私なんかがレビューしてしまうのが申し訳なく感じるほどの、押しも押されぬB'z最高峰の大名曲。

メンバーに向けて、スタッフに向けて、ファンに向けて歌われたそのメッセージに、心動かずにはいられない。
それにしても、どうレビューしたものか。非常に難しい。人それぞれに、この曲への非常に強い思い入れがあるに違いない。

★★★★★

まずは簡単にサウンド面を片付けておく。
非常にシンプルな4ピース構成で、TAKのギターは左右のスピーカーを使い分けて、ライブらしい雰囲気が醸し出されている。
ギターワークや構成等はさほど新しくなく、メロディ・展開・稲葉のボーカル・歌詞で見事に盛り上げているという点が、この曲がいかに真に名曲であるかを物語っている。
アルバム全体にも言えることだが、作曲・編曲は全てTAKが担当しており、アレンジャーの手が加わっていないことからも、まさにB'zの実力を完全に凝縮したものとなっている。



歌詞については、稲葉なりの「個人主義」に着目してみたい。
この歌詞で印象的な部分といえばサビとギターソロ前のブリッジであるが、そこで歌われる

「同じ道をゆくわけじゃない それぞれの前にそれぞれの道しかないんだ」
「みんな生まれも育ちも違ってるしベッタリくっつくのは好きじゃない」

といった歌詞に、稲葉の、「理想的な人間関係(=Brotherhood)とは何か」に対する考え方が明瞭に現れている。


J-POPで歌われるような「ずっと一緒」「永遠に愛している」といった歌詞を、稲葉は基本的に避ける傾向がある。
歌詞に使用する時は、ネガティヴな要素を伴っている場合が多い。「永遠の翼」における「永遠」は、「死してなお」永続する想いを信じるものだし、「OCEAN」では、 果てない想いを捧げる一方で、 「形の違う心何度でもぶつけあって」と、その過程の困難さを指摘している。同様のものに「ハピネス」。
「Calling」でも、ロマンチックなバラード部分の一方で、随所で、もはや自分の声が届かないことを示唆している。同様のものに「TIME」。
「消えない虹」で女性を傷つけたのは、おそらく主人公と推測される。「Warp」では、3年前のケンカ別れからまだ再会したばかりである。
…と考えていくと、稲葉スタイルの確立していない初期に遡らない限り、 「ずっと一緒」「永遠の愛」系の歌詞は見つかりそうもない。って思ってたら「君を気にしない日など」が登場しちゃいましたが。

こんな感じで、稲葉は、「永遠の愛」のような上辺だけの概念を手放しで賛美することはまずない。
前向きな応援歌でもそうだが、特に男の、卑怯さや自己嫌悪や性欲などが関わる、人間の暗部に目を向けて留保をかけることを基本的に忘れない。
そういう醜さ・愚かさがあるからこそ、誰かと一緒にベッタリでユートピアを築いて生きていくなんて有り得ない、と考えている節がある。
そんな稲葉の発想の一環として、「人は独りで生きていくもの」という考え方がある。この発想は、かなり色んな歌詞から読み取れるものだ。この稲葉の発想を「個人主義」と呼ぶことにする。

「貴女は貴女の 僕は僕の地図を見よう」 (「LADY NAVIGATION」)
「僕は僕に 君は君に拝み倒して笑えばいい」 (「ねがい」)
「誰も互いのことを分かり合うのは不可能」 (「MY LONELY TOWN」) 



本曲においては、稲葉の「個人主義」が随所に、かつ顕著に現れている。
稲葉だって、制作過程で、本曲がB'zにとって最も重要な曲になりうることぐらいわかっていたはずだ。
にも関わらず、TAKに向けて、サポートミュージシャンに向けて、スタッフに向けて、ファンに向けて、この「個人主義」を明確にするあたりに、稲葉の頑ななまでの「個人主義」への固執を見出すことが出来る。
本曲のハイライトである、

「走れなきゃ歩けばいいんだよ」

の部分は、多くの人の背中を押す励ましの言葉だが、穿った見方をすると、なぜ「走れなきゃ僕が支えるよ」「走れなきゃ立ち止まってもいいよ」というJ-POP然とした歌詞にしなかったのだろうか?と疑問に思うのである。


それでは、稲葉の「個人主義」は、他人が困っていても「絶対に」手を貸さない、他人への干渉を「一切」否定するものなのだろうかというと、実は、答えはNOである。ここでやっと、この歌詞の出番である。

「いざという時手をさしのべられるかどうかなんだ」

稲葉は、他者への介入を基本的に否定しつつも、「いざというとき」に限って救いの手を差し出すことに、決定的な価値を見出だしている。
そして、そのような救いの手によって何度も助けてもらったからこそ今の自分と自らの地位がある、ということを、直後で「だからなんとかここまでやってこれたんだ」と率直に認めている。

いざというときに助け合える、そんな関係は理想的だが、一方でそれに至るためには、例えば

「数えきれない喜怒哀楽を共にすれば」 (「RUN」) 
「最高のときも泥沼のときも笑って肩をたたける相手がいるかい」(「BIG MACHINE」)
「手をとりかけぬけた思い出が今も燃えている」(「C'mon」)

…といった歌詞に象徴される、真剣に何かに取り組み、その結果に心から喜びや悲しみを分かち合うという、濃密な経験を共有したという過程が必要なんだと思う。

稲葉には、そういった経験を共有する仲間に多く恵まれたのだろう。
TAK、サポートメンバー、スタッフ…いずれも、最高の音楽を作るという一致した目標に向かい、本気で意見をぶつけ合って、妥協せずに取り組んできた仲間だったに違いない。ライブに対して声援を返してくれるファンもまた然り。
まさに、「プロフェッショナル」な仲間たちなのである。本気で向き合った仲間どうしだからこそ、相手が本当に困っているかどうか、「いざというとき」かどうかがわかる。


稲葉は最後にこう歌う。

「道は違っても」

やはり、根底にある「個人主義」を捨てることはない。他者への介入は好まない。それでも、

「ひとりきりじゃないんだ」

いざというときに手を差しのべられる、そんな「プロフェッショナルな関係」を、いつまでも続けて行きたい、と願うのである。
そして、稲葉の「個人主義」とも両立が可能な「プロフェッショナルな関係」こそ、稲葉の理想とする人間関係、即ち

「Brotherhood」

なんじゃないかと思っている。

概念的に考えていくと難解で仰々しいところはあるんだけれども、そんな内容を、押し付けがましくもなく、かといって突き放すでもなく、分かりやすくも繊細な言葉の文(あや)で、ファンの胸にすっと響く形で歌い上げた、そこに本曲の名曲たる所以がある。
「みんなで手を取り合って歩けば何も怖くない」という応援ソングとはだいぶ方向性を異にすると思う。



最後に。稲葉の「個人主義」は、東日本大震災を契機に、変容の萌芽を見せている。

「ひとりじゃ何もできない 今頃知らされる」 (「C'mon」)

「BIG MACHINE」「Freedom Train」でも徹底した「個人主義」を 歌い上げていた稲葉は、今まさに、「他人と手を取り合う」ことの重大性に向き合っているのである。
近年のB'zの歌詞に刺々しさが薄れているのも、そんな心境の変化が要因ではないか。となれば、その新たな心境のバランスを歌詞でどう表現していくのか。
「RUN」「Brotherhood」「OCEAN」らに次ぐ新たなアンセムの誕生を心待ちにしたい。