代表はこれまで社会党から出馬していたわけであり、さらに各選挙区の民主党候補の経歴を見るに、本来は社民党か共産党から出馬するのが自然な左翼活動家が多数混じっている。これでは社共両党の票が民主党へ流れるのは当然であろう。選挙に際して菅直人は「政権を取ったら自衛隊イラク派遣を中止させる」と主張し、岡田克也(日教組が選挙を応援!)も「中国との関係を損ねるのに、なぜ小泉首相は靖國参拝をやめないのか」とTV討論で述べており、また両氏とも「君が代に反対だ」と述べている。彼らが日本国家の主権や同盟国との信義よりも中共のご機嫌を伺うことのほうが大事だと考えていることは明らかなのだ。民主党は「集団的自衛権行使の不可」「外国人への地方参政権付与」「ジェンダーフリー社会の実現」「日本の戦争犯罪の追求」などをマニフェスト詳細で公約しており、このような左翼政党の中に旧自由党や旧民社党といった保守派が混じっていることがおかしいのだ。例えば二〇〇四年二月二十八日の台湾の「人間の鎖」行動で、中共の圧力に屈した自民党議員が誰一人として参加しない中、民主党の中津川博郷・大江康弘両議員は訪台してこれに参加しており、このように明確に主権意識を保持する若手議員たちは、正統保守イデオロギーの持ち主ではあっても選挙区事情で民主党から出馬した方々である。連合という左派労組に票を支えられ、ド左翼がトップに立って自虐史観・謝罪外交・ジェンダーフリーを推し進める党政策に違和感を感じる正統保守派の民主党議員も多い筈であろう。

 その一方でこれは自民党においても同様のことがいえる。戦後日本は、安全保障を米国に委ねるという吉田茂の「米国の被保護国」路線と、日米対等なパートナー化を目指す岸信介の「改憲・国軍再建」路線という、二つの政治路線が自民党内でせめぎ合ってきた。吉田茂路線を継承したのが池田勇人-太平正芳-鈴木善幸(元社会党員!)-宮沢喜一へと至る宏池会であり、加藤紘一や河野洋平もこの系譜に連なる。つまり自民党左派と呼べる謝罪外交主義の一派である。また田中角栄-竹下登・金丸信-野中広務・橋本龍太郎へと至る旧田中派の系統は、金権至上主義から中共ODA利権に固執し、宏池会系と歩調を合わせて対中朝への土下座外交と防衛軽視路線を推し進めた。この自民党内の左派・金権派という土壌のあるところへ、社会党にキャスティングボートを握られる形で村山連立政権をつくった為に、自民党の「社会党化」が加速したのである。元日教組幹部で社会党参院議員を務めたこともある小林正氏は、社会党の体質を「完全にマルクス・レーニン主義国家の発想で考えている」と自ら認めているが、こんな政党の党首を首相にかつぎ上げてしまったのだから、自民党内の左派・親中朝派が完全に実権を握ることになり、河野洋平・加藤紘一・野中広務といった中朝のヒモ付きが総裁・幹事長・幹事長代理を務めている間に、自民党は大きく「左」へ転回してしまったのだ。加藤紘一の腹心であった白川勝彦は自他共に認めるマルキストだが、この白川は平成九年六月に「村山さんを招くことを決めた時、自民党は大きな路線変更をした。その時をもって党内ではリベラル派が多数派になった」と得意気に語っている。言うまでもなく白川の言うリベラルとは、即ちマルクス・レーニン主義のことである。

 現在自民党の中でとりわけ警戒するべき最左派の筆頭、すなわち中朝に服従する「売国三兄弟」は古賀誠-加藤紘一-河野洋平のラインであり、その中で一番危険なのは古賀誠だ。古賀は平成十三年十月のテロ対策特措法、平成十五年七月のイラク復興支援特措法、同年十月の改正テロ対策特措法、これらの全ての採決を野中広務と共に退席しているが、古賀の媚中・反米・反自衛隊の信念はその日頃の言動を見れば明々白々であろう。古賀や野中といった旧社会党と寸分違わぬ思想を持つ人物が幹事長ポストに就くほどに、これまで自民党は「左」へ寄っていたのである。これによって国民の保守層すなわち従来の自民党支持層は、もはや左派政党と化した自民党を支持できないと感じ無党派へと転じた。NHKの調査では、自民党支持層のうちの七十%しか実際に自民党に投票していないと分析しているが、つまりこの残りの三十%は「自民党だから支持する」ではなく「自民党が保守政党だから支持する」という人々なのである。

 一方、岸信介路線を継承したのが福田赳夫-安倍晋太郎-三塚博-森喜朗と続く森派であり、また思想的な同一性を有するのが中曽根康弘-渡辺美智雄-伊吹文明へと至る旧中曽根派系であり、森派から抜けた亀井静香氏の一派がこの系列に合流したのも思想的には自然な流れである。ソ連崩壊と東西冷戦終結以後、中共の軍事的台頭と北朝鮮の核開発、米中軍事衝突の発火点となりうる台湾情勢、今や紛争の舞台が東アジアヘと移る中、吉田路線はもはや完全に破綻し岸路線への転換が危急に求められる情勢下となっているが、岸路線の正統継承者である安倍晋三氏の人気は国民が時代の変化を敏感に感じている結果であろう。多くの日本人がさすがに「このままでは大変なことになる」と直勘的に感じているのだ。そして近未来においてこの岸路線とは日本がアメリカと結び中共に対抗できる自立国家となる路線であり、吉田路線とは日本が中共覇権下で事実上の中共衛星国になる路線である。その根拠は地政学のパワー・ポリティクスにあるが、詳しくは本文で述べる。

 このように現在自民党と民主党には大きなイデオロギーの捻れが生じており、二大政党制を実現するには、この捻れを解消するための政界イデオロギー再編なくして二大政党が存在する本来の意味を持ち得ない。考えてみてほしいのだが、例えば安倍晋三氏と河野洋平が同じ政党、西村眞悟氏と横路孝弘が同じ政党、これでは保守層も左翼も無党派にならざるを得ない。例えば政治的信条から自民党の安倍氏を支持する人は、民主党の西村眞悟氏も支持する筈であり、政党とは個々人の多少の差は有っても敢くまでも「同じ政治理念を共有する集団」であるからこそ政党である意味が有るのだ。イデオロギーを無視した選挙目的の野合は、とてもとても政界再編と呼べるものではなく、単なる政界離合集散に過ぎない。アメリカの共和党と民主党の相違を研究してきた私にとっては、この捻れた現状下で「二大政党時代到来」だのとマスコミがはしゃぐのは、二大政党制とは単に大きな党が二つ有ることだと勘違いしているのではないかとしか思えない。

 私は自らを英国の政治思想家エドマンド・バーク云うところの古典的保守主義者だと位置づけている。それは伝統保守、真正保守、正統保守等と呼ぶこともできる。つまり日本においては、GHQによって人工的に造られた「戦後民主主義」の社会の中で自虐史観に基く発想、すなわち第二次大戦終結以後の価値観で物事を判断するエセ保守、そして「現在の日本は本来の文明的伝統に基くものではなく、敗戦に端を発する一時的な国家的錯乱状態」と捉えて文明の本質への回帰を目指す伝統保守、この二通りの人間が保守を称している。自民党だから保守だとも言えないし、自由主義・資本主義を奉じるから保守だとも言えない。勿論のこと反共だから保守なのでもない。民族的文明における歴史と伝統への見方によって、真正保守とエセ保守は区別される。現在の日本にはこのエセ保守があまりにも多く、政界でも言論界でも保守の仮面をかぶった「戦後民主主義者」ばかりが溢れて「メイド・イン・GHQ」の価値観をしたり顔で振りかざしている。GHQがマルクス主義者(ニューディーラー)に占拠されていた事実を鑑みるに、日本には「保守を自称する無自覚マルキスト」が多いということだ。政界のイデオロギー再編は真正保守とエセ保守とを峻別することも大切な要素である。

 そしてもう一つ、私が危機感を感じている点は、公明党が政権のキャスティングボートを握る結果になっている現状だ。自民党は参議院でも衆議院でも公明党がなければ過半数を超えず、これでは公明党が了承しなければ自民党の政策は何も進められないことになる。例えば小泉首相は元々「武力攻撃事態対処法案」の中にテロと不審船もその対象に含めると主張していたが、公明党が「それを入れると自衛隊の活動範囲が広がる」と強固に反対し、結局これらは対象外ということになってしまった。国民の目の届かないところで、意味さえ分からないような理由で国防法案が骨抜きにされている。僅か三十四議席の「犬の尻尾」に「犬」そのものが振り回されているのだ。公明党の政策は地域振興券なる商品券のバラまきに七千七百億円(経費込み)もの国費を濫費させた一例が示す如く、政党としては余りにも幼稚に過ぎるものだ。かつて村山政権下で自民党が「社会党化」して謝罪決議なる愚行に至ったごとく、自民党の「公明党化」がこれから始まることを大いに危惧する。

 ご存知のように公明党は池田大作の個人独裁政党である。池田大作は「私は日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」(『人間革命をめざす池田大作、その思想と生き方』有紀書房)と言い放ったことがあるが、日本の国主は天皇陛下であり、この発言は看過できない。創価学会=公明党の最終目標は、本来この池田大作大統領実現にあったのだ。また池田大作は中共からの勲章や名誉博士号欲しさに自虐史観と謝罪外交を掲げており、創価学会は「周恩来展」など中共プロパガンダに奔走している。さらに憲法九条改正にも教育基本法改正にも反対しており、在日韓国人信者の票目当てに外国人参政権付与を執拗に推進してもいる。公明党が首相の靖國参拝に反対するのは、中共へ媚びるためだけではなく宗教的イデオロギーに基くものでもあり、創価学会の『日本の宗教の現状』という本の中には、神社には神など居らず神社のお札やお守りは「悪鬼の棲み家」だと書かれている。そして言うまでもなく公明党議員は、全員がこの「神社は悪鬼の棲み家」だと信じる創価学会員なのだ。そのイデオロギーの特殊性ゆえに自民党が決して連立してはならず、また政界イデオロギー再編の対象にならない政党は、マルクス主義の社共両党そして公明党の計三党だったのである。しかし自民党も、そして野党も新進党時代に、このタブーを破って共産党以外の二党と連立してしまった。国民の大多数は特定の宗教がキャスティングボートを握るような政権がこの国難下で国家の舵取りをすることを望んではおらず、平成十五年十一月十六日のフジテレビの世論調査では「自公連立を評価しない」が六割を超えた。本来の自民党支持層が減り続ける一因は、この公明党との連立や「比例は公明党に」といった異常な選挙協力姿勢にもあるのだ。なお公明党の政策の根本には、池田大作のある特殊な観念が存在しているのだが、これも詳しくは本文で述べる。

 昭和四十八年、かつて自民党の伝統的保守主義者たちが青嵐会を結成し、故中川一郎氏や石原慎太郎氏、そして森喜朗氏や江藤隆美氏もそのメンバーだった。森派や亀井派(旧江藤・亀井派)に真の保守主義者が多いのも、このリーダーの資質に由来するものであろう。森喜朗氏は首相在任中にマスコミから集中的中傷を浴びたが、青嵐会時代の志を貫いて対中従属を断固拒否する姿勢を示されたことについて、私は森氏を宰相として高く評価している。ちなみに青嵐会メンバーであった故國場幸昌代議士は私の叔父の義父にあたる人物で、左派勢力が強い沖縄県の選出ながらも揺るぎない愛国心を堅持していた。私の叔父も若い頃にはその秘書を務めていたことがあり、私は青嵐会にはとりわけシンパシイを感じている。その後、この青嵐会と同様の志を持って結成されてきたのが「国家基本問題同志会」「英霊にこたえる議員協議会」「歴史・検討委員会」「終戦五十周年国会議員連盟」「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」等であり、野党側にも新進党時代に「正しい歴史を伝える国会議員連盟」があった。これらの議連に参画してきた議員の方々に、もう一度その時の志を甦らせ、政界のイデオロギー再編に立ち上がって欲しいと私は心より願う。

 これまで「外交と安保は票にならない」と言われた時代が長く続いてきた。「憲法改正や国軍創設を言うとマスコミからタカ派だとレッテルを貼られる」と怖れ、口をつぐむ政治家も多くいた。政界から大衆に至るまで、国家意識を喪失した日本人のこれまでの姿は、まるでダンテが描くところの「天国と地獄の中間をさまよう、宙に浮き顔のない青白き魂の群れ」そのものであった。愚かにも日本人は国家・民族よりも地元の利益のみで国政に携わる政治家を選んできたのだ。しかし拉致問題をきっかけにして国民のこの意識は変わりつつある。拉致問題に取り組んできた大前繁雄氏が土井たか子を破った選挙結果こそがそれを象徴している。この時代の流れはもう誰にも止められず、さらに加速していくことであろう。レーガンが大統領就任直後に米保守団体の総会で語った「我々は心の痛む敗北を何度味わい、暗黒の孤独な夜を何度過ごしたことか。だが今や我々保守の時代が到来した。自由のため、保守のために全力で戦えば、後世の人は必ず、我々を勇気と英知のある人間として、歴史に栄誉をもって位置づけるだろう」という言葉は、ようやく日本にも当てはまるようになってきたのだ。志ある政治家諸氏は、左翼マスコミの批判を恐れず、「国民の生命を守ることがタカ派だと言うのならタカ派で結構」と断じた安倍晋三氏が圧倒的な国民的人気を得ている現実、そして石原慎太郎氏が「総理にしたい政治家」のトップに常にランキングされている現実、この時代の変化に覚醒してほしいと願う。

 小泉訪朝に先立つ平成十一年、当時私が代表を務めていた日本歴史修正協議会は、北朝鮮の核開発や拉致を訴える大規模なシンポジウムを主催した。日本歴史修正協議会は「自虐史観の修正」をその活動目的とする保守言論団体だが、自虐史観に由来する謝罪外交の延長上から北朝鮮の拉致や核開発が放置され、逆にコメが贈られているような現実に危機感を感じ、歴史認識問題以外のテーマを取り上げたのだ。しかし自民党の板垣正元参議院議員がパネリストの一人であったにも関わらず、若干数の府議や市議は出席してくれたものの国会議員は誰も来ず、また主催者代表である私は朝鮮総聯や京都信用保証協会(保証部の大半が共産党系)から不当な思想弾圧や脅迫を受けることになり、議員も警察も誰も守ってくれる者はいなかった。私は子供の頃に、他ならぬ左翼組合の教師から「日本は戦争に負けたおかげで、思想と言論の自由のある国になった」と教えられたが、共産党が府議会・市議会の半数近くを占めるような京都では、私のような保守主義者にとっては思想や言論の自由はなかったのだ。そして今でも京都信用保証協会による経済的圧力を中心とする共産党勢力の私への攻撃は多々続いている。しかし国民の覚醒と時代の変化が、いずれ私と敵側との今の立場を逆転させるであろう。その夜明けが近づいていることを私は感じている。

 さて国家戦略というものは、政治・外交・経済・軍事・心理宣伝(プロパガンダ)など、国家がその現在及び未来の繁栄のために用いるあらゆる戦術の基幹となるものである。しかし実に残念なことに日本はこの大局的な国家戦略を持っていない。国家戦略を立てるには、関係する諸国の戦略を把握しておかなければならないが、政治家も官僚も多くの国民もそれをよく理解していない。平成十四年九月の小泉訪朝とは、親中朝派外務官僚の田中均アジア大洋州局長がアメリカに無断で中共の「日米離反シナリオ」に乗って暴走した愚行の産物だが、結果的にはそれを端緒として、北朝鮮のその実態をようやく一般国民が広く知るところとなった。しかしながら実は北朝鮮以上に日本の未来にとっては巨大な悪禍となる中共の対日戦略、またクリントン政権期と比べてダイナミックな戦略転換が行われたるブッシュ政権の世界新秩序構想、これらについては一般国民の認識は十分とはまだとても言えない現状だ。そしてその世界新秩序という言葉は日本では否定的な意味合い、つまり「米国の横暴」といった批判的な用途で用いられているケースがあることも事実である。とかくマスコミや世論では、共和党も民主党も『アメリカ』という表現でひとくくりにして幼稚なマクロ視点で論議されることが多いのだが、共和党と民主党の国際戦略の差を比較分析するミクロ視点の欠如にも危惧を感じる。また米国共和党の国際戦略は、日本が私たちの望む「普通の国」へと脱皮できる国家再生へのチャンスであることも、あまり理解されていないように感じている。

 反米や親米の論調は巷に溢れているが、私は親米でも反米でもなく、敢えて言うのであれば親共和党・反民主党という「超米」の立場である。その理由や根拠は本書をお読み頂ければ理解して頂けるであろうが、私のような視点での論評は巷ではあまり見当たらず、第三の視点であるとも言えよう。しかしこの第三の視点が日本世論の主流となっていかなければ、この日本は今後衰亡への道を突き進むことになる。共和党及び民主党の異なる国際戦略や中共などの対日戦略を正しく把握することが、我が日本の近未来戦略を構築するためには先ず必要なのだ。共和党ブッシュ政権においては、日本を英国のように対等な同盟国へと昇格せしめんが為、日本に対して「憲法改正・国軍創設・場合によっては核保有」を要望し、「アメリカは強い日本との同盟を望むが、中共は日本弱体化を望む。日米同盟と日中友好の両立はありえない」という選択を突きつけている。そして共和党の認識には「中共への弱腰外交を日本に中止させるためには歴史観の問題がカギだ」というものが確固として存在しており、平成十四年二月のブッシュの靖國神社参拝の打診は、まさに対中戦略のために先の大戦の歴史観(日本の自虐史観)を転換させんが為の共和党のアプローチであった。結局ブッシュが靖國神社に参拝することは外務省チャイナスクール(親中)の抵抗で阻まれたが、もし仮にそれが実現していればアメリカ歴代大統領として初めての画期的な出来事であり、日本の内外政策に甚大な悪影響をもたらしている根因たる自虐史観が修正される大きな転換点となっていたことであろう。

 詳しくは本文で述べるが実は、共和党は対日戦争にも原爆投下にも反対しており、東京裁判の正当性にも疑問を呈していた。しかし当時、米政界において共和党は野党であった。結局、先の大戦で米民主党政権はソ連への示威行為として、また人種差別的なる「人体実験」を目的として、ウラニウム型(広島)とプルトニウム型(長崎)の二種類の原爆を投下して、数十万人にも及ぶ日本の民間人を殺害した。民主党政権によるこの真のホロコーストは、共和党の多くを占めるキリスト教原理主義者にとって大きな「原罪」となり、精神の底に罪悪感を伴わせることになっている。ニューディーラーと呼ばれる民主党左派(親マルクス主義者)が支配していたGHQ民間情報教育局(CIE)は、この原爆投下を含む対日戦争を「正義」とするために、『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム』という洗脳作戦を実施し、三十項目からなる検閲を課して一切の日本弁護を禁じ、ラジオや映画を通じて日本悪玉史観のプロパガンダを大々的に行い、GHQ製の日本近現代史『太平洋戦争史』連載を各新聞に命じた。そしてこのニューディーラーによってつくられた歴史観は、マルクス主義史観(階級闘争史観)とほぼ一致していたため、ソ連や中共に利用される結果となった。ソ連や中共の手先と化した反日的マルキストたる日本左翼勢力は、共産革命のために祖国日本への誇りや愛国心を日本人から奪おうと企図し、またソ中の日本侵攻の障害となる防衛力や安保を取り除こうと企み、この自虐史観をその「道具」に用いてきたのだ。過去半世紀に渡り、多くの日本人がだまされ続けてきた。日本をここまで狂わせてしまった罪は、むしろアメリカというよりも日本国内の売国的左翼勢力こそが問われるべきであろう。

 しかしその一方、田中正明氏による昭和二十七年四月二十八日の「パール判決」初刊行以来、その日本無罪論の主張と日本の真の独立を願う草奔の声も決して絶えることはなく、とりわけ近年は小林よしのり氏の『戦争論』や藤岡信勝氏の『教科書が教えない歴史』、映画『プライド』のヒットなどが多くの若者たちに新しい愛国心を芽生えさせている。この日本の自虐史観見直しの潮流は、世界をアメリカの「管理下」に組み込もうとするグローバリズムの動きに反発する自然なナショナリズムの勃興でもある。グローバリズムはナショナリズムを封殺し、個々の国の伝統的な民族的価値観を打ち壊す。そしてグローバリズムを主導する米国の一方の政治勢力の目的は世界中にある彼らの資産や利権を守り維持することにある。しかし間違ってはならないことは、アメリカという国が丸ごとグローバリズムを推進しているのではないということだ。グローバリズムを推し進めているのは、民主党とその支持基盤である国際ユダヤ資本なのだ。ニューディーラーとはグローバリストの初期形態でもあり、戦後日本を「管理」してきたのは、この民主党系勢力なのである。一方ブッシュに代表される共和党保守派は、一貫してこのグローバリズム戦略に反対してきた。しかし日本では反グローバリズムを唱える勢力が、何故か共和党ブッシュ政権も非難している。誰が敵で誰が味方かを理解していないからだ。

 自虐史観からの解放とパトリオティズムの勃興とともに、アメリカの犯した罪を憎みグローバリズムに反発する反米の気運が少しずつ高まりつつあるのも事実だが、しかし例えばもしアメリカ人が社民党や共産党のイデオロギーだけを見て日本という国を判断すれば、きっと我々はそれに異を唱えるであろう。アメリカでも共和党と民主党とは、まったく違うイデオロギーと対日戦略を持っており、本書の主題の一つは、まさにこの共和党と民主党との相違を比較することにある。グローバリズムと反グローバリズム、対日方針における「日本の自立」か「管理」か、政治・軍事的に「強い日本」か「弱い日本」か、第二次大戦の結果に基く世界秩序の「再編」か「継続」か、アメリカには相反する二つの考え方の勢力が拮抗している。それを理解せずにアメリカを一括りにして「反米だ、いや親米だ」と主張することは、極めて幼稚な観念論でしかない。つまり日本の「戦後体制」からの脱却とは、脱グローバリズムすなわち米国民主党の対日管理からの脱却に他ならず、ブッシュ共和党政権はそれを後押ししているのだ。しかし保守派でも無知な人々は単純な白黒二元論で反米を唱え、「強い日本」を願う共和党政権に罵声を浴びせている。その根底にあるのは、まず「二つのアメリカ」が存在していることを知らない無知さ、そして日教組教育によってインプリンティングされてしまった反米観念に他ならない。

 昭和四十一年十月、死を目前にした前年に最後の来日を果たされたラダ・ビノード・パール博士(東京裁判インド代表判事)は、『若き日本の世界的使命』と題するメッセージを日本国民に向けて公表し、その中で「プロパガンダの効果の恐ろしさは、たえず感情にはたらきかけて、知らず識らずの内にあなたがたを奴隷化し、自分の本性に合致しない信条や信念や行動を信じこませる力があるという点にあります。あなたがたの精神と判断の正しい自主性を保つようにして下さい」と述べられた。しかし敗戦のショックは日本人から自主性を喪失せしめ、マルクス主義者による自虐史観プロパガンダが日本の現在の歪みきった「戦後体制」をつくった。妄想平和主義、防衛アレルギー、核アレルギー、謝罪外交、対中従属、国連中心主義、そしてジェンダーフリー等々の亜流マルクス主義への幻想。多くの国民が意図せず自覚もせずに知らず識らずの内に「マルクス主義の奴隷」となってしまった、それがこの「戦後体制」なるものだ。本書はそのマルクス主義者のプロパガンダを打破し、より多くの政治家や国民を「マルクス主義の奴隷」から解放するために、また今や目覚め始めた日本国民に対して「戦後体制」を超えた新たなる時代の指標を示さんがために書いた。それはパール博士の遺志を継ぐ田中正明氏の系譜に連なる門下生たる私の使命だと自負している。

 国際情勢とりわけイラクや北朝鮮に関する動向は日夜動き続けているが、本書は単なる国際情勢の評論を目的とするものではなく、日米中朝を中心にその根本的な対外戦略や体制を分析したるものである。従って諸情勢が変動しても、その根底には本書で述べたる本質的な国家間関係と問題点が存在しており、その実態を知ることこそ、日本民族が進むべき暁への道の道標となると自負している。また国内における様々な諸問題についても最大限取り上げ、内外のあらゆる日本の危機についてその根源・構造・情勢・対戦略を詳述した。ある意味において本書は、保守主義者・愛国者のためのマニフェストでもあるのだ。

 本書執筆時では二〇〇四年十一月の米大統領選でブッシュかケリーかいずれが当選するかは不明だが、米政権を取るのが共和党か民主党かで日本の運命もまた大きく変わる。両党の対日方針にはこの百年来対立する二大路線そのものが継承されており、それは即ち日本の未来を左右する重要な鍵を握るものである。しかし日本の自立を封じ込める米民主党の伝統的路線を採るケリー民主党政権が誕生したとしても、世界的な歴史の変動はもう決して止まることはない。イスラム原理主義、国際テロ、ニュー・ワールド・オーダー(世界新秩序)、米中覇権冷戦、おそらくこれからの数十年間アメリカは歴史の光と影の中を疾駆していく。

 この時代の分岐点、それはまさに日本にとって国家再生のラストチャンスであり、「その次」なる世界を創るための国家的使命のプロローグでもある。そして実はこの使命のために、二千六百数十年間の日本の歴史は存在する。その日本の使命を私は現代~近未来から以後百年間のスパンで本書に明示した。アングロサクソンは、ヒストリアン(歴史家)とストラテジスト(戦略家)をしばしば同義の概念と位置付ける。私も同様に歴史の中から未来への戦略を組み立てる。過去の歴史への見方が現在のあり方をつくり、現在のあり方が未来をつくるからだ。過去と現在と未来は一本の軸の上に存在している。従って本書は近現代史再評価の書であると同時に、日本のための未来航海図なのだ。

 かつてマルクスは「あらゆる悪徳の中で最も醜い悪徳は卑屈である」と述べたが、自虐史観を掲げ謝罪外交を主張する日本のマルクス主義者たちは、マルクス自身の目から見ても最も醜い卑しい人間である。小泉訪朝の「九・一七」以降、国民の多くはその醜さに気付き始めた。今アジアに動乱迫る国難のとき、静かに日本全国の大地から純粋な憂国の声がまるで地湧のごとく日本民族の中に湧き出している。日本は必ず目覚める。まさに今、世界が、そして日本が激動の時代へと突入した。その荒ぶる激動こそが、日本の長き眠りを覚ます大いなる夜明けと成りうることに、一人でも多くの同憂同志に刮目して頂きたいと願う。パール判事の述べられるところの正義の女神が秤を平衡に保つその「暁」が到来しようとしているのだ。私は日本を、日本民族を信じている。近未来、この国が必ず目覚めることを信じている。そしていつの日か完全無欠なる祖国の再生が実現したる暁には、その夜明けを目指し道一筋に闘い続けた田中正明という俠が、この暗野に灯したる「日本無罪論」という篝火、その燦然と煌く民族の輝きこそを、永く記憶に留めて頂きたいと願うものである。パール判事が下し田中正明氏が世に示したる「日本無罪論」こそが、日本が再生するための唯一の命綱、暁への道に続く唯一の扉なのだ。

 本書に先行して平成十五年七月に発売された前著『暁か黄昏か』には、心ある政治家・財界人・評論家・学識者・外交官・教育者・保守活動家等の方々から、賛同と激励の手紙が多数寄せられ、筆者としてはこれに勝る喜びはない。また多数の講演依頼を頂き、「月刊日本」「漁火」などの諸誌には前著のダイジェスト的論文を掲載して頂き、本書執筆の大きな励みとなった。前著では紙数の都合上、多量の原稿が未収録となっていたが、本書では前著の一部分に加えてそれらの未収録原稿を追加収録し、また以降の内外情報についても加筆し、再録部も含めての全文に渡って加筆訂正を加えて再構成した。前著に比べて五倍以上の文量となっている為、若干の再録はあるものの事実上は新たな書き下ろしである。前著をお読み頂いた方にも是非ご一読頂きたい。

 最後に、私の今日の思想形成をお導き頂いた田中正明氏、本書刊行に多大なるご尽力を賜わった中村功氏、平素過分な御指導御叱咤を賜わっている中村粲・清水馨八郎・名越二荒之助の御先達各氏、またお立場上そのお名前を記すことはできないが貴重な情報をお知らせ下さった内外各界の情報提供者の方々、そして米国ワシントンより激励の書簡をお送り下さった加瀬英明氏(元首相特別外交顧問)を始め賛意と激励を賜わった多くの各界オピニオンリーダーの方々に、そのご厚情に心より謝意を表したい。

平成十六年八月一日
著者
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 いかがでしたでしょうか? 以上が【まえがき】です。この部分で14ページ程ですが、全部で585ページという正に大著と呼ぶに相応しい書籍だと思います。転載元では、ページの順番がバラバラになっているので、ここでは順番に並べて行こうと思います。
復刊に御協力お願いします

-追記-
原本を入手したので、段落などを修正しました。

すめらぎ いやさか★彡